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それはそよ風のごとく 第25話
華麗! 来栖川綾香
「おい、マルチ、マルチっ!」
俺がマルチの肩を掴んでゆさゆさと揺すると、マルチは顔を上げた。
「はいっ!? あ、浩之さん……?」
「おう、久しぶりだな」
手を上げて挨拶すると、マルチはがばっと立ち上がってぺこりとお辞儀をした。
「おひさしぶ……」
ちょうどそこで、いきなり大歓声が上がった。
「……はうっ」
マルチはそのまま倒れた。慌てて支える俺。
「マルチっ、どうしたっ!?」
「どうやら、急激な大音響および振動の入力による過負荷で、マルチさんのブレイカーが落ちたようです」
セリオがマルチをのぞき込んで答えた。それから、俺に視線を向ける。
「それよりも、綾香様が入場なさいました。藤田さんは、どうぞご観覧なさってください」
言われて試合場の方を見ると、空手着を着た綾香が客席に手を振っていた。
さすが、エクストリームチャンピオンだな。人気も相当なようだ。
「でも、マルチは……?」
「マルチさんは私が見ておりますから、ご心配なく」
「セリオは試合見ないのか?」
「いえ。会場に設置されたテレビカメラにドミネートしておりますから」
……なんのこっちゃ。
ま、いいか。
「それじゃ、悪いけど頼む」
そう言ってマルチをセリオに任せると、俺は席に戻った。ちなみに俺の右にあかり、左に芹香先輩という、両手に花の特等席だ。……真後ろにセバスチャンがいるのが気になるって言えば気になるが。
ちょうど、こっちを見た綾香と視線が合う。
綾香はにっと笑って親指を立てて見せた。
綾香が出るのは団体戦。ちなみに葵ちゃんも同じだ。やっぱり助っ人が個人戦で勝ち進むと、ちょっとまずいってことなんだろう。
「ねぇ、浩之ちゃん。団体戦って、全員が同時にばっと戦ったりするの?」
あかりが横から訊ねる。俺はため息をついた。
「何バカなこと言ってんだよ。プロレスのバトルロイヤルじゃねぇんだぞ」
「あう……」
と、芹香先輩がぼそっと言った。
「え? 私もそう思ってましたって? いや、先輩はまぁしょうがねぇだろ。格闘技の知識とかないんだしな。よし、説明してあげよう」
「おねがいします」と先輩は軽く頭を下げた。
「それじゃ、あかり、俺と席代われ」
「えっ? あ、うん」
俺とあかりは席を替わった。よし、これで説明するときに左右をキョロキョロしないで済むな。
団体戦は、1チーム5人の勝ち抜き戦で行われる。5人の出る順番は決まっており、それぞれ前から「先鋒」「次峰」「中堅」「副将」「大将」とついている。
どちらかの大将が負けたらそれで終わり、というわけだ。
最初の試合は両チームの先鋒同士が戦う。で、負けたほうのチームは次峰を出し、次は先鋒対次峰となる。で、もしまた先鋒が勝てば、次は先鋒対中堅になるし、先鋒が負けてしまえば、次峰対次峰の戦い、というわけだ。
で、午前中は予選。全参加校を4ブロックに分けて、総当たり戦で行う。で、各ブロック1校が午後からの本選に進が、それぞれの組み合わせは午後に決まる。
うちの学校と綾香の寺女は予選ブロックがそもそも違うので、両方とも本選に上がってこないと、綾香と葵ちゃんの試合は実現しないのだ。
「……というわけだ。わかったかな?」
こくこく、と頷く芹香先輩。
俺は振り返って試合場の方を見た。
「で、綾香は寺女の大将か?」
「綾香様は先鋒にございます」
後ろからセバスチャンが言った。なるほど、大将なんかだと、下手すると試合しないうちに終わる可能性もあるだろうからなぁ。いかにも綾香らしいって言えば綾香らしいけど。
「あ、浩之ちゃん。始まるみたいだよ」
あかりが言った。
両チームの選手が前に進み出て、互いに礼をしている。言うまでもなく、片方は綾香だ。
審判が、さっと両手を交差させて叫ぶ。
「始めっ!!」
その瞬間、綾香の身体が前に飛び出した。
相手もそれにカウンターを合わせようと、前に出る。
と、綾香は相手の目の前で足を止め、勢いに任せて身体を捻る……ところまでは見えたのだが。
バシッ
派手な音がしたかと思うと、相手の選手が床に転がっていた。
「……なんだ?」
「綾香様、相変わらず、お見事でございますな」
セバスチャンが唸る。
俺はセリオに訊ねた。
「セリオ、今のは?」
「――上段側頭部への回し蹴りです。試合開始から3.25秒でした」
マルチを椅子に座らせて、下敷きでパタパタと扇ぎながら答えるセリオ。
ちょっと待て。上段側頭部への回し蹴りって、葵ちゃんの得意技じゃないか?
葵ちゃんのそれを、キックミットで何度も受けた(たまにはまともに喰らって昏倒したことも……いやいや)俺には、そのスピードと威力はよく判っている。だけど、今の綾香のは……。
「あ、浩之ちゃん。綾香さん、また試合に出るみたいだよ」
俺の服の裾を引っ張るあかり。俺は試合場に視線を戻した。
対次峰戦 下段突き 4.52秒
対中堅戦 裏拳 6.21秒
対副将戦 正拳突き 2.01秒
対大将戦 二段蹴り 8.22秒
……全部、秒殺じゃねぇか。
大歓声の中、タオル片手に客席に手を振って答える綾香を、俺は呆然として見ていた。
考えてみると、綾香が試合をしてるのを見るのは初めてだった。
「ねっ、浩之ちゃん。綾香さんって強いんだねっ!」
あかりが興奮した面もちで、俺の服を引っ張る。
「……ああ、そうだな」
俺は答えると、立ち上がった。
「浩之ちゃん……?」
俺を見上げるあかりには構わず、セリオに訊ねる。
「セリオ、うちの学校の試合はいつだ?」
「藤田さんの学校の試合ですか? ――予定では、間もなくです。西音寺女子の後ですから」
それじゃ、間に合わない。
言うまでもなく、試合場に入れるのは関係者だけ。俺が入ろうとしても入れるものじゃない。
……葵ちゃん、大丈夫だろうか?
寺女の選手が出ていくのと入れ替わるように、うちの空手部が出てくる。
あ。
葵ちゃんとすれ違いざまに、綾香が何か言ったみたいだった。ここからじゃとても聞こえないけど。
「セリオ、綾香が葵ちゃんに何か言ったの、聞こえたか?」
「――綾香様のプライバシーに関わることですので、お答えしかねます」
ううっ、融通のきかねぇ奴。
「浩之ちゃん、浩之ちゃん! ほらほら、うちの学校だよ〜」
あかりがまた服の裾を引っ張る。俺は肩をすくめて振り返った。
「わかったから引っ張るなっ」
うちの学校のメンバー表を眺める。……ふむ。坂下が次峰で、葵ちゃんは中堅、か。
俺は、ちょこんと正座して試合を見つめている葵ちゃんに視線を向けた。
見たところ普通みたいだが……。
「あ、試合が始まるよ」
あかりの声に、俺はため息をついて、試合場の方に視線を向け直した。
うちの先鋒があっさり負けてしまい、坂下の出番が来た。
「さて、坂下の腕前、見せてもらおうか」
俺は腕組みして、試合場に視線を凝らした。
「でも、坂下さんって、前に松原さんに負けたんでしょ?」
あかりが言う。
「大丈夫なのかな……?」
「大丈夫でしょ」
その声に、俺達は顔を上げた。
「綾香!?」
「綾香さんっ!?」
「やっほー。あたしの活躍見てくれた?」
綾香は空手着のまま、俺達の横に立っていた。
芹香先輩が「綾香さん、ごくろうさま」と声を掛けると、綾香は笑顔で答えた。
「ありがと、姉さん」
「あ、どうぞ座ってください」
慌てて立ち上がって席を譲ろうとするあかり。
「あ、いいっていいって。ちょっと遊びに来ただけだから」
そう言って、綾香は試合場に視線を向けた。
「好恵は強いわよ〜。実力そのものでいえば、まだ葵より上だからね」
それは確かにその通りだ。あのとき葵ちゃんが坂下に勝てたのは、坂下が一瞬とはいえ隙を見せてしまったことと、そして葵ちゃんが坂下の知らない武器を持っていたから。言ってみれば、たまたま勝てたに過ぎない。もちろん、実力の差=勝敗とならないところが、勝負っていうものの奥深いところなんだが。
「ま、そういうことだ」
俺はあかりの頭をぽんと叩いた。
「……にしても、好恵があそこまでやるとはね〜」
一礼して試合場を去っていく坂下を見ながら、綾香はにんまりと笑った。
結局、坂下が相手の先鋒から大将までを全員倒し、5人抜きを演じてみせたのだ。
「こりゃ、簡単に葵と仕合うわけには、いかなさそうね」
葵ちゃんは中堅。つまり、次峰の坂下を倒さない限り、葵ちゃんは試合に出てこないというわけだ。
俺は苦笑した。
「嬉しそうじゃねぇか、綾香」
「もちろん」
綾香は笑顔で頷いた。そして、くるっと背中を向けた。
「それじゃ、そろそろうちの学校の出番だから、もう行くわね」
「おう。てめぇこそ、うちの学校と当たる前に負けてんじゃねぇぞ」
俺の声に手を振って答えると、綾香はアリーナ席を出ていった。
その後、順調に試合は消化され、お昼の時間になった。
「浩之ちゃん、お弁当食べる?」
「弁当? あかり、お前弁当持ってきたのか?」
「うん」
頷きながら、バッグを開けてクマの弁当箱を出すあかり。
「よし、それじゃ食うか」
「うんっ」
嬉しそうに、あかりは笑顔で頷いた。
「シート広げるから、ちょっと立っててね」
「ああ」
俺は立ち上がると、隣りに視線を向けた。
「先輩はどうするんだ? え? 残念ですが、昼食は招待されてますのでって? いいっていいって。それじゃまたな」
先輩は残念そうに俺達を見ながら、立ち上がってアリーナ席を出ていった。セバスチャンがその後ろにぴたりとくっついてガードしていく。
やっぱり、来栖川のお嬢様だからなぁ。こういうところじゃ偉いさんに呼ばれちまうんだろうなぁ。
そういや、セリオやマルチはどうなったんだ?
そう思って見てみると、2人とも充電中だった。
それにしても、セリオはともかく、マルチの奴ほとんどブレーカー落としっ放しだったな。何しに来たんだか。
「浩之ちゃん、用意出来たよ〜」
弁当を広げたあかりに呼ばれて、俺は腰を下ろした。
「それにしても、綾香さんも強いけど、坂下さんも強いんだね〜」
「そうだな」
俺はお茶でおかずの春巻きを流し込みながら頷いた。
うちの学校と、綾香の寺女は午前中にそれぞれ3試合をこなし、予選が終了した。結果、当然ながらどっちも全勝で本選に出場を決めている。そして、綾香は15連勝、坂下は12連勝でどちらも負け知らずだった。坂下が0敗ってことは、当然葵ちゃんの出番は全然なかったということだ。
それは、あかりも気になっているようだ。
「松原さん、試合やってないけど、大丈夫なのかな?」
「ああ……。葵ちゃんが今日初めて戦う相手が、綾香になるかもな」
出来ればその前に一度くらいは試合をして、場の雰囲気に慣れさせてやりたいが、あの坂下が負けてくれるとも思えないしなぁ。
と。
「藤田先輩っ! 神岸先輩っ!」
元気のいい声に振り返ると、空手着姿の葵ちゃんが立っていた。
「おっ、葵ちゃん。調子はどうだ?」
「はいっ。万全ですっ」
元気いっぱいだった。虚勢を張っている様子もなく、緊張のきの字も感じられない。
「それより、見に来てくださってありがとうございますっ」
ぺこりと頭を下げる葵ちゃん。うむ、礼儀正しいのは葵ちゃんの美徳だ。
「松原さん、お昼は食べた?」
「あ、いいえ。あんまり食べると動きが鈍くなってしまいますし……」
とか言いながらも、葵ちゃんはじーっと俺達の前に広げられた弁当を見つめていた。
よしよし。食欲があるんなら、大丈夫だな。
「でも、少しくらいは食べた方がいいぜ。ほれ、おにぎり食うか?」
「うん、食べた方がいいよ」
「いいんですか? それじゃ、いただきます」
俺とあかりに言われて、葵ちゃんは、俺が差し出したおにぎりを受け取った。そして大きく口を開けてかぶりつく。
「……おいひいえす……もぐもぐ」
「はい、お茶」
あかりにお茶を注いでもらって、それをぐいっと飲み込むと、葵ちゃんは笑顔でぺこりと頭を下げた。
「美味しかったですっ。ありがとうございますっ」
「ところで、葵ちゃん」
俺は声をかけた。
「はい?」
「……綾香の試合は見た?」
「あ、はい」
葵ちゃんは頷いた。
「やっぱり、綾香さんはすごかったです。久しぶりに綾香さんの空手を見ましたけど……。でも、楽しみになりました」
葵ちゃんは、試合場を眺めた。
「綾香さん相手に、私の技がどこまで通じるのか、試してみます」
「よしっ!」
俺は、葵ちゃんの頭にぽんと手を置いた。そして、笑いながら言った。
「それにしても、坂下の奴も一つくらい負けて葵ちゃんに回してくれても良さそうなもんなのになぁ」
「あっ、いえ、それは……」
何故か慌てる葵ちゃん。
と、その俺の背中がとんとんと指で叩かれた。
「なんだよ、あかり」
「え?」
目の前で、あかりがきょとんと顔を上げる。
……よく考えてみると、俺の前にいるあかりが、俺の背中をつつけるわけがないんだよな。
じゃ、誰だ?
「あたしはわざと負けるなんて趣味はないんだけどね」
振り返ると、ぶ然とした表情の坂下が立っていた。
「どわぁ。坂下じゃねぇか」
「なによ、わざとらしい」
ため息をつく坂下。
「坂下さん強いんだね〜。私びっくりしちゃったよ〜」
さっそくあかりが話しかけている。
「あたしなんてまだまだよ。それより葵。決勝の組み合わせが決まったわよ」
その言葉に、葵ちゃんがびしっと緊張する。
「……寺女とは、決勝で当たるわ」
坂下は腕組みして言った。
「でもね、葵……」
「はい?」
「悪いけど……」
ふっと笑みを浮かべ、坂下は言った。
「綾香は、あたしが潰すわ」
《続く》
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