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それはそよ風のごとく 第6話
続・急転直下

 左右に別れた人垣の間からしずしずと現れたのは、マルチと芹香先輩だった。
 その芹香先輩の服装を見て、オレは納得した。
 なるほど、マルチが芹香先輩に届けにきたってのは、これだったわけだ。
 白い衣に、緋色の袴。そう、芹香先輩は、いわゆる巫女さんスタイルだったのだ。
 と。
 ドテェン
「あうぅぅぅ」
 芹香先輩の前を歩いていたマルチが、いきなり何もないところでつまづいて派手に転んだ。その場に漂いかけた荘厳な雰囲気はぶちこわしだ。
「あうっ。……す、すみませぇ〜〜ん」
 別にだれも何も言ってないのだが、とりあえず謝ってしまうのがマルチらしいが、それはさておき。
 オレと葵ちゃんは先輩に駆け寄った。
「先輩! あかりの奴が幽霊に……。え? 判ってるって? それじゃ、もしかして、今からお祓いをするの?」
 先輩は、こくんとうなずいた。
 いつもの儀式用正装もいいけど、こういう巫女さんの服を着せても似合ってしまうなぁ。さすが。
 と、不意に先輩はぽっと赤くなると、俯いてぽそぽそと言った。
「え? あまり見ないで欲しいって? あ、ごめんごめん」
 オレが頭を掻いて謝ると、先輩はあかりの方に向き直ると、「それでは、始めます」と言った。

 シャッ、シャッ
 軽く御幣を左右に振ってから、先輩は小さな声で何か言いはじめた。多分、何かの呪文なんだろうと思うけど、オレには何を言ってるのかよくわからなかった。
 と、今まで黙ってオレ達のすることをただ見ていたあかり(に取り憑いた幽霊)が、不意に動きだした。まっすぐ先輩に向かって近づいていく。
「危ねぇ、先輩!」
 オレがとっさにあかりと先輩の間に割って入った。先輩を背中にかばって、あかりに向かって叫ぶ。
「やめろ!」
 あかりは、オレをじろっと見ると、右手を上げて、手のひらをこちらに向けた。その小さな手のひらが、不意にだぶって見えた。
「え……?」
 次の瞬間、オレの体は、後ろに吹っ飛ばされた。先輩のすぐ横をかすめ、そのまま廊下の壁に背中からぶち当たった。
 ……っていうのは、後から判ったことで、その瞬間オレには何があったのか判らなかった。判ったことと言えば、一瞬であかりの姿が遠くなって、背中に衝撃と激痛が走ったことだけだった。
「はわわぁ〜、藤田さぁん!!」
「せんぱぁい!!」
「ヒロッ!」
 マルチと葵ちゃんとその他一名(今までいた事を忘れていた)の声が、遠くで聞こえたような気がした。目の前がそのまま暗くなっていき、意識がフッと消えかけた。

「浩之ちゃ〜ん、どこにいるのぉ〜?」
 あかりが泣いている。
 泣きながら、オレを捜している。
「ふぇ〜〜ん、どこにいるのぉ〜?」
 あのときの情景だ。そう、昔、オレが近所の遊び友達と示し合わせて、かくれんぼの鬼になったあかりを置いてきぼりにした、あのときの。
「でてきてよぉ〜」
 だけど、今オレに見えているあかりは、今の、つまり高校生のあかりだった。
 あかりは、ぺたんとその場に座りこむと、手のひらで顔を覆った。
「浩之ちゃぁ〜ん、お願い、一人にしないでぇ〜」
 そうだ、オレはあの時、決めたんじゃなかったのか?
 しっかりしろ、藤田浩之!

 オレは、飛びかけた意識を引き戻した。天井が見える。
 ……どうやら廊下に倒れているようだ。
 他人事のように、心の中で呟いてから、オレは全身が悲鳴を上げるのも構わずに跳ね起きた。
 だが、もうあかりは先輩の直前に来ていた。オレの時と同じように、右手を先輩に向けようとする。
 その時、オレは叫んでいた。
「やめてくれ、あかり!!
 ピクッ
 あかりの動きが止まった。そして、その右手を左手で抱え込むようにして、後ずさる。
 その唇がかすかに動いた。
「……ダメ……ひろ……ゆき……ちゃんは……ダメ……」
「あかり? あかりだなっ!?」
「……逃げ……て……ちゃん……」
 オレは、オレの方を心配そうに見ている先輩に向かって叫んだ。
「先輩っ、頼むっ! 続けてくれっ!!」
 可能性があるとしたら、先輩に賭けるしかないんだ!
 先輩は、こくんとうなずくと、あかりに向き直り、また御幣を振り始めた。
 あかりの身体が、がたがたと震えだした。かと思うと、不意にその場に崩れ落ちる。
「あかりっ!」
 駆け寄りかけたオレは、そのあかりの身体から、何かがふぅっと抜けだしたのに気付いて、思わず足を止めていた。
「な、なんだ……?」
 それは、女生徒だった。長い黒髪、血塗れの制服、そして、何よりも哀しそうな目。
 オレは、ごくりと唾を飲み込んだ。話には散々聞いていたけど、実際に見たのは初めてだったんだ。
「ふ、藤田先輩……」
 葵ちゃんがオレの制服の裾をきゅっと掴んだ。オレはそれで我に返ると、葵ちゃんを背中にかばって幽霊を見た。
「マルチ!」
「は、はいっ!」
 オレの声に、マルチは慌ててオレの方に走ってくる。……って、ちょっと待てぃ! それじゃ幽霊にぶつかる……。
 と思う間もなく、マルチは幽霊を通り抜けてオレの所まで駆け寄ってきた。
「何ですか、藤田さん?」
「……マルチにはやっぱり見えないのか?」
「?」
 きょとんとするマルチ。オレはその頭をぐいっと幽霊の方向に向けた。
「あそこに、血塗れの女生徒が見えないか?」
「……」
 しばらくじぃーっと見ていたマルチは、首を振った。
「視覚センサーには、何も反応はありませんよぉ」
「本当か? 葵ちゃんには見えてるよな?」
 振り向いて訊ねると、葵ちゃんは、オレの制服の裾をしっかり握ったまま、こくこくとうなずく。 「ううっ、すみませぇん……」
 しゅんとして俯くマルチ。オレはその頭を撫でてやった。
「それならそれでいいよ。それより、あかりを保健室に運んでくれないか? 先輩、いいんだろ?」
 なおも御幣を振りながら、芹香先輩はコクンとうなずいた。
「はい、わかりましたぁ。よいしょ……、わ、わ、はわわぁぁぁ!!」
 ドテェン
 マルチは、あかりを引っ張り起こそうとして、そのまま一緒に倒れた。オレは、こめかみを押さえると、振り返った。
「葵ちゃん、頼むよ」
「え? で、でも……」
 葵ちゃんは、幽霊と芹香先輩とオレを見比べた。オレは笑ってその頭をポンと叩いた。
「大丈夫。頼むよ」
「は、はいっ!」
 葵ちゃんはうなずくと、おそるおそる、じたばたしているマルチに近寄った。そして、あかりを担ぎ上げると、素速く駆け出した。
「わぁっ、ま、待って下さいぃぃぃ〜」
 慌ててマルチがそれを追いかける。
 その騒ぎが遠ざってから、オレは改めて、幽霊の方を見た。
 幽霊は、芹香先輩をじっと睨み付けている。芹香先輩の方はというと、全然臆する様子もなく、なにやら呟きながら御幣を振っている。
 と、不意に先輩は御幣を振るのをやめた。そして、コクンとうなずいた。
 その幽霊も、コクンとうなずくと、すぅっと消えていった。
「やった!」
 思わず声を上げたオレに、先輩は静かに首を振った。
「え? まだですって?」
「それじゃ、その女の人の幽霊って、恋人を捜してたの?」
 保健室では、オレ、志保、葵ちゃん、先輩、そしてマルチが、まだ気を失ったままのあかりを囲んでいた。
 志保の質問に先輩は「そうです」と答えた。ちなみに、先輩はもういつもの制服姿に着替えてしまっている。惜しい。
 それはともかく、先輩が直接幽霊の人から聞いた話によると、こういうことらしい。
 藤嬢が自殺してしまって困ったのは、彼女を手込めにした悪徳校長だった。
 もうすぐ日本が負けてしまうのはもう見えており、そうなると今までのように羽振りを利かせると言うわけにもいかなくなる。そんなときに、この悪事が露見してしまうのはあまりにまずい。そう思った校長は、彼女の霊を封じ込めた。
 うちの高校、昔の軍の士官学校の庭にあった防空壕に、死体を埋めたうえに、用心深く結界を張り巡らして、彼女の霊もそこから出られないようにしてしまったのだという。
 しかし、先日、ひょんな事から、その結界が破れて、彼女の霊は50年ぶりに地上に出てきたのだという。愛する人を求めて……。
「しっかし、ひっどい話よねぇ」
 腕組みして志保が言った。確かにその通りなのだが、どうしてこいつが言うと、そうでもないような気がするんだろうか?
 オレは先輩に訊ねた。
「さっき、まだですって言ってたよね? どういうことなの?」
 先輩は、小さな声で答えてくれた。
「え? 約束したって? その彼と逢わせてあげるから、大人しくしていて欲しいって? でも、どうやって逢わせるのさ? その相手っていうのも、50年前に戦死しちゃったんだろ?」
「……」
 先輩は、とんでも無い答えを返してきた。
 一拍置いて、志保が素っ頓狂な声を上げる。
「幽霊をその人が戦死した場所まで連れていくってぇ!?」
 と。
「う、うーん」
 不意にあかりがみじろぎした。志保の声がひびいたせいだろう。
 オレは身を乗り出した。
「あかり! おい、しっかりしろ、あかり!」
「うん……。あ、浩之ちゃん……」
 とろんとした目つきでオレを見ていたあかりは、不意にパチッと目を開いた。
「あ、あれ? 私どうして……」
「神岸せんぱぁい、ごめんなさい! 私のせいで!」
 葵ちゃんが3歩下がって、頭をぺこぺこさげ始めた。あかりは一瞬きょとんとしてそれを見ていたが、やっと思い出したらしく、ポンと手を打った。
「そっか、私、幽霊に……。あれ? でも、ここ保健室?」
「来栖川先輩が助けてくれたのよ。感謝しなさいよ、あかり」
 自分が助けたように胸を張って、志保が言った。あかりは芹香先輩に向き直った。
「そうだったんですか。ありがとうございました」
「……」
 先輩は、ふるふると首を振ると、オレに視線を向けて、「藤田さんのおかげですよ」と言った。
 あかりは、オレを見た。
「浩之ちゃん……」
 オレは照れ臭くなって、鼻をこすった。
「ば〜か。あんまり心配させんなよな」
「うん。ありがとう」
 あかりはにこっと微笑んだ。
「神岸さん、よかったですぅ」
「あら、マルチちゃん。お久しぶり。元気だった?」
「はい、おかげさまで元気ですぅ」
 マルチとあかりのやり取りを聞きながら、オレは窓から空を見上げた。そろそろ西の空が赤くなり始めている。
「さて、と。あかり、身体は大丈夫か?」
「うん。もう何ともないよ」
 あかりは顔を上げた。
 オレは、肩をすくめた。
「そっか。それじゃ、オレ帰るわ」
「あ、浩之ちゃん!」
 あかりの声を背中に聞きながら、オレは保健室を出た。そして、ドアを閉めてから、大きくため息をついた。
「ふぅ、よかった……」
「相変わらず素直じゃないんだからぁ」
「どぉうわぁっ!」
 耳元で囁かれて、オレは思わず飛び上がった。
「て、てめぇ、志保! いつの間にわいて出た!?」
「何よぉ、人をゴキブリみたいに。それにしても、ふふ〜ん」
 腕組みして、志保は気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「何だかんだ言って、やっぱあかりが心配なのねぇ〜」
 畜生、あんな所をよりによって志保に見られてしまうとは、藤田浩之一生の不覚。
「う、うるせぇ」
「そういえば、お腹空いたなぁ。バリューセットが食べたくなったなぁ」
 明後日の方を見ながら、歌うように言う志保。ちくしょう、このやろぉ……。
「悪いねぇ、浩之ちゃん」
「てめぇがその呼び方をするんじゃねぇ!」
「へいへい。浩之ちゃんって呼べるのは、あかりだけよねぇ」
「……」
 ぽっと赤くなって俯くあかり。
 結局、オレ、志保、あかりの3人で、学校帰りにヤクドに寄っているというわけである。本当はあかりはさっさと帰して休ませてやるべきなんだろうが、当の本人が「浩之ちゃんと一緒にいたいの」と言うんだからしょうがない。ま、あんな事のあった直後だし、たまには言うことを聞いてやってもいいだろうと思う。
 と。
「あら? 今日は葵と一緒じゃないのね?」
 後ろから声を掛けられて、オレは頭を抱えた。
 そうだ。ヤクドだと、こいつに出くわす可能性があったんだった。
「せっかくだから、一緒に食べない?」
 オレが振り返ると、綾香はにこにこしながら持っているトレイを掲げて見せた。

《続く》

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