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それはそよ風のごとく 第7話
旅立ち

「ねぇ、ヒロ。この人誰よ?」
 志保が俺の耳に口を寄せて、ひそひそ声で訊ねた。あかりもきょとんとして俺と綾香を見比べている。
 そういえば、初対面だっけ、こいつらは。
「ああ、紹介するよ。この寺女の制服着てるのは、来栖川綾香。こっちは神岸あかりと長岡志保。俺の同級生なんだ」
「そうなの。よろしくね」
 にこっと笑うと、綾香は俺の隣に座った。
 志保があいかわらずひそひそ声で訊ねた。
「ちょっと、来栖川って、もしかして?」
「そ。こいつが、芹香先輩の妹だ。ついでに言うと、エクストリーム高校女子チャンピオンでもある」
「あ、初めまして、神岸あかりです」
 あかりは、慌てて立ち上がると、頭を下げた。志保もそれにならう。
「長岡志保です。志保ちゃんって呼んでください」
「誰が志保ちゃんだ?」
「うっさいわね、ヒロは黙っててよ。ジャーナリスト志望のこの志保ちゃんとしては、有名人と知り合いになっておくってのは、将来の人脈作りにおいて大切なんだから」
 小さな声でそう言うと、志保はへらへら笑いを綾香に向けた。俺はこめかみを押さえた。
「すまん、綾香。こいつは無視してくれ」
「なによぉ、それはぁ?」
 むっとする志保に、綾香はぷっと吹き出した。
「あははは〜、藤田くんのお友達って面白いのねぇ」
「あのなぁ」
「それよりも」
 綾香は俺に訊ねた。
「マルチが出かけたみたいだったけど、姉さんになにかあったの?」
「まぁな」
 俺が言葉を濁すと、綾香は腕組みした。
「何よぉ。男が隠し事なんて見苦しいぞ」
 そういえば、こいつは葵ちゃんが幽霊に襲われたことは知ってるんだっけ。だったら、話してもいいか。
「芹香先輩が、例の幽霊のお祓いをやったんだよ」
「例のって、……ああ、葵が掴まったって言ってたあれね」
「そう。マルチはその道具をうちの学校まで持ってきたんだよ」
「へぇ。それで、うまくいったの?」
「ええっと……」
 オレはちょっと言い淀んだ。確かにこれで幽霊は出なくなったと思うんだが……。

 かいつまんで事情を説明すると、綾香は腕を組んでうなずいた。
「ふぉっふぁぁ。ふぉぉふるふぉ……」
「……いいから、しゃべる前にそのハンバーガー全部食え」
 オレが言うと、綾香もその通りだと思ったか、くわえていたハンバーガーをむしゃむしゃと食べて、残りをコーラで流し込んだ。
 しかし、これがあの来栖川財閥のお嬢さまで芹香先輩の妹とは思えんなぁ。
 そんなことをオレが思っている間に、綾香はさっきと同じように、腕組みをして空中を見上げた。
「そっかぁ。そうすると、その何とかって人が戦死した場所に行かなくちゃならないわけね?」
「まぁ、そうなるな」
「で、どこなのよ、それ?」
 綾香に聞かれて、オレははたとそれを聞いてなかったことに思いあたった。
「あ、そう言えば聞いてなかった」
「……」
 綾香と、ついでに志保までオレをじとーっと見ている。
「だ、だってしょうがねぇだろ。あの時はあんなことがあったんだし」
「ま、いいけど」
 ため息をつくと、綾香は立ちあがった。ちなみにトレイの上のハンバーガーやポテトは奇麗に食べ尽くしている。
「今日は葵も来ないだろうし、藤田くんも忙しいみたいだし、あたしはこれで帰るわ」
 そう言いながら、綾香は一瞬、あかりに視線を向けた。そして、にこっと笑って手をふる。
「それじゃね、藤田くんに神岸さん」
「あ、はい」
 慌ててぺこりと頭を下げるあかり。
 そのまま、綾香は階段を降りて行った。志保が膨れる。
「ヒロはともかく、あかりに挨拶して、この志保ちゃんには挨拶無し? いい度胸してるわねぇ」
「当たり前だろ」
 オレは肩をすくめた。だが、志保はおさまらないらしく、拳を突き上げてオレに詰め寄る。
「馬鹿にしてると思わない? エクスカイザーだかなんだか知らないけど……」
「エクストリームよ」
「そ。そのエクストリームのチャンピオンだかなんだか知らないけどさぁ……」
 言いかけて、志保は硬直した。そのままギギィッと振り返ると、綾香がにこにこしながらそこに立っている。
「ごめんねぇ、あたしのトレイ、片づけるの忘れててさ」
 そう言って、綾香は自分のトレイをひょいっと取ると、固まったままの志保の耳もとで言った。
「もひとつごめんなさいね、長岡さん。いい度胸してて。それじゃ、ごめんあそばせ」
「は、はい、ご機嫌よぉ……」
 引きつった笑い顔を浮かべて答える志保にウィンクすると、今度こそ、綾香は階段を降りて行った。
 その姿が見えなくなってから、大きく息をついて机に突っ伏す志保。
「あの人、怖いよぉ」
「おまえが間抜けなだけだろうが」
 オレはきっぱりと言った。
 ヤクドで志保と別れて、俺とあかりは並んでゆっくりと歩いた。出来るだけあかりに合わせてやったら、こんな速度になってしまうわけだ。
 もう陽が暮れかかっていて、通り道の公園は茜色に染まっていた。
 そんな中、あかりが不意に言った。
「……ねぇ、浩之ちゃん」
「なんだ?」
 オレが聞き返すと、あかりは何か言おうとして、やめた。それから微笑んだ。
「……ありがとね」
「……ばーか」
 オレは苦笑した。
「……でも、可哀相だよね」
「あん? ああ、幽霊の人か?」
「うん……」
 そう呟くと、あかりは視線を落とした。
「あたしも、もし浩之ちゃんが殺されちゃったら……」
「何、縁起でもねぇこと言ってるんだよ」
 オレは、あかりの髪をくしゃっと掻き回した。
「きゃっ」
 悲鳴を上げて身をすくめたあかりを、オレは抱き寄せた。
「ひ、浩之ちゃん?」
「心配するなって。おまえよりも先にくたばるようなドジは踏まねぇよ」
「……うん」
 あかりは、こくんとうなずくと、そのまま体の力を抜いて、体重をオレに預けてきた。
 夕焼けの中、オレとあかりはそのままの姿勢でじっとしていた。
「……浩之ちゃん。夕御飯、何が食べたい?」
「おまえ」
「え?」
「ばーか。冗談だよ」
「……いいよ
 翌日の昼休み。
 事件の関係者……オレ、あかり、葵ちゃん、琴音ちゃん、(なぜか)志保は、芹香先輩に呼ばれて、オカルト研の部室に集まっていた。
 昼間だっていうのにカーテンを引いているため薄暗い部屋の中。あかりは心細げに俺の制服の袖をぎゅっと握ったまま離さないし、志保は志保でおどおどきょろきょろしている。
 オレはというと、芹香先輩の儀式になんどか付き合ってるので、それほどではないとは言え、やはりあまり気持ちのいい場所ではない。
「で、何の用なんだい? 俺達を集めて」
 わざと明るい声で尋ねるオレに、芹香先輩は、静かな声で答えた。
「……」
 静かすぎて良く聞き取れないのが玉に傷だが。
「え? ごめん、よく聞こえなくて……。え? 幽霊の恋人の居場所がわかったって? やったじゃないか。偉いなぁ、先輩は」
 オレが誉めると、先輩はポッと赤くなってうつむいた。
「で、どこなんですか?」
 琴音ちゃんが訊ねた。芹香先輩はぼそぼそと言った。
「なんて言ったの?」
 聞き取れなかった志保が聞き返すと、琴音ちゃんが向き直った。
「沖縄だそうです」
「沖縄って、沖縄?」
「他に沖縄なんてねぇだろうが」
 オレが言うと、志保はむっとしてオレに視線を向けた。
「別にヒロには聞いてないわよ」
「はいはい。悪うございました」
 オレと志保の口喧嘩を無視して(というより、慣れっこになっているので何とも思ってないんだろう)あかりが芹香先輩に訊ねた。
「それじゃ、来栖川さんは沖縄まで行くんですか?」
「……」
「そうしなければ、幽霊さんとの約束が果たせませんから、と言ってます」
 律儀に通訳する琴音ちゃん。
 それから、芹香先輩はオレ達をくるっと見まわして、また小さな声で言った。
「……」
「よろしければ、皆さんにも来て頂きたいのですが、と言ってます」
「……は?」
 思わず俺は聞き返した。先輩は目を伏せて言った。
「……」
「え? 一人じゃ心細いから? 旅費は全部こちらで持ちますからって?」
 くぅー、可愛いぜ!
 しかし、いくらなんでも全部出してもらうわけにもいかないよなぁ。
「でも……」
 と言いかけたオレの口が後ろから塞がれた。
「ありがとーございますぅ〜。いやぁ、さすが先輩、太っ腹! この長岡志保ちゃん感謝感激雨霰って感じです!」
 オレの口を塞いで一方的にまくし立ててるのは、言うまでもなく志保である。
 オレはその手を振り解いて振り返った。
「おい、こら!」
「ちょっと、ヒロ!」
 志保はこそこそっと言った。
「この際だから、素直に招待は受けなさいよ」
「馬鹿やろう! いくらなんでもオレ達全員招待なんてムチャクチャじゃないか! 常識で考えろ常識で!」
「来栖川に常識が通じると思ってんの? それじゃヒロ、ためしにお小遣いいくらもらってるか聞いてみなさいよ」
「おう。先輩、ひとつ聞きたいんだけど」
 オレは先輩に向き直った。
 「なんでしょうか?」と聞き返す先輩に、オレは尋ねた。
「先輩はお小遣いっていくらもらってるの?」
「……」
 先輩は小首を傾げた。どうやらお小遣いというのが良く判らなかったようだ。
 オレは肩をすくめると、声をかけた。
「セバスチャンのおっさん、いるんだろ?」
「お呼びでしょうか、藤田さま」
「きゃぁ!」
 志保が派手な悲鳴を上げたのは、いつの間にか志保の真後ろにセバスチャンがいたからだ。
 オレもちょっとビックリしたが、びびったらしい志保があかりの影に隠れてるのを見て、多少すっとした。セバスチャンに訊ねる。
「なぁ、聞きたいんだけどさ、芹香先輩って小遣いどれくらいもらってるの?」
「そうですなぁ……」
 セバスチャンの返事を聞いて、俺は自分が哀しくなってしまった。ちなみに、セバスチャンの給料が芹香先輩のお小遣いの一部から支払われているとだけ言っておこう。
 オレは、結局先輩に甘えさせてもらうことにした。
 それから1ヶ月あまり。明日から夏休みである。
 結局、沖縄に行くのは夏休みに入ってから、ということになってしまった。
 というのも、GWが過ぎてしまうと、夏休みにはいるまで祝日もない。土日だけで沖縄に行く、なんて強行軍をしてもその幽霊の人が成仏してくれるかどうかわからない、という理由で、長い休みが必要だったからだ。
 そんなわけで、オレ達は学期末テストをなんとか突破し、いよいよ明日から沖縄に行くことになった。
 ……約1名を除いて。
 くくっ。
 答案を握り締めて、真っ白に燃え尽きていた志保を思い出して、オレが含み笑いをしたとき、電話が鳴り出した。
 トルルルル、トルルルル、トルルルル
「はいはい」
 オレは玄関に出ると、電話を取った。
「もしもし、藤田くん?」
 上がり調子のイントネーションでオレの名前を呼ぶのは、一人しかいない。
「お、委員長か?」
「そやけど、……ほんまに、ええん? うちを誘ったりして」
 志保が脱落して、1人分席が空いたので、委員長を誘ったというわけだ。雅史を誘っても良かったんだが、あいにくサッカー部の合宿があるらしい。
「ああ。まぁ、純粋に遊びに行くってわけじゃないけど」
 話をしたときに、一応目的も話しておいた。
「それやけど、ホンマの話なん? 幽霊の恋人を探しにいく、やなんて」
「それが、信じられないだろうけど、ホントなんだ」
「そっか。ま、ええわ。うちも予定なかったし、世話んなるわ」
「ああ。急に話持ち掛けて悪かったな」
「ええって。ほなら、明日の9時に駅前集合でええんやな?」
「ああ。旅費とかその辺りは、全部向こうが持ってくれるから」
「わかった。ほな、おやすみ」
「おやすみ」
 カチャッ
 オレが受話器を置いて戻ろうとしたときに、不意に電話がまた鳴り出した。
 トルルルル、トルルッ
 オレは受話器を取った。
「はい、藤田です」
「あ、浩之ちゃん?」
「なんだ、あかりか。どうした?」
「あのね、明日の用意なんだけど、水着なんかもやっぱりいるかなぁ?」
「そりゃ持って行くにこしたことはねぇけど……」
 あかりの水着かぁ……。
「もしもし?」
「ん? あ、悪りぃ。持って行くことにしようぜ」
「うん」
 妙に弾んだ声で答えるあかり。
 それから、オレとあかりは明日の用意の事など、色々と30分ほど話しをしていた。

《続く》

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