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ピンポーン
《続く》
玄関先で僕たちが、四葉の手紙を前にして考え込んでいると、不意にチャイムの音がした。
「あれ、もしかして四葉が帰ってきたのかな?」
僕は、ドアに向き直って開けた。
「はい……。あれ?」
「ただいま、帰りました。兄君さまゥ」
そこで深々と頭を下げていたのは、春歌だった。いつも和服の春歌にしては珍しく、ブレザーの制服姿だったりする。
「春歌は明後日まで弓道部の合宿だったんじゃ……?」
「はい。ですが、わたくしにとっては、兄君さまをお守りすることが、合宿よりもよほど重要な使命であると諭されまして、戻って参りました」
顔を上げて、笑顔で言う春歌。
「そ、そう……。でも、それってまずいんじゃ……」
「ちゃんと坂代部長にも、顧問の先生にも許可は取っておりますわ。そもそも、わたくしを諭してくださったのが部長なのです。早く帰って兄君さまを安心させて欲しいと……。あ、そうそう、忘れるところでした。部長から、兄君さまにお手紙を預かっております」
そう言って、春歌は鞄を下ろすと、中から封筒を取り出して俺に渡す。
「あ、ありがと」
「それにしても、鈴凛さんにじいやさんまで、玄関先でどうしたのですか?」
「えっと、それは……」
「それについては私からご説明申し上げます。兄上さまはお手紙をどうぞ」
じいやさんが口を挟んだ。僕は頷いて、じいやさんに説明を任せて手紙を読む事にした。
……なるほど。
手紙を読んで、僕は苦笑した。
坂代部長の手紙によると、男女問わず弓道部員が皆、春歌に気を取られて集中力がおろそかになって練習どころではなくなってしまったらしい。特に初等部と中等部の女子部員達が「春歌お姉さま」と四六時中つきまとい始めたので、とうとう温厚をもってなると評判の部長さんも、我慢の限界を超えてしまったとのこと。
まぁ、僕のいないところだと、いつも凛としている春歌だから、そういう対象に見られてしまうこともありなんだろうなぁ、などと思いながら、手紙を畳んで向き直る。
ちょうど、じいやさんの説明も終わったところらしかった。
「……それで、四葉さんの残した手紙がこれなんです」
「そんなことが……。わたくしが留守にしている間とはいえ、兄君さまに御心配をおかけするなんて。わたくしの監督不行き届きですわ。申し訳ありません」
俺に深々と頭を下げる春歌。
「いや、春歌のせいじゃないし。それよりも、何か心当たりないかな? 春歌は、みんなの中じゃ一番、四葉と長い付き合いだろう?」
「確かにそうですが、わたくしはドイツで四葉さんはイギリスですもの。年に一度か二度、逢っていた程度ですし……」
春歌は、頬に手を当てて小首を傾げた。
と、不意に鈴凛が手を打った。
「もしかして、その手紙って、暗号文なのかも。ほら、四葉ちゃんって探偵もの好きだしさ」
「なるほど。……で、どういう暗号文なんだろう?」
「ええっと……」
そこで固まる鈴凛。
「あは、アタシはほら、理系だから」
「この際あんまり関係ないと思うけどな」
「……兄君さま」
じいやさんから受け取った手紙を見ていた春歌が、僕に声を掛けてきた。
「どうしたの、春歌」
「これを見てください」
春歌は、手紙をひっくり返した。
「ほら、何かでつついたような跡がたくさんあります」
「……本当だ」
多分、つまようじか何かでつついたのだろう。小さなくぼみが結構沢山付いている。
「もしかして、その跡が付いている文字を続けて読むと、意味が出てくるってやつ?」
「ちょっと見せて? ……違うみたいだよ、アニキ。文字のないところにも打ってるし」
春歌から渡された手紙をすかして見ながら言う鈴凛。
そして、僕たちは顔を見合わせ、ため息を付いた。
「もしかして、意味がないのかも」
「これだけ沢山あるということは、意味がないことはないと思いますけれど……。でも、意味があるとしても、四葉さんくらい探偵ものを読み込んでいないと判らないような方法なのではないでしょうか?」
春歌が鈴凛に言うと、鈴凛はうーんと腕組みをして考え込んだ。
「それじゃ、アタシ達じゃお手上げじゃない。アタシなんて特に理系なんだし……。あ!」
不意に、ぽんと手を打つと、鈴凛は額に上げていたゴーグルを目に掛けた。
「鈴凛?」
「ちょっと待ってね、アニキゥ」
そう言うと、鈴凛はポケットから小さな端末のようなものを取り出して、ペンで突き始める。
「そうよね〜。なにもアタシが四葉ちゃんのゲームにのってあげる必要なんてないもんね……っと。オッケー」
顔を上げると、鈴凛はゴーグルを掛けたまま、俺に笑顔で言った。
「四葉ちゃん、見つけたよっ」
僕たち――僕、鈴凛、春歌の3人は、薄暗くなり始めていた街を走っていた。
ちなみにじいやさんは、亞里亞の世話もあるし、全員で家を空けるわけにもいかないので、残ってもらっている。
「でも、どうして四葉さんの居場所がわかったんですか?」
走りながら鈴凛に尋ねる春歌。ちなみに着替えてる暇などなかったので、まだブレザーにプリーツスカート姿である。……春歌のスカート姿っていうのは新鮮でいいんだけど、僕もその時はそれどころではなかった。
鈴凛は得意げに、目に掛けたままのゴーグルを指す。
「ここに写ってるのよ」
「どういうことだい、鈴凛?」
「つまりね、前に四葉ちゃんに頼まれて、デジカメを作ってあげたんだけど、そのデジカメにGPSが仕込んであるわけ。で、このゴーグルに、その場所を写してるのよ」
GPSって、カーナビのあれのことかな?
「……兄君さま、わたくし、鈴凛さんの言ってること、よく判らないのですが……」
春歌が困惑した顔を僕に向ける。僕は苦笑した。
「まぁ、科学の力ってやつだよ」
「おっ。あっちよ!」
鈴凛は立ち止まると、びしっと指さした。その方向は……。
「学校じゃないか……」
そう、そこにあったのは、僕たちの通っている白並木学園の校舎だった。
僕たちは、校門で立ち止まった。
既に暗くなっており、生徒も残っていないらしく、門は閉ざされていた。
「四葉ちゃんは、この中にいるわよ」
事もなげに言う鈴凛。
「この中ということは、校内のどこか、ですか?」
「そゆこと」
春歌の質問に、腕組みして答えると、鈴凛は僕に視線を向けた。
「えへへ。アニキ、アタシの発明もちょっとしたもんでしょ?」
「ああ、すごいや。で、学校のどこに四葉がいるのか、わかるかい?」
「もちろんゥ アニキの学校のマップはちゃんと入ってるからね〜」
どうして若草学院に通ってる鈴凛が、白並木学園のマップを持ってるのかについては触れない事にして、僕はまた端末に何か打ち込んでいる鈴凛を待った。
と、不意に春歌が僕の腕を引いた。
「兄君さま! 四葉さんがあそこにっ!」
「え?」
春歌の指さす方を見た。
「高等部の校舎じゃないか」
「その屋上です!」
「……?」
目を凝らしてみたが、僕には見えなかった。
「屋上に四葉がいるの?」
「はいっ、それもフェンスの外に出ているようです!」
さすが弓道部。目がいいんだな……って、ええっ!?
「ホントだ。四葉ちゃん、屋上の縁にいる!」
鈴凛がゴーグルを額の上に上げて叫んだ。
「くっ!」
僕は、門に手を掛けたが、中から鍵が掛かっているのか、びくともしない。
「兄君さま、裏の通用門なら開いているかも……」
「いや、それじゃ間に合わない。2人はここで待ってるんだ。いいね」
そう言い置いて、僕は門をよじ登って、内側に飛び降りた。そして駆け出す。
階段を駆け上り、屋上に通じるドアを開けると、冷たい風が火照った体を冷ますように吹き抜けていく。
「四葉!」
僕の声に、フェンスの向こう側、校舎の縁に腰を掛けて足をぶらぶらさせていた四葉は、ゆっくりと振り返った。
「……兄チャマ、来てくれたんですね……」
「ああ。だから、こっちにおいで」
「……四葉は……」
四葉は、立ち上がって微笑んだ。
「兄チャマに逢えて、良かったデス」
「……何を……」
「四葉は、ずっと、ずっと、兄チャマに逢いたかったデス。それで、やっと逢えた。兄チャマは、四葉がずっと思ってたとおり……、ううん、思ってたよりもずっと、兄チャマでした……」
そう言うと、四葉は視線を逸らした。
「そんな兄チャマとお別れするくらいなら、四葉は……」
「四葉!」
僕は叫んで、駆け出した。でも、その距離は余りに遠くて……。
「バイバイ」
その小さな身体がゆっくりと後ろに倒れていく。
屋上の縁に立っていた四葉。その背後には何もなく、闇が広がっていた。
その瞬間、僕は……。
ガッシャァン
フェンスが、派手な音を立てた。
「兄……チャマ……?」
「ば……か……」
懸命に息を整えながら、僕は歪んだフェンスの隙間から、掴んだ四葉の腕を引っ張った。
「四葉、そんなこと、したら……、僕は……四葉を、許さない、からな……」
「……うくっ」
しゃくり上げると、四葉は振り返る。
その瞳から、涙が流れ落ちた。
「でも、四葉は、……どうしていいのか、もう判らないデス……」
「それなら、どうして僕たちに一言相談してくれないんだ?」
「兄君さまのおっしゃる通りです」
後ろから声が聞こえた。
「四葉さん」
春歌が歩み寄ってくると、静かに言う。
「朝の電話とは、四葉さんのお祖父様からだったのでしょう?」
「……」
こくり、と頷く四葉。
僕は、四葉の腕を掴んだまま、振り返る。
「春歌、何か知ってるの?」
「多少は。申し訳ありませんでした、兄君さま。わたくし、兄君さまに対して隠し事をしてしまいました」
その瞬間だけ、辛そうに俯く春歌。そして、顔を上げてひしと僕を見つめる。
「ですが、わたくしの兄君さまに対する忠誠の心は、絶対に変わったわけではありません。それだけは信じてください」
「あ、ああ。それは信じるけど……」
僕がそう言うと、春歌はぱっと顔を綻ばせた。
「さすがはわたくしの兄君さま。その大海原のように広いお心……。不肖春歌、兄君さまに一生お仕え致しますわ。あら、やだ、わたくしとしたことがはしたない。……ぽっゥ」
春歌は顔を赤らめて、頬を両手で挟んで照れ始めた。
……いかん、このままでは春歌が旅に出てしまう。
「春歌、それよりも……」
「あ、いけない。四葉さんのことでした。それがですね……」
「いや、それよりも……、そろそろ僕の腕がしびれてきてて……」
ちょうど、フェンスの隙間に腕が挟まったような形になっていたので、血が通わない状態になっていたわけで。
「あ、それは大変です」
慌てて、春歌はフェンスの隙間に手を差し込んで広げようとした。が、フェンスはびくともしない。
「……くっ、も、もうしばらく、お待ちください……」
荒い息を付きながら、さらに力を込める春歌。でも、どうにもならない。
「……はぁ、はぁ、も、申し訳ありません。兄君さま。こうなった以上、わたくし、兄君さまの後を追って自害します」
「わぁっ、どうしてそうなるっ!!」
慌てて、僕は挟まっていない方の手で、懐から小刀を出そうとする春歌の腕を掴んだ。
結構間抜けなその構図は、遅れて屋上に上がってきた鈴凛が超電磁カッターでフェンスを切ってくれるまで続いたのであった。
「ふぅ、助かったよ鈴凛」
腕をさすりながら言うと、鈴凛は超電磁カッターを仕舞いながら、にぃっと笑った。
「アニキ、今度買いたいパーツがあるんだけど〜」
今回は、鈴凛には色々と助けられたわけだから、そのお礼はしないといけないよな。それに、ここのところ余り一緒に出かけてないし。
そう考えて、僕は頷いた。
「……今度の日曜は空けておくよ」
「えへへっ、だからアニキは大好きよっゥ」
嬉しそうに笑う鈴凛を見ると、まぁいいかと思ってしまう僕。……財布の中身はかなり心配だけどね。
「大丈夫ですか、兄君さま?」
そんな鈴凛を見て苦笑している僕に、春歌が声をかけた。そして、フェンスにその視線を向ける。
「それにしても、どうやってあのフェンスの隙間に腕を?」
「あ〜、そんなことよりも、四葉の話だよ」
僕は慌てて春歌に言うと、四葉の顔を覗き込んだ。
「四葉……?」
四葉は、さすがにもう泣いてはいなかったが、ずっと俯いたままだった。
「……」
冷たい風が、背筋を撫でていき、僕はくしゃみを一つした。
「……っくしょん。とにかく、ここじゃ何だから、一度僕らの家に帰ろう。ね、四葉?」
「……」
無言のまま、それでも四葉は頷いてくれた。
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あとがき
いわゆるスタンダードな四葉とはえらく違う四葉なので、批判も多々あると思います。
でも、四葉にも色々と事情があったりするわけですが。
驕らず、媚びず。これが意外と難しい。
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BR>
01/12/26 Up