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それはそよ風のごとく 第20話
夕焼けに染まる屋上での邂逅
「んぁ?」
綾香と別れて家の前まで戻ってきた俺は、家の前でうろうろしているあかりの姿を見つけた。
何やってんだ、あいつは?
「おいっ、あかりっ!」
俺が声をかけると、あかりは振り返って俺の姿を確認して、駆け寄ってきた。
「お帰りなさい、浩之ちゃん」
「ああ。で、何か用か?」
「うん、夕ご飯作ってあげようと思って、買い物してきたの」
そう言って、買い物袋を掲げてみせるあかり。
ちなみにあかりはスーパーに行くときは買い物袋持参で行くのだ。ビニール袋を貰わなければ少し安くしてもらえるんだそうだ。
しっかりしてるよな。将来いい嫁さんになるんだろうな……。
……って、おい。それじゃ俺とあかりが……ってことか?
いや、確かに今付き合ってるし、俺としても別にそれでもいいのかな、とは思わないでもないけど、実際にそうなるってわけでもないんだろうし……、って何を慌ててるんだ、俺は?
「……浩之ちゃん?」
あかりが、黙り込んでしまった俺の顔をのぞき込む。
「どうしたの?」
「いや、なんでもねぇよ」
俺は軽く頭を振ると、ポケットから家の鍵を出した。
カチャカチャ
俺の前に皿を並べると、あかりはテーブルの反対側に座った。
「さ、どうぞ」
「おう」
俺は、目の前に並べられた料理を見回した。しかし、さすが母親が料理教室の先生なだけのことはあるよな。
ここんとこ、2日に1度くらいの割合で料理を作りに来ているが、なかなか同じものは出してこないし、味の方もいけてるし、栄養バランスも考えているらしいし。
考えてても仕方ないので、俺は箸を付けることにした。ちなみに、今日の料理は……、なんなんだろう?
「なぁ、あかり。これなんだ?」
「えっ? あ、それは白身魚の酢豚風。酢豚の豚肉の代わりに白身魚を使ってるの」
「ほう、今日は中華ってわけか。じゃ、この鶏の唐揚げも中華なのか?」
「うん。えっと……炸鶏塊(ツァヂークァイ)っていうんだって」
名前までは覚えてなかったのか、レシピを見て答えるあかり。
「ふむ……。普通の唐揚げとあんまりかわらんような気もするけどな」
「そうだね」
思わず笑い合う俺達。
……なんだ、このほのぼのさは?
「あかり、お前も俺の食うところ見てないで、自分も食えよ」
「うん。それじゃ、いただきます」
手を合わせて言うと、あかりも食べ始める。
恋人と二人で食べる夕食。しかも恋人の手作り。
普通なら心躍るシチュエーションなんだろうけど、いかんせん俺とあかりの場合は、恋人になる前からずっとやってたことなんで、今更これくらいじゃ別に照れるわけでもない。
ま、それが不満ってわけでもないが。
「……なぁ、あかり」
俺が声をかけると、みそ汁をすすりながら、あかりは顔を上げた。
そんなあかりに、俺は尋ねた。
「お前、俺と結婚する気はあるのか?」
いきなり妙な質問をして、あかりがみそ汁を吹き出すかな、と思ったが、あかりは落ち着いてみそ汁を飲み終わると、椀をテーブルに置いて、こくりと頷いた。
「うん」
流石に、頬が赤くなっていたが、真面目な顔であかりは頷いた。
「浩之ちゃんがいいんなら、私はいいよ」
「……そっか」
適当な返事を思いつかなくて、俺はそんな間抜けな返事をした。
と。
トルルルル、トルルルル
電話が鳴りだした。
「誰だろ。ったく」
俺は立ち上がった。
トルルルル、トルル……カチャ
「はい、藤田です」
「あ、浩之?」
電話の向こうから聞こえてきた声は、雅史のものだった。
「ああ。どうした、お前からかけてくるなんて、珍しいな」
「うん。あのさ、話があるんだけど、今からそっちに行ってもいいかな?」
「え? あかりが来てるけど、それでもいいか?」
「あかりちゃんが? うーん……」
少し間があって、それから雅史は言った。
「いいよ。あかりちゃんも関係ないわけでもないし」
「は? 何のことだ?」
「それじゃ」
プツッ
電話が切れた。俺は首をひねりながら、受話器を置いて、リビングに戻った。
「誰からだったの?」
あかりが訊ねた。俺は肩をすくめた。
「雅史から」
「雅史ちゃん? どうしたの?」
「さぁ。なんか俺に相談したいことがあるらしいんだけど」
「そうなの? じゃ、私帰った方がいいかな?」
そう言って腰を浮かすあかり。
「いや、なんかお前にも聞いて欲しいって」
「そう? なんだろ?」
「俺にもさっぱり。まぁ、あいつが来れば判ることだし」
「……そうだね」
頷いて、あかりは立ち上がった。
「それじゃ、私、お茶煎れてくるね」
10分ほどして。
ピンポーン
チャイムの音が鳴った。
「お、来たか?」
「私が出るよ」
あかりが立ち上がった。そのままぱたぱたと玄関に向かって走っていく。
しばらくして、あかりに続いて雅史が顔を出した。
「ごめん、急に電話して」
「いや、いいけど」
「雅史ちゃん、夕ご飯は? もし良かったら、残った分がまだあるけど……」
「いや、姉さんが用意してくれてるから。それより、浩之」
雅史は俺の前に座ると、言った。
「姫川さんのことなんだ」
「琴音ちゃん?」
雅史は黙って頷いた。
「琴音ちゃんがどうかしたのか?」
「うん……」
雅史は少しためらい、そして言った。
「……死のうとしていた」
一瞬の間。
次の瞬間、俺は雅史の襟を掴んでいた。
「雅史、いい加減なこと言うなよ……」
「冗談で言えることxじゃない」
その俺の手を、雅史は掴んだ。
「僕だって、言って良いことと悪いことくらい判ってるよ」
「……すまん。そうだな」
俺は、雅史の襟から手を離した。そして座り直しながら、訊ねた。
「どういう状況だったんだ?」
「ちょうど、部活が終わったときだったよ……」
雅史は話し始めた。
「ありがとうございましたぁ」
最後の礼をした後、1年生が後かたづけのため、グラウンドに散る。
雅史は、他の2、3年が着替えるために部室に向かった後も、グラウンドに残って、1年生の片づけの様子を見ていた。
と言っても、別に見張ってるというわけではない。むしろその逆で、何か言われたら手伝ってあげようと思っているのだ。
最初は下級生に混じって片づけをしていたのだが、3年の先輩に「佐藤がそんなことしてたら下級生に示しがつかん」と止められてしまい、それ以来仕方なく「見てるだけ」状態の雅史であった。内心では、3年が引退して自分が権限を振るえるようになれば、上級生も片づけをするようにしよう、と思ってる辺りが雅史らしい。
「しかし、今日もいい天気だったなぁ」
そう呟いて、雅史は校舎の方を眺め、はっとした。
赤い夕焼けをバックに、黒く見える校舎。その屋上に人影が見えたのだ。
普段なら、なんということもない。だが、何故か雅史はその瞬間、不吉な思いを感じた。
そして、雅史は駆け出した。校舎に飛び込むと、階段を駆け上がり、屋上への扉を開ける。
屋上は、赤く染まっていた。そして、フェンスを掴んで、彼に背を向けている少女の姿があった。
「姫川……さん?」
雅史の声に、少女は彼の方に視線を向けた。
「佐藤……先輩……?」
「こ、こんにちわ」
思わず、ちょっと場違いな挨拶をしてしまう雅史に、琴音ちゃんは小首を傾げた。
「どうなさったんですか?」
「姫川さんこそ。確か、部活はしてないんじゃ? それなのに、こんな時間まで……」
「……」
少し、沈黙が流れた。そして、琴音ちゃんは「空を見ていたんです」と答えた。
「空を?」
「……佐藤先輩。先輩は、藤田さ……、藤田先輩や、神岸先輩と仲がいいんですよね」
唐突な話の方向転換。
「浩之やあかりちゃんと? うん、まぁ。幼稚園のころからの付き合いだからね」
雅史の答えに、琴音ちゃんはフェンスの方に向き直った。そして、小さく呟いた。
「……私も……だったらよかった……」
「え?」
「……いえ、別に……」
「……」
そのまま、再び沈黙。
雅史は、ベンチに腰を下ろした。
「……佐藤先輩」
しばらくして、空の上の方が黒くなり始めた頃になって、不意に琴音ちゃんが口を開いた。
「なんだい?」
「……先輩は、死にたくなったことってありますか?」
「……えっ?」
驚く雅史に、琴音ちゃんは振り返った。
薄暗くなりかけていて、その表情の細かいところはよく見えなかったが、その唇には確かに微笑みが浮かんでいた。
「私は、ありますよ」
「姫川……さん」
「……ごめんなさい。私、もう帰ります」
そう言うと、琴音ちゃんはそこで初めて、掴んでいたフェンスを放した。
カシャン
軽い音がした。
「……さようなら」
雅史とすれ違いざまにそう言い残し、琴音ちゃんはドアを開け、階段を下りていった。
雅史の話が終わると、俺はあかりの入れてくれたお茶を飲み干した。
「……ぬるいな」
「あっ、ごめん」
同じように話を聞いていたあかりが、我に返って謝ると、立ち上がった。
「今、煎れ直してくるね」
「あ、ああ……」
台所に駆け込むあかりを見送ってから、俺は苦笑した。
「なんだよ。別に琴音ちゃんが「死にたい」とか言ったわけじゃねぇじゃねぇか。脅かすなよ」
「……うん、そうなんだけどね」
雅史は、真面目な顔のままだった。
「でも、なんていうか……。ほら、あるだろ? 覇気がない、とかさ。あのときの姫川さんからは、生命力っていうのかな、そういうのがまるで感じられなかったんだ。何かの抜け殻みたいでさ……」
「抜け殻……か」
「うん。……ちょうど入学してきたばかりの頃の姫川さんみたいだったよ」
雅史の言葉に、俺は最悪の事態になってることを確信した。
……琴音ちゃんは、入学したばかりの頃は、超能力のせいで心に傷を負っていた。そのために、他人を寄せ付けないようにしてたんだ。
やっと、最近は他人を受け入れることが出来るようになってきてたっていうのに……。
俺のせいだ。
「くそっ」
俺は、舌打ちして床を殴りつけた。
でも、どうすりゃいい?
葵ちゃんの時と同じく、俺以外の誰かに中に入ってもらうのがいいんだろうけれど……。
「……浩之」
不意に、雅史が口を開いた。
「姫川さんがああなった理由って、浩之とあかりちゃんの事なんだよね?」
「……ああ、そうだ」
偽っても仕方ない。俺はうなずいた。
「俺はあかりと付き合う。そう琴音ちゃんにははっきり言った。……でも、琴音ちゃんにとっては裏切りだったんだろうな、それは……」
「……姫川さんも、判ってると思う。でも、理性と感情は別物だから、その整合を取れなくなって、不安定になってるってことなんだろうね」
分析してみせる雅史。
「まぁ、そんなところなんだろうな……」
俺はうなずいた。
「判ったよ」
雅史は立ち上がった。
「明日にでも、姫川さんと話をしてみる」
「えっ?」
「他の人よりは、事情も知ってるからね。それに、ほっとけないし」
雅史はそう言って微笑んだ。
「でも、いいのか?」
「うん。僕は浩之みたいには出来ないと思うけど、でも、出来るだけのことはやってみるつもりだよ」
「そうか」
俺はうなずいた。
「それじゃ、雅史。……頼む」
「うん」
うなずくと、雅史は時計を見た。
「あ、こんな時間だ。うちで姉さんが待ちくたびれてるだろうから、もう帰るよ」
「おう。すまねぇな」
俺も立ち上がった。ちょうど、そこにあかりが戻ってくると、テーブルに湯飲みを置いてから、雅史に訊ねた。
「あ、雅史ちゃん、帰るの?」
「うん。あかりちゃんは?」
「それじゃ、私もそろそろお暇しようかな」
何故か、妙に古くさい言い回しをするあかり。俺は苦笑した。
「んじゃ、今日はこれで解散、と。ところであかり」
「えっ? 何?」
「部屋の入り口で立ち聞きしてただろ?」
「あっ」
かっと赤くなるあかり。図星だな。道理でなかなか戻ってこなかったわけだ。
「ご、ごめんなさい。でも、浩之ちゃんと雅史ちゃんが話し込んでたから、邪魔しちゃ悪いなって思って」
「このっ」
「あいたっ」
俺は軽くデコピン一発で許してやった。
「もう、痛いよ浩之ちゃん」
「ふふふっ。変わらないね、二人とも」
それを見て笑う雅史。
どうやら、俺達は変わらないでいけそうだな。
ふと、そんなことを俺は思った……。
《続く》
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