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White Album Short Story #3
弁護士 観月マナ 1

殺意のシャンパングラス

「ふぅ」
 コーヒーを一口飲んで、理奈ちゃんはため息を一つ付いた。それから、髪を掻き上げて俺達……俺と彰を交互に見る。
「それで、何が聞きたいの?」
「あ、あの、あのっ」
 すっかり舞い上がってる彰。うーん、まぁ、彰の気持ちも判らなくもない。なにせ目の前にいるのは天下の緒方理奈本人なのだ。
 おまけに、庶民派の由綺に較べて、理奈ちゃんはどうしても「お高くとまっているお嬢さま」的なイメージがつきまとっている。ただでさえどっちかっていうと内弁慶な彰には荷が重いかもな。
 しょうがない。俺から切り出すか。
「理奈ちゃんも事情は知ってるだろ?」
「ええ」
 理奈ちゃんは顔をしかめてうなずいた。
「ちょ、ちょっと冬弥」
 彰が俺のジャンパーの袖を引っ張った。
「何だよ?」
 俺が顔を彰に向けると、彰は俺の耳にぼそぼそっと囁いた。
「そんな口のききかたしてもいいの?」
 どうやら、理奈ちゃんが顔をしかめたのを、俺の言葉づかいが悪かったせいだと思ったらしい。
「いいの。俺と理奈ちゃんはお友だちだから。彰だって、由綺にはタメ口きいてるじゃないか」
「だって……」
 まだ何か言いたげな彰をほっといて、俺は理奈ちゃんに向き直った。
「早速だけど、まず俺の立場から説明した方がいいかな?」
「そうね。ま、冬弥くんは、どこかの誰かさんと違って、野次馬根性でこんな騒ぎに首を突っ込んだりはしないと思うけど」
 “どこかの誰かさん”と言うところで、理奈ちゃんは思いっ切り英二さんの方に視線を向けていた。当の英二さんは大げさに肩をすくめる。
「理奈ちゃんは疑い深いんだから。由綺ちゃんはうちの会社にとっても大事な娘なんだから、僕が出張っても当然でだろう?」
「どうだか。大方暇つぶしになると思ってるんでしょ」
 うーむ。理奈ちゃん、相変わらず英二さんには容赦ないなぁ。
 とと。いかんいかん。
 俺は、マナちゃんが弥生さんから依頼されて、由綺の弁護人になったことを説明した。
「で、俺はその観月弁護士のお手伝い」
「観月って、確か由綺の従妹の娘でしょ? 前にちらっと聞いたことあるわ。ふぅん、冬弥くん、そこで働いてるんだ」
 理奈ちゃんは、シニカルな笑みを浮かべて頬杖を付いた。うーん、この笑いは英二さんに通じるものがある。さすが兄妹。
「ま、それを追求するのは別の機会にしましょ。とにかく、冬弥くんが由綺の無実を証明するために働いてるってのは判ったわ」
 俺は彰を紹介してから、理奈ちゃんに尋ねた。
「早速だけど、色々聞きたいんだ」
「いいわよ。由綺のためだもんね」
 理奈ちゃんはうなずいた。俺は彰の脇腹を肘で小突いた。
「おい、彰」
「う、うん。そ、それじゃ聞きたいんだけど……」
 彰は、少し考えて訊ねた。
「まず、事件が起きたとき、理奈さんは、どこにいらっしゃいました?」
「兄さん、紙貸して」
「ん? ああ」
 英二さんは、理奈ちゃんに言われて、鞄からメモ用紙を出して、万年筆を添えて渡した。理奈ちゃんはそれを受け取ると、宴会場の図を書いた。
「こうテーブルが並んでて、ここがタクの倒れてたところ……」
「タク?」
 思わず聞き返す俺に、英二さんが突っ込んだ。
「“タク”っていうのは、中川巧の通称だ。もっと勉強したまえ、青年」
「す、すみません」
「いいじゃない、別にタクなんて知らなくても」
 理奈ちゃんは、弁護してくれながら、図を書いていた。
「それから、由綺がここで、私は……ここ」
 俺はそれを覗き込んで位置を確認した。
「ちょうどテーブル越しってところですね」
「ええ。大変だったわよぉ……」

(つまんないパーティーだなぁ。そろそろ帰ろうかしら)
 そんなことを思いながら、理奈はワイングラス片手に、会場を見回した。
 ちょうどテーブル越しに、由綺が中川に話しかけられているのが見えた。
(まぁた、あいつは)
 理奈はちょっとむっとした。以前、とある番組の収録後に、中川に由綺が付きまとわれて困っているところを、理奈が割って入って彼を追い払ったことがあったのだ。
(こりもしないで。由綺も由綺よね。はぁ、しょうがない。また追い払ってあげるか)
 一般的には、孤高を保っているイメージで見られがちな彼女だが、その実は世話好きで優しかったりするのだ。
 その間にも、中川は由綺の肩に馴れ馴れしく手を回して、話しかけていた。声が聞こえてくる。
「それじゃ、パーティーの後は予定ないんでしょ? いいじゃん、一杯くらいさぁ」
「こ、困ります……」
 由綺は、はにかむように俯いた。
「私、今日はちょっと……」
 通りかかった、中川の友人らしい男の子が、中川をからかった。
「それくらいにしとけって。由綺ちゃん困ってるじゃないかよ」
「そんなことないよ。ねぇ、由綺ちゃん?」
 中川は、由綺の肩を叩いた。由綺は慌てたように手を振る。
「こ、困ってなんていませんよ」
(困ってるくせに)
 理奈はため息をついた。それから、テーブルを迂回しようと歩きだす。
「それにしても、喉乾いたなぁ。ねぇ、由綺ちゃん、そこのシャンパンとってくれる?」
「あ、私注ぎます」
 そう言って、由綺はドンペリの瓶を取って、グラスを捜してテーブルを見回した。そして、手近に伏せて置いてあったシャンパングラスを手に取ると、薄い色のスパークリングワインを注いで、中川に渡した。
「どうぞ」
「ありがと、由綺ちゃん」
 中川は気どったようにウィンクすると、シャンパングラスに口を付けて飲み干した。
 ツカツカ歩きながら、理奈は額を押さえていた。
(由綺ったら、本当にお人好し)
 と、その時。
「ぐわぁっ!!」
 ガシャン
 突然、叫び声とガラスの割れる音が聞こえて、理奈は思わず足を止めた。
 中川が、喉を掻きむしっていた。そのまま、転がり込むように、床に倒れる。
 パーティー会場が、しんとした。その中で、中川のうめき声だけが聞こえる。
 一拍置いて、大騒ぎになった。
「ちょっと、どきなさい!」
 理奈は慌てて、一瞬で出来た人垣をかき分けて、前に出た。
 由綺が、服が汚れるのも構わずに、血塗れになった中川の頭を抱き寄せて、名前を呼んでいた。
「中川さん、中川さん!」
 理奈は、それを見て叫んだ。
「誰か、警察と救急車を呼んで! 早く!」
 その声に、弾かれたように駆け出すホテルの従業員。
 続いて、理奈は声を上げた。
「みんな、何も触らないでそのまま控え室に行きなさい! 下手な事をすると、警察に疑われるわよ! 控え室に行ったら、そこで待機。仕事が入ってる人はマネージャーに言ってキャンセルさせなさい! ほら、さっさと移動!」
 彼女がパンパンと手を叩くと、その勢いに押されるように、出席者達はぞろぞろと控え室に向かって歩きだした。
 それを見送ってから、理奈は、まだ中川の名前を呼んでいる由綺の肩をそっと押さえた。
「由綺、落ちついて!」
「理奈ちゃん? わ、私、どうしてなにが?」
 パーティードレスを、中川の口から溢れ出した鮮血に染められながらも、由綺はまだ何が起こったのかよく判らないという表情だった。
「中川さん急に倒れて血を吐いて動かなくなっちゃって……私の渡した……私が……?」
 次第に、由綺の口が動かなくなり始める。
 理奈は、右手を振り上げた。
 パァン
 乾いた音がした。遠くなりかけた由綺の瞳の焦点が、元に戻る。
「しっかりしなさい! とにかく、立って!」
「でも、中川さん……」
「もう何をしても、無駄よ。少なくとも私達じゃ……なにも出来ないわ」
 理奈は、もう動かなくなった中川に視線を走らせて、静かに言った。
「彼は……、死んでるわ」
 由綺の瞳が大きく見開かれた。
 その時、ドアが開いて、警官と救急隊員達がなだれ込んできた……。
 理奈ちゃんは、話し終わるとコーヒーを一口飲んだ。俺はというと、感心していた。
 さすがと言うか、何というか。さっと仕切ってしまう辺りはただ者じゃないよなぁ。
 俺は彰のほうに視線を向けた。
「彰、どう思う?」
「……誰を狙ったんだろう……」
 彰は腕組みして呟いた。
「誰って、タクじゃないの?」
 聞き返す理奈ちゃん。彰はうーんと呻っている。
 英二さんが言った。
「今の理奈の話だと、由綺ちゃんしかタクに毒を飲ませることは出来なかったってことになるな」
「……そうね。でも、由綺は……」
「わかってる、わかってる。由綺ちゃんは迫られたからって相手に毒を飲ませるような娘じゃない。もしそんな娘だったら、そこの青年はとっくにあの世行きだ。すまん」
 思わず声を上げかけた俺が、機先を制されて黙り込む。
 英二さんは話を続けた。
「つまり、由綺ちゃんは誰か真犯人に利用された、ってことになるわけだな」
「利用……?」
「で、その場合、真犯人の目的はどこか? ……それが、この青年の考えてることだ」
 ……英二さん、犯罪には弱いなんて嘘だ。
 彰が呟いた。
「中川さんか、由綺か……。或いはホテル、主催者が狙いか……」
「由綺が誰かに恨まれてるなんてあるのかな?」
「そりゃ、由綺のおかげで確実にヒットチャートのランクが一つ下がってるアイドルは多いもの」
 理奈ちゃんが肩をすくめた。
「それに、今度のユニットは……」
「理奈ちゃん、それは機密だよ」
 やんわりと英二さんが口を挟んだ。でも目が笑っていない。
 理奈ちゃんは、はっとして黙り込む。
 一瞬気まずい沈黙が流れた。
「それじゃ、別の方向から考えてみないか?」
 俺は提案した。理奈ちゃんが訊ねる。
「別の方向って?」
「たとえば、毒はどこに入ってたか」
「鑑識待ちだろ、それは?」
 彰が突っ込んだ。
 結局、それ以上の事は何も出来ずに、その日は解散となった。
 俺は、英二さんと理奈ちゃんを乗せたミニクーパーを見送ると、歩道を歩きはじめた。
 鑑識待ち、かぁ……。
 結局、警察の捜査待ちなんだよなぁ。
 ため息を一つついて、俺は立ち止まった。

 由綺……。

 ドカッ
「きゃっ!」
 いきなり背中からぶつかられて、俺は少しよろめいた。驚いて振り返ると、よく知ってる娘がしゃがみ込んでいた。
「あいたたたぁ……」
「マナちゃん、大丈夫?」
 俺の声に、マナちゃんは顔を上げた。一瞬きょとんとして、それから、キッとなる。
「何よ何よ何よ! 何でそんなところでぼへーっと突っ立ってるのよ! 交通の邪魔でしょ!」
「え? あ、その」
「何見てるのよ! いいから、さっさと起こしなさいよ!」
「あ、うん」
 俺はマナちゃんの手を掴んで引っ張り起こした。マナちゃんは腰の辺りをポンポンと叩いてほこりを払うと、スタスタと歩きだした。
「マ、マナちゃん!?」
「……」
 あ、無視してる。
 俺は、仕方なく立ち止まって、スタスタ歩いていくマナちゃんを見送った。
 と、不意にマナちゃんが立ち止まった。あ、戻ってくる。
「マナちゃん?」
「何よ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿ぁっ!」
 それだけ叫ぶと、またくるっと背中を向けて歩きだした。
「……」
 俺がそれを見送っていると、またくるっと振り返った。
「ちょっと、馬鹿みたいに見てないでよねっ、馬鹿っ!」
 それだけ言うと、またスタスタと歩いていく。  ……馬鹿みたいな馬鹿ってどういう馬鹿なんだろう?
 真剣に考え込んでいると、いきなり耳元で怒鳴られた。
「いい加減にしなさいよね、馬鹿っ!」
「うわぁっ!」
 俺はびっくりして飛び上がった。
「マ、マナちゃん!?」
「なによぉ。もう藤井さんなんて知らないわよっ!」
 そう言って、スタスタ歩いていくマナちゃん。
 ……しかし、さっきから行ったり来たりして、なにやってるんだろ?
 マナちゃんの姿が角を曲がって見えなくなるまで、俺は考え込んでいた。
 ま、今回は蹴られなかったし、よしとしよう。
 俺は肩をすくめて、歩きだした。角を曲がる。
 立ち止まった。
「……マナちゃん?」
 マナちゃんが、そこに立っていた。目に涙を一杯にためて、俺を見上げている。
 その唇が、動いた。
「……馬鹿」
「……ごめん」
 ぽろっと、涙がこぼれ落ちる。
 そのまま、マナちゃんは両手を振り上げて、俺の胸をポカポカと殴り始めた。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ! 藤井さんなんて、藤井さんなんて……」
 俺は、その手を掴んで、小さな身体を引き寄せた。そして、そのまま抱きしめる。
 マナちゃんは、俺の胸にそのまま顔を埋めた。
「藤井さんなんて……大っ嫌い……なんだから」
 俺達から通りを挟んだ向かい側に路上駐車しているミニクーパー。
 英二さんは、ハンドルに顎を乗せて、助手席の理奈ちゃんに言った。
「不器用だね、二人とも」
「でも、……なんだか、いいな」
 理奈ちゃんは呟いた。英二さんは大げさに肩をすくめる。
「泣きたくなったら、僕の胸においで」
「いやよ」
 あっさり答えると、理奈ちゃんはシートに身体を埋めた。
「さ、家にやってちょうだい。運転手さん」
「はいはい」
 ミニクーパーは、ゆっくりと発車した。

to be continued

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