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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 21

 こん、しゅっ
「あ……」
 一瞬、場が固まった。そして、天野のあくまでも冷静な声。
「サーブミスです。サーブ権は水瀬組へ」
 ちなみに「こん」は玉が床に落ちる音、「しゅっ」はラケットを空振りする音である。
「ううっ……」
「……期待通りだな、栞」
「そんなこと言う人、だいっ嫌いですっ!」
「相沢くん、死にたいみたいね」
「わぁっ、香里っ! 暴力反対っ!!」
 香里に胸ぐらを掴み上げられた俺がじたばたとしていると、名雪が慌てて割って入る。
「香里〜、祐一をいじめたら駄目だよ〜」
 ふっと視線を逸らして呟く香里。
「あたしには名雪なんて親友はいないわ」
「ひどいよ〜。香里、嫌い〜」
「いや、それはどうでもいいけど、香里さん、手を離して欲しいんですが……」
「どうでもよくないよ〜。祐一もひどいよ〜」
 ぷっと膨れる名雪。可愛い……じゃなくって!
「香里さん、位置に戻ってください。試合中です」
 天野が後ろから声を掛けて、香里は俺の胸ぐらを掴んでいた手をぱっと離した。
「ふっ。とりあえず試合が終わるまでお預け、ということね」
「いや、ずっとお預けでいいです」
「……」
 最後にもう一度じろりと俺を睨むと、香里は卓球台の前に戻って、栞の肩をぽんぽんと叩いた。
「ドンマイ、ドンマイ。すぐに取り返せるわよ」
「お姉ちゃん……。ありがとう」
 にっこり笑う栞。うん、美しきかな姉妹愛。
「それじゃ、真琴からだよ!」
 玉を片手に、ふっふっふと笑う真琴。
「くらえっ、真琴すーぱーさーぶっ!!」
 かこんっ
「えいっ!」
 セリフの割にはまともな真琴のサーブを、栞が打ち返す。真琴がその返球の行方を見て叫んだ。
「あゆあゆっ!」
「うんっ」
 かこんっ
 あゆの打ち返した玉が、香里の前にふわっと上がった。絶好球だ!
「チャンス!」
 ぱしん
「……あ」
 香里が放ったスマッシュが、あゆの顔面を直撃していた。
 ぽろっと落ちる玉。
 こんっ、こんっ、ころころころ……
「……うぐぅ……」
「あゆっ、大丈夫かっ!?」
「あゆちゃんっ!」
 俺と名雪が同時に声を掛ける。
 あゆはゆっくりと振り返った。
「うぐぅ……、痛い……」
「……ぶははははっっ!」
 その顔を見て大笑いする俺。
「……ゆ、祐一、笑っちゃ、だめ、だよっ」
「な、名雪だって、笑いこらえてるじゃねぇか」
「え、どしたの? ……きゃはははははっ」
 あゆの顔をのぞき込んで、爆笑する真琴。
「……うくっ、お、お姉ちゃん、笑ったら、駄目ですよっ」
「し、栞こそっ、くくっ……」
 台の向こう側では、美坂姉妹も笑いをこらえていた。
「……うぐ?」
 きょとんとしたあゆが、壁に掛かっていた鏡をのぞき込んだ。そして硬直する。
「うぐぅ……。パンダみたいになってる……」

 月宮あゆ・リタイア

「というわけで、名誉の負傷で引退を余儀なくされたあゆだが……」
「うぐぅ、引退じゃないもん……」
 ソファに座っていたあゆが、片目を押さえたまま抗議する。と、そこに、秋子さんが濡らしたタオルを手に戻ってきた。
「ほら、あゆちゃん。タオル濡らしてきたから、目に当てて休んでなさいね」
「ありがとう、秋子さん。……うぐっ、冷たくて気持ちいいよ〜」
 タオルを目に当てて気持ちよさそうな声を上げるあゆ。俺は肩をすくめて向き直った。
「どっちにしても、これじゃ、あゆは競技続行不可能だろ? かといって、栞も真琴もここで中断というのは……」
「駄目ですっ」
「しおしおと決着つけるっ!!」
 栞と真琴に同時に言われて、俺は肩をすくめた。
「……考えてない、と。とすると、どっちにしても、あゆの代理を選ばないといかんな。で、栞としては誰がいいんだ?」
「私が選んでいいんですか?」
 栞に聞き返されて、俺は頷いた。
「ああ。それが一番公平だろ?」
「それなら……」
 栞は指を頬に当てて考え込んだ。
「川澄先輩や倉田先輩じゃ、私達の勝ち目はないですよね。名雪さんでも駄目ですし……」
「秋子さんはやめてよね」
 小さな声で栞に囁く香里。栞も頷く。
「はい。私、多分、死にたくないですから」
「うふふっ、残念ね」
 頬に手を当ててにっこり笑う秋子さんと、聞かれていたことに気付いて青くなる美坂姉妹。
「ええっと、は、早く決めましょうね、栞っ」
「はいっ。そ、それじゃっ!」
 栞は慌てて駆け寄っていった。
「お願いしてもいいですかっ!!」
「……私、ですか?」
「やったぁ! 美汐っ、一緒にやろっ!」
 真琴にも笑顔で声を掛けられて、天野は頷いた。
「判りました。それでは……倉田先輩、審判をお願いしたいのですが」
「はいっ、それじゃ審判は佐祐理に任せてください」
 にっこり笑って頷く佐祐理さん。
 こうして、試合は再開されることになった。

「それでは、第1セット美坂チーム先取で、第2セットの始まったところから、でいいですね?」
「ええ」
「構いません」
 佐祐理さんの言葉に頷く香里と天野。
「うぐぅ……。ボクのサーブ、なかったことになっちゃったよ……」
 若干一名が哀しそうな声を上げたが、とりあえず無視される。
「では、天野さんのサーブからです」
 そう言って、佐祐理さんは天野にぽんと玉を渡す。
 天野はラケットを片手に身構えた。
「うぐぅ……」
 右目に濡れタオルを当てたまま、ソファから起きあがったあゆが、俺の隣に座った。
「それにしても、祐一くん、笑うなんてひどいよぉ……」
「悪かったって」
 苦笑しながらあゆの頭にぽんと手を乗せると、あゆはうぐぅーっとしてから、不承不承頷いた。
「うん……」
「それより、ほら、始まるぞ」
「みんながんばれー!」
 名雪が声援を送る中、天野はサーブを打った。
 かこんっ
「うーん、天野らしい面白みのないサーブだなぁ」
「祐一っ、なんて事言うのようっ!」
 俺が思わず漏らした感想に、振り返って抗議する真琴。
「チャンスですっ!」
 かこんっ
「わっ! 真琴、後ろっ!」
 名雪の声に慌てて振り返る真琴。だが、既に栞の放ったスマッシュもどきは、真琴の目の前で……。
 かこんっ
「えっ?」
 そのまま床に落ちるかと思われた玉を、素早くポジションを変えていた天野が軽々と打ち返していた。
「真琴、試合中ですよ」
「ご、ごめん、美汐……」
「なんのっ!」
 香里がそれを打ち返したが、いつの間にか元のポジションに戻っていた天野はあっさりと打ち返す。
「うーん。さすが天野。巫女のコスプレは伊達じゃないな」
 俺は感心して腕組みした。
 名雪も頷く。
「天野さん、パワーはないけどすっごく正確なリターンだね」
「ああ。こりゃ、栞や香里には悪いけど、水瀬組の勝ちだな」
「どうして判るの、祐一くん?」
 あゆに聞かれて、俺は答えた。
「技術的に言えば、美坂チームと新・水瀬組は互角だ。とすれば、後は持久力がものを言うからな」

「えーいっ!!」
 かこんっ
「あっ!」
 真琴の放ったショットが、栞の逆を突いて抜け、床に転がった。
 佐祐理さんがさっと手を挙げる。
「はい、水瀬組の勝ちです」
「はう……」
 そのまま、その場にへたり込む栞。
「ま、負けちゃい、ました……」
「栞……」
 香里が汗を手ぬぐいで拭いながら、その脇に屈み込む。
「よく頑張ったわね」
「お姉ちゃん……」
 顔を上げる栞に、優しく微笑んで頷く香里。
 まさに“麗しの姉妹愛”とタイトルを付けて、額に入れて飾りたくなるような情景である。
 一方の真琴はというと、天野の手を握ってぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「やったぁ! 真琴の勝ち〜〜っ!!」
「はい……」
 天野はというと、いつもと変わらない様子ではあるが、そこはかとなくだが嬉しそうにも見えた。
「みんな頑張ったわね。お疲れさま」
 そう言いながら、秋子さんが手にお盆を持ってやってきた。
「喉が渇いたでしょう? ジュースはいかが?」
「わぁい! ジュースジュース!」
 笑顔で駆け寄ると、真琴はお盆の上に乗っているコップを手にした。そして一気に飲み干す。
 ごくごくごく……
「ぷはぁっ。美味しいっ!」
 その言葉を聞いてから、他のみんなも一斉にコップに手を伸ばした。
 ……いや、真琴を毒味役にしたわけじゃない、と思うんだが……。
「それじゃ、今夜は卓球はこれくらいにして、お風呂に入って寝ましょうね」
 秋子さんに言われて、俺は時計を見た。いつの間にか、既に10時を回っている。
 しゅたっと手を挙げるあゆ。
「はいっ! ボク、露天風呂に入りたいですっ!」
「いいですね〜。ね、舞?」
「露天風呂、相当に嫌いじゃない……」
 続いて佐祐理さんと舞が頷いた。
 名雪がぽつりと言う。
「でも、外は寒いよ〜。雪降ってるし……」
「ええっ!?」
 香里が声を上げた。名雪に駆け寄って、両肩をしっかと掴む。
「名雪、雪が降ってるって、それ本当?」
「う、うん……」
「大変っ!」
 慌てて走り出す香里。
「ど、どうしたんだろ、香里……」
 掴まれた肩を自分でさすりながら、きょとんとする名雪。
 栞が、ジュースをちびちびと飲みながら言った。
「あんなに慌ててるお姉ちゃん、珍しいですよ」
「祐一くんっ、どうするの?」
「どうするって……」
 あゆに聞かれて、俺は考え込んだ。そして、明晰な頭脳が0.1秒で答えを出す。
「……放っておこう」
「珍しいね。いつもの祐一くんなら野次馬しに行くのに」
「……あゆ、ちょっと来い」
 俺は手招きした。
「えっ? なに、祐一くんっ?」
 にこにこしながらやってきたあゆの左右のこめかみに拳骨をくっつけてぐりぐりする。
「あいたたたたっ! 祐一くん痛い痛いっ!!」
 これが相沢祐一48の刑罰の一つ、うめぼしぐりぐりだ。
 俺が手を離すと、あゆはこめかみを押さえてしゃがみ込んだ。
「うぐぅ……、祐一くんの意地悪ぅ〜」
「やかましい。人をなんだと思ってるんだ、まったく」
「祐一のいつもの行いが悪いんだよ」
 横から名雪にのんびりと言われてしまった。おまけに、周りの栞や真琴、さらに舞まで、こくこくと頷いてやがる。
「ともかく、俺だって、好んでいらんことに首を突っ込んで騒ぎに巻き込まれたくはないんだよ」
「……」
 何故、そこでみんな顔を見合わせるわけだ?

 ちなみに、香里が大慌てで走っていった理由は、約5分後に、簀巻きにされた上に雪まみれになった北川と共に戻ってきたことで明らかになった。
「あの藁の凍り具合からみて、ホテルの外壁にぶら下げられていたようですね」
「……北川、どこにもいないと思ったぜ……」
「……マ、マジに、死ぬかと思った……」
「死なせるわけないでしょっ、ばかっ」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 たまに質問を受けるMoonキャラについて、ちょっと書いてみることにします。
 全体的に言えば、Moonにおいての「あり得るべきもう一つの世界」として。つまり、FARGO宗団が存在しなかった世界がプールの世界である、とでも思っていてください(笑)
 天沢郁未:名雪の友人であり、陸上部の副部長でもある。母親もちゃんと生きてます。
 巳間良祐、晴香:良祐は市立病院の内科医で、晴香はその助手。ちなみに晴香は中卒で高校には行かず、大検を取った上で看護学校に行っています。
 名倉由里、由依:由里は市立病院の看護婦。ちなみに、今のところは未登場ですが、由依は栞のクラスメイトだったりします。
 鹿沼葉子:市立病院の医師で、担当は精神科。

 ちなみに、Moon本編をやった人は判ると思いますが、Moonの内容には、プールシリーズではまったく触れていません。あくまでもキャラを借りてきただけです。

 プールに行こう5 Episode 21 01/5/4 Up 01/5/6 Update

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