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しすたぁぷりんせす〜12人の姫君達〜 第2部
第4章 Missing "Y" その2

 午後の授業は何事もなく経過し、放課後。
 今日は咲耶や可憐が教室まで迎えに来ることもなかったので、一人で帰るべく昇降口を抜けて校庭に出ると、そこではチア部が練習をしていた。
 ということは……。
 視線を走らせてみると、列の中程に花穂の姿が見えた。
 頑張ってるな、花穂。
 あ。
 僕がそう思った、まさにその瞬間、バトンをくるくると回していた花穂の手が滑ったのか、そのバトンは回転しながら空に跳ね上がった。
 慌ててそれを取ろうと動く花穂。
「あぶなっ……」
 僕の声が届くはずもなく、バトンだけを見て、その落下方向に歩いた花穂の頭を、その前にいた部員の回していたバトンが直撃した。
 小さな悲鳴を上げて、頭を押さえてその場にしゃがみ込む花穂。驚いて振り返る部員に、空から降ってきたバトン(言うまでもなく、花穂が手を滑らせたやつだ)が降ってきた。
 危ないところで他の部員の声でそれに気付き、とっさにそれをのけぞるようにしてかわす部員。バトンは地面に落ちて、変な方向に跳ね上がった。
「あぶなっ……」
 もう一度、届かない僕の声。
 はぇ、という表情で顔を上げた花穂の、その眉間に、はねたバトンが直撃した。
 そのまま、こてん、と仰向けに倒れる花穂。
「花穂っ!!」
 その瞬間、僕は地面を蹴っていた。

「……う、うん」
 小さく呻くと、花穂はゆっくりと目を開けた。
「……ここ、どこ……」
「保健室だよ、花穂」
「えっ? あ、あれっ、お兄ちゃま……? あうっ」
 驚いて身体を起こそうとした花穂は、額に手を当てた。
 僕は、その肩を押さえて、ベッドに横たわらせた。
「いいから、もう少し休んでなって」
「お兄ちゃま……。うん」
 こくん、と頷いて、花穂は横になった。
 僕は、花穂の前髪をかきあげて、額の様子を見てみた。うん、赤くなってる程度で、見た目はこぶになってる様子はないな。
「お、お兄ちゃま……」
 花穂の声に、僕は視線を落とす。
 あ。
 花穂の瞳が、僕の瞳の目の前にあった。……落ち着いて考えてみれば、額の様子を調べようと思って目を近づけたわけだから、当然といえば当然なんだけど。
「え、えっと、痛くはないかい?」
「あ、うん……、すこしだけ」
 そう言って、花穂は鼻まで毛布に潜り込んだ。
「……お兄ちゃま、花穂の……見てた……?」
 一瞬、何のことか判らなかったけど、すぐに思い当たった。
 僕は、おでこに当たらないように気を付けながら、花穂の頭にそっと手を乗せた。
「花穂……」
 その時、不意に保健室のドアが開くと、竜崎さんが入ってきた。
「あら、気が付いたみたいね」
「あ、先輩……」
 花穂がびくっと身体を竦めるのが判った。
 竜崎さんは高等部の3年生でチア部の部長だ。白並木学園のチア部といえば全国的にも有名で、毎年全国大会でも上位の常連なんだけど、そのチア部の歴史の中でもトップクラスの優秀な人で、なんでも卒業後はアメリカのNBAのチアガールに内定してるのだとか。
 まぁ、この情報はカズに聞いただけなんだけど。
 その竜崎さんは、僕に視線を向けた。
「あなたは……?」
「あ、花穂の兄です」
 血は繋がってないけど……。
「そうでしたの。済みませんが、少し席を外していただけますか?」
「え? でも……」
「チア部のことで少し花穂さんとお話がありますから」
 びくっ、と、今度ははっきりと花穂が震えたのが判った。
 そういえば、前に、花穂はドジばかりでいつも先輩に怒られてるっていう話を、花穂自身から聞いたことがある。
 とうとう堪忍袋の緒を切らして、退部処分、なんてことじゃないだろうな……。
「……あの、竜崎さん。花穂はまだ具合が良くないようなので、僕もいてあげたいんですが」
「……」
 竜崎さんは、俺に視線をピタリと向けた。
 ぞくっとした。
 何ていうのか、視線を向けられているだけなのに、無言の迫力のようなものを感じる。いわゆるオーラを感じるって奴だろうか?
「……そういえば、花穂さんは……。なるほど……ね」
 一つ頷いて、竜崎さんは俺に言った。
「ええ、わかりました。ただし、口を挟まないでくださいね。あくまでもチア部のことですから」
「……はい」
 頷いて、僕は椅子から立ち上がろうとした。
「……」
 くいっと制服の裾が引っ張られる。振り返ると、花穂が毛布の下から手を伸ばして、僕の制服の裾を掴んでいた。
 不安そうな瞳で、じっと俺を見つめている花穂。
「……判ったよ」
 小さく囁いて、僕は椅子に腰を下ろした。
「すみません、僕はこのままでいいですか?」
「……ええ」
 一つ頷いて、竜崎さんは花穂の枕元に立った。
「……花穂さん」
「は、はい……」
「怪我の具合はどうかしら?」
「だ、大丈夫、です」
「そう。……一つだけ、言っておくわね。チアは自分一人で出来るものじゃないわ。チームワークがとても要求されるものなの。わかるわね」
「は、はい……」
 頷く花穂。
 竜崎さんは、その返事を聞くと、一つため息を付いた。
「本当に判っているのかしらね? チアは全体が揃ってこそのもの。一人レベルの低い人がいたら、全体をその人に合わせないといけなくなってしまうのよ。はっきり言いますけど、花穂さん一人に付き合って、全体のレベルを落とすわけにはいかないのよ」
「……は、はい」
 蚊の鳴くような声で答える花穂。
 その返事をどう取ったのか判らないが、竜崎さんは踵を返した。
「……それじゃ、今日はもうこのまま帰ってもいいわよ」
「……はい」
 竜崎さんは、そのまま保健室を出ていった。
 その姿がドアで見えなくなってから、僕は大きく息を付いて、それからふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じた。
 なんだ、あの言い方は。そりゃ事実なのかも知れないけど、でもあんな言い方はないじゃないか!
「……ぐすっ。お兄ちゃま……、花穂、花穂ね……、すんっ」
 花穂がしゃくり上げているのを見て、一瞬で怒りは沸点を超えていた。
「ごめん、花穂、少しだけ待っててっ!」
 僕はそう言い残し、保健室を飛び出していた。

 廊下を走って、前を歩く端正な姿が目に入ると同時に呼び止めていた。
「竜崎さんっ、待ってください!」
「……?」
 足を止めて振り返る竜崎さんの前で、僕は立ち止まった。全力疾走してきたせいで乱れた息を整えると、言う。
「さっきの言い方は、ひどいじゃないですか。あれじゃ花穂が可哀想だ」
「……そうかしら? まだ随分と優しく言ったつもりですけど」
 そう言うと、竜崎さんは腕組みして壁に寄りかかった。
「チアは応援すること。そして、応援する対象は、自分が応援したい人だとは限らないの。花穂さんのような考え方でチアをしてると、そのうちに辛くなる……」
「え?」
「その壁を越えられるかどうかは、その時に身に付いている力……、チアそのものに対する愛着で決まるもの。花穂さんには、早くその壁を越えて欲しいのよ。……そうね、少し焦ってるって思われるかも知れないけど、でも私には、もう時間がないから……」
「時間……?」
「あと1年もないのよ、卒業までは」
 そう言うと、竜崎さんは窓から校庭の方に視線を向けた。
 ガラスに、その表情が映っている。
「私は……、花穂さんはどちらかだと思ってる。あっさりチアをやめて別のことを始めるか、あるいは私を越えるような素晴らしいチアガールになるか。願わくは……私を越えて欲しい」
「……竜崎さん」
「あ、ごめんなさい。変なことしゃべっちゃったわね。ただ、あなたには、花穂さんの力になって欲しいなって思ったから」
「え?」
「私、花穂さんには辛く当たってしまうと思う。そんな時、花穂さんが倒れないように支えてあげてほしいの。虫の良いお願いだとは思うけど……」
 そうか。竜崎さんは……。
 僕は一歩下がって頭を下げた。
「こっちこそ、すみませんでした。竜崎先輩の考えも知らずに……」
 その時、自然と僕は“先輩”と呼んでいた。
 彼女は微笑んだ。
「いいのよ。さ、花穂さん、待ってるんでしょ?」
「あ、はい。それじゃ失礼します」
 僕は一礼して、駆け出した。

 保健室に戻ってドアを開ける。と、不意にどんっと何かが僕にぶつかってきた。
「わっ」
「お兄ちゃま、戻ってきてくれたんだね……」
 花穂だった。僕の腰のあたりにしがみつくようにして、胸に顔をすりつけている。
 僕は苦笑して、その頭を撫でてあげた。
「当たり前だろ。竜崎さんと少し話をしてただけだよ」
「えっ?」
 驚いて顔を上げる花穂。と、その表情がくしゃっとゆがんだ。
「やっぱり、花穂……、チア部をやめさせられちゃうの……?」
「そんなわけないだろ。竜崎さんはね、花穂に期待してるって」
 これくらいは、言ってもいいだろうな、と思って花穂に伝える。
「ええっ? で、でも花穂はドジっ子なのに……?」
「でも、その分頑張りやさんだからね」
 そう言って、もう一度撫でてあげると、花穂はみるみる笑顔になった。
「うん。花穂、お兄ちゃまのためなら、頑張れるからっ」
 ……ああ、そういうことか。
 その時、竜崎さんが最初に言ったことが判ったような気がした。
 でも、今はまだ、それで良いのかも知れない。花穂にはまだ、時間はあるのだろうから。
「それじゃ、帰ろうか、花穂」
「うんっ、お兄ちゃま。……あの、あのね……」
「うん?」
「……手、繋いでも、いい?」
「ああ」
 笑って、僕は花穂の手を握ってあげた。花穂は嬉しそうに、僕の手を引くようにして歩き出した。
「お兄ちゃま、帰りましょっ」

 結局、花穂の家まで花穂を送ってから、自分の家に戻る事になってしまった。
「ただいまぁ……」
 玄関で声を掛けると、しばらく間が空いて、だだだっと足音が聞こえた。
「?」
 靴を脱ぎながら振り返ると、じいやさんが初めて見るような勢いで駆け寄ってくる。
「じいやさん、どうかしたんですか?」
「兄上さま、申し訳ありませんっ」
 僕の前で立ち止まると、深々と頭を下げるじいやさん。
「四葉さまの姿が、先ほどから見えなくなってしまって……」
「え?」
「家の中はくまなく探したのですが……。どうやら、外に出ていかれたらしく……。それから、四葉さまの部屋にこれが……」
 そう言って、じいやさんは僕に封筒を差し出した。
 受け取って見てみる。
 表には、横書きで「Dear 兄チャマ」裏返すと、「FL」とだけあり、赤い蝋で封がされていた。……今時蝋で封をする辺り、イギリス育ちの四葉らしいといえばらしいけど……。
「……FLって何だ?」
「ああ、それなら四葉ちゃんのことよ。FourLeavesの頭文字を取ったってわけね。時々アタシにくれるメールでそれ使ってたわよ」
 不意に横から声がした。びっくりしてそっちを見ると、鈴凛が脇から覗き込んでいた。
「鈴凛、いつからそこに?」
「たった今。アニキが帰ってくるの待ってたんだけど、ちょっとタイミング悪かったみたい」
 頭をポリポリと掻く鈴凛。
「ちょっと研究資金の融資をお願い、って言える状況じゃないみたいだしねぇ」
「ああ、確かに今言われても、悪いが後回しってことだな」
 そう答えながら、僕は封筒の封を切った。そして中から便せんを取り出す。
「……はぇ?」
「どったの、アニキ?」
「……鈴凛、これ読める?」
 僕は鈴凛に便せんを渡した。受け取ると、鈴凛は眉根を寄せて見つめる。
「……………………ごめん、アニキ。あたし、英語はコンピュータ関係のしかわかんない」
「英語、ですか?」
 遠慮してか一歩下がっていたじいやさんが訊ねてきた。
 僕は頷いて、鈴凛から便せんを返してもらい、じいやさんに見せた。
「これなんですけど……」
「あ、これなら……。マザーグースの有名な一つですよ」
 そう言うと、じいやさんは歌うように読んでくれた。

 Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall,
 All the King's horses,
 And al the king's men,
 Couldn't put Humpty Dumpty together again

「マザーグースっていうのは、イギリスの民謡集ですよ。これはその中でも有名なものの一つで、ハンプティダンプティの名で知られてます。鏡の国のアリスにも出てくるので、割とよく知られてますね」
「さすがじいやさん。でも、どうして四葉はこんなのを僕に?」
「そこまでは……」
 僕たちは顔を見合わせて、考え込んでしまった。

《続く》

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あとがき
 うわ、速攻でヒロインの法則が(笑)
 というわけで、四葉は出てこない、その2です。
 ……というか、なんで花穂がこんなところで出張ってるんだろう? と思われるでしょうなぁ。
 私はシスプリと言えばゲーム版(ピュアじゃない方です)なのですが、その中で主人公は昼休みになるとチア部に出かけてるんです。それで、花穂はなんかちょっと穴埋めに必ず出てくるみたいな印象があって、その分こっちのSSでも登場回数がやたらと多い、と。
 ……あと、花穂ファンの人が、花穂が登場するたびに大喜びしてくれるので、というのもあります。ええ(笑)

 ちなみに、ピュアストーリーズは買ってません。というか出てるの知らなかった(笑)

PS
 チアリーディング部の呼び方ですが、チア部とリーディング部とどちらが正しいのでしょう?
 今回チア部になってるのは、花穂の本でそう花穂が言ってたからなんですが。前にリーディング部って言ってたのも何かもとネタはあったはずなんだけどなぁ。

01/12/16 Up

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