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それはそよ風のごとく 第13話
帰る

 それから1週間後、俺達は住み慣れた我が街に帰ってきた。
 駅で他のみんなと別れ(ちなみに、来栖川姉妹は空港からセバスチャンの運転するハイヤーでお帰りになった)、すっかり日焼けした俺とあかりは、並んでてくてくと歩いていた。
「いろいろあったけど、楽しかったね、浩之ちゃん」
 にこにこしながら、あかりは言った。
「そうだな」
 そう答えながら、俺は空を見上げた。
 夏の長い日もそろそろ終わりかけ、カナカナセミが鳴いている。特に意味はないが、なんとなく物悲しくなる時間帯だ。
 だが、それをぶちこわす声が聞こえてきた。
「ようやく帰ってきたようね、ヒロ」
 俺達の前方、公園の入口に背中を持たれかけさせている人影を見て、俺はくるっと背中を向けた。
「あかり、ちょっと遠回りしていかねぇか?」
「えっ? で、でも……」
「ちょっと待ちなさいよっ!」
 その人影……言いたかねぇが、言うまでもなく志保だ……は、体を起こして叫んだ。
 俺は振り返った。
「やかましい。第一なんでお前が俺達の帰りを待ってるんだ?」
「……ごめん、浩之ちゃん」
 後ろですまなそうにあかりが言って、俺は額を押さえた。
「……そっか、昨日ホテルから電話してた相手は志保か」
「うん。帰りの飛行機の時間、教えてって言ってたから、つい……」
 なるほど、飛行機の到着時刻から逆算して、その上で俺の性格からいって最短距離で家に向かうことまで読んで、このポイントで待ちかまえてたのか。さすがあなどれんヤツ。
「志保ちゃんネットワークから逃げようなんて無理無理よん」
 ちっちっと指を振る志保。
「やかましい。この補習女!」
 ちなみに、この遊び女が沖縄旅行に行けなくなった理由がこれである。
「うっ、うるさいわね。補習はもう終わったわよ! ……っとっと、ヒロと口げんかしに来たんじゃなかったっけ」
 いきなり立ちなおると、志保はにぃっと笑った。
 ……俺の本能が危険信号を発している。こいつがこんな笑い方をしたときは、ろくなことがねぇ。
「何か、たくらんでるな、おめぇ」
「べっつにぃ〜。ただぁ、すっぺしゃるなゲストをご紹介してあげようと思っただけよぉ」
「すっぺしゃるなゲストだぁ? なんじゃそりゃ?」
 不覚にも、一瞬興味を持ってしまった。
 案の定、俺が興味を持ったことで勝ちを確信したらしく、志保はさらに笑みを広げた。
「だれでしょぉ?」
「うるせぇ。俺は旅行帰りで疲れてるんだ。さっさと言え」
 俺はそう言いながら、一歩踏みだしかけた。その瞬間だった。
「えーいっ!!」
 ドシン
 いきなり、後ろから体当たりされて、俺はその場につんのめって無様に倒れた。
「いてぇ! てめ、この志保!」
 叫んでから気付いた。志保は俺の前方3メートルにいる。いくら志保でもこの状態で後ろから体当たりはできないだろう。
 それに、この感覚は覚えがある。
 俺は倒れたまま振り返った。その俺の視界に飛び込んできたのは……。
 赤いサンダル、原色のハイソックス、きゅっとしまった膝、白くて柔らかそうな太股、黒いパンティ……。
 ……ま、まさか!?
 さらに視線を上げる。
 青いミニスカート、濃い茶色のタンクトップ、それを押し上げている見事なボリュームの胸……。
 そして……、ポニーテールにした金髪と、大きな青い瞳。
「Hi、ヒロ! それから、アカリ。久しぶりネ!」
「レミィ!?」
 俺と、そしてあかりの驚愕の視線を受けて、レミィ……宮内レミィは、コケティッシュな笑みを浮かべていた。

「いつ帰ってきたんだよ、おい?」
「つい最近ネ」
 普通なら、喫茶店でだべるところだろうが、俺もあかりも疲れてる、ということで、俺達は俺の家に場所を移すことにした。
「お待たせ。ごめんね、缶ジュースで」
 あかりが、ジュースを入れたコップを盆に載せて、応接間に戻ってきた。
 親父とお袋がおらず、俺も旅行に出かけてたおかげで、我が藤田家は2週間ばかり誰もいない状態だった。当然その冷蔵庫に麦茶が入ってるわけもない。
 幸い、非常用にと思って買っておいた缶ジュースが冷蔵庫の奥に転がっていたらしい。しかし、あかりのヤツよくそんなことまで気が付くもんだ。
 俺がそう思ってると、志保がにまぁっと笑ってあかりをからかった。
「もうすっかりヒロの若奥さんって感じねぇ、あかりってば」
「や、やだぁ、志保ったらぁ」
 あかりは真っ赤になって台所に逃げ込んでしまった。ったく、この野郎は。
「でも、せっかくヒロに逢えると思って楽しみにしてたら、ヒロ、旅行に行っててがっかりデス」
 レミィがしゅんとして言った。俺は苦笑した。
「悪かった。でも、連絡くれれば……って、連絡付かなかったか?」
 レミィはふるふると首を振った。
「付けようと思えば付けられたデス。でも、いきなり帰って脅かそうと思ってたデス」
「それじゃ、成功したじゃねぇか。さっきはビックリしたぜ」
 俺が言うと、レミィは嬉しそうに笑った。タイミング良く、あかりが盆にクッキーを盛って戻ってくる。
「はい、志保。沖縄みやげの黒砂糖クッキーだよ」
「サンキュー、あかり。それにくらべて……」
 早速、その黒砂糖クッキーとやらを口に運びながら、俺をじろっと見る志保。と、その顔がいきなり引きつった。
「……〜〜〜!!」
「し、志保? ど、どうしたの?」
「Oh! ワンダフル」
 慌てておろおろするあかりと、楽しそうにはやし立てるレミィの間で、志保は胸をドンドンと叩くと、次いで目の前にあったジュースをぐいっと飲み干した。それからひとしきり咳き込んでから、俺を睨む。
「どうせヒロでしょ、こんなクッキーあかりに買わせたのはっ!」
「違うな。それは俺がお前のために買ってきてやったおみやげだ。歓喜の涙を流しながら食するがいい」
 俺は偉そうにふんぞり返って言った。ちなみに、あかりは「沖縄限定パイナップルハイ○ュウ」と、「沖縄限定黒糖Hi−S○ft」の詰め合わせを買っていたはずだ。
 と。
 ピンポーン
 チャイムが鳴った。
「あ、誰か来たみたい」
 言わなくても判ることを言って、あかりが立ち上がった。俺は慌ててそれを制する。
「いいって。第一俺の家だぞ。あかりが出てどうするんだ?」
「あ、そっか」
「さすが若奥さんねぇ〜」
 いつの間にか黒砂糖クッキーから立ち直った志保が、またあかりをからかった。
 真っ赤になっているあかりをとりあえずその場に残して、俺は玄関に出た。
「はぁ〜い」
 ドアを開けると、そこには小柄なメイドロボが立っていた。俺の顔を見て、満面の笑みを浮かべると、ぺこっとお辞儀をする。
 こんなに表情が豊かなメイドロボなんて、一人しかいねぇ。
「おや、マルチじゃねぇか。メンテは終わったのか?」
「はいっ、もう終わりました」
 マルチは空港から真っ直ぐ来栖川の研究所にメンテナンスのために戻っていった。本人は俺達に付いて来たがっていたのだが、例のスーパーモードの使用とか、いろいろと無茶をしたくせに、整備一つしてなかったから、それを心配した綾香が、まず研究所に行くように命令したのだった。
 ……って、ちょっと待て。マルチがどうして俺の家に来るんだ?
 俺が聞いた話だと、マルチは一旦廃棄されかけたんだが、芹香先輩が誕生日のプレゼントとしてもらいうけて、自分のメイドロボとして使うことになったのだそうだ。ちなみに綾香はセリオをもらったそうだ。
 だから、マルチの主人は芹香先輩ってことになるんだ。
 俺はとりあえずマルチの頭を撫でてやりながら、訊ねた。
「それにしても、どうしたんだ? あ、何か忘れ物をしてたのを届けに来たのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
 なぜかぽっと赤くなってもじもじしているマルチ。
 と。
「せんぱーい!」
 俺を呼ぶ声がして、俺は顔を上げた。
「あれ? 葵ちゃん、それに琴音ちゃんも」
 二人が、てくてくと歩いてくる。……?
 何となく違和感を感じて、俺はちょっと考えた。そして気付いた。
 二人は、浴衣姿だったんだ。
 そういえば、沖縄に行ってすっかり地元のカレンダーを忘れていたけど、今日は夏祭りだっけ。
 俺が思いだしている間にも、二人は俺達の前にやって来ると、礼儀正しく頭を下げた。
「こんにちわ、先輩。それにマルチちゃん」
「こんにちわ」
「よっ」
「こんにちわ、松原さん、姫川さん」
 俺達が挨拶していると、奥からあかりが顔を出した。俺がなかなか戻ってこないので心配になったらしい。
「どうしたの、浩之ちゃん。お客さんなの? ……あら、姫川さん、松原さん、それにマルチちゃん。いらっしゃい」
「……こんにちわ、神岸さん」
「……」
 一拍置いて葵ちゃんが挨拶し、琴音ちゃんは無言で頭を下げた。マルチだけは屈託なく「こんにちわぁ〜」と頭を下げている。
「ええかげん、はっきりさせた方がええんちゃうか?」
 後ろから言われて、俺は肩をすくめた。
「ほっといてくれ……って、委員長!?」
 振り返ると、これまた浴衣姿の委員長が、団扇を片手に俺をじろーっと見ていた。
「な、なんだよ」
「どうせ藤田くんのことや。お祭りに行くやろうなって思ってな。一人で行ってもつまらんさかい、ふらっと寄ってみただけや。それにしても、とんだ修羅場やなぁ」
「そうよねぇ。どうしてこんな奴がもてるんだか」
「うちも不思議やねん」
 ……俺は、どこから志保が湧いて出たのかの方が不思議なんだが。
 あかりはというと、葵ちゃんと琴音ちゃんの格好を見て、今日がお祭りだと思い出したらしい。
「そっか、今日はお祭りだったんだね。ああっ、急いで帰って着替えなくちゃ! 浩之ちゃん、ごめんねっ!」
 慌ててつっかけを履いて、パタパタ走っていくあかり。どうでもいいけど、荷物を俺の家に置きっぱなしなの、わかってるのかねぇ?
 俺と同じようにあかりを見送った委員長が、苦笑混じりに俺に言った。
「ほなら、藤田くんの家に上がらしてもらえへん? どっちにしても神岸さんが戻ってくるまで、うちらだけでお祭りに行くわけにもいかんやろ?」
「俺はそうだけどさ、委員長達は別に俺達を待ってなくても……のぉーーーっ!」
 言いかけたところで、したたか足を踏まれて、俺は思わず飛び上がった。
「どうしたんですか、先輩?」
「い、いや、なんでもない」
 俺の悲鳴にこっちを見た葵ちゃんと琴音ちゃんに軽く手を振ってから、俺は肩をすくめた。
「わかったわかった。そんなに休憩したいんなら、上がって行けよ」
「……ほんに、神岸さんの苦労がわかるわなぁ」
「そうでしょ、そうでしょ?」
 志保、そこでなんでそんなに嬉しそうな声を出すんだ?

「いろいろあったけど、楽しかったね、浩之ちゃん」
 にこにこしながら、あかりは言った。
「そうだな」
 そう答えながら、俺は夜空を見上げた。……それから、なんとなくデジャビューを感じて、振り返る。
「どうしたの?」
 団扇を片手にした、浴衣姿のあかりが、俺をきょとんとして見る。
「なんでもねぇよ」
 俺は、肩をすくめた。
 結局、花火大会を見てからみんなそこで自然解散となり、俺とあかりは二人で帰途についているわけだ。
 あ、そうだ。
「あかり、おめえ俺の家に荷物置きっぱなしだろ。どうすんだ?」
「え? あ、そうだった」
 ぺろっと舌を出すと、あかりは上目づかいに俺を見た。
「ねぇ、今から浩之ちゃんの家に行ってもいいかな?」
「そりゃ、家にゃ誰もいねぇからかまわねぇけど、お前の家の方はどうなんだ?」
「うん……。大丈夫だよ。今日は……」
 そこで、あかりは声を小さくして呟いた。
「このまま友達の家に泊まりに行くって……言っておいたし……」
 俺は、わざとらしく言った。
「おーお、この不良娘がぁ。親を騙して外泊かぁ?」
「……意地悪」
 あかりは、真っ赤になった顔を団扇で隠した。

《まだ続く》

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