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雅史が退院してきたのを祝して、今日、俺達は内輪でパーティーを開いていた。
《続く》
……のは別にいいんだが。
「なぁ、なんで俺の家が会場になるんだ?」
「いいじゃない。ヒロの家なら誰も気兼ねなく騒げるってもんでしょ?」
志保が、目の前の皿から唐揚げをつまみながら言った。
「ごめん、浩之」
雅史が、前と変わらない屈託のない笑顔で謝る。まったく、死にかけたとは思えねぇよな。
「で、雅史。姫川さんとはうまくいってるの?」
志保が片手にジュース、片手に唐揚げという格好で雅史に尋ねる。雅史は頭の後に手をやって答えた。
「別に、姫川さんとはそんなんじゃ……」
「ちっちっちっ。今や学年、いえ、学校中が二人のラブロマンスで持ちきりなんだからね。何しろあんたは、噂の超能力少女を命がけで救ったヒーローなんだから〜」
びしっと唐揚げを雅史に突きつける志保。
「そうっ! 二人はもう全校公認なのよっ!」
バコッ
俺は無言で、後から志保の頭を殴った。
「あいったぁ〜っ! なによヒロっ!」
振り向いて文句を言う志保に、俺は言い放った。
「いい加減なことぬかすな、この万年口からでまかせ女っ! 雅史の事故に琴音ちゃんが絡んでるってことは秘密になってるだろうがっ!」
「えっ、そうなの?」
雅史が訊ねる。俺は心配になって訊ね返した。
「雅史、お前俺達以外に琴音ちゃんのことしゃべってねぇだろうな?」
「浩之達以外だと、サッカー部のみんなが見舞いに来てたけど、別に聞かれなかったからね」
あっさり答える雅史。俺はほっと胸をなで下ろした。
また琴音ちゃんに変な噂が立って、それが原因で琴音ちゃんが心を閉ざすようなことになったら大変だし。
と、雅史はくすっと笑った。
「相変わらずだね、浩之」
「うるせ」
俺は毒づきながら、唐揚げをつまんで口の中に放り込んだ。
台所から、あかりが大皿を持って出てくる。
「お待たせ〜。キムチチャーハンだよ〜」
「おっ、気が利くわね〜、あかり〜。あたしんとこに嫁に来なさいよ〜」
「あー、てめこのっ! あかりは俺のだっ!」
「えっ? や、やだぁ、浩之ちゃん」
あかりが真っ赤になって台所に逃げていって、俺ははっと気付いたがもう遅かった。
「ふんふーん。言うわね〜、ヒロも。『あかりは俺のだ』か〜。こりゃ明日の志保ちゃんニュースは決まりねっ」
「こ、こら志保っ!」
と、
トルルルル、トルルルル、トルルルル
電話が鳴りだした。
俺は志保を追いかけるのをやめて、リビングを出た。出がけに振り返って言っておく。
「いいか、志保! もしそんなことやってみろ! 二度と志保ちゃんニュースを流せないようにしてやるからなっ!!」
「ほらほら、いいから電話よ、電話〜」
「わかってるっ!」
言い捨てて、俺は廊下に出た。うげ、あかりが出ようとしてるじゃないか。
「待てっ! 俺の家の電話に出るなって言ってるだろっ!!」
「え? でも浩之ちゃんがなかなか出ないから……」
「今出るって! いいから料理の続きしてろ」
「あ、うん。それじゃそうするね」
あかりが台所に戻るのを見送ってから、俺は慌てて電話に駆け寄った。
やべやべ。もうコール数10回越えてるんじゃないか?
受話器を取って、耳に押しつける。
「もしもしっ!? 藤田ですけど!」
『あ……。せ、先輩……ですか?』
か細い声が、受話器の向こうから聞こえた。
はて。俺のことを先輩と呼ぶのは……。
今の声、琴音ちゃん……じゃないよな。とすると……。
「葵ちゃん?」
『あ、はい。その……あの……』
「どうかしたの?」
『えっと、あの……』
葵ちゃん?
『……ごめんなさい。なんでもないんです……』
「ちょっと待ったっ!」
俺は慌ててカレンダーを見た。そして気が付いた。
そうか、そうだったんだ。
「葵ちゃん、ちょっと今から公園に出てこられるかな? いつものあの公園だけど……」
『……先輩』
葵ちゃんの声が、ぱっと明るくなった。
受話器を置くと、振り返って思わず俺はのけぞった。
「うわっ、あ、あかりっ!?」
「今の電話、松原さんだよね?」
あかりは、下から見上げるように俺の顔をのぞき込んだ。
うっ、あかりの目がなんか怖い。
……っていうのは、多分俺にやましい感情があるからなんだろうけど。
俺は深呼吸して答えた。
「ああ」
「どうしたの、松原さん?」
俺はカレンダーを指した。
「明日なんだよ。葵ちゃんが空手の試合に出るのは」
「あ、そういえば学校で、明日空手部が試合だって言ってたね」
あかりはぽんと手を叩いた。
「それで、葵ちゃんは、多分ああいう性格だから、また前日になってちょっと気弱になってるんだと思う」
何しろ、明日の相手は、あの来栖川綾香だ。葵ちゃんにとっては目標であり、ある意味雲の上の人。
その辺りの事情も少しは知っているあかりは、こくりと頷いた。
「わかった。浩之ちゃん、行ってらっしゃい」
「ああ」
「あ、でも……」
靴を履こうとする俺を、あかりは呼び止めた。
「何だ?」
「浮気はだめだからね」
俺は無言で、あかりの額にデコピンをした。
ぱしっ
「あいたっ」
「余計な心配するんじゃない」
苦笑混じりに言うと、俺は立ち上がって、ドアを開けた。
「んじゃ、行ってくる」
「うん」
額を押さえながら、あかりは笑顔で頷いた。……ちょっと涙目だったけど。
今度からはほっぺたを引っ張るくらいにしておこう。
そう思いながら、俺は自転車を引っ張り出した。
公園に着くと、もう街灯が辺りを照らしていた。
そんな光の一つの下に、葵ちゃんが立っていた。
向こうも俺に気が付いて、駆け寄ってくる。
「すみませんっ、わざわざ呼び出すようなことして……」
「いいって。前にも言っただろ? 俺は葵ちゃん専属のトレーナーなんだからさ」
俺は葵ちゃんの頭を撫でてやった。それから訊ねる。
「明日のことか?」
「あ、はい……」
葵ちゃんは俯いた。
「理屈じゃ判ってるんです。私は助っ人で、頭数を揃えるためだけに出てるんだし、負けても誰も文句は言わないし、それにエクストリームじゃなくて空手なんだから……って。でも、やっぱり……」
「相手が相手だけに、か?」
「……」
葵ちゃんはこくりと頷いた。
「私なんかが、綾香さんと仕合うなんて……」
俺は、空を仰いだ。
木の葉の間から、星がいくつか見えていた。
「……なぁ、葵ちゃん」
「は、はい」
俺は視線を落とした。
「俺は、気休めは言わない。正直言って、綾香は強い」
「はい……」
「でも、葵ちゃん。葵ちゃんだって強いんだぜ」
「そうですか?」
「ああ」
俺は、葵ちゃんの両肩を掴んで、その目を見つめた。
「考えてみるんだ。あの坂下が、葵ちゃんに試合に出てくれって頼んだんだ。それはつまり、坂下が葵ちゃんの強さを認めてるってことだ」
「坂下先輩が……、私の強さを……」
「坂下のことは、俺よりも葵ちゃんがよく知ってるはずだ。あいつは嘘を付くような奴か?」
「……いいえ」
首を振る葵ちゃん。
俺は大きく頷いた。
「ああ、そうだ。その坂下が、葵ちゃんは強いって言ってるんだ。だから、葵ちゃんは強いっ!」
「……はい」
葵ちゃんはこくりと頷いた。そして、俺を見上げた。
まっすぐな、いつもの葵ちゃんの瞳だった。
「ありがとうございました。私、明日はやれそうです」
「よしっ!」
パン、と音が鳴るくらい強く肩を叩く。
「がんばれよっ!」
「はいっ!」
大きく頷いて、葵ちゃんは笑顔を見せた。
「がんばりますっ!!」
翌日。
市民体育館は、熱気に包まれていた。
俺達……俺とあかりがドアを開けた瞬間、中からどよめきと歓声が上がった。
わぁーーっっっ
「な、なにっ!?」
慌てて俺の後に隠れながら、中の様子を伺うあかり。
俺は苦笑した。
「なにおびえてんだよ」
「だ、だって、私こういうの初めてで……」
「別にあかりが試合するわけじゃないんだからさ」
「で、でも……」
と、
「おお、これはお久しぶりでございますな、神岸殿、藤田殿」
横合いから声が聞こえた。
「あれ? セバスチャンのじじいじゃねぇか」
「ひ、浩之ちゃんっ! ご、ごめんなさい、セバスチャンさん」
慌てて頭を下げるあかり。ったく、しょうがねぇ奴。
「何でセバスのじいさんが? もしかして芹香先輩も来てるのか?」
俺は訊ねた。セバスチャンは芹香先輩のお付きのはずだからな。
セバスチャンは頷いた。
「いかにも。妹の綾香様の応援をなさろうと、こちらにいらっしゃっておられる」
と、セバスチャンの後から芹香先輩がすっと顔を出した。ぺこりと頭を下げる。
「え? ご無沙汰しておりましたって? こっちこそ」
俺も思わず頭をかきながら頭を下げていた。
先輩は顔を上げると、俺に訊ねた。
「え? 綾香の応援をしてくれるのかって? とりあえずうちと当たるまででよければ」
俺が答えると、先輩は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「いや、別に礼なんて言わなくても……」
「芹香お嬢様、そろそろ綾香様の試合が始まりますぞ。ささ、お席の方へ」
セバスチャンが割って入ると、先輩に言った。先輩は俺に視線を向けた。
「え? よろしければ一緒にどうかって? えっと、あかりも一緒で良ければ……。あ、いいの?」
「芹香お嬢様、そのようなことは……」
慌ててセバスチャンが先輩に声をかけるが、先輩は首を振った。
「大切な、お友達ですから……」
くぅーっ、やっぱり先輩、可愛いよなぁ。
なんて思ってたら、後であかりが拗ねていた。
「いいもんね〜、くまちゃん。あっちで見てようね〜」
リュックにぶら下げてあるスイングの熊に話しかけてやがる。
ったく。
「こら、あかり。行くぞ」
「だって浩之ちゃん……」
俺はため息を付くと、あかりを引っ張り寄せた。耳元で囁く。
「えっ? ひ、浩之ちゃんったら……。も、もう……」
真っ赤になって、あかりはこくんと俯いた。
「わ、わかったよう……」
何をあかりに言ったかって? 恥ずかしいから言わない。
ともあれ、こうして俺達は、先輩のそばのアリーナ最前列から観戦することになった。
アリーナ席には、先客がいた。
「藤田様、神岸様。お久しぶりです」
「お、セリオじゃねぇか。……あれ?」
俺は辺りを見回して、セリオに訊ねた。
「マルチは来てねぇのか?」
「マルチさんなら、こちらです」
セリオは、自分の座っていた席の後を指した。
俺とあかりがそこをのぞき込んでみると、マルチが頭を抱えてがたがた震えていた。
「はわわぁぁぁ〜〜、こ、怖いですぅ〜〜」
……なにしに来たんだ、こいつは?
俺は苦笑した。
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あとがき
それはそよ風のごとく 第24話 00/2/27 Up