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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 20

 ちゃぷん
「……ふぅ」
 湯に身を沈めて、俺は一息ついた。
 時間が中途半端なせいか、他に湯に入っている人はいなかった。ちなみに、さっき女湯の方から「わぁっ、誰もいないよ〜」という名雪の声が聞こえてきたところからして、向こうに入っているのも名雪だけらしい。
 ……そもそも、この旅館に俺達以外の宿泊客がいるのか、少し疑問だったりするのだが。他の客、全然見ないもんなぁ。
 俺は周囲を見回した。
 昼間なら、そこそこ景色も見えたんだろうが、さすがに8時過ぎでは、辺りは暗闇に閉ざされて何も見えず、耳に入るのも湯の流れる音と、木のざわめきだけだった。
 ……ちなみに、女湯との仕切りの辺りが赤く染まっているような気がするが、とりあえず気のせいだと思うことにする。
 そういえば、北川のヤツ、美坂姉妹を覗きに行くんだ、とか言って別れたときから姿を見かけないなぁ……。
 そんなどうでもいいことを考えながら、湯を手ですくって顔を洗う。
「祐一〜っ、そっちにシャンプーある?」
「おう」
 女湯からの声に答えて、俺は湯から出た。
「お前、シャンプーくらい持ってこなかったのか?」
「持ってきてたけど、中身が入ってなかったんだよ」
 名雪の答えに苦笑しながら、マイ洗面器に一緒に入れていたシャンプーを手にする。
「そっちに投げればいいのか?」
「うん」
「それじゃ、投げるぞっ!」
 声を掛けてから、俺はシャンプーの容器を仕切りの向こうに投げた。
 ぱしゃん
「わっ。祐一投げすぎだよ〜。お風呂に入っちゃったよ〜」
 ばしゃばしゃ
「悪い悪い」
 俺はそう言いながら湯船に戻った。そして空を見上げる。
 露天風呂の頭上には満天の曇り空が……。
 満天の曇り空?
「あ、あれ?」
 さっきまで星が見えてたと思ったのに、いつの間にか空は雲で覆われていたらしく、一面の暗闇となっていた。
「名雪〜」
「……」
 念のために名雪にも知らせておいた方がいいかな、と思って声を掛けてみたが、その名雪からの返事がない。
 まさか、風呂の中で寝てるんじゃないだろうな?
「名雪ーっ!」
 ざばーっ
「も〜。祐一〜、髪洗ってるときに、声を掛けたらだめだよ〜」
 水音の後に、名雪ののんびりとした声が返ってきた。
「あ、悪い」
「それで、なぁに?」
「ああ。なんか曇ってきたみたいだぞ」
「えっ? ……あ、ほんとだね」
「そんなわけで、さっさと出ようぜ」
「でも、雨が降っても別に問題ないと思うよ」
「……」
 考えてみる。
 雨が降ると困るのは、濡れるからであり冷えるからである。
 しかるに、今俺達は温泉に入っている。元々濡れてるし、湯に浸かってる限り冷えることもないわけで。
「む。名雪の言うことにも一理あるな」
「だよね?」
「んじゃ、もう少しゆっくりしてるか」
「うんっ」
 と。
 ふわり、と、目の前を白いものが飛びすぎていった。
「……あれ?」
 またひとつ。そして、ひとつ。
 と、一つが鼻先にくっついた。一瞬の冷たさを残して消える。
 俺は手のひらを広げて、それを受けた。それも一瞬で消える。
「……雪?」
「わ、雪だよ、祐一っ」
 仕切りの向こうでも、名雪が声を上げた。
 それにしても、こんなシーズンに雪とはなぁ。まぁ、今年は異常気象っぽかったし、ここは随分と標高高いから、雪が降っても不思議はないのかも知れないけど。
 白いものが、次々と湯面に落ちては消えていく。
 雪。
 雪が降っている……。
「……祐一は、やっぱり憶えてないのかな?」
「えっ?」
「……なんでもないよ」
 それっきり、名雪の声は聞こえてこなかった。
 俺はもう一度、空を見上げた。

「すっかり、あったまったねっ」
「……」
「……もしかして、祐一、怒ってる?」
 名雪に顔をのぞき込まれて、俺は苦笑した。
「まぁ、慣れてるから今更怒りはしないけどな」
「うーっ、なんとなく莫迦にされてるような気がするよ……。でも、ごめんね、祐一」
 そう言いながら、名雪は浴衣の上から着込んだ半纏の袖をすりあわせた。
「でも、ほんとに寒くなったね……」
「雪降ってきたくらいだしな。それにしても……っくしゅん」
 俺はくしゃみをして、鼻をすすった。
「20分も待たされるとは思わなかったぞ」
「わ、びっくり……」
「誤魔化すな」
「だってぇ……、そのぉ……」
 なにやら口ごもる名雪。
「第一、一緒に出ようって声を掛け合ってから風呂から出たのに、なんで俺が脱衣場の外で20分待たされたんだ?」
「きっ、着替えてたんだよ。別に体重計は関係ない……。あ……」
 言ってから慌てて口に手を当てる名雪。
「そ、そんなに増えてたわけじゃなくて、でも、ちょっとだけ増えてて、それで脱衣場にルームランナーがあったから、ここのところあんまり走ってなかったなって思って、それでちょっと使ってみてたの。そしたら……」
「時間が過ぎた、と。ま……」
 俺は後ろから名雪の肩を抱き寄せた。そして頬にそっとキスする。
「やん……」
「俺は、名雪のちょっとぷにぷにしてるところとか、好きなんだけどな」
「うーっ。それでも女の子としては、やっぱり気になるんだよ」
 ちょっと不満そうにしてみせる名雪に、俺はもう一度……。
「あら、2人とも、こんなところにいたのね」
「どうわぁっ!!」
「おっ、お母さんっ!?」
 同時に飛び上がる俺と名雪。
「みんな待ってるから、早くいらっしゃいね」
 そう言い残して、秋子さんはすたすたと歩いて行きかけた。と、ふと立ち止まって振り返る。
「名雪、祐一さん」
「は、はいっ!」
「なにっ、お母さんっ!?」
 思わず声が上擦る俺達に、秋子さんはにっこり笑って言った。
「お風呂でやるとお掃除が大変だから、ガマンしなさいね」
「……は?」
 一瞬目が点になる俺達を残して、秋子さんはにこにこしながら歩き去っていった。
 俺達は顔を見合わせて、苦笑した。
「やっぱり秋子さんにはかなわないなぁ……」
「そうだね。だって、わたしのお母さんだもん」

 俺達が卓球台のあるロビーまで戻って来ると、佐祐理さんが声を掛けてきた。
「あっ、祐一さん、名雪さん。こっちですよ〜」
「おう、悪い悪い。で、勝負は付いたのか?」
「まだ始まってないわようっ!」
 紙パックのジュースを飲んでいた真琴が、そのジュースをテーブルにとん、と置いて立ち上がった。そして、びしっとラケットを栞に向ける。
「見てなさいようっ! 明日の太陽はしおしおの上には輝かないんだから!」
「だから、そのしなびそうな呼び方はやめてくださいっ」
 奮然と立ち上がる栞。その肩にぽんと手を置いて、香里は嫣然とほほえみかけた。
「月宮さん、お手柔らかに」
「はっ、はいっ、こ、こちらこそっ、よろしくお願いしますっ!」
 慌てて立ち上がって、深々と頭を下げるあゆ。
 ……すっかり呑まれてるぞ、おい。
「それじゃ、1セット15点の3セットマッチ。2セット先取した方が勝ちです」
 審判役の天野が説明する。
 こうして、戦いは始まった。

 じゃんけんの結果、サーブは美坂姉妹からとなった。
「それじゃ、お姉ちゃん。はい、ボールです」
「ええ、任せておきなさい」
 コンコン、と床で数回ピンポン玉を突くと、香里は身構えて、サーブを放った。
「はっ!」
「わわっ!!」
 コンッ、と台で跳ねた玉は、あゆの前に飛ぶ。慌てたあゆが見事なスゥイングで……。
 ぶんっ
 空振りした。そのうえ、勢い余ってすっ転んでいる。
「なにしてんのようっ、あゆあゆっ!!」
「うぐぅ……」
 美坂姉妹、1ポイント先取。

 その後も情け容赦のない香里のあゆ狙いサーブが炸裂し、結局第1セットは、あゆが15回素振りをした結果、ストレートで美坂姉妹が取ってしまった。
 そしてポジション交代しての第2セットが始まろうとしていた。
「それでは、サーブは水瀬組からです」
 天野はそう言ってあゆに玉を渡す。
 あゆは真剣な顔で玉を手にして、サーブを打った。
 すかっ
 ……いや、打とうとした。
「……うぐぅ、ごめんなさい……」
「もうっ、あゆあゆ、ちゃんとしてようっ!」
「うぐぅ……」
 姉の威厳まるでなしのあゆであった。
 と、今まで黙って見ていた名雪が、不意に立ち上がった。
「あゆちゃん、真琴、ちょっとこっちに来て」
「名雪さん?」
「なによう、なゆなゆ?」
「いいから……」
 そう言って、名雪は2人を呼び寄せると、天野に声を掛ける。
「天野さん、ちょっとタイム、だよ」
「……いいでしょう」
 こくんと頷く天野。
 名雪は、そのまま2人を廊下の角の向こうまで引っ張っていった。
 俺は栞に声を掛けた。
「栞、調子良さそうだな」
「うーっ」
 何故か不機嫌そうな栞であった。
「だって、私、まだラケット振ってもいませんっ」
「まぁ、香里がサーブ打っただけで終わったからなぁ」
「お姉ちゃん意地悪ですっ」
「ふ。私は勝利のためなら手段は選ばない女よ」
 なぜか遠くを見つめて呟く香里。
「でも、ひどいですっ!」
「まぁまぁ、栞も落ち付けって」
 俺が栞をなだめていると、名雪達が戻ってきた。
 名雪が香里に声をかける。
「ね、香里。さっきのはノーカンでいいかな?」
「まぁ、いいわよ。ね、栞」
「私も構わないです」
 2人が頷くのを見て、天野はピンポン玉をあゆに手渡した。
「それでは、どうぞ」
「お待たせしましたっ! ボクの番ですっ!」
 何故か気合いの入っているあゆが、玉を手にラケットを構えた。そして、サーブを放つ。
「えいっ!!」
 かこん
 おおっ、ちゃんとしたサーブだ!
「わわっ!」
 まさか自分の所に飛んでくるとは思っていなかったのか、自分の前に落ちた玉を、慌てて打ち返す栞。だが、それが真琴にとって絶好の玉となった。
「あっ!」
「ええいっ!!」
 かこんっ
 真琴の一撃は、卓球台で大きく跳ね、咄嗟に出した香里のラケットをかすめて床に落ちた。
「水瀬組のポイントです」
 さっと手を挙げる天野。ぱしんとハイタッチをする真琴とあゆ。
「やったね、真琴ちゃんっ!」
「あゆあゆもサーブ出来たねっ!」
「うんっ。よぉし、どんどんいくよっ!」
 あゆは、戻された玉を手にして、サーブを打った。
 かこんっ
「えっ! きゃっ!」
 故意か偶然か、鋭くドライブのかかった玉が、栞の目の前で右に跳ねた。なんとか栞も打ち返したものの、大きく卓球台を外れる玉。
「すごいぞ栞。大ホームランだ」
「そんなこと言う人嫌いですっ!」
「いいよっ、あゆあゆっ! しおしおなんてどんどんやっちゃえっ!」
 やんやと声援を送る真琴に、笑顔で頷くあゆ。
「うんっ。栞ちゃん、悪いけど、この勝負、ボクがもらうよっ!」
 俺は、そこまであゆ達の後ろで見届けてから、俺の隣に戻ってきた名雪に尋ねた。
「名雪、あゆと真琴に何を言ったんだよ?」
「あゆちゃんは、要領さえ掴めばちゃんと出来るんだよ」
 笑顔で答える名雪。
 なるほどなぁ。しかし……。
 俺は改めてあゆを見て、腕組みして呟いた。
「……こうして見ると……完璧に男の子だな」
「うぐぅっ!」
 すかっ、ずるっ、どてん
 サーブを打ちかけたあゆが、ものの見事に空振りして、さらに足を滑らせて転んだ。そして、打ったお尻を押さえながら俺を睨む。
「祐一くん、ひどいよっ!」
「そうだよ祐一」
「祐一っ、邪魔しないでようっ!」
 うう、水瀬三姉妹にトライアングルアタックを食らってしまった。
「サーブミス。サーブ権は美坂チームに」
 冷静な天野の言葉に、うぐうぐするあゆ。
「うぐぅ……。ごめん、真琴ちゃん」
「いいわよう。すぐに取り返して見せるんだからっ!」
「……ふふふ。そう簡単にはいきませんよ」
 ピンポン玉を手にして、栞は不敵な笑みを浮かべた。
「次は、私のサーブなんですから……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 予定外に妙な盛り上がりを見せる温泉卓球勝負、しばらく続くようです。はい。

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