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ロンドン市内であろうことか迷子になってしまった僕たちは、街角で途方に暮れていた……。
《続く》
「お兄ちゃん、どうしよう……」
不安そうに僕を見る可憐。衛も、いつもの快活さはどこへやら、といった面持ちで辺りをきょろきょろ見回している。
そんな僕たちに反応した訳じゃないと思うけど、天気までよろしくない。いつの間にか曇ってきて、辺りもよく見えない……って、これが有名な霧なのかな?
辺りは大きな建物が建ち並んでいる。誰かに道を聞こうにも、人っ子ひとりいない。
さっきまで僕らと同じくらいの年頃の女の子達が大勢いたんだけど、その娘達に声を掛けようとするたびに、可憐が何か言うもんで話しそびれてたんだよなぁ。まぁ、可憐の言うことを無視してまで話しかけることもないかと思ってたんだけど、やっぱり道くらい聞いてみればよかったかな?
それにしても、うーん。よく話に聞く“魔都倫敦”ってこういう感じなのかなぁ……。
そう思うと、なんだかすごく不気味になってきた。
「お兄ちゃん……」
可憐がぎゅっと僕の腕を掴んだ。その感触に、僕は我に返った。
そうだな、僕が不安になってちゃいけないな。
僕は、2人に笑顔を見せた。
「大丈夫」
何がどう大丈夫なのか自分でもサッパリだったけど、それでも2人とも笑顔を返してくれた。
「うん。ありがとう、お兄ちゃんゥ」
「あにぃがそう言うなら、きっと大丈夫なんだよねゥ」
……ますますもって責任重大のような……。
と。
「あら? あなた……」
不意に声を掛けられて、僕たちは振り返った。
そこには、眼鏡を掛けている白髪頭のご婦人が一人、箒を手にして立っていた。
彼女はつかつかと衛に近づくと、ぴっと指を突きつけた。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
「……な、なに?」
きょとんとして聞き返す衛に、さらに言うお婆さん。
「明日は婚礼なのでしょう? それなのに、こんな場所でふらふらと出歩いてはいけませんよ、四葉さん」
……四葉?
目を丸くしている僕と可憐の前で、衛は慌てて手を振った。
「……ち、違うよ。ボクは衛だよっ」
「まぁ、どうしてそう言い訳をするんですか、四葉さん?」
「だから〜。……あにぃ、助けて〜」
助けを求めて僕を見る衛。僕は苦笑して、横から口を挟んだ。
「あの、失礼ですが、あなたは四葉のことをご存じなのですか?」
「あら、あなたは?」
初めて気付いた、という風に僕を見る女性に、僕は頭を下げた。
「はい、四葉の兄で、俊一といいます」
「あら、貴方が四葉さんの言っていたお兄さんなのね。あ、私はこちらのプライマリースクールの寮母をしている、ブリジット・オールウェイといいますわ」
言われて改めて見てみると、僕らの背後にある大きな建物は、どうやら学校のようだった。
そういえば、四葉ってロンドンにいた頃は全寮制の女子校に通ってたんだよな。とすると、この人が……。
「それじゃ、あなたが、四葉がいつも言ってた……」
言いかけて、僕は危うく「物わかりの悪い堅物」という言葉を飲み込んだ。
「……大変に厳格でいらっしゃる寮母先生、と」
「……四葉さんを相手にしていると、そうなってしまうんですよ。それよりも、彼女は本当に四葉さんではないのですね」
ブリジット先生は、衛に視線を向けて、僕に尋ねた。
「ええ。確かに僕の妹ですが、四葉とは別人ですよ。衛と言います」
「……本当に?」
もう一度、じっくりと衛を上から下まで眺めるブリジット先生と、居心地悪そうにしている衛。
「あ、あにぃ〜」
とうとうギブアップしたらしく、衛は僕の後ろに隠れるようにして、情けない声を上げた。僕は苦笑して、ブリジット先生に声を掛けた。
「本当に、四葉とは違いますよ?」
「……どうやら、そのようですね」
ようやく認めてくれたらしく、ブリジット先生は軽く衛に頭を下げた。
「ごめんなさい。中国人の見分けは付きにくいもので」
「……四葉も衛も日本人です」
「あら」
こほん、と咳払いすると、ブリジット先生は僕らに尋ねた。
「それで、皆さん、こちらには、やはり四葉さんのご結婚をお祝いにいらっしゃったのですか?」
「違うよ、ぶっこわ……もが」
「ええ、そうなんですよ。あはは」
慌てて衛の口を塞ぎながら笑って言う僕。
「それで、来たついでにロンドンの街を散歩してたところなんですが、実はその、道に迷ってしまっていて……」
「まぁ、そうでしたの。確かに、この辺りは道が入り組んでいますから、初めての人なら迷ってしまうかもしれないですね」
顎に手を当てて、納得したように頷くブリジット先生。
「それはお困りでしょう。それに、こんなに霧が深くては、道を教えてもまた迷うかも知れませんね。霧が晴れるまで、私どもの家に寄っていらっしゃってはいかがですか?」
「家?」
「あら、失礼。こちらが私どもの生活している寮なのですが、私どもは“家”と呼んでいるんですよ」
背後の建物を手で示しながら言うブリジット先生。
「ええっと、別に急いでるわけでもないですし、渡りに船ですけど……。いいんですか?」
「ええ」
そう言って、ブリジット先生は微笑んだ。
「それでは、お兄さんは、親御さんの事情でずっと四葉さんとは離れて、日本で育てられていたというわけなのですね」
「ええ。ですから、四葉がロンドンでどういう風に過ごしていたのか、興味がありまして。そちらにも、後ほどお伺いしようかと思っていたんですよ」
そう言う僕の腕を可憐が引っ張った。
「何、可憐?」
とっさに翻訳機を切って聞き返すと、可憐も翻訳機を切って囁いた。
「いいの、お兄ちゃん? 教会に行くはずだったんじゃ……」
「うん、そうなんだけど。まぁ、成り行きってやつだよ。それに、ロンドンでの最近の四葉を一番知ってる人なんだし」
「それは、そうだけど……」
僕たちは、四葉が通っていたというプライマリースクールの寮に案内されて、ブリジット先生の部屋でお茶をごちそうになっていた。
四葉の話じゃ、口喧しい厳格な堅物だと思ってたけど、割と穏やかな感じのいいご婦人という感じだった。
まあ、その先生の話によると、四葉は学校始まって以来の問題児なのだそうだから、どっちもどっちって事なんだろうなぁ。
そう思いながら、僕は先生の話を聞いていたのだが……。
「……それで、寮内を全て探し回っても見つからずに、警察に届け出ようかと思っていたら、急にそこの換気口から四葉さんが顔を出すんですよ。私、驚くやらほっとするやら、そのときだけで5年は寿命が縮まった思いでしたわ」
「は、はぁ……」
「それから、こんなこともありましたわ。そう、あれは確か……」
先生曰く、「我が校始まって以来の事件」とやらが出てくること出てくること。
まぁ、四葉ならそれくらいやるだろうなぁと思いながら相づちを打っていると、今度は衛が腕を引いた。そして小声で訊ねる。
「ねぇ、あにぃ。いつまでお話してるのさぁ?」
「うーん」
確かに、さすがに退屈になってきた。確かに四葉がいろいろと騒ぎを起こしてたのは確かみたいだけど、どれも僕らからみればそれほど大した出来事じゃないわけだし。
と、窓の外から鐘の音が聞こえてきた。
「あら、もうそんな時間なの?」
ブリジット先生は立ち上がった。そして僕たちに尋ねる。
「そろそろ霧も晴れたでしょうけど、あなた達はホテルに戻るのかしら?」
「あ、えっとですね……」
「あの、実は、四葉ちゃんの結婚式をやる教会を見に行きたいんです」
可憐が口を挟んだ。ブリジット先生は、なるほどと頷いた。
「でも、ここからだと歩くにはちょっと遠いわね。いいわ、これも何かの縁でしょうから、私が車で送ってさしあげます」
「それはありがたいんですが、いいんですか?」
「ええ、構いません」
そう言って、ブリジット先生は立ち上がった。
「……やっと着いたなぁ」
「うんっゥ」
「やったね、あにぃ」
僕たちは、てっぺんに十字架の付いた大きな建物の前で、ぽんぽんと手を打ち合った。
それから、僕はここまで送ってくれたブリジット先生にお礼を言った。
「ありがとうございました。助かりました」
「いえ。それでは私は仕事がありますので、これにて」
ブリジット先生はそう答えて、車に乗り込んで走り去っていった。
その車を見送りながら、僕は呟いた。
「……僕らがやろうとしてることを知ったら、多分ブリジット先生、卒倒しちゃうだろうなぁ」
「あははっ。でも、ボクを四葉ちゃんと間違ったりするんだもん。ボク、ちょっと傷ついたんだぞ」
衛が笑う。
「そうだよね。全然似てないのにね」
「だよねっ、可憐ちゃん?」
「うん。ね、お兄ちゃん?」
「やっぱり、僕らから見て外人さんが区別つかないのと同じなんだよ。ほら、衛も四葉も髪はショートだし、髪の色もちょっと似てるし、背格好も同じくらいだからさ」
僕が言うと、衛は「うーん」と考え込んだ。それから、僕に尋ねる。
「あにぃは、ちゃんとボクと四葉ちゃんは違うって判ってるよね?」
「もちろんだって」
「えへ、それならいいや」
衛は嬉しそうに笑った。
「……あっ、お兄ちゃん。あそこから中が見えるよっ」
可憐が腕を引いて、ちょうど空いている窓を指した。
「よし、それじゃ見てみようか」
「うんっ、お兄ちゃん」
僕は、可憐に引っ張られるようにして、窓のところに行った。
……のだが。
「た、高い……」
近づいてみると、窓は高かった。何しろ身長170センチの僕が手を伸ばしたくらいの高さなのだから、2メートルくらいのところだろうか。
「よし、それじゃ僕が踏み台になるから、衛が中の様子を見てくれないか?」
「うん、判った」
頷く衛。
僕は素早く窓の前で四つんばいになった。衛が靴を脱いで背中に上がる。
「……どうだい?」
「……ごめん、見えないよ、あにぃ」
考えてみれば、僕よりも身長が低い衛が、僕の背中に上がったところで、結果は余り変わらないわけだった。
衛を背中から下ろすと、僕は少し考えて、ぽんと手を打った。
「それじゃこうしよう。僕が衛を抱きかかえて……」
「それはだめっ」
いきなり可憐が声を上げた。それから、僕と衛があっけに取られてるのを見て、こほんと咳払いした。
「だ、だって、それじゃお兄ちゃんの手が疲れちゃうし……」
「よし、それじゃ肩車はどうだ?」
「あ、それならきっと届くよ。ね、可憐ちゃん?」
「えっ? あ、う、うん、そうだね」
何か言いかけたところを逆に衛に話しかけられて、可憐はこくこくと頷いた。
僕は衛の前に屈み込んだ。
「それじゃ、さ、乗って」
「うん」
頷いて、衛は僕の肩に足を掛けた。
「……オッケー、あにぃ」
「よし」
頷いて、僕は立ち上がった。
思ったよりも衛は軽いので助かった。
「わ、高いよあにぃ」
「で、中は見えるか?」
「えーっとね……」
少し間をおいて、衛は困った声を上げた。
「あにぃ、暗くてよく見えないよ……」
「灯りがついてないのか。そりゃ困ったな……」
と、不意に可憐が僕の腕を掴んだ。
「お兄ちゃん、誰か来るよ」
「え?」
言われて可憐の指す方を見ると、確かに黒っぽい法服っていうのかな、裾の長い服を着たお爺さんが、こっちに向かって歩いてくる。
「わわっ、あにぃ、揺らさないでっ」
しまった、衛を肩車したままだった。
そう思う間もなく、肩の上でバランスを崩した衛が、僕の頭を慌てて掴む。
「あいてっ」
「ご、ごめんあにぃ、ってわわぁっ」
僕の声に手を離してしまう衛。当然ながらさらにバランスを崩して、そのまま倒れる。
「くっ」
咄嗟に僕は腕を伸ばして、衛を引っ張り寄せながら自分の体を下に回した。
ドタァン
「……てて。衛、大丈夫か?」
「う、うん……」
衛は、ちょうど僕の胸に顔を埋めるようにして倒れ込んでいた。
「だ、大丈夫、みたい……」
「よし。……あ」
体を起こそうとした僕と、顔を上げた衛は、至近距離で見つめ合う形になっていた。
「あ、あにぃ……」
「衛……」
僕は、手を伸ばして衛の髪に触れた。
「……あにぃ、ボク……」
衛は、何か言いかけて、そのまま目を閉じた。
と。
「お兄ちゃん、衛ちゃん、何してるの?」
可憐の声に、はっと我に返る僕。
「あ、いかんいかん。と、とりあえず衛、僕の上からどいてくれないか? 起きあがれないんだ」
「あ、そ、そうだね。ごめん、あにぃ」
衛がころんと転がって僕の上からどくと、僕はようやく体を起こして、服の埃を叩いて落とす。
「衛ちゃんの服も汚れてるよ。ほら、動かないで」
そう言いながら、可憐が衛の服の埃を払ってあげていた。
パンッ、パンッ
「あいてっ、痛いよ可憐ちゃんっ」
なんか、妙に強く叩いてるような……。気のせいかな?
と。
「あの、もし? 大丈夫ですかな?」
話しかけられて、僕たちは慌ててそっちを見た。
さっきのお爺さんが、僕らを覗き込むようにして見ていた。
「あっ、はい。大丈夫ですっ」
僕が慌てて立ち上がって答えると、お爺さんはほっと胸をなで下ろした。
「それは良かった。ところで、先ほどからここにいるようですが、当教会に何かご用ですかな?」
当教会ってことは、やっぱりこの教会の人なんだ。
僕は咄嗟に答えた。
「あ、えっと、それはその……。あ、そう。教会の中を見てみたいなと……」
「ああ、そうでしたか。それならこちらへどうぞ」
……マジ?
思わぬ展開で、僕たちは教会の中に案内されたのだった。
一言で言えば、荘厳という感じの教会の中だった。ただ、それ以外には特に興味を引くほどのこともなく……。
「わっ、お兄ちゃん、オルガンだよっ! それもパイプオルガン! すごい、すごいっ」
いや、若干一名興味惹かれまくってる人がここにいらっしゃった。
「……ねぇ、お兄ちゃん。可憐、弾いてみたいなぁ……」
「いや、弾くって言っても……。それに、可憐の専門はピアノだろ?」
「それはそうだけど、こういうのも、一度は弾いてみたいんだもん」
「でも……」
ためらいながらお爺さんの方をちらっと見ると、笑顔で頷いた。
「構いませんよ。少し待ってくださいね、風を送りますから」
そう言って、足早にどこかに行くお爺さん。
「わぁい。ありがとう、お爺さん。やったぁ、お兄ちゃんっ!」
笑顔で僕に抱きついてから、はっと気付いて赤くなって離れる可憐。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いいって。あの、本当にいいんですか?」
真っ赤になった可憐の頭を撫でてあげながら、お爺さんに尋ねる。そして、お爺さんが頷くのを見て、可憐の肩をぽんと叩く。
「それじゃ、頑張って」
「……うんっゥ」
可憐は、小さく頷くと、オルガンの前の椅子に座った。
それにしても、でかい。
パイプオルガンなんて、一度何かのテレビ番組で見たことがあるだけだったんだけど、本物はとんでもなかった。なにしろ鍵盤が3段になってるわ、その左右にはわけのわからないレバーがいくつも並んでるわ、背後には何十本っていうパイプが立ち並んでるわ。
「……か、可憐、大丈夫?」
「うん。お兄ちゃんが聞いてくれるんだから」
にっこり笑うと、可憐は椅子に座った。
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すいません、パイプオルガン見て、可憐が暴走しました(笑)
02/3/10 Up