喫茶店『Mute』へ
目次に戻る
前回に戻る
末尾へ
次回へ続く
それはそよ風のごとく 第18話
代償
校門に向かう坂道を、あかりと並んで上がっていく。
昨日までと同じ事をしてるのに(昨日はあかりは休んでただろ、というツッコミは不要だ)、なぜだか妙に意識しちまってる。あかりの方も同じらしく、俺をちらちらと見てるけど、話しかけては来ない。
「な、なぁ……」
「あ、あの……」
思い切って声をかけてみると、あかりも同時に声をかけようとしてて、また互いに黙り込む始末。
うーん。
と。
「おっはよぉ〜、あかり。風邪は治ったの?」
後ろからキンキンする声が聞こえた。
「あっ、志保。うん、もうすっかり良くなったよ」
そうだ。
「志保、てめぇあかりに変なこと吹き込みやがったな!!」
俺は振り向きざま怒鳴った。
「きゃっ。な、なによぉ。あたしは事実を伝えただけでしょぉ?」
「なにが事実を伝えた、だ。だいたいどこからそんな話仕入れやがった!?」
志保は、ふふんと鼻で笑った。
「ニュースソースは明かすわけにはいかないわねぇ〜。ま、この志保ちゃんネットワークの情報網は甘く見ないで欲しいわってことね」
「何が志保ちゃんネットワークだ。ないことないこと抜かしやがって」
「なによぉ。それじゃまるであたしが嘘ばっかり言ってるみたいじゃない」
「みたい、じゃねぇ。嘘ばかりじゃねぇか」
「きぃーーっ」
「まぁまぁ、志保も浩之ちゃんも、言い合いしてると遅刻しちゃうよ」
いつものようにあかりが割って入ってきた。志保はあわてて腕時計を見る。
「そうだった! ヒロがいるってことはもう遅刻寸前ってことじゃん」
「てめ、人を遅刻大魔王みたいに言うんじゃねぇ!」
「でも、こんな時間じゃない」
志保は腕時計を俺の目の前に突きつけた。
……って、げげっ!!
「ああっ!」
横で自分の時計を確認したあかりも声を上げている。つまり、それほどやばいってことで……。
キーンコーンカーンコーン
言ってるそばから、予鈴の音が響いてくる。
「行くぞあかりっ!!」
「あっ、待ってよ浩之ちゃん!」
「ちょっとぉ、あたしには一言もなしってわけぇ!?」
オレ達は坂道を駆け上がっていった。
……どうやら、この騒ぎのおかげでいつものペースに戻ったみたいだ。志保に感謝……なんて、絶対してやらねぇけど。
なんとか、木林(2−B、つまりうちのクラスの担任だ)よりも早く教室に滑り込むと、俺はあかりと別れて自分の席に着いた。鞄を机の横のフックにかけながら、とっくに席に座っている隣の委員長に声をかける。
「よ。昨日は世話になったな」
「おはようさん」
委員長は、俺と自分の席に座っているあかりを見比べて、くすっと笑った。
「どうやら、納まるとこ、納まったみたいやな」
ドキ
「な、なんのことだ?」
俺が思わず聞き返すと、委員長は肩をすくめて何か言いかけたが、ちょうどその時木林が入ってきた。
「遅れてすまない。ホームルーム始めるぞ」
「あ、はい。起立!」
委員長の声に合わせて、クラスの一日が始まった。
昼休み。
チャイムが鳴ると、俺は立ち上がった。
「浩之ちゃん」
俺の名を呼びながら、あかりが駆け寄ってくる。
「ね、お昼はどうするの?」
「その前にやることあるからな」
「えっ?」
一瞬怪訝そうな顔をしたあかりは、はっと気付いた。
「そっか。姫川さんに……」
「ああ。こういうことは早いところはっきりさせないとな。……なんて、今まで引っ張った俺が言えるこっちゃないけどさ」
俺が言うと、あかりは首を振った。そして、時たま見せる「お姉さんの顔」をした。
「ちゃんと言ってあげないと……って、私が言うのも変だけど……」
セリフの後半は俯いてしまうあかり。俺はあかりの髪をくしゃっとかき回した。
「きゃっ」
「俺の問題さ。あかりが気に病むこっちゃねぇ。んじゃ、ちょっくら行ってくる」
「私も行こうか?」
心配そうにあかり。俺は首を振った。
「いや。それより頼みがある」
「え?」
「カツサンド、買っておいてくれ」
「そう言うと思って、雅史ちゃんにお願いしておいたよ」
あかりは微笑んで言った。俺は頭を掻いた。
「後顧の憂いなしか。んじゃ、行って来る」
「うん」
俺はあかりを残して、教室を出た。
1−Bの教室をのぞき込む。琴音ちゃんの姿は……なし。
「ちょっと」
通りかかった、このクラスの女生徒を呼び止める。女生徒は俺の姿を見ると、くすっと笑った。なんだ?
「あ、藤田先輩。残念でした。姫川さんなら、今はいないですよ」
……うーむ。琴音ちゃんの関係者としてインプットされてるのか、俺は。
「どこに行ったかわかる?」
「さぁ……。中庭か、屋上じゃないですか?」
「そっか。あんがとさん」
俺は踵を返した。
だが、結局中庭や屋上には、琴音ちゃんの姿はなかった。仕方なく、俺は一旦自分の教室に戻った。
「あ、浩之ちゃん」
俺が教室のドアを開けると、めざとくあかりが駆け寄ってきて、心配そうに訊ねた。
「どうだった? 姫川さん……」
そこで口ごもる。多分、泣いてなかった? と続けたかったんだろう。
俺は肩をすくめた。
「残念ながら逢えなかった。放課後また行ってみる」
「そう……」
あかりはうなずくと、とってつけたような笑顔になった。
「それじゃ、お昼ご飯にしよう。雅史ちゃんがちゃんとカツサンド買ってきてるから」
言われて視線を向けると、雅史が戦利品を自分の机に並べて、軽く手を振っていた。
「……そうだな」
俺はうなずいた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴って、放課後になった。
俺は、鞄を肩に立ち上がった。今度こそ琴音ちゃんに逢って言わないと……。
「こら、どこ行くねん?」
後から委員長が俺に声をかけた。
「あん?」
振り返った俺の鼻先に、委員長がモップを突きつける。
「ほら、今日は藤田くん、掃除当番やろ?」
「……そうだっけ?」
「そや。ほらほら、さっさと掃除する!」
「いや、俺は用事が」
「うちやって用事ある。第一藤田くんは掃除好きなんやろ?」
「はぁ? どっからそんなデマが……」
「なにゆうとんねん。春にはマルチと一緒に廊下を掃除しとったそうやない?」
そう言うと、委員長は俺にモップを押しつけて、教室の隅でだべっていた女子を怒鳴りつける。
「ほらほら、そこの! 掃除の邪魔やでっ!!」
……やれやれ。
いきなり出遅れたせいで、1−Bに行ってみると、既に琴音ちゃんの姿はなかった。
俺が教室を見回していると、いきなり名前を呼ばれる。
「藤田先輩」
「は?」
声の方を見ると、昼休みに逢った女生徒だった。ぺこりと頭を下げる。
「すみません、嘘教えちゃって。姫川さん、昼休みはずっと美術室に行ってたそうなんです」
「美術室?」
そういえば、琴音ちゃんって絵を描くのが趣味だって聞いたことがある。本人は恥ずかしがって、その絵を見せてくれたことはないんだが。
「それじゃ、今も?」
「いえ、放課後は美術室は美術部が使いますから。それに鞄持ってさっさと出ていきましたから、もう帰ったんじゃないでしょうか?」
「そっか。サンキュ」
軽く礼を言って、俺は教室を後にした。
いないんじゃしょうがない。明日だな。
どんどん後延ばしにしてるようでなんだか情けないが、逢えないものはしょうがない。
そんなわけで、俺は校門を出た。あかりは気をきかせたのか、さっさと帰ってしまったようだ。
どうすっかなぁ……。
俺はくしゃっと頭を掻いてから、決めた。
こういう時は体を動かして忘れるに限る。というわけで、今日は自主トレにしよう。
パシンと拳で手のひらを打って、俺は裏山に足を向けた。
長い石段を登り切ったところで、俺は足を止めた。
耳慣れた音が聞こえてきたからだ。
バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ
リズミカルな、それでいてキレのある打撃音。
俺は社の裏手に回り込んだ。
思った通り、大木に吊したサンドバックを蹴っていたのは、体操服姿の葵ちゃんだった。
そして、もう一人、思わぬ人の姿があった。
社の縁側に腰掛け、スケッチブックを広げていたのは……。
「琴音……ちゃん」
俺は小さな声で呟いた。
琴音ちゃんも葵ちゃんも、俺が来たことには全然気付いていないようだった。
葵ちゃんは一心にトレーニングを続け、琴音ちゃんはそんな葵ちゃんをスケッチブックに写し取っているようだった。
不意に、葵ちゃんが一歩引いた。そして、サンドバックに向かって身構える。
かと思うと、猛然とラッシュをかける。ギシギシとサンドバックが揺れる。
スパァーーーン
最後に、得意の右回し蹴りを決めて、葵ちゃんはふぅと大きく息をついて、汗を拭った。それから、不意にこっちに視線を向ける。
「あっ、先輩」
「え?」
琴音ちゃんも、その葵ちゃんの声で俺に気付いたらしい。笑顔でぺこりと頭を下げる。
……うっ。そんな罪のない笑顔をされると……。
いかんいかん。こんなことじゃ。
俺は軽く手を挙げると、葵ちゃんに尋ねた。
「葵ちゃん、空手の方はどうした?」
「あ、今日は空手部がお休みなんです。だから、久しぶりに、と思って……」
「なるほど……」
そう言うと、俺は琴音ちゃんの方に向き直った。と、機先を制するように、琴音ちゃんはスケッチブックをパタンと閉じると、縁側から地面に降りた。
「先輩、お昼休みに教室まで来てくれたんだそうですね。すみませんでした」
「あ、いや……」
俺は、ちらっと葵ちゃんを見た。
うーん。どうしたもんかなぁ……。
と、不意に葵ちゃんは言った。
「それじゃ、先輩。私着替えてきますから」
「お、おう……」
葵ちゃんは、スポーツバッグを持って林の奧の方に入っていった。
葵ちゃん、……気を使ってくれたんだろうか?
とにかく、琴音ちゃんに話をしないと。
「あのさ、琴音ちゃん」
「はい、なんですか?」
ほんのりと頬を染めて、上目遣いにこっちを見る琴音ちゃん。
可愛いなぁ……。
っておい! しっかりしろ、藤田浩之!!
俺は心の中で自分に喝を入れると、がばっと頭を下げた。
「ごめん、琴音ちゃん」
「……え?」
「俺、あかりと付き合うから、琴音ちゃんとは付き合えない」
頭を下げたまま、一気にそう言うと、俺は顔を上げた。
「……そうですか」
琴音ちゃんはそう言うと、視線を地面に落とした。
「あの、でも琴音ちゃん、なんていうか……。俺なんかよりもいい男はいくらでもいるって。だから、あんまり思い詰めない方が……」
「……藤田さん」
琴音ちゃんが、不意に顔を上げた。そして、俺に尋ねた。
「神岸さんに、告白したんですか?」
「えっ? あ、ああ……」
「良かったです」
そう言って、琴音ちゃんは微笑んだ。
「琴音……ちゃん?」
琴音ちゃんは、視線を逸らして、町の方を眺めた。そのまま呟く。
「おめでとうございます……」
「……」
「それでは、失礼します……」
琴音ちゃんは、鞄を持って歩き出した。そして、不意に振り返る。
「明日……」
「……え?」
「明日まで、待ってください。そうしたら、きっと……」
その頬を涙が一筋流れ落ちた。
「きっと、笑顔で祝福できますから……」
「琴音……」
「さよならっ」
そう言って、琴音ちゃんは石段を駆け下りていった。
「……琴音ちゃんは、判ってたみたいです」
後ろから、葵ちゃんの声がした。
「え?」
「さっき、話をしてたんです」
制服に着替えた葵ちゃんが、俺の隣までやってきた。
「話って、琴音ちゃんと?」
「はい。琴音ちゃん、言ってました。藤田先輩は神岸先輩とお付き合いするのが一番いいんだって。だから告白したんだって」
「……は?」
俺は思わず聞き返した。
葵ちゃんは、直接それには答えずに、サンドバックに駆け寄った。
「すみません。先にこれ片付けますから」
「あ、手伝うよ」
俺は、枝からサンドバックを外す葵ちゃんに近寄った。
それから、俺は葵ちゃんをヤックに誘った。
真面目で格闘技一直線の葵ちゃんは、入学したばかりの頃は、ヤックにも行ったことがほとんどなかったらしい。流石に、今では、俺がちょくちょく誘ったりするせいで、だいぶ慣れたようで、今日も笑顔で頷いた。
というわけで、俺と葵ちゃんはバリューを前に向かい合って座っていた。
「……で、だ」
俺はコーラのストローをくわえながら、葵ちゃんに訊ねた。ちなみに葵ちゃんの飲み物は「ジュースはちょっと……」というわけで、ウーロン茶である。
「琴音ちゃんのこと、ですね」
葵ちゃんは、こくりと頷いた。
「琴音ちゃん、言ってました。藤田先輩は優しいって。優しすぎるんだって」
「……」
「……琴音ちゃん、藤田先輩のことが好きだって……。でも、やっぱり、藤田先輩には自分じゃなくて、神岸先輩が必要なんだって言ってました。神岸先輩じゃないと駄目なんだって……」
「でも、それじゃなんで琴音ちゃんは……」
「素直にそう言っても、藤田先輩は「はいそうですか」って神岸先輩とお付き合いなさるような方じゃ、ないですよね」
葵ちゃんは、思わず絶句した俺に苦笑すると、言葉を続けた。
「そう言ったのは、琴音ちゃんですよ。……私も、そう言われればそうかな、と思いましたけど」
さすが琴音ちゃん。俺の性格を読んでるなぁ……。
「でも、こちらが真面目にぶつかったら、絶対にちゃらんぽらんな事はしない人だ、とも言ってました。だから、私が告白したら、真面目に考えて、きっと、私じゃなくて神岸先輩と付き合うことに決めるんだろうって……」
……。
「藤田先輩」
葵ちゃんは、俺をまっすぐに見つめた。
「琴音ちゃん、ああ言ってましたけど……」
「……ああ」
俺は頷いた。
「あかりと付き合うことに決めた」
「……そうですか……」
葵ちゃんは俯いた。
「あお……」
「すみませんっ。今日は失礼しますっ」
俺の言葉を遮るように立ち上がると、葵ちゃんはぺこりと俺に頭を下げ、鞄を掴むと、そのままヤックを飛び出していった。
俺は、その後ろ姿を見送って、コーラを飲んだ。
甘いはずのコーラが、やけに苦く感じられた……。
《続く》
喫茶店『Mute』へ
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く