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White Album Short Story #3
弁護士 観月マナ 1
殺意のシャンパングラス
「いっ、一応、仲直りって事にしてあげるから、ありがたく思いなさいよっ!」
俺の胸にしがみついてわんわん泣いてたのが照れ臭いのか、マナちゃんは振り返りもしないでずんずんと前を歩いていく。
……こうして後ろから見てても、耳が真っ赤になってるのが判って、それはそれで微笑ましいものだ。
なんて思いながら、後ろから着いて行っていると、マナちゃんは不意に振り返った。
「なによっ! べっ、別にあなたの事なんてなんとも思ってないんだからねっ!」
勘が鋭いのも相変わらずなら、その勘を取り違えてそのまま暴走していくのも相変わらずだ。
俺は、思わず笑いがこみ上げてきた。案の定、マナちゃんは怒り出す。
「何笑ってるのよ!」
「マナちゃんは可愛いな」
思った通りの事を口にすると、マナちゃんはぼっと火がついたように真っ赤になった。慌てて俺に背中を向ける。
「そ、そんな事言ったって無駄だからねっ!」
「はいはい」
「“はい”は一度よっ! それよりも、こんなところで何を遊んでたのよ。……あ」
不意に思い出したように、マナちゃんは振り返って俺を見上げた。ちなみに、どっちかといえば長身の俺と小柄なマナちゃんでは、身長差は20センチちかくある。
「なに?」
聞き返した俺の臑に、いきなり激痛が走った。
ドカァッ
「痛てぇぇぇぇっ! な、何をいきなり!?」
思わず足を抱えて跳びはねる俺に、マナちゃんは嬉しそうに言った。
「外では、マナちゃんじゃなくて、観月先生って呼びなさいって言ったでしょ!」
……どうやら、俺を蹴っ飛ばす口実が見つかったのが嬉しいらしい。
「くぅっ〜。痛て……」
俺は臑を押さえたままうずくまった。
「ほら、さっさと立ちなさいよ」
マナちゃんは勝ち誇ったみたいに腰に手を当てて言う。だけど、俺がそのまま呻ってると、声の調子が変わる。
「ちょ、ちょっと、藤井さん?」
「ほ、骨が……」
「じょ、冗談は止めてよ……」
「ううっ……、痛い……」
「ふ、藤井さん、大丈夫? ねぇ、ちょっとホントに大丈夫?」
「折れた、かも……」
俺が言うと、マナちゃんは慌てたように俺の顔を覗き込んだ。
「藤井さん、痛むの? ご、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……。ど、どうしよう? ね、立てる?」
真面目な顔で、本気で心配してるマナちゃんの首を、ぐいっと抱え込む。
「きゃっ」
「ありがと。心配してくれて、嬉しいなぁ」
「え?」
一瞬きょとんとしたマナちゃんは、すぐに表情を険しくした。
「……騙したのね?」
「まぁね」
8年も付き合って(4年の中断はあるにせよ、だ)、蹴られまくってる間に、俺の臑もそれなりに根性が着いてきたようで。
「この、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ! やっぱり、大っ嫌いっ!」
パァン
乾いた音が響きわたり、俺は右頬に紅葉型を残すことになった。
ズズーッ
まだ膨れたまま、マナちゃんはシェークの入った紙コップにささったストローを吸った。それから、じろっと俺を見る。
「で、私が警察とか法務局とか弁護士会の事務所とかの間を走り回って労働してた間に、藤井さんはどこで遊んでたわけ?」
「遊んでたはひどいなぁ」
頬におしぼりを当てて冷やしていた俺は、肩をすくめてコーヒーを飲んだ。まずい。
俺とマナちゃんは、いつまでも道の真ん中で遊んでるわけにもいかず、とりあえず街角のヤクドナルドで情報交換がてら食事をすることにした。
「俺だってちゃんと仕事してたよ。パーティーに出席してた人から話を聞いてたんだ」
「パーティーに出席してた人? またお姉ちゃんに会ってたんじゃないんでしょうね?」
ちなみに、お姉ちゃんとは由綺のことである。念のため。
俺は首を振った。
「いや。理奈ちゃんだよ」
「理奈ちゃん……って、まさか緒方理奈?」
「うん」
頷いてから、はっと気付いた。マナちゃんがわなわなと拳を握ってる。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ、藤井さんの馬鹿ぁっ! どうして私を連れていってくれないのよぉっ!!」
「痛てて、ちょ、ちょっとマナちゃん、テーブル越しに殴らないでくれぇ!」
俺はトレイごと避難しながら思い出していた。そういえば、マナちゃんって理奈ちゃんのファンだったんだよなぁ。
「ちょ、ちょっとストップ! 俺だって仕事としてだな」
「うるさいっ! この大馬鹿っ!」
ガコォン
トレイで頭をはたかれて、一瞬意識が白くなる。
「きゃぁ! 藤井さんっ、しっかりして!」
「だ、大丈夫……」
俺は頭を押さえながら答えた。
なんとか報告を終わらせると、マナちゃんは腕組みして考え込んだ。
「ふーん」
「そういえば、マナちゃんは警察にも行って来たんでしょ? 何か新しいことわかったの?」
俺はおしぼりを頭に乗せて冷やしながら訊ねた。うー、こぶが出来てる。
「うん。鑑識結果が出てたわよ」
平然と答えるマナちゃん。
「出てたって……。教えてくれたの?」
「ええ。長瀬さん、藤井さんも昨日会ったでしょ? あの人が教えてくれたわよ」
「へぇ」
「あのおじさんの無駄話に付き合って、こっちも疲れちゃったけどね」
そう言って肩を回すマナちゃん。
マナちゃん、おじさんには人気があるからなぁ……。
「何?」
「いや、偉い偉い」
俺は慌ててマナちゃんの頭を撫で撫でしてごまかした。
「あん、もう。そういうの止めてよねぇ」
そう言いながらも、気持ちよさそうにしてるマナちゃん。
「で、鑑識結果がどうだって?」
「あ、うん。それがね……」
マナちゃんは声を潜めた。平日の午前中ということもあって、ヤクドナルドの店内は閑散としていたのだが。
「毒が検出されなかったんだって」
「……?」
俺がキョトンとしてると、マナちゃんはムッとした表情になる。
「何ぼーっとしてるのよ」
「あ、いや。そういうわけじゃ……。だってタクは毒を飲まされて死んだんだろ?」
「あら、タクって呼び方知ってたんだ」
意外、という顔で俺を見るマナちゃん。理奈ちゃんに教えてもらったと言うのは止めておこう。
「ええ、確かにタクの死因は……なんていったかな。とにかくなんとかって毒を飲まされたことによるものだって。でも、押収されたシャンパンの瓶からは、その毒は出なかったんだって」
俺は、取調室で刑事が由綺に見せていた、ビニール袋に入ったシャンパンの瓶を思い出した。あの中には毒は入ってなかった……?
とすると……。
「シャンパングラスの方に?」
「確かに、シャンパングラスに付着してたシャンパンの残りからは毒物が出たけどね。例えば、毒をシャンパングラスに塗ってたとしたら、もっと強い反応が出たはずだって言ってたわよ」
「それじゃ、毒はシャンパンの中に混ぜられていた、と?」
「そのはずなんだけど、シャンパンの瓶の中からは毒は出なかったって話なのよ」
「それじゃあ、毒はどこから沸いて出たんだろう?」
マナちゃんは、じと目で俺を見た。
「それなのよねぇ……」
マナちゃんは額を押さえた。
「藤井さんの聞いた理奈ちゃんの話だと……」
「うん。瓶からシャンパンをグラスに注いで、タクに渡したのは、由綺……」
「馬鹿っ!」
パコォン
俺はまたトレイで叩かれた。
「痛てぇっ!」
「それじゃ、お姉ちゃんが毒を入れたみたいじゃないのっ!」
「それはないだろ。第一、理奈ちゃんが見てたんだぜ。いつ由綺が毒を入れる暇があったよ?」
「……」
マナちゃんは、頭を押さえながら言った俺を無視して、親指の爪を噛んだ。シャープペンシルを回すのと同じく、考え事をしてるときのマナちゃんの癖だ。
「シャンパンは、瓶に入ってるときには毒がなくて、グラスに入れたときに毒があった……。変よね、やっぱり」
「とりあえず、他に判ったことは?」
俺はマナちゃんに訊ねた。
「え? あ、うん。一応、パーティーの出席者の名簿ももらってきたよ。でも、あんまり役に立たないかも」
「その中に容疑者はいない、と?」
「少なくとも、警察、ううん、あの刑事のおじさんはそう見てるみたい」
「そうなんですわ」
「はぁ……。え?」
俺達は、同時に声のした方に視線を向けた。
そこには、ハンバーガーとポテトの乗ったトレイを持った中年の男が立っていた。
「な、長瀬刑事?」
「今朝はどうも、観月さん。それに、そちらは藤井さん、でしたっけ? あ、相席いいですか?」
そう言いながら、長瀬刑事は俺達の返事も聞かずに、マナちゃんの隣に座った。……いくら空いてるからって、4人席にしなきゃよかった。
「いやぁ、刑事の安月給じゃ、お昼もろくな物が食べられなくてねぇ」
そう言いながら、長瀬刑事はハンバーガーの包みを開いた。それから、初めて俺とマナちゃんの視線に気付いたようにこっちを見た。
「あれ? なんです?」
「なんですって……。長瀬さんこそ、どうしてここに?」
「いやぁ、聞き込みの途中でしてね」
ハンバーガーを美味そうに頬ばりながら、長瀬刑事は言った。
俺は訊ねた。
「率直に聞きたいんですけど、警察はやっぱり由綺……森川由綺を疑ってるんですか?」
「……」
長瀬刑事は、ハンバーガーを口に運ぶ手を一瞬止めて、俺を見た。
「鑑識の結果は、聞いたのかな?」
「ええ、マナ……じゃない。観月弁護士から聞きました」
ちらっとマナちゃんを見る。うわ、じと目で睨んでる。後でまた蹴られるかも。……とほほ。
俺の言葉を聞いて、長瀬刑事は肩をすくめてポテトを摘んだ。
「私らとしちゃ、毒を被害者に飲ませる事が出来たのは森川由綺だけ、としか思えんのですわな」
「でも、それだけじゃ……」
「一応動機もあるわけですしな。私らの調べじゃ、被害者は結構森川由綺に御執心だったようで」
「だからって、殺すなんて……」
俺は、思わず机を叩いていた。
「由綺がそんなことをするわけがない!」
「……警察なんて、因果な商売でしてね」
長瀬刑事は、苦笑して俺に視線を向けた。
「一度、方針を決めて動き出してしまうと、その方向を変える、なんてことはなかなか出来んのですわな。ましてや、現場の一刑事なんてものは、歯車になるしかないわけでして」
そう言った長瀬刑事は、なんだか疲れたような雰囲気があった。
つまり、警察は“森川由綺犯人説”を取ることにして、その証拠固めに動きはじめてる……ってことか。
俺は、怒鳴りたくなるのを押さえながら、心の中で呟いた。それから、マナちゃんを見る。
マナちゃんも、蒼白な顔で唇を噛みしめていた。
長瀬刑事は、ポテトを全部平らげて、コーヒーを喉に流し込むと、立ち上がった。
「さて、それじゃそろそろ仕事に戻りますわ。そちらさんも頑張って下さいよ」
「……ええ、ありがと」
マナちゃんがそう答えると、長瀬刑事は軽く手を振って、ヤクドナルドを出ていった。
「……どうする?」
俺はマナちゃんに訊ねた。マナちゃんは短く答える。
「やるしかないでしょ。私たちがやらなくちゃ、お姉ちゃんは……」
「……そうだね」
うなずいて、俺は立ち上がった。
「『エコーズ』に行こう」
「七瀬さんに逢いに行くわけね」
ため息混じりに、マナちゃんも頷いた。
「とりあえずは、そうしましょうか。私はあいつ嫌いだけど、背に腹は代えられないわ」
うーん。マナちゃん、まだ彰のこと嫌ってるのかぁ。
彰とマナちゃんが初めて逢ったのは、俺とマナちゃんが悠凪大学の学園祭に遊びに行ったときのことだった。
ストレートにものを考えて口に出す彰が、マナちゃんを見て言った言葉が、マナちゃんを完全に怒らせちゃったんだよな。
よりによって、笑いながら「いくつ?」だもんなぁ。
そういえば、あの時も俺が蹴飛ばされたんだよなぁ。
カランカラン
「あら、藤井くん。いらっしゃい」
『エコーズ』のドアを開けた俺を出迎えたのは、思わぬ人だった。
カウンターに座ってた女の人が、俺達の方をみて、にこっと笑った。
「美咲先輩……」
「やだ。もう、先輩じゃないのに……」
そう言って微笑んでる美咲先輩。
確かに俺も美咲先輩も、蛍ヶ崎学園も悠凪大もとっくに卒業してるけど、でも俺は美咲先輩のことは学校だけじゃなくて人生の先輩だって思ってるから、だから俺はいつまでも先輩って呼んでいたいと思ってる。
「あら、マナちゃんも一緒?」
「はい。こんにちわ、澤倉先輩」
マナちゃんはペコリと頭を下げる。
マナちゃんは、美咲先輩信者の由綺からいつも話を聞いてたせいで、美咲先輩に逢う前からずっと憧れていたのだ。実際に美咲先輩と逢ったのは、マナちゃんが弁護士になった後だったけど、「思った通りのすごい人」って感動してた。美咲さんのほうはすっかり照れて何も言えない状況だったけど。
ちなみに、マナちゃんが美咲先輩のことを“澤倉先輩”って呼ぶのは、同じ高校に在籍してたからだ。もっとも、美咲先輩とマナちゃんは4つ違いだから、同時期に高校生だったことはないんだけどね。
ともかく、美咲先輩はマナちゃんでさえ一目置く数少ない人なのだ。
……ひょっとして、マナちゃんが彰をあんなに嫌ってるのは、彰が美咲先輩に想いを寄せてるのを知ってるからなのかなぁ?
まぁ、いいや。
俺は美咲先輩に訊ねた。
「今日はどうしたんです? 仕事はお休みですか?」
ちなみに、美咲先輩は悠凪大学の図書館の司書をしてる。なんていうか、ぴったりの所に収まったって感じだ。
「ええ、お休み。ここには、七瀬くんに呼び出されて……」
ははぁ、彰の奴め。由綺の件で、これ幸いと美咲先輩を呼び出しやがったな。
「それで、その彰は何処に?」
俺が訊ねると、美咲先輩はちょっと困ったように微笑む。
「ほんの少し前に、買い物に……」
「あ、そうなんだ」
俺は納得して、美咲先輩の隣に座ろうとしたが、既にマナちゃんがその椅子の背を掴んでいた。俺をじろっと見てから、その席にちょこんと座って美咲先輩に話しかける。
「もしかして、話は聞いたんですか?」
「ええ……」
美咲先輩の眉が曇った。
「一通りの話は、七瀬くんから聞いたわ。由綺ちゃん、可哀想に……」
「澤倉先輩もそう思いますよね!」
マナちゃん、目をキラキラさせて美咲先輩の手をぎゅっと握った。そして叫ぶ。
「澤倉先輩! 一緒にお姉ちゃんの無実を証明しましょう!!」
「あははは」
美咲先輩は、困ったように笑うだけだった。
to be continued
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