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それはそよ風のごとく 第14話
葵ちゃんと綾香と新学期の始まり
あっという間に夏休みの残りも過ぎ去っていった。そして、いよいよ今日から2学期の到来である。
「ふわぁ」
俺は大きな欠伸をしながら、通学路を歩いていた。
「眠そうだね、浩之ちゃん」
「まぁなぁ。夕べ遅くまで夏休みの宿題やってたもんでな」
「あれ? まだ宿題残ってたの?」
あかりが「だめじゃない、もう」と言いたげな表情で、俺の顔を覗き込んだ。
確かにそう言われても仕方ない。でも、やっぱり夏休みの宿題は8月31日にまとめてやるものだ。
「ハァイ、ヒロユキ!」
不意に後ろから声がした。俺は振り返って、2、3度瞬きし、それから苦笑した。
「悪い冗談だぜ、レミィ」
「ジョーク? 何で?」
きょとんとしたレミィの格好はというと、うちの学校の制服姿だったのだ。さすが外国産、でかい。……じゃなくて、
「おめぇ、夏休みに遊びに来ただけじゃなかったのか? それがどうしてうちの高校の制服を着て、あまつさえ登校時間に通学路を歩いているわけだ、あん?」
「だって、アタシまたヒロ達のハイスクールに通うことになったネ」
あっけらからんと言ってのけるレミィ。かくんと顎を落とした俺。
あかりはのんびりと喜んでいる。
「そうだったんだぁ。これからもよろしくね、レミィ」
「オッケイアカリ、これで竹馬の友ね」
「ちくわ?」
あかりが小首を傾げていると、後ろから委員長の声が聞こえてきた。
「ええかげんにせぇよ! どいつもこいつもっ!!」
俺達が怒られたのかと一瞬首をすくめかけたが、振り返ってみると、委員長は気の弱そうな下級生の男子生徒を怒鳴りつけていた。
……なんなんだ?
委員長は関西系だから、ところかまわず喧嘩をふっかけてるように見られがちだが、その実、意味もなく怒ることはない。第一、のべつくまなしに喧嘩をふっかけるような奴が、委員長なんてやってられるわけがない。
とすると、あの下級生、委員長に怒られるようなことをしたわけだな。
なら、ほっとくのが一番だ。……と俺が結論付けていると、あかりが委員長に声を掛けていたりする。
「おはよう、保科さん」
「うん? ああ、神岸はんか。おはようさん。ええか? 今度言ったら、本気ではったおすで」
もちろん、後半の台詞は例の気の弱そうな男子生徒を怒鳴りつけたもんだ。
「で、でも……」
「やかまし!」
委員長が怒鳴って右手を振り上げると、その男子生徒は慌てて学校のほうに逃げていった。
それを見送ってから、委員長は疲れたように肩をすくめた。
「ったく、新学期早々たまらんなぁ……」
「どうしたの、保科さん? あ、話したくないんなら別にいいんだけど……」
遠慮がちに訊ねるあかり。
「どうもこうもあらへん。全部あのスピーカー女が悪いんや」
「志保がなにかしたの?」
偉いぞあかり。スピーカー女=志保と、ちゃんと認識してるわけだな。
「……まぁ、神岸はんに言ってもしゃぁないからな」
委員長は肩をすくめると、あかりの背中をパンと叩いた。
「ほれほれ、早う行かんと、遅刻してまうで」
「そ、そうだね」
「オッケイでぇす」
あかりとレミィは、委員長に急かされるように歩き出した。俺もその後に続いた。……学校に行かないわけにはいかないだろう?
2学期の初日は、始業式とホームルームだけで終わったので、俺はさっさと学校を出た。と言っても帰るわけじゃない。
「あっ、藤田先輩!」
俺が石畳を登ってくると、もうサンドバッグを樹にぶら下げて準備をしていた葵ちゃんが、笑顔で駆け寄ってきた。
「お、さすがに早いな」
「いえ、そんな……」
「とりあえず、いちゃつくのは後にしてくれる?」
俺の後ろから声がして、葵ちゃんが慌てて離れる。
俺は振り返った。
「誰かと思えば、葵ちゃんの崩拳で派手に負けた坂下じゃねぇか」
「……ふん」
怒って突っかかってくるかと思ったが、坂下は眉をピクッと動かしただけだった。むぅ、さすがだ。
「坂下先輩、あの時はどうもすみませんでした」
葵ちゃんがペコリと頭を下げる。坂下は肩をすくめた。
「あれは、双方遺恨を残さないことって決めてたでしょ。それに、あたしも慢心してたことが判っていい勉強になったわ。ま、次はこうはいかないけどね」
「はいっ」
葵ちゃんはこくりとうなずいた。よしよし、坂下を相手にしても、全然気後れしてないようだな。ま、綾香みたいに相手を挑発するまでいかないのは、性格ってやつだろう。
「それより、どうしたんだ? おめぇもエクストリームする気になったのか?」
俺が訊ねると、坂下はうっとおしそうに俺をジロッと見た。
「藤田くんには用はないわ。あたしが用があるのは、葵だけよ」
「私に、ですか?」
「そう。葵に頼みがあるの」
坂下は、葵ちゃんに向き直った。
「葵、少しの間でいいから、空手に戻ってきてほしいの」
「えっ?」
思わず聞き返す葵ちゃん。俺は肩をすくめた。
「おいおい、それはこないだの試合で終わった話だろ?」
あの試合は、元はと言えば坂下が葵のエクストリーム転向を認める認めないって話から発生したものだったのだ。その結果、坂下は葵ちゃんの秘密兵器だった崩拳に敗れ、エクストリームを認めることになったわけで。
「ええ。だから、少しの間でいいからって言ってるの」
「それは、話が違うだろ?」
「わかってるわ。でも……」
次の瞬間、俺は仰天した。いきなり坂下がその場に土下座したのだ。
「この通り。お願い、葵」
「さ、坂下さん、そんな、立ってください」
おろおろしながら、葵ちゃんは坂下の前に屈み込んだ。
「とにかく、訳を話せよ。おめぇがそこまでするってことは、何か訳ありなんだろ?」
とりあえず、俺はそう言った。
「つまり、来月の試合に、葵ちゃんに出てくれと、そういうわけか」
「ええ」
坂下はうなずいた。
「出るはずだった先輩が、夏休みに交通事故に巻き込まれて重傷を負ったの。それで、選手が足りなくなって……」
「女子空手部の中でやりくり付ければいいじゃねぇか」
「この試合は、負けるわけにはいかないのよ」
坂下は、じろっと俺を見て言った。
「全国大会の予選会を兼ねてるんだから」
「つまり、おめぇのところの補欠よりも、葵ちゃんの方が強いってわけだ」
「……そうよ」
思いっ切り悔しそうな顔をしながらも、坂下はうなずいた。
「で、その先輩とやらが復帰するのはいつだ?」
「11月までには戻って来るって」
「9月と10月、2ヶ月間のレンタル部員ってわけか……」
俺は、葵ちゃんに視線を移した。
「どうする、葵ちゃん?」
「……」
俯いて考えていた葵ちゃんは、俺に、それから坂下に視線を向けた。そして、こくりとうなずいた。
「判りました。私でできることなら、お手伝いします」
「そう。よかったわ」
「おい、葵ちゃん! マジか!?」
俺は、てっきり葵ちゃんが断ると思ってたから、驚いた。
葵ちゃんはうなずいた。
「坂下先輩には、色々とお世話になってますから。それに、ずっとじゃないですよ。2ヶ月の間だけです」
「でもよ……」
「それじゃ、葵と顔を合わせるのは、空手の大会ってことになるのね」
いきなり、別の声がした。俺達は振り返った。
鳥居のところに、寺女の制服を着た綾香がいた。
「綾香さん!?」
素っ頓狂な声を上げると、葵ちゃんは綾香に駆け寄って頭を下げた。
「ごめんなさい、綾香さん! でも、私、エクストリームを止めるとかそういうわけじゃなくて……」
「わかってるわよ」
綾香は、葵ちゃんの頭を軽くポンと叩くと、笑みを浮かべた。
坂下が、歩み寄る。
「ちょっと、綾香。あなた、今妙なこと言ったわね」
「そうかしら?」
「ええ。「葵と顔を合わせるのは、空手の大会になる」って……」
「ああ、それね。私もちょっと頼まれてね」
綾香はぺろっと舌を出した。
「頼まれたって、まさか……」
「ええ。西音寺女子高校空手部のピンチヒッターを頼まれてるのよ。断ろうかなと思ってたけど、葵が出るとなりゃ、話は別ね」
そう言うと、綾香は右手をブンブンと振り回した。
「さぁて、型なんてすっかり忘れちゃったからなぁ。一からやり直しね」
「あ、あの、綾香さん」
葵ちゃんが呼びかけた。綾香は振り返った。
「なに、葵?」
「……私、負けません」
おお、あの葵ちゃんが、綾香に向かって言い切ったぞ。
綾香も、にっと笑った。
「それは、私のセリフよ」
綾香と坂下が(なんでも、何か話があるとかで)連れだって石段を下りてくのを見送ってから、葵ちゃんは俺の方に向き直った。
「先輩……、どうしましょう」
「へ?」
いきなり、葵ちゃんは青くなって震えていた。
「私、なんだかすごいことを綾香さんに向かって言ってしまって……」
今頃反動が来たらしい。
ま、対決してるときにガタガタになってたあの頃にくらべりゃ、ずっとマシってもんだな。
俺は、葵ちゃんの肩に手を置いて、言った。
「心配するなって。綾香が空手止めてからずいぶんになるんだろ? 葵ちゃんは、今年の春までは空手をやってた。その分、葵ちゃんの方が有利だって」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。それに、実際に空手をやってる坂下にだって勝ったんだぜ。楽勝楽勝」
俺はわざと明るく言って、葵ちゃんの背中をパンパンと叩いた。
「先輩……。そうですね」
葵ちゃんも、やや表情を明るくして、うなずいた。
「先輩、私頑張ります!」
「よっし、頑張れっ!」
「はいっ!!」
「ってわけで、しばらくエクストリームはお休みってことになったんだ」
夕飯を食いながら、俺はあかりに説明した。
「松原さんも、大変だね」
「まぁな。でも、葵ちゃんは根性あるから、なんとかなるだろ。葵ちゃんに欠けてるのは神経の図太さだけだからな。志保の図太さの十分の一でもあればなぁ」
「浩之ちゃんったら。志保が聞いたら怒るよ」
そう言いながら、あかりはご飯をよそってくれた。
「でも、今更だけどホントにいいのか? 毎日夕飯俺のところで食ってて。お前んとこのおばさんとかおじさんとか、何も言わないのか?」
「うん、大丈夫だよ。お母さんもお父さんも、いいって言ってくれてるし」
あかりは平然としたもんだ。ま、あかりがそう言うんなら、それでもいいけどさ。
《続く》
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