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White Album Short Story #3
弁護士 観月マナ 1

殺意のシャンパングラス

 俺達……俺、藤井冬弥と、自称フリージャーナリストの星香香奈、そして長瀬源五郎刑事の3人は、ホテルから出てきた。
「さて、それじゃ私は、別に用事がありますんで、これで」
 長瀬刑事は、軽く手を振って、俺達に背を向けた。そして、数メートル進んでから、不意に振り返った。
「あ、そうそう。上の方は、彼女を数日中に逮捕する方針らしいね」
「え?」
 思わず聞き返す俺に答えず、そのまま、長瀬刑事は駅の方に歩いていった。
「数日中に……逮捕だと……?」
「急がないとまずいわねぇ。ねぇ、藤井。これから、どうするの?」
 後ろから香奈が言った。俺は振り返った。
「……どうしよう?」
「しょうがないなぁ」
 香奈は腕組みして、にっと笑った。
「それじゃ、このし……香奈ちゃんが、一肌脱いでやろうじゃない」
「一肌脱ぐって?」
「居村五郎に話を聞きたいでしょ?」
 そう言うと、彼女はバックから携帯電話を出した。それから、俺をちらっと見ると、「ちょっと待ってて」と言って、すたたっと向こうの方に歩いていった。
 きっと、ニュースソースは聞かれたくないんだろう。それじゃ、今のうちに俺も連絡つけとくか。
 そう思って、俺も携帯を出した。

『それじゃ、ドンペリから指紋は出なかったのね?』
「ああ。多分、昨日のマナちゃんの推理が合ってるんだと思うよ」
『うんうん』
 電話の向こうからは、機嫌良さそうなマナちゃんの声が聞こえてきた。
「で、今から居村五郎と会えそうなんだけど、何か特に聞いておくことってある?」
『そうねぇ……』
 少し間を置いて、マナちゃんは言った。
『彼が真犯人として、ベラベラしゃべるとは思えないし、藤井さんに彼がぼろを出すようにしむける、なんて高等なテクニックが使えるわけないから、別にいいわよ。とにかく、どういう感じの人物か、だけでも観察しておいて』
 ……俺って、随分信用がないような気がする。
 ま、ここでコロンボやメイスンみたいなことやれって言われても困るしな。
 あ、そうだ。
「それから、長瀬刑事が言ってたけど、警察は由綺を数日中に逮捕するって」
 一瞬、間があった。俺はいやな予感がして、携帯を少し耳から遠ざけた。
 予想通り、携帯がビリビリと震えるような声で、マナちゃんが怒鳴っているのが聞こえた。
『なんでそれを最初に言わないのよ! 藤井さんの馬鹿っ!!』
「……」
 俺は携帯を耳につけたが、マナちゃんは電話を切ってしまったらしく、何も聞こえなかった。
「……やれやれ」
 苦笑して携帯をポケットに入れていると、いきなり後ろから声がかかった。
「そっちの連絡は終わったの?」
「うわぁ!」
 慌てて振り返ると、香奈がにまぁっと笑っていた。
「えっと、それはその、あ、そっちは?」
「この香奈ちゃんに任せとけば間違いなしってもんよ。それじゃ行くわよ」
 そう言って、彼女はスタスタと歩き出した。
「で、結局ここで待ち合わせなわけ?」
 優雅なクラシック音楽の流れる中、俺は香奈に尋ねた。
 肩をすくめる香奈。
「いいじゃないの。あたし、ここ気に入ったし、それにあいつもここなら知ってるって言ってたからさぁ」
 香奈があいつ、つまり居村五郎を呼びだしたのは、お馴染みの喫茶店『エコーズ』だった。
「それにしたって……」
 俺が言いかけたとき、不意に入り口のカウベルがカランカランと鳴った。俺達がそっちを見ると、サングラスをかけたジーンズにシャツ姿の若い男が、キョロキョロ店内をみまわしていた。
「あ、ゴロちゃん、こっちこっち!」
 手を振る香奈の声に、彼は小走りに俺達の方にやってきた。それから香奈に頭を下げる。
「お久しぶりです、な……」
「お黙り」
 まさに電光石火の速度で立ち上がった香奈が、居村の口にべたっと手を当てた。それから、サングラスの奥(そう、香奈はまたしても、店内なのにサングラスをかけたままなのだ)から、彼を睨んで一言ずつ区切るように言った。
「前にも言ったでしょ? 私は、フリージャーナリストの星香香奈よ。ほ・し・か・か・な」
「……」
 こくこくとうなずく彼に、香奈は満足そうに「よろしい」と言って、座った。それから、自分の隣を指す。
「まぁ、こっちに座りなさいな」
 彼は座ると、俺の方に視線を向けた。香奈が言う。
「こっちは、藤井くん。森川由綺の弁護士なの」
「ちょっと、俺は……」
 言いかけて、俺はやめた。わざわざ真犯人の前で正体をさらすこともないだろう。
「えっと、藤井です」
 そう言って、軽く頭を下げる。
「で、俺に何の用ですか?」
 香奈に尋ねる居村。
 香奈は、右手のボールペンをくるっと回した。
「判ってるんでしょ? 何を聞かれるか、くらい」
「ええ、まぁ……。でも、俺ホントに酔っぱらってて、何も覚えてないんですよ。俺が酔っぱらってたの、あなただって知ってる……」
「はずないでしょ? ねっ!?」
 にぃっと笑って言う香奈。居村はこくこくとうなずいた。
「はい、そのとおりです」
 ……何か変だなぁ。居村と香奈って、どういう知り合いなんだろ?
「あたしはね、警察向けの言い訳なんて聞きたくないのよ。もし上に色々言われてるんだったら、あたしが力になってやってもいいから、正直にこの香奈ちゃんに話してみなさいって」
「……」
 居村は俯いた。
 香奈は肩をすくめた。
「あたしにも話せないってかぁ?」
「……勘弁してください」
 蚊の泣くような声で、居村は答えた。香奈は肩をすくめる。
「あたしはいいけど、藤井くんはそれじゃ納得しないわよ。なんてったって、森川由綺の弁護士ですからねぇ」
「そうですね。場合によっては偽証罪や名誉棄損での告訴も考えてますよ」
 俺はもっともらしく言った。
「……」
 しかし、居村は黙ったままだった。
 クラシックの優雅な音色だけが、店内に流れ続けていた。

 マナちゃんは、俺の報告を聴き終わると、ふぅとため息を付いた。
「で、結局何も聞きだせずじまいだったってわけね」
「面目ない」
 俺は頭を下げた。
 結局、俺と香奈はそれ以上居村から何も聞きだせずに終わってしまった。逃げるように帰っていった居村を見送った後、俺は原稿をまとめるという香奈と別れて、事務所に戻るとマナちゃんの帰りを待っていたというわけだ。
「で、マナちゃんの方は?」
「芳しくないわね」
 聞き返した俺に、不機嫌そうに答えるマナちゃん。
「警察の連中ったら、ホントにばかばっか! 重箱の隅をつつくような質問ばっかりして。由綺姉ぇってあの通り、ぼーっとした人だから、ちょっとした記憶違いとかつつかれるとてきめんにうろたえちゃうし、そのフォローするだけでもう私もくったくたよ」
 肩をすくめると、マナちゃんはソファにもたれ掛かろうとして、昨日の失敗(飛び出したスプリングに服を引っかけて破いた例の件だ)を思い出したのか、代わりに応接テーブルの上に座った。
「ともかく、状況証拠だけは固められてるのよねぇ。でも、このまま逮捕されてたまるもんですか!」
 親指の爪を噛みながらそう呟くと、マナちゃんは俺に視線を向けた。
「藤井さんっ!」
「何?」
「警察に行くわよっ!」
「ええっ? 今からかい?」
 俺は思わず時計をみた。もう午後8時を過ぎている。
「ちょっと長瀬刑事に聞きたいことがあるのよっ!」
 そう言うと、事務所のドアを開けるマナちゃん。
「俺に聞きたいことがあるって? プライベートな質問は勘弁して欲しいなぁ」
「あんた……」
 事務所のドアの前に立っていたのは、長瀬刑事だった。
「すみませんねぇ、おかまいできなくて。なにせ事務所荒らしにやられたばかりでして」
 俺は、ペットボトルのウーロン茶を紙コップに注いで長瀬刑事に渡しながら、言った。
「いえいえ。そりゃ構いませんよ。で、私に何が聞きたいんですか?」
 長瀬刑事は、マナちゃんに尋ねた。テーブルにノートを広げて、ボールペンをクルクル回してから、マナちゃんが訊ねる。
「まず、シャンパンの瓶。押収したのは何本?」
「会場にあった4本全て押収してますがね」
「会場で? 3本はもう空になってたんでしょ? それが会場に残ってたわけ?」
 聞き返すマナちゃんに、長瀬刑事はうなずいた。
「空になっていた3本は、厨房から回収したんですよ」
「厨房ねぇ。間違えて全然関係ないシャンパンの瓶を押収したんじゃないの?」
「可能性が全くないわけじゃないでしょうなぁ。厨房にドンペリの空き瓶が3本あったんで、こりゃパーティーで使われたものに違いないってことで、これ幸いと押収したみたいですしねぇ」
 うなずく長瀬刑事。
 俺は訊ねた。
「それがどうしたの、マナちゃん」
「すり替えられたんなら、そのシャンパンの瓶はどこにいったのかなって思って……」
 と言いかけてから、マナちゃんはじろっと俺を見た。
「観月先生でしょ」
「はいはい」
「……」
 まだ何か言いたそうな顔(多分、「はいは一回」と言いたいんだと思う)をしながらも、マナちゃんは長瀬刑事に向き直った。
「シャンパンの瓶からは、指紋は出なかったんでしょ? 事件の時、由綺姉ぇは手袋もしてなかったのに。これについては、警察じゃどう考えてるの?」
「被害者が倒れて大騒ぎになってる間に、こっそりとふき取ったのだろう、ということになってますねぇ」
「あっそ」
 マナちゃんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「他に犯人の可能性がある人物は?」
 俺が訊ねると、長瀬刑事は懐から扇子を出して広げると、自分をあおぎながら答えた。
「何人かリストアップはされましたよ。ただ、どれも森川由綺以上の条件が揃ってるわけじゃないんでね、故意に無視されちゃったみたいでしてね」
「その名前は……」
「それは勘弁して下さいよ」
 さらに訊ねると、長瀬刑事は頭を掻いた。
「ただでさえ、私は上に睨まれてるんだから。これ以上変な情報をリークしたら、ホントに飛ばされちゃいますって」
 不意に、何か考えていたマナちゃんが、口を開いた。
「長瀬さん、率直に答えて欲しいんだけど……」
「何ですか?」
「Xデーはいつの予定?」
「……」
 長瀬刑事は、しばらく無言だった。マナちゃんは、視線を逸らそうともせずに、じっとその長瀬刑事の顔を見つめていた。
 俺は、口を挟むことができない雰囲気に、何も言えずに二人を交互に見ていた。
 やがて、彼は静かに告げた。
「明日ですよ」
「……」
 マナちゃんは黙りこくった。……Xデーって、まさか、由綺が逮捕される日のことなのか? それが明日!?
「でも、状況証拠だけじゃないですか。そんなのじゃ逮捕状は取れないんじゃ……」
 俺は思わず口を挟んでいた。
 長瀬刑事は、俺をちらっと見た。
「それがですね、有力な証言が取れましてね」
「有力な証言?」
「これ以上は捜査機密なので、言えませんけどね」
 長瀬刑事がそう言ったとき、急に電話が鳴りだした(電話がないと不便なので、これだけは急いで復旧してもらっていたのだ)。
 トルルル、トルルル、トルルル
 俺が受話器を取った。
「はい、観月法律事務所です」
『あ、その声は藤井ね? あたしよあたし』
「……は?」
 俺が思わず聞き返すと、電話の向こうの声が不機嫌そうになる。
『ちょっと、ばっくれてるんじゃないわよ』
「もしかして、星香香奈?」
『そうよ』
「どうしたのさ、一体? どうしてここが……」
 言いかけて、ここの電話番号は電話帳にも載ってることを思い出した。
 案の定、電話の向こうでも、香奈が馬鹿にしたように言った。
『この香奈ちゃんにかかれば、そんなのお茶の子さいさいよ。それよりも、香奈ちゃんニュースがあるんだけど、聞きたい?』
「あのさ、今ちょっと……」
 俺はちらっと、こっちを見ているマナちゃんと長瀬刑事を窺った。
 電話の向こうでは、なぜか嬉しそうに香奈が言った。
『そっかぁ、そんなに聞きたいのかぁ。それじゃ教えてあげなくちゃいけないわよねぇ〜』
 誰もそんなこと言ってねぇって。
 俺はもう一度、二人の方を窺った。
 長瀬刑事は、扇子を出してあおぎながら言った。
「あ、私のことならおかまいなく。女の子を邪険にしちゃいけませんからなぁ」
 うわぁお。女の子って聞いて、マナちゃんのまなじりが吊り上がってくぞ。
 命の危険すら感じた俺は、電話を切ろうとした。その耳に、香奈の言葉が飛び込んできた。
『居村五郎が警察に自白したのよ。自分が森川由綺の指示で、シャンパンに毒を入れたって』
「なんだってぇ!!」
 俺は思わず大声を上げた。
『そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ。それにしてもあんにゃろめ、あたしに黙ってたくせにそんなことするなんて……』
「それより、それは本当なのかい!?」
『もちろん! 香奈ちゃんニュースの的中率は80%よっ!』
 あとの20%はどうなるんだろう、と思ったが、そんなことは後回しだ。
「他には何かあるの?」
『もちろんよ。その居村五郎についてだけどね、彼、どうもギャンブルに手を出したらしくて、借金がかなりあるみたいだったのよね』
「借金?」
『そ。一説じゃ数億とか……』
「億?」
『そーなのよ。ところがびっくり、この借金が最近無くなってるのよね』
「返済したってこと?」
『まぁ、そういうことね。その資金の出所は不明だけど、最近アルバム出したわけでもないし、お金が入ってくるようなことしてなかったはずなのにねぇ〜』
「そっか……」
『とりあえず、そんだけ。で、そっちは何か新情報はある? ねぇ、あったら……』
 チン
 俺は受話器を置いた。それから、長瀬刑事に向き直る。
「有力な証言って、居村五郎の証言ですね?」
「……」
 長瀬刑事は無言で肩をすくめ、それを肯定した。まぁ、彼風に言えば、「私は肩をすくめただけで、何も言ってませんよ」ってところだろうけど。
「ちょっと、藤井さん、それってどういうことよ? 今の電話?」
 マナちゃんが訊ねた。
「後で説明するよ。それより、長瀬さん。居村自身が偽証してるってことは、警察は考えてないんですか?」
「……」
 黙って首を振る長瀬刑事。
「そんな! 由綺の言うことは信じないで、居村の言うことは信じるなんて……」
「藤井さん、でしたよね。警察もそこまで馬鹿じゃない。裏付けは取ってありますよ」
 長瀬刑事はそう言うと、ちらっと腕時計を見た。
「おっと、こんな時間だ。それじゃ私はそろそろ失礼しますよ」
「……」
 俺は、そのまま事務所をでていく長瀬刑事の後ろ姿を見送った。
 ……どうすれば、いいんだ?

to be continued

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