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衝撃の過去が明らかになったあの日から、あっという間に数週間が過ぎていった。
《続く》
あの後、親父とお袋は数日の間は家にいたが、また慌ただしく次の赴任先の国とやらに旅立ってしまい、僕たちはまた、元の生活に戻っていた。
ちなみに、春歌と四葉は、すったもんだの末に、結局僕の家にそのまま住み込むことになった。そのことについてはおいおいと話す機会もあるだろう。
今までなら、休みの日は、昼前まで寝てたところだ。だけど、僕の家に2人の妹が同居するようになってから、特に春歌のおかげで、僕も毎日規則正しい生活を送れるようになっていた。
なにしろ、雨が降ろうと休みだろうと、毎朝6時には必ず起こしに来るのだ。下手な目覚ましも真っ青である。
日曜の今日も、そういうわけで、7時の時報を聞く頃には、僕たちは、リビングのテーブルについて、朝食をとっていた。
ピンポーン
朝食の最中に、突然玄関のチャイムの音が聞こえた。
いつものように、僕の隣に座って、甲斐甲斐しくお味噌汁をよそっていた春歌が、お椀を僕の前に置いて立ち上がる。
「兄君さまはそのまま。わたくしが応対して参りますわ」
「あ、うん」
朝食を中断することもない、と思って頷く僕。どうせこんな朝の時間帯に来るのは妹の誰かだろうし。
ふきんで手を拭きながら、ぱたぱたと出ていく春歌。割烹着がますます身に付いてきてるなぁ。
「……お兄ちゃん、可憐は、あんまり春歌ちゃんになにもかもやってもらうっていうのも、良くはないと思うんだけど……」
「う。それもそうだなぁ」
春歌が何くれとなく世話を焼いてくれるので、ついつい甘えてたけど、言われてみればもっともだ。
「今度からちょっと気をつけよう。……ところで、可憐。いつの間に来てたの?」
「……最初からいたもん」
「ごっくん。あにぃ! ボク、お代わりっ!」
僕の向かい側に座って、「いただきます」を言ってからずっと、一心不乱にご飯を掻き込んでいた衛が、カラになったお茶碗を僕の方に突き出す。
「僕?」
「だって、ご飯そっちにあるんだもん」
確かに、ご飯の入ったおひつは、さっきまで春歌が座っていたポジション、つまり僕の隣に置いてある。
「あっ、可憐がよそってあげるね」
可憐が立ち上がると、衛からお茶碗を受け取った。
「……可憐、なんとか目立とうとしてるのか?」
「お兄ちゃんの意地悪〜」
「あははっ」
衛と僕が笑い、可憐も笑顔になる。
「うふふっ。衛ちゃん、大盛り?」
「ううん、徳盛り」
「ええっと、……こんな感じ?」
衛のお茶碗にご飯を山盛りに載せる可憐。
僕は、ふとリビングを見回した。
「……ところで、なんか静かだと思ったら、四葉が見えないなぁ」
「もぐもぐ……。まだ、寝てるんじゃないの?」
可憐に盛りつけてもらったご飯を掻き込みながら言う衛。
「衛ちゃん、口の中にものを入れたまましゃべるのは、お行儀悪いよ」
「はぁい」
と、そこに、噂をすればなんとやら、という感じで、パジャマ姿のままの四葉が入ってきた。
「……ふわぁ……、眠い……デス」
「どうした、四葉?」
「あ、兄チャマ……。チェキ……」
四葉はかくんと頭を下げた。それから、大あくびをする。
「……ねむ……デス……」
「うわぁ……。四葉ちゃん、目が真っ赤よ。夜、遅かったの?」
可憐が心配そうにその顔をのぞき込む。
四葉はこくりと頷いて、もう一度あくびをする。
「はいデス……。このあいだ、鞠絵チャマに教えてもらった探偵小説を読んでたら、朝になってましたデス……」
「鞠絵に教えてもらった探偵小説? 何だい?」
「ええっと……」
四葉は少し上を睨んで、ぼそっと言った。
「もーろーのばこ」
「……?」
顔を見合わせる僕ら。
「確か、……そんなタイトルだったデス」
「ま、それはそれとして、とりあえず顔を洗っておいで」
「……ふぁいデス……」
こくんと頷いて、出ていく四葉。
それと入れ替わるように、春歌が戻ってきた。
「兄君さま、お客様ですよ」
「えっ? 誰なんだい?」
聞き返すと、春歌は答えた。
「亞里亞さんのところのじいやさんです。兄君さまはお食事中ですと申し上げましたら、それならお待ちしますとのことでしたので、客間にお通ししておきました」
「えっ? それなら呼んでくれればすぐに行ったのに」
そう言いながら立ち上がろうとする僕の肩を、すっと近寄ってきた春歌が押さえる。
「駄目です。ちゃんと落ち着いて召し上がらないと、消化にも悪いですから」
「そうだよ、お兄ちゃん。じいやさんは可憐がお相手してますから」
そう言って立ち上がる可憐。
とりあえず、朝食を中断するのは許されない様子だった。
「……わかったよ、春歌。それじゃ可憐、じいやさんのお相手、頼むね」
「うん、お兄ちゃんゥ」
可憐は笑顔で頷いて、部屋を出ていった。
20分くらいかけて、食後のお茶までのコースをこなした僕は、ようやく解放されて客間に急いだ。
ノックをしてドアを開けると、じいやさんと可憐が楽しそうに話をしていた。
「まぁ、そうですか」
「ええ。……あ、お兄ちゃん」
可憐が顔を上げ、そしてじいやさんも僕に気付いて慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「失礼いたしました。つい、話に夢中になってしまいまして、気付きませんでした」
「あ、別に構わないですよ」
恐縮した風のじいやさんに、却って僕の方が恐縮してしまう。
「それで、どうしたんですか? まさか、亞里亞に何か……?」
「……まぁ、当たらずと言えど遠からず、です」
頷くと、じいやさんは済まなさそうに切りだした。
「実は、亞里亞さまが、急に、どうしても兄やさまにお逢いしたい、と言い出されまして」
「なんだ、そんなこと。別に僕は構わないですよ。今日は予定も特にないし」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるじいやさんに、僕は慌てて声を掛ける。
「いえ、そんなに頭を下げないでください。それじゃ、ちょっと着替えてきますから」
「はい。それでは、外でお待ちしております」
もう一度、今度はやや軽く頭を下げるじいやさん。
「……あ、あの」
と、そこに、今まで黙って聞いていた可憐が、不意に口を挟んだ。
「可憐も一緒に行って、いいですか?」
「えっ? ええ、もちろんかまいませんが……。兄やさまはいかがですか?」
「別にいいよ。みんなで大勢っていうのはちょっと問題ありだけど、可憐なら大丈夫だと思うし」
基本的には全員仲の良い妹たちだけど、これだけ人数がいると、やっぱりそれなりに相性のいい悪いっていうのがあるのだ。なんて、僕もようやく最近になって判ってきたことなんだけどね。
内気な亞里亞と相性がいいのは、やっぱり優しい可憐なのだ。……咲耶に言わせれば、可憐はお子さまの扱いが上手い、ってことらしいけど。
「ありがとう、お兄ちゃんゥ」
可憐はにっこりと笑った。
ブロロローッ
じいやさんの運転する黒塗りの高級車の後ろに、僕と可憐は並んで座っていた。
そういえば、亞里亞の家に行くのは初めてだった。
「可憐は、亞里亞の家に行ったことあったんだっけ?」
「ううん、可憐も初めて」
そう言って、可憐はきゅっと僕の手を握った。
「でも、お兄ちゃんが一緒だから」
「そんなに緊張なさらなくても、大丈夫ですよ」
じいやさんは笑ってハンドルを切る。
それにしても、運転が上手いなぁ。さっきからほとんど揺れないし。
「じいやさんって、ずっと亞里亞の世話を……?」
「はい。亞里亞さまが私どもの元にいらっしゃってから、ずっとお世話をさせていただいております」
視線は前に向けたまま答えるじいやさん。
「ずっと、ってことは、フランスから……ですか?」
「ええ。……もともと、大奥様……亞里亞さまのおばあさまが日本からフランスに嫁がれたときに、一緒に日本人の侍女を数人お連れになったのですが、そのうちの一人が私の母なのです。その縁がありまして、亞里亞さまがいらっしゃって、新しくお世話する者が必要になったとき、私にお声がかかったのです」
「なるほど。それじゃ、じいやさんってハーフなんですか」
「ええ。亞里亞さまは、クォーターとなるわけですね」
確か、四葉や春歌もクォーターだって聞いたような気がする。
「亞里亞さまはあの通り、内気な方ですから、パリにいらっしゃった当時はなかなか懐いていただけずに、大変でした。……あ、すみません、失言でした」
そこで言葉を切ると、じいやさんは車を止めた。
僕は窓の外を見て、思わず絶句した。
「なっ!?」
「どうしたの、お兄ちゃん? ……わぁ」
可憐もため息を漏らす。
「……素敵」
僕らの目の前に広がっているのは、およそ日本とは思えない瀟洒なお屋敷だった。
と、おおきな鉄格子の門が音もなく開き、車はそのまま庭に滑り込んだ。
左右に色々な花の咲き乱れる庭を5分ほど走って、ようやく屋敷の玄関前に車が着く。
じいやさんは車を降りて、僕らの方のドアを開けてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「あ、すみません」
僕は頭を下げて車を降りる。その後から降りてきた可憐が、僕に囁いた。
「お兄ちゃん、可憐、もっといい服着てくればよかったかな……?」
「可憐はそのままで可愛いよ」
「おっ、お兄ちゃん……。やだぁ、もうゥ」
はにかむ可憐。
しかし、僕ももう少し良い服にすれば良かった。
「兄やさま、可憐さま、こちらへ」
じいやさんは玄関を開けて、こちらに視線を向けた。僕らは慌ててそっちに駆け寄った。
「こちらでお待ちください。亞里亞さまをお呼びして参ります」
一礼してドアを閉め、じいやさんは出ていってしまった。
僕らは部屋を見回した。
多分、客間……なんだろうなぁ。
20メートルはありそうな大きな部屋で、床は足首まで埋まりそうな絨毯。天井からはシャンデリアまで下がっている。ソファも座ってみるとずわっと身体が沈み込むような革張りのもの。
「お兄ちゃん、あれ……」
可憐が指さす方を見ると、そこにはグランドピアノが鎮座せしましてたりする。
「見てきても、いいかな?」
「ああ、いいんじゃないかな?」
「うんっ」
頷いて、可憐はピアノに駆け寄った。そして声を上げる。
「わぁっ!」
「どうしたんだい?」
僕は可憐のところに歩み寄った。
「ほら、お兄ちゃん、これ見てっ」
珍しく(というか、初めて)興奮した様子で振り返ると、可憐はピアノのメーカー名のところを指した。
普通なら『YAMAHA』とかあるところに、『Bosendorfer』って書いてある。
「ぼ……ぼせんどーふぇ?」
「ベーゼンドルファー、だよ、お兄ちゃん」
そう言ってから、可憐は振り返る。
「お兄ちゃん、可憐、弾いてみたいな……。だめ?」
うーん。亞里亞の家のものを勝手に使うのはまずいよなぁ。
「駄目だよ、可憐」
「……そうよね。ごめんなさい、お兄ちゃん」
しゅんとしてしまう可憐。うう、なんか僕の方が可哀想になってしまった。
とはいえ……。
もう一度ピアノに視線を向ける。
ピアノと言えば、学校の音楽室にあるやつしか見たこと無いけど、あれと比べると、こっちにはそこはかとない高級感がある。それに、顔が写るくらいにぴかぴかに磨き上げられて、ほこり一つ被ってないところを見ると、多分大切にしてるんだろうな、って判る。
なおも未練ありげにちらちらとピアノを見ている可憐に声を掛けようとしたとき、後ろのドアが開いた。
「お待たせしました。さぁ、亞里亞さま」
「……兄や」
小さな声で僕を呼びながら、じいやさんの後ろから顔を出す亞里亞。
僕は亞里亞のところに歩み寄って、屈んで訊ねた。
「やぁ、亞里亞。呼んでるって聞いたから、急いで来たよ。どうしたの?」
小さな子を相手にするときの極意は、自分も屈むなりして目線を合わせること。……っていうのは、可憐の請け売りなんだけど。
「うん……。あのね、亞里亞ね……クッキー焼いたの。お砂糖、いっぱい入れて、甘いクッキー、焼いたの。それで、兄やにも、食べてもらおうと思ったの」
一生懸命に言う亞里亞。
僕は、亞里亞の頭にぽんと手を乗せた。
「ありがとう、亞里亞。食べさせてもらえるかい?」
「うんっ」
亞里亞は目を細めてにっこりと笑うと、ポケットから袋を出した。
「これ……なの」
「へぇ……」
「それでは、こちらにどうぞ」
後ろからじいやさんの声がした。振り返ると、いつの間にか、小さなテーブルにティーセットが用意されている。
「ありがとう、じいやさん。亞里亞、それじゃ座っていただくよ」
「……うん」
「あ、あの……」
可憐がじいやさんに声を掛けた。
「はい、なんでしょう?」
「お願いがあるんですけど……。あのベーゼンドルファー、弾いてみたいんです……。お願いします、お願いですっ。一度だけでいいですからっ!」
投票日前日の候補者のような必死さで頼み込む可憐。
じいやさんはくすっと笑った。
「ええ、構わないですよ」
「わぁっ! ありがとうございます、ありがとうございますっ」
今度は選挙速報で当確が出た候補者のような喜びようだった。
「良かったな、可憐」
「うんっ。あ、でも、お兄ちゃんに聞かせるのは、ちょっと恥ずかしいな……」
少し顔を赤らめると、それでも可憐は、たたっとピアノに駆け寄った。そして蓋を開け、鍵盤を覆うびろうどを脇に置くと、軽く弾いてみる。
「……わ、綺麗な音……」
小さく歓声を上げると、椅子に腰掛け、ゆっくりと曲を弾き始める。
そのピアノの生演奏をBGMに、僕は亞里亞の焼いてくれたクッキーを摘んだ。
「……うん、美味しい」
「あ……。兄や、ありがとう……なの」
亞里亞は嬉しそうに笑った。
僕は、じいやさんの入れてくれた紅茶を口に運ぶ。
「あら、兄やさま、お砂糖は?」
「……いえ、結構です」
亞里亞の作ってくれたクッキーは、本気で甘かった……。
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あとがき
『しすたぁぷりんせす』第2部、いよいよ本編に突入の回です。
この第2部は、私にしては珍しく、おおざっぱながら予定を立てて書いています。
……あくまでもおおざっぱ、です。かつて、『プールに行こう』を前後編で書こうと思って書き始めたのと同じくらいおおざっぱです。
PS
ちなみに、本編で四葉が鞠絵から教えてもらって読んでいたという探偵小説「もーろーのばこ」は、正しくは「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」京極夏彦氏の作品ですね。新書判で680ページほどあります。
PS2
可憐の弾いているピアノのメーカーについて、読者の方から指摘を受けましたので、色々調べて書き直しました(笑)
01/05/24 Up 01/05/27 Update