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それはそよ風のごとく 第26話
戦いの前に……
「綾香は、私が潰すわ」
坂下はそう言うと、くるっと踵を返した。
「あ、好恵さん……」
「まだ休憩時間はあるから、葵はゆっくり休んでなさい。午後からは、あなたの出番もあるかもしれないんだし」
肩越しに振り返ってそう言うと、坂下は通路を歩いていった。
俺は立ち上がった。
「浩之ちゃん?」
「あかり、葵ちゃん、ちょっとここで待っててくれ」
そう言い残し、俺は坂下を追いかけた。
「坂下!」
試合場に通じる通路で、俺は坂下に追いついた。
坂下は振り返る。
「藤田くん? 何か用?」
「なぁ、坂下」
俺は坂下に尋ねた。
「一つ、聞いてもいいか?」
「何よ?」
じろっと俺を見る坂下。
「いや、空手部の順番なんだけどさ。どうして坂下の方が葵ちゃんより前なんだ?」
普通、団体戦では弱い順に並べられ、最後の大将が一番強いっていうのが基本のはず。まぁ、寺女の綾香は特例だろうけど。
理由は単純で、順番が先の者ほど試合回数が多くなり、それだけ疲労するからだ。
その定義でいけば、葵ちゃんは坂下よりも強いっていう位置づけになる。
坂下は肩をすくめた。
「私が自分から申し出たのよ。葵よりも前にしてくれって」
「どうしてだ?」
「……綾香は、葵と仕合った後は、負けるつもりだからよ」
「え?」
俺がぽかんとしていると、坂下は苦笑した。
「これでも、綾香とは同じ空手道場でやってきた仲よ。何を考えてるかくらいはわかるわ。彼女は、葵とやるためだけに、今日出てきた。それ以外の試合は、彼女にとっては余技に過ぎないわ。少なくとも、彼女はそう思ってる。……だけどね」
パシッ
坂下は、右の手のひらに、左の拳を打ち付けた。
「綾香は相変わらず、空手をなめてる。それが間違いだって、私が思い知らせてやるわ」
「……なるほど。葵ちゃんよりも後ろの番だと、綾香と戦えないってことか。でも、それじゃお前も綾香と同じじゃねぇのか? 他の奴はどうでもいいってことだろ?」
「……今回に限っては、そうかもね」
ふっと息を吐くと、坂下は俺に視線を向けた。
「でも、これは、私の格闘家としての意地なのよ」
「そっか」
俺は頷いた。
「俺としては葵ちゃんと綾香の試合を見てみたいっていう立場だから、全面的に応援するわけにもいかねぇけどさ」
「あいかわらず正直な奴ね」
「うん、よく言われる」
「……バカ」
坂下は、ふっと笑うと、俺に背を向けた。
「じゃ、また後で」
「ああ」
俺も軽く手を振ると、その場を後にした。
……坂下の奴も、色々考えてるんだな……。
そう思いながら、廊下を曲がったところで、いきなりそっちからきた人にぶつかってしまった。
「おっと……」
「……」
まぁ、走って体当たりしたわけじゃなく、普通に歩いていてぶつかっただけだから、俺も向こうも別に倒れるでもなかったわけで。
……って、倒れてるじゃん。
俺は苦笑しながら、その人の手を掴んで引っ張り起こした。
「またぶつかっちまったな、先輩」
こくん、と頷いたのは、芹香先輩だった。
と、
「おじょうさまぁぁぁぁっっ!」
向こうから、ずだだだだっという擬音付きでセバスチャンが駆け寄ってくる。そして、俺を跳ね飛ばすような勢いで俺と先輩の間に割って入った。
「お怪我はございませぬかっ、お嬢様? ああ、私が目を離したほんのわずかな隙にこのような狼藉を働かれようとはっ、セバスチャン痛恨の極みでございますっ」
……まったく、大げさな奴だ。
先輩はふるふると首を振ると、小さな声で「大丈夫です」と一言答えた。それから、俺に視線を向ける。
俺は手を合わせて謝った。
「悪かった」
「……」
もう一度、ふるふると首を振ると、先輩は俺に尋ねた。
「え? 綾香に逢ったかって? いや、逢ってないけど。綾香がどうかしたの?」
「会食が終わってから、芹香お嬢様が綾香お嬢様を激励に行ったのですが、誰も綾香お嬢様の居場所を知らないとのことで、我々で捜しておるところでございます」
セバスチャンが言った。
「セリオに頼んで、サテライトなんちゃらで捜してもらえば?」
「むぅ、そのような方法があろうとは! セバスチャン一生の不覚っ!」
がくりと膝をつくセバスチャン。やれやれ。
「ま、俺もとりあえず捜してはみるけどさ」
「……」
「お願いしますって? ま、先輩の頼みとあれば」
俺がそういうと、先輩はぽっと赤くなって俯いてしまった。あいかわらず可愛いぜっ。
なぜか先輩を前にすると、妙なテンションになってしまうな。
俺は心の中で苦笑いしながら、先輩(とセバスチャン)と別れて、あかり達のところに駆け戻っていった。
ここを曲がって……。
あれ?
おかしいな。確かこっちにアリーナ席への入り口が……。
ない……。
俺は完全に道に迷っていた。
お、こっちにドアがある。きっと、このドアこそ、アリーナ席に通じてるに違いないっ。
そう心の中で呟きながら、通路の途中に現れたごついドアを開けてみた。
ヒューッ
風が吹き抜けていく。
そこは、どう見ても会場の外だった。
やれやれ……。
ため息混じりにドアを閉めようとしたとき、俺の耳に微かな音が聞こえてきた。
ピシッ、パシッ、パシッ……
何かを弾くような音。
俺は、ドアを閉め、その音の方に歩き出した。
ちょうど、会場の裏手にあたる、人も来ないような場所。
何本かの木があり、ちょうど今の季節、木の葉が枯れて落ちてきている。
その下に、綾香が立っていた。
空手着のままで、軽く目を閉じて。
その前に、ひらひらと枯れ葉が落ちてくる。
ピシッ
軽い音とともに、その枯れ葉が砕ける。綾香の手が、枯れ葉を砕いたのだ。
ザワッ
風が吹き、枯れ葉が一斉に舞う。
その瞬間、綾香はその枯れ葉を片っ端から砕いていく。手や足が縦横無尽に伸び、あたかも綾香が踊っているように見えた。
そして、ついに一枚も枯れ葉は地面に落ちなかった。
綾香は目を開け、俺に視線を向けてにやっと笑った。
「どう? ちょっとしたもんでしょ?」
「なんだ、気がついてたのかよ」
「まぁね。これでも武道家の端くれよ。浩之の気配くらいすぐに判るわよ」
そう言うと、綾香は深呼吸して構えを解いた。それから、傍らに置いてあったスポーツバッグから、ドリンクを出して飲み始める。
「芹香先輩が捜してたぜ」
「姉さんが? あちゃ、そりゃまずったなぁ〜」
ぺしと額を叩くと、綾香は額の汗をタオルで拭った。
「で、こんなところで綾香はトレーニングか?」
「まぁね。午後からは、いよいよ葵と試合だしね。それに向けて、テンション上げてるとこ」
「そんなこと言うと、坂下が真っ赤になって怒るぜ。私のことを無視してもらっちゃ困るって」
さっきの坂下の言ったことを思い出しながら、俺は言った。綾香は肩をすくめた。
「好恵ならそうでしょうね〜。わざわざ次峰になってるくらいだし……。随分と打倒来栖川綾香に燃えてるみたいじゃない?」
やっぱり、綾香も気付いてはいたのか。
「でも、悪いけど、……好恵にも葵にも、倒されてあげない」
綾香はそう言って笑った。それから、俺に訊ねた。
「ところで、もうそろそろ昼休み、終わりじゃないかしら?」
「終わりじゃないかしらって、時計はねぇのか?」
「うーん。あたし、普段時計を持ち歩かない人だから」
「しょうがねぇ奴。えーっとだな、あと5分で1時ってとこだ」
俺は腕時計を見て答えた。
「そっかぁ。それじゃあたしもそろそろ切り上げるかな。ほら、あんたもさっさと席に戻らないと、あたしの華麗な試合が見られないわよ〜」
「ああ、それなんだけどさ」
ため息をついて、俺は綾香に尋ねた。
「何よ?」
「……アリーナ席へ戻れなくなったんだが、道わかるか?」
「あ、浩之ちゃん、お帰り」
綾香に道を教えてもらって(大笑いされた。くそ)席に戻ってくると、あかりが振り返った。
その向こうにいた芹香先輩が、俺の姿を見て立ち上がる。
「ん? どうしたんだ?」
「……」
「え? ありがとうございますって? いや、俺はなにも……」
ふるふると首を振ると、芹香先輩は俺をじっと見つめた。
「綾香を力づけてくれたから? なんだそれ?」
「……浩之ちゃん、綾香さんとなにかしてたの?」
う。あかりがじとーっと俺を睨んでる。
「別にそんなことはないんだが……」
「……ほんと?」
「天地神明に誓う」
「うん」
頷いて、にこっと笑うあかり。
「信じるね」
「……願わくは、最初から信じてくれ」
「冗談だよ。私、最初っから信じてるもん」
そう言ってから、あかりははっと気付いて赤くなって俯く。
「えっと、そのぉ」
言うまでもなく、周囲の注目の的な俺達であった。
と、そこに救いの声が聞こえた。
「あっ、浩之さんっ! お久しぶりですっ!」
マルチがたたっと駆け寄ってくると、ぺこりっと頭を下げた。
「おう、マルチ。充電終わったか?」
そう言いながらなでなでしてやると、マルチは目を細めながらこくこくと頷いた。
「はいっ、お腹いっぱいです〜」
「そうかそうか。それじゃ……」
と、いきなり大歓声が上がった。
わぁぁぁぁぁーーーーっっっっ!!
「お? 見ろ、マルチ。寺女が入場して来たぜ。……って、おい」
マルチはくたっと俺に倒れかかってきていた。顔をのぞき込んでみると、案の定目を開けたまま固まっている。
「マルチちゃん、またブレーカーが落ちたの?」
あかりものぞき込んできた。
「そうみたいだな。しょうがねぇなぁ。セリオ!」
「はい」
返事が聞こえて、セリオがやってきた。そして、マルチを後から引っ張り上げると、俺達に頭を下げる。
「マルチさんがご迷惑をおかけして申し訳有りません」
「いや、そんなことはねぇけどな。ともかくマルチは任せるぜ」
「承知いたしました」
そう答えて、マルチを抱え上げて元の席に戻るセリオ。さすが力持ちだ。
「あ、浩之ちゃん、綾香さんだよ」
あかりが指さす。
俺は自分の椅子にどっかと座って、腕組みした。
「まだ準決勝だからな。まぁ秒殺5連勝ってとこだろ?」
「でも、準決勝なんだから、それなりに相手も強いんじゃないの?」
「だろうけど、相手が悪すぎだ」
そうあかりに答えて、俺はあくびをかみ殺した。
予想通り過ぎてつまらない準決勝第1試合が終わり(言うまでもなく、綾香の秒殺記録が更新されただけだった)、第2試合、つまりうちの空手部の出番がやってきた。
「どっちが勝つかな、浩之ちゃん?」
「……」
「え? 先輩も気になるって? ま、うちが勝つのは間違いねぇと思うけどな」
俺は、並んで正座しているうちの連中を眺めた。お? 坂下が葵ちゃんに何か言ってる。ま、気を抜くな、とでも言ってるんだろう。葵ちゃんも真面目な顔で頷いてるし。
と、
「浩之さんっ!」
マルチがすたたっと駆け寄ってきた。そして俺の前で頭を下げる。
「先ほどはすみませんでしたっ」
「いや、気にしてないんだけど……」
「で、でも……、私、なんておわびしてよいやら……。ううっ」
涙ぐむマルチ、なんだが……。
「それはどうでもいいんだが……」
「よくないですっ。私、メイドロボなのに浩之さんにご迷惑ばかりかけてしまって……」
「そうじゃなくて……」
そこに立っていられると、試合が見えないんだけどなぁ。
マルチがようやくそれに気付いてどいてくれたのは、うちの先鋒が負けて坂下の出番になってからだった。
《続く》
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