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それはそよ風のごとく 第5話
急転直下
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴って、今日の授業は終わった。オレが教科書を乱暴に鞄に突っ込んでいると、とてとてっとあかりが駆け寄ってくる。
「浩之ちゃん、今日もクラブ?」
「ああ、そうだけど」
「そうなんだ……」
ちょっとがっかりしたように俯くあかりの頭を、俺はくしゃっと掴んだ。
「ひゃぁ」
「悪いな。んじゃ」
「うん」
うなずくあかりを残して、俺は駆け出していた。
はぁはぁはぁ
学校の裏山にある寂れた神社。ここが、我がエクストリーム同好会の練習場所だ。
とはいえ、エクストリーム同好会のメンバーは、今のところ、オレと葵ちゃんの二人だけ。でも、このままっていうのも悪くはないかも知れないと思いながら練習を続けている昨今である。
それはさておき、だ。
ここに続く石段を一気に駆け登ったオレは、荒い息を整えながら、境内を見回した。
いつもなら、練習熱心な葵ちゃんは、オレよりも早く来てサンドバッグを吊してるはずなんだが、今日はまだ来ていない。
オレは、境内を見回しながら、悪い予感が当たったのを感じていた。
「畜生」
小さな声で毒づくと、オレはUターンして、石段を駆け下りていった。
葵ちゃんは、多分あの幽霊と闘いに行ったんだ。オレはそう確信していた。
古来、幽霊と闘うのは武道家としての務めである。それに、葵ちゃんはあの通り、生真面目で融通の利かない性格だ。
きっと、自分でなんとかしようと思って、行っちまったに違いない。
オレが、もっと強く止めていれば……。
と、不意に足がもつれた。
「わ、わわっ!」
急には止まらない。オレはそのまま、石段を転がり落ち……なかった。
ドシン
オレは何かにぶつかって、石段に尻餅をついていた。そして、
「はわぁ〜〜〜っ!」
ゴロンゴロンゴロン
オレの代わりに、それは奇妙な声を上げながら、石段を転がり落ちていった。そして、一番下まで落ちると、そのまま動かなくなる。
見覚えのある緑色の髪、華奢な身体、そしてなによりも、その耳カバー。
「マルチ!」
オレは跳ね起きると、石段を3段飛ばしで飛び降りていった。
「マルチ、大丈夫か、マルチ!」
オレはマルチを抱き上げて、ユサユサとゆさぶった。
と。
パチン。ヴィィーーーー
微かな機械音が聞こえ、マルチはゆっくりと目を開けた。
オレは呼びかけた。
「マルチ、大丈夫か? オレが判るか?」
「……」
一瞬きょとんとしていたマルチだが、その視線をオレに合わせると、不意に表情をくしゃっとゆがめた。
「ふぇぇぇ〜〜〜ん、藤田さぁん、お逢いしたかったですぅぅ〜〜〜」
そのまま泣きだすマルチ。
間違いない。
オレに逢うなり泣きだすようなメイドロボットは世間広しといえど、こいつくらいしかいねぇ。
「マルチこそ、元気だったか?」
オレは、マルチの頭をなでなでしてやった。
「はい、元気ですぅ」
マルチはこくこくとうなずいた。
おっと、それどころじゃなかった。
「マルチ、積もる話は後だ。ごめん、オレ急いでるから……」
そう言って駆け出そうとしたオレの、制服の裾がぎゅーっと引っ張られた。
「な、なんだよ」
その場で足踏みしながら、オレは振り返った。
「あ、あの、藤田さん、あの……」
「?」
マルチはモジモジしていたが、不意に顔を上げた。
「あの、私、来栖川のお嬢さまに届け物をしに来たんですぅ」
「来栖川のお嬢さまって、芹香先輩のことか?」
オレが聞き返すと、こくこくうなずくマルチ。
「はい、そうですぅ」
「でも、なんでマルチが? セバスチャンはどうしたんだ?」
「セバスチャンさんは、なんでも、宿命のライバルと対決するために、今、香港に行ってるそうなんですぅ」
……深く追求はしないほうがいいだろう。うん。
でも、来栖川家なら他にも執事の10人や20人はいそうなもんだがなぁ。
ともかく、オレは足踏みをやめて、もう一度マルチの頭をなでてやった。
「そうか、偉いぞマルチ」
「そんなぁ」
頬を赤らめて照れているマルチ。うーん、どう見てもこれがロボットとは思えないよなぁ。
オレは、訊ねた。
「でも、そのマルチがどうしてここにいるんだ? ここは学校の裏山だぞ」
「えっと、それがぁ……。ふぇ」
マルチはくしゃっと顔をゆがめると、いきなり泣きだした。
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜ん。藤田さぁぁぁん、学校ってどこなんですぁぁぁ?」
……そういえば、オレの家に来るときも道に迷って電話を掛けてきたことがあったっけ。
「判った、判ったから泣くなよ。ちょうどオレも学校に戻るところだったんだ。一緒に行こうぜ」
オレが言うと、マルチはにこっと笑った。
「よかったですぅ。ありがとうございますぅ」
オレは、マルチを背負って走っていた。なにせ急いでいるのだ。
「藤田さん、申し訳ないですぅ」
「なぁに、いいってことよ」
どういう素材を使っているのか知らないけど、マルチは“ロボット”という言葉から連想されるほど重くはない。普通の人間なみか、それよりもむしろやや軽いくらいだから、背負って走っても、特に辛いってほどじゃない。
オレだって、エクストリームの練習で少しは体力ついてるし、それに、マルチに走らせるよりも、こうした方が余程早いからなぁ。
「それにしても、その背負ってるふろしき包みはなんなんだ?」
そうなのだ。マルチは前と同じくうちの制服を着ているが、その背中にふろしき包みを背負っているのだ。それもご丁寧に唐草模様のあれである。
「これが届け物なんですぅ」
「そうなのか?」
まぁ、芹香先輩だからなぁ。
と。
クワァッ
前の方から光が走った。
「ひゃぁぁっ」
背中のマルチが身体をすくめた。
「なんだ、一体?」
「わからないですぅ」
……そりゃそうだ。
ともかく、学校の方から光が見えたのは間違いない。
「急ぐぞ、マルチ!」
「は、はわわぁぁぁ〜〜!!」
オレは校門の所まで来て、マルチを降ろした。さすがに疲れて、肩が上がっている。
「藤田さぁん、大丈夫ですかぁ?」
「お、おう」
オレは顔を上げた。いつもと変わらない学校だけど、どこか違うような気がするのは、オレの気のせいか?
「マルチ、芹香先輩はオカルト研の部室にいると思うぜ。じゃ、後でな」
「は、はいですぅ。ありがとうございましたぁ」
深々と頭を下げるマルチに手を軽く振って、オレはまた駆け出した。
げた箱で靴を履き替えるのももどかしく、オレは廊下に飛びだそうとした。
途端に、前から走ってきた女生徒にぶつかりそうになって、オレは慌てて身をかわした。
「きゃっ」
「おっと、すまん。……なんだ、志保か」
立ち止まったその女生徒は、志保だった。
「ヒ、ヒロ!? ちょうどよかった!」
志保はオレの顔を見るなり、ほっとしたような表情を浮かべた。
もっとも、オレの方は急いでるんだ。
「志保、いつもの志保ちゃんニュースなら用はねぇぞ。オレは今急いでるんだ」
「バカッ! それどころじゃないのよ! あかりが……」
「あかり!? あかりがどうしたんだ? 階段から落ちたのか!?」
オレは、志保の腕を掴んで訊ねた。志保は首を振る。
「違うわよ。そうじゃなくて……、ええい、とにかく、来てっ!」
志保は、逆にオレの腕を握り返すと、引っ張った。
「お、おう」
オレはうなずいて、志保の後を追った。
廊下には人垣が出来ていた。その人垣をかき分けて前に出たオレは、思わずその場で立ち止まった。
「あ、あかり……。それに、葵ちゃん……」
人垣に囲まれるようにして立っていたのは、あかりと葵ちゃんだった。
葵ちゃんは、練習の時によく見せている構えをとっていた。右足を前に、重心を左脚に乗せ、いつでも必殺の蹴りを放てる姿勢。
一方のあかりは、なにやらぼぉーっとしていた。いつもぼーっとしている奴だけど、今のあかりはいつものとは違う。まるで生気が感じられない。
そしてなにより、葵ちゃんが構えを取っているのは、あかりに向けてだったんだ。
オレに気付いて、葵ちゃんが叫んだ。
「先輩! 気を付けて下さい!」
「気をって……。葵ちゃん、どう言うことなんだ!?」
「神岸先輩が、幽霊に……」
そう言いかけた葵ちゃんが、いきなり後ろに弾き飛ばされた。
「きゃうっ!」
「なっ!? あ、葵ちゃん!」
オレは葵ちゃんに駆け寄った。
「……つっ」
とっさに受け身を取ったらしく、葵ちゃんは腰をさすりながらも起きあがった。オレはほっと一息をついて、視線を上げた。
「あかり……」
あかりが、いつ移動したのか、オレ達のすぐ側に立って、じっとオレ達を見おろしていた。
まばたきもしない、赤い瞳。
それを見て、オレは確信した。
こいつは、いつものあかりじゃねぇ。まったくの別人だ。
「葵ちゃん、あかりの奴、幽霊にとっ憑かれたんだろ?」
囁くように訊ねると、葵ちゃんはこくんとうなずいた。
「私、……すみません。私、先輩との約束を破って、幽霊と……。でも……」
そう言って、うなだれる葵ちゃん。
「私、全然かなわなくて……。また、掴まれてしまって……。そこに、神岸先輩が来て、助けてくれたんです。でも……」
「葵ちゃんの代わりに、幽霊の野郎、あかりにとっ憑いたのか……」
オレが呟くと葵ちゃんはポロポロと涙をこぼし始めた。
「ごめんなさい、先輩……。私、わた……。ううっ」
どうやら、オレが来たんで緊張の糸が切れてしまったらしい。葵ちゃんは泣きじゃくり始めた。
「葵ちゃん、今はいい。それより……」
葵ちゃんが吹っ飛ばされたのを見て、人垣は大きく広がっていた。このままじゃ、先生が駆けつけてくるのも時間の問題だし、そうなると厄介なことになりかねない。
かといって……どうすればいいってんだ?
と、不意に向こうの人垣の方でざわめきがあがった。
「?」
オレがそちらに視線を向けると、人垣が左右に割れた。その中をしずしずと歩いて来たのは、マルチと……。
目をごしごしと拭いていた葵ちゃんが、そちらを見て呟いた。
「来栖川先輩……?」
《続く》
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