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殺意のシャンパングラス
「ふぅ」
コーヒーを一口飲んで、理奈ちゃんはため息を一つ付いた。それから、髪を掻き上げて俺達……俺と彰を交互に見る。
「それで、何が聞きたいの?」
「あ、あの、あのっ」
すっかり舞い上がってる彰。うーん、まぁ、彰の気持ちも判らなくもない。なにせ目の前にいるのは天下の緒方理奈本人なのだ。
おまけに、庶民派の由綺に較べて、理奈ちゃんはどうしても「お高くとまっているお嬢さま」的なイメージがつきまとっている。ただでさえどっちかっていうと内弁慶な彰には荷が重いかもな。
しょうがない。俺から切り出すか。
「理奈ちゃんも事情は知ってるだろ?」
「ええ」
理奈ちゃんは顔をしかめてうなずいた。
「ちょ、ちょっと冬弥」
彰が俺のジャンパーの袖を引っ張った。
「何だよ?」
俺が顔を彰に向けると、彰は俺の耳にぼそぼそっと囁いた。
「そんな口のききかたしてもいいの?」
どうやら、理奈ちゃんが顔をしかめたのを、俺の言葉づかいが悪かったせいだと思ったらしい。
「いいの。俺と理奈ちゃんはお友だちだから。彰だって、由綺にはタメ口きいてるじゃないか」
「だって……」
まだ何か言いたげな彰をほっといて、俺は理奈ちゃんに向き直った。
「早速だけど、まず俺の立場から説明した方がいいかな?」
「そうね。ま、冬弥くんは、どこかの誰かさんと違って、野次馬根性でこんな騒ぎに首を突っ込んだりはしないと思うけど」
“どこかの誰かさん”と言うところで、理奈ちゃんは思いっ切り英二さんの方に視線を向けていた。当の英二さんは大げさに肩をすくめる。
「理奈ちゃんは疑い深いんだから。由綺ちゃんはうちの会社にとっても大事な娘なんだから、僕が出張っても当然でだろう?」
「どうだか。大方暇つぶしになると思ってるんでしょ」
うーむ。理奈ちゃん、相変わらず英二さんには容赦ないなぁ。
とと。いかんいかん。
俺は、マナちゃんが弥生さんから依頼されて、由綺の弁護人になったことを説明した。
「で、俺はその観月弁護士のお手伝い」
「観月って、確か由綺の従妹の娘でしょ? 前にちらっと聞いたことあるわ。ふぅん、冬弥くん、そこで働いてるんだ」
理奈ちゃんは、シニカルな笑みを浮かべて頬杖を付いた。うーん、この笑いは英二さんに通じるものがある。さすが兄妹。
「ま、それを追求するのは別の機会にしましょ。とにかく、冬弥くんが由綺の無実を証明するために働いてるってのは判ったわ」
俺は彰を紹介してから、理奈ちゃんに尋ねた。
「早速だけど、色々聞きたいんだ」
「いいわよ。由綺のためだもんね」
理奈ちゃんはうなずいた。俺は彰の脇腹を肘で小突いた。
「おい、彰」
「う、うん。そ、それじゃ聞きたいんだけど……」
彰は、少し考えて訊ねた。
「まず、事件が起きたとき、理奈さんは、どこにいらっしゃいました?」
「兄さん、紙貸して」
「ん? ああ」
英二さんは、理奈ちゃんに言われて、鞄からメモ用紙を出して、万年筆を添えて渡した。理奈ちゃんはそれを受け取ると、宴会場の図を書いた。
「こうテーブルが並んでて、ここがタクの倒れてたところ……」
「タク?」
思わず聞き返す俺に、英二さんが突っ込んだ。
「“タク”っていうのは、中川巧の通称だ。もっと勉強したまえ、青年」
「す、すみません」
「いいじゃない、別にタクなんて知らなくても」
理奈ちゃんは、弁護してくれながら、図を書いていた。
「それから、由綺がここで、私は……ここ」
俺はそれを覗き込んで位置を確認した。
「ちょうどテーブル越しってところですね」
「ええ。大変だったわよぉ……」
(つまんないパーティーだなぁ。そろそろ帰ろうかしら)
そんなことを思いながら、理奈はワイングラス片手に、会場を見回した。
ちょうどテーブル越しに、由綺が中川に話しかけられているのが見えた。
(まぁた、あいつは)
理奈はちょっとむっとした。以前、とある番組の収録後に、中川に由綺が付きまとわれて困っているところを、理奈が割って入って彼を追い払ったことがあったのだ。
(こりもしないで。由綺も由綺よね。はぁ、しょうがない。また追い払ってあげるか)
一般的には、孤高を保っているイメージで見られがちな彼女だが、その実は世話好きで優しかったりするのだ。
その間にも、中川は由綺の肩に馴れ馴れしく手を回して、話しかけていた。声が聞こえてくる。
「それじゃ、パーティーの後は予定ないんでしょ? いいじゃん、一杯くらいさぁ」
「こ、困ります……」
由綺は、はにかむように俯いた。
「私、今日はちょっと……」
通りかかった、中川の友人らしい男の子が、中川をからかった。
「それくらいにしとけって。由綺ちゃん困ってるじゃないかよ」
「そんなことないよ。ねぇ、由綺ちゃん?」
中川は、由綺の肩を叩いた。由綺は慌てたように手を振る。
「こ、困ってなんていませんよ」
(困ってるくせに)
理奈はため息をついた。それから、テーブルを迂回しようと歩きだす。
「それにしても、喉乾いたなぁ。ねぇ、由綺ちゃん、そこのシャンパンとってくれる?」
「あ、私注ぎます」
そう言って、由綺はドンペリの瓶を取って、グラスを捜してテーブルを見回した。そして、手近に伏せて置いてあったシャンパングラスを手に取ると、薄い色のスパークリングワインを注いで、中川に渡した。
「どうぞ」
「ありがと、由綺ちゃん」
中川は気どったようにウィンクすると、シャンパングラスに口を付けて飲み干した。
ツカツカ歩きながら、理奈は額を押さえていた。
(由綺ったら、本当にお人好し)
と、その時。
「ぐわぁっ!!」
ガシャン
突然、叫び声とガラスの割れる音が聞こえて、理奈は思わず足を止めた。
中川が、喉を掻きむしっていた。そのまま、転がり込むように、床に倒れる。
パーティー会場が、しんとした。その中で、中川のうめき声だけが聞こえる。
一拍置いて、大騒ぎになった。
「ちょっと、どきなさい!」
理奈は慌てて、一瞬で出来た人垣をかき分けて、前に出た。
由綺が、服が汚れるのも構わずに、血塗れになった中川の頭を抱き寄せて、名前を呼んでいた。
「中川さん、中川さん!」
理奈は、それを見て叫んだ。
「誰か、警察と救急車を呼んで! 早く!」
その声に、弾かれたように駆け出すホテルの従業員。
続いて、理奈は声を上げた。
「みんな、何も触らないでそのまま控え室に行きなさい! 下手な事をすると、警察に疑われるわよ! 控え室に行ったら、そこで待機。仕事が入ってる人はマネージャーに言ってキャンセルさせなさい! ほら、さっさと移動!」
彼女がパンパンと手を叩くと、その勢いに押されるように、出席者達はぞろぞろと控え室に向かって歩きだした。
それを見送ってから、理奈は、まだ中川の名前を呼んでいる由綺の肩をそっと押さえた。
「由綺、落ちついて!」
「理奈ちゃん? わ、私、どうしてなにが?」
パーティードレスを、中川の口から溢れ出した鮮血に染められながらも、由綺はまだ何が起こったのかよく判らないという表情だった。
「中川さん急に倒れて血を吐いて動かなくなっちゃって……私の渡した……私が……?」
次第に、由綺の口が動かなくなり始める。
理奈は、右手を振り上げた。
パァン
乾いた音がした。遠くなりかけた由綺の瞳の焦点が、元に戻る。
「しっかりしなさい! とにかく、立って!」
「でも、中川さん……」
「もう何をしても、無駄よ。少なくとも私達じゃ……なにも出来ないわ」
理奈は、もう動かなくなった中川に視線を走らせて、静かに言った。
「彼は……、死んでるわ」
由綺の瞳が大きく見開かれた。
その時、ドアが開いて、警官と救急隊員達がなだれ込んできた……。
to be continued