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しすたぁぷりんせす〜12人の姫君達〜
第19話

「……ありあ」
 僕の唇が言葉を紡ぐ。
 それを聞いて、少女の表情がぱっとほころんだ。そのまま、とてとてと歩み寄ってくると、僕に抱きつく。
「兄や、……くすん、くすん」
 そのまま泣き出しそうになったので、僕は慌てて他の娘に助けを求めた。
「ちょ、ちょっと咲耶、可憐、春歌、なんとかしてくれっ」
「……兄チャマ、どうして四葉には何も言わないデスか!?」
「あ〜、いや、それはだなぁ」
「チェキチェキチェキッ! はっきり言うデス!」
「くすんくすん、怖い……」
 僕に詰め寄る四葉に、おびえるように後ろに隠れる少女。
「こら四葉。この娘がおびえてるじゃないか」
「だって、兄チャマが……」
「四葉ちゃん、ここはお引きなさい」
 後ろから投げかけられた咲耶の言葉に、四葉は言い返そうと振り返る。が、咲耶の表情を見て、慌てて一歩下がる。
「……咲耶チャマ、怖いデス……」
 そう、咲耶の表情は、いつもの表情とは違っていた。
「……お兄様、これでお兄様の妹が全員揃ったわ」
「……全員?」
「まぁまぁ、みんな。立ち話もなんだから、お兄ちゃんのお家に入ってお話ししよ。ね?」
 可憐が軽く手を振りながら言った。僕はその言葉にほっとして頷いた。
「そうだね。……ところで可憐、いつからいたの?」
「……くすん、最初からいたもん……」

 僕たちは、リビングルームに集まった。
 こぽこぽこぽ……。
「……粗茶ですが」
「あ、これはご丁寧に」
 僕は、春歌の煎れてくれたお茶を一口飲んだ。
「……美味い」
 思わず口をついて出た言葉に、春歌が嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます、兄君さま」
「うーっ、あたしだって、コーヒーの煎れ方なら負けないのに〜。ううん、でもお兄様が緑茶の方が好きだっていうなら、これも愛の試練よね……」
 湯飲みを片手にぶつぶつ呟く咲耶。
 一方、可憐は女の子にホットミルクの入ったカップを差し出した。
「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね」
「……う、うん」
 こくんと頷いて、カップを手にすると、少女は一口飲んだ。そして、可憐に視線を向ける。
「……くすん、ミルクが甘くないの……」
「あっ、いつもはお砂糖入れてるの? それじゃちょっと待ってね。……お砂糖入れて、くるくるくるっと。はい、どうぞ」
「こくん。……うん、美味しい」
 可憐が砂糖を入れてかき混ぜたミルクを飲んで、ようやく落ち着いたようににっこり笑う少女。
 僕は、咲耶に尋ねた。
「……咲耶、あの娘もやっぱり……?」
「そうよ、やっぱり愛よね……。えっ? な、なにっ!?」
「亞里亞さんは、わたくしや四葉さんと同じように、外国に行っていた兄君さまの妹ですわ」
 心ここにあらずだった様子の咲耶に代わって、春歌が答えた。
「外国? ええっと、確か四葉がイギリスで、春歌がドイツだったよね。そうすると……」
「亞里亞ちゃんはずっとフランスにいたのよ」
 咲耶が口を挟んだ。そう言われてみれば何となくおフランスって感じがするな。
 ……それはさておいて、と。
 僕は、咲耶に向き直る。
「それで、咲耶。さっき言ってた、僕の妹が全員揃ったって、どういうことなの?」
「お兄様の妹は、12人いるの」
 いまさら12人だろうが24人だろうが驚かないけど……。いや、さすがに24人は驚くか。
 それにしても12人もいたら、バレーボールの試合が出来ちゃうよなぁ。
 そんな場違いな感想を思い浮かべて、僕は頭を振ってそれを振り払った。そして咲耶に尋ねる。
「一体、何がどうなってるんだ?」
「それは……」
「咲耶くん、それはここで言うことじゃないよ」
「どうわぁっ!」
 後ろから耳元で囁くような声がして、僕は思わず飛び上がった。慌てて振り返ると、そこにはいつも通り、物憂げな表情を浮かべた千影がいた。
「千影!?」
「ふむぅ。千影チャマ、いつもどこから来るのか判らないデス。これはチェキしなくちゃ!」
 四葉は立ち上がって虫眼鏡を出すと、閉まったままのドアを調べ始める。
 それを無視して、千影は亞里亞の横まで行くと、ちょこんと椅子に座ったままの亞里亞を見下ろした。
「やぁ、亞里亞くん……」
「……くすん」
 千影の視線に怯えたのか、亞里亞は隣にいた可憐のスカートをぎゅっと握りしめた。可憐が優しく言う。
「大丈夫よ、亞里亞ちゃん。千影ちゃんは怖くないから」
「くすん……。ホント……?」
 おそるおそる、千影に視線を向ける。
「……それは、亞里亞くん次第だね」
 そう呟くと、千影は僕に視線を向けた。
「兄くん、キミは……まだ、思い出してない……。そうだね……?」
「え?」
 確かに……。僕は、妹たちと過ごしたという記憶を、まだ思い出せていない。
「千影ちゃん、でも、もう全員揃ってしまったのよ」
 咲耶が立ち上がった。そして千影に鋭い視線を向ける。
「まだ、待たなくちゃいけないって言うの?」
「……そう」
 千影は頷いた。
「条件は整ったよ。でも、まだ……時は来てない」
「……」
 しばし、にらみ合う千影と咲耶。……と言うよりは、咲耶が一方的に睨み付けて、千影はそれを受け流してるっていう風情だけど。
 僕は決心して、口を開いた。
「咲耶、千影。説明してくれないか?」
「お兄様?」
「兄くん……」
 2人は驚いた表情で、僕の方を見る。まさかとは思うけど、僕がいたこと、忘れてたんじゃないだろうか?
「……そうか」
 千影は、ふっと微笑んだ。
「兄くんは、もう……。判った」
「話してくれるのかい?」
「ああ。……ただし、全員が揃ったところで」
 千影はそう言うと、背を向けた。
「それじゃ、……また来世……」
「あ、ちょっと千影ちゃん、待って」
 可憐が呼び止めた。そして肩越しに振り返った千影に、にっこり笑ってみせる。
「せっかく来たんだし、お茶飲んでいきませんか?」
「……ふふ、相変わらず優しいな、可憐くんは……。時に残酷なくらい……」
「えっ?」
「いや、なんでもないよ」
 首を振ると、そのまま行ってしまうと思いきや、向き直る千影。
「たまには……、それも、いいかもしれない……」
「うん、そうだよ。可憐、千影ちゃんとも仲良しになりたいし。紅茶でいいかな?」
 立ち上がる可憐。
 千影は笑みを浮かべたまま訊ねる。
「どうして、紅茶だって思うのかい?」
「なんとなく、かな。だって、千影ちゃんには紅茶が似合うって思ったから」
「血のように赤いワインの方が好きだけどね。……本物の血には負けるけど」
 いろんな意味で危ないセリフを呟くと、千影は優雅に椅子に腰掛けた。……ところで、あの椅子、誰が引いたんだろ?
 それにしても……。
「兄チャマ!」
 不意に後ろから四葉が腕を引いた。そして、振り返った僕に興奮した口調でまくし立てる。
「兄チャマ、この部屋のドアは、最後に可憐チャマがホットミルクを持ってきてから開いてないデス!」
「どういうこと?」
「これを見るデス!」
 四葉は、一本の茶色がかった長い髪の毛を見せた。
「これがドアに引っかかってたデス。この長さから言って、可憐チャマの髪の毛デス!」
「あ、やだ。ごめんなさい、お兄ちゃん」
 可憐がぽっと赤くなる。
 僕は四葉の差し出す虫眼鏡でその髪の毛を見てみた。確かに色と長さから言って、咲耶でもなけりゃ春歌でも千影でもない。
「ドアを開けたら、この髪の毛はドアから落ちてたデス。でも、髪の毛はドアについたままだった。コレはつまり、最後に可憐チャマがドアを閉めてからは、誰もドアを開けなかったことを意味してるのデス! 他の人の目はごまかせても、この四葉ちゃんの目はごまかせないデス!」
「なるほど。さすが四葉。偉いなぁ」
「えへへ〜、そんなに兄チャマに褒められると、四葉照れるデス〜
 ぽっと赤くなると、四葉は指をつんつんと突き合わせた。
「それで?」
「……は?」
「とりあえず、可憐が最後にドアを閉めたんだってことは判ったけど、それがどうかしたの?」
 僕が訊ねると、四葉ははっとして身を引いた。
「ええと、それはぁ……。むぅ、さすがやりますね、兄チャマ。それでこそ、四葉のチェキ相手デス!」
「……ええっと」
 チェキ相手って、何なんだろう?
「まぁ、いいけど」
 ため息をつくと、咲耶は言った。
「それじゃ、今度の週末にみんな集まりましょうか。その席で……。お兄様も、それでいいわね?」
「ああ」
 僕は、ごくりと唾を飲み込んで頷いた。
「それじゃ、可憐、紅茶煎れてくるから、ちょっと待っててね、千影ちゃん。あ、お兄ちゃんも紅茶、飲みますか?」
 出ていこうとした可憐が、ふと足を止めて、じぃーっと僕を見つめた。
「うん、そうだね。ありがと、いただくよ」
「はいっ!」
 ぱっと笑顔になって、可憐はスキップしかねない勢いで出ていった。
 それを何となく見送っていると、不意に咲耶に腕を引かれた。
「お兄様、まさかとは思うけど、コーヒーは嫌いだったりするのかしら?」
「え? いや、そんなことないけど……」
「そうよねっ。はぁ、よかったぁ」
 胸をなで下ろす咲耶。
「コーヒーがどうかしたの?」
「ううん、何でも
 ……これ以上追求するのは止した方がいいかもしれない。
「……そうよ、やっぱり愛し合う2人に似合うのは、夜明けのモーニングコーヒー 見つめ合う瞳と瞳、そして立ち上るかぐわしき香り。お兄様、私の煎れたコーヒー飲んで。いや、それより僕はお前が……。いやぁん、お兄様ったらそんな大胆な……
 ……追求してもしなくても同じだったかもしれない。
 目を丸くしていた春歌が、僕に小声で尋ねた。
「兄君さま、咲耶さんはいつもこんな風なのですか?」
「ええっと……、いつもじゃないんだけど、たまに帰ってこなくなることがあるから……」
 僕はぽりぽりとほっぺたを掻きながら答えた。
「……兄や……。くぅ……」
「えっ?」
 呼ばれたような気がして亞里亞の方を見ると、亞里亞が隣に座っている千影の肩にもたれるように眠っていた。
 僕の視線に気付いて、千影が「静かに」というゼスチャーをしてみせる。
「あ、うん。寝ちゃったのかい?」
「ああ……」
 千影は、優しげな表情で、眠る亞里亞の唇をそっと指でなぞった。
「無垢な魂は、いい触媒になるんだ。兄くん、キミもね……」
 ……呟いているセリフは相変わらず物騒だけど。
 あ。
「……ところで、亞里亞はどこから来たんだろう?」
「フランスからと、先ほど申し上げましたが……」
 春歌がきょとんとしながら言う。僕は首を振った。
「いや、そうじゃなくて……」
 と、不意に電話のベルが鳴り出した。
「あ、わたくしが出ますわ」
 そう言って、春歌が受話器を取る。
「はい、もしもし……? あ、はい。春歌でございます。ご無沙汰しておりました。……はい、おられますよ。……ええ。いえ……」
 ……誰だろ? 春歌の知り合いなのかな?
「……はい。それでは、明日いらっしゃると兄君さまにはお伝え申し上げておきますわ。……はい。それでは失礼いたします」
 最後は深々と頭を下げて、春歌は電話を切った。
「春歌、誰からだったの?」
「はい。亞里亞さんのじいやさんからです」
 受話器を元の場所に戻して振り返る春歌。
「じいやさん?」
 確かに亞里亞の格好を見ると、まさにお嬢様って感じで、じいやの一人や二人はいてもおかしくない気がする。
「で、そのじいやさんが何だって?」
「ええ、亞里亞さんを探しておられましたので、こちらにいらっしゃいますと伝えました。ただ、もう眠ってしまってると。そうしましたら、それでは明日の朝、迎えに参ります、と」
「なるほど……。って、それじゃ今夜は亞里亞をここに泊めるってこと?」
「はい」
 にっこり笑って頷くと、春歌は僕の表情を見て言葉を継いだ。
「ご心配なく。兄君さまに苦労はかけさせませんわ。万事お任せくださいまし」
「……はぁ」
 と、そこに可憐がティーカップをお盆に載せて戻ってきた。
「お待たせ。……あら、亞里亞ちゃん、寝ちゃったんだ……」
「ああ」
 千影は頷いて、そっと亞里亞を抱き上げた。
「春歌くん、亞里亞くんを先に寝かせようと思うんだが、案内してくれないか?」
「そうですね。それでは、こちらにどうぞ」
 立ち上がると、しずしずと部屋を出ていく春歌と、亞里亞を抱いてその後を歩いていく千影。
 ……ここ、僕の家だよな、確か。
 まぁ、いいか。
 僕は苦笑しながら、可憐の渡してくれたティーカップに口を付けた。

 翌朝。
「……さま、兄君さま」
 ゆさゆさ、と揺さぶられて目を開けると、春歌の笑顔が飛び込んできた。
「もう朝ですよ、兄君さま」
「……ふわぁ」
 一つあくびをして、枕元の時計を見る。
 ……5時?
「あの、春歌……」
「早起きは三文の得、と申しますのよ」
 笑顔でそう言われると反論の余地もない。
 僕は苦笑して起き上がった。
「とりあえず、おはよう、春歌」
「あっ、わたくしとしたことが、挨拶を忘れてしまうなんて……」
 ぽっと赤くなって、春歌は慌てて頭を下げた。
「おはようございます、兄君さま」
 そして僕たちは、顔を見合わせて、くすっと笑い合った。

 とりあえず顔を洗ってから、自室に戻ろうと廊下を歩いていると、客間のドアが開いて、パジャマ姿の咲耶が顔を出した。髪の毛もいつものツインテールじゃなくて下ろしてるので、なんか雰囲気が違う。
「うぬ〜」
 ……それ以前に、なんかぼーっとしてるなぁ。
「……やぁ、咲耶。おはよう」
 僕が声をかけると、咲耶はこっちに視線を向けた。
 そのままで、10秒、15秒……。
「あ、あの、咲耶?」
「えっ? きゃぁっ!!」
 悲鳴を上げて、客間の中に飛び込む咲耶。
 驚いて後を追いかけようとした僕の鼻先で、ドアがばたんと閉まる。
 客間の中で、眠そうな可憐の声が聞こえた。
「咲耶ちゃん、……どうしたのぉ?」
「……ああ〜〜」
 なんか呻き声みたいなのが聞こえる。
 ……こりゃ、しばらく放っておいた方がいいかも。
 僕はそう思って、客間から離れることにした。

 リビングルームに入ると、キッチンから春歌が出てきた。
「あ、兄君さま。もう少しで朝餉の用意が整いますので、もう少しお待ちくださいね」
 そう言えば、いい匂いがするなぁ。
 そう思って春歌に視線を向けた。そして訊ねる。
「ところで春歌、その割烹着、どこから出したの?」
「はい? あ、この制服ですか? 兄君さまのお世話をするのですから、当然ですわ」
「制服?」
「……違ったのですか? わたくし、日本のメイドさんの制服はこれだと聞いたのですが……」
 春歌は、袖を広げて自分の格好を見た。
 うーん、いつもの着物に袴っていう格好もいいけど、こっちもこれはこれで日本の若奥さんって感じでそそられるなぁ、って何を言ってるんだ僕はっ!?
「兄君さまがお気に召さないのならば、すぐに着替えますけれど……」
「あっ、いやそんなことはないぞビバ日本!」
 僕が慌てて答えると、春歌はにっこり笑った。
「ありがとうございます、兄君さま
 と、そこに何か焦げたような臭いが漂ってきた。
「あれ? なんか焦げ臭いな……」
「えっ? あっ! お鍋をかけっぱなしでした!」
 慌ててキッチンに駆け戻る春歌。ややあって、ため息が聞こえてきた。
「あうう〜」
 心配になって声を掛ける。
「大丈夫、春歌?」
「だっ、大丈夫ですっ!」
 と。
 ピンポーン
 チャイムの音が聞こえた。
 こんな朝早くから、誰だろう?
「春歌、誰か来たみたいだから、出てくるよ」
「はい、お願いします、兄君さま。……きゃぁ」
 がちゃん
 悲鳴と何かをぶつける音。
 大丈夫だろうか? と思いながらも、僕は玄関に向かった。

「はい?」
 ドアを開けると、そこにはメイド服を身にまとった美人がいた。
 って、メイド服!?
「おはようございます」
 その人は、深々と頭を下げた。
「亞里亞さまのお世話をさせていただいております者です。亞里亞さまは、まだ眠っていらっしゃいますか?」
 あ、そういえば、朝に迎えに来るって言ってたっけ。
「わざわざ済みません。ええと、僕が亞里亞の兄……です」
「はい、存じ上げております。私のことは、じいやとお呼びください」
 ……はい?
 改めてその人を見てみる。……どう見ても20代のメイドさん。
「あの、失礼ですが、どうしてじいやなのですか?」
「……はい」
 その人は苦笑した。
「亞里亞さまがそう呼びますもので。亞里亞さまは、身の回りの世話をする者はすべからくじいやなのだと思いこんでおられまして……」
「なるほど」
「あっ、じいや……」
 後ろでか細い声がした。振り返ると、亞里亞が可憐に手を引かれて立っていた。
「おはようございます、お兄ちゃん。ほら、亞里亞ちゃんも、ご挨拶」
「あ、うん。……おはよう、兄や……」
「はい、おはよう、亞里亞、可憐」
 僕が挨拶すると、亞里亞はぽっと赤くなって可憐の後ろに隠れてしまった。
 うーん、恥ずかしがり屋なんだなぁ。
「亞里亞さま、お迎えに参りました。さぁ、戻りましょう」
 じいやさんが声を掛けると、亞里亞はふるふると首を振った。
「いや……。亞里亞、兄やといたいの……」
「亞里亞さま……」
 困った顔をするじいやさん。
 可憐が、振り返るとかがみ込んで、亞里亞と視線を合わせる。
「亞里亞ちゃん、お兄ちゃんと一緒にいたいのは判るけど、今は戻った方がいいと思うよ」
「……くすん」
 泣きそうな顔をする亞里亞。
 思わず声を掛けようとする僕を、可憐は「待って」と手真似で止めた。それから、優しい声で言う。
「いいこと、教えてあげる。あのね、美味しいケーキをもっと美味しくする方法があるの」
「ケーキを、もっとおいしくするほうほう?」
 効果覿面。亞里亞はぱっと顔を上げた。
「それはね、美味しいケーキを食べたいな、って思っても、ちょっとだけ我慢することなの」
「がまん?」
「うん。そうしたら、我慢したぶんだけケーキが美味しくなっちゃうの」
「がまんしたぶんだけ、おいしくなるの?」
「そうよ。お兄ちゃんも一緒。逢いたい、一緒にいたいって思っても、少し我慢するの。そうしたら、次に逢えたときに、もっとずっと楽しくなるのよ」
「もっと、ずっと、たのしくなる……」
「そうよ。だから、今日は一度戻った方がいいと思うな。そうしたら、次にお兄ちゃんに逢えたときが、ずっと楽しくなるから。判るよね?」
「……うん」
 亞里亞はこくんと頷いて、僕に視線を向けた。
 僕も笑顔で頷く。
 それを見て、亞里亞はとたたっと僕に駆け寄ってくると、ぎゅっとしがみついた。
「兄や、亞里亞、兄やのこと、大好き。シフォンケーキと同じくらい大好き」
「……うん。僕も亞里亞のこと、好きだからね」
「うん……」
 もう一度きゅっとしがみついてから、亞里亞はじいやさんのところに歩いていった。
「じいや……、ごめんなさい」
「亞里亞さま……?」
 一瞬驚いた顔をしたじいやさんは、すぐに笑顔になって、その頭を撫でた。
「いいんですよ。さ、帰りましょうね」
「……」
 こくんと頷いて、亞里亞はじいやさんに続いて外に出た。そして振り返る。
「兄や……」
「またね、亞里亞」
「……うん。ばいばい」
 小さく手を振って、亞里亞は家の前に止まっていた黒塗りの大きな自動車に歩み寄った。待っていたじいやさんがタイミング良く後部座席のドアを開け、その中に亞里亞が乗り込むとドアを閉める。
 ブロロローーッ
 後部座席でこっちに手を振る亞里亞の姿が、あっという間に小さくなると、僕は振っていた手を下ろして可憐に言った。
「ありがと。助かったよ、可憐」
「お兄ちゃん
 可憐ははにかむように微笑むと、僕の腕に自分の腕を絡めた。そして、僕の胸に自分の頭をそっと寄せて目を閉じる。
「可憐は、嘘つきですね……」
「えっ?」
「だって、亞里亞ちゃんにはあんなこと言ったくせに、可憐はずっとお兄ちゃんのそばにいるんだもの……」
「可憐……」
「だけど、もう少しだけ、こうしていたい……」
「……ああ」
 僕たちは、もうしばらく、その姿勢のままだった。

 そうしていたのが四葉と咲耶に見つかってしまい、朝食の席で散々もめることになってしまったのだが、それはまた別の話である。

《続く》

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あとがき
 亞里亞登場。
 そして、次回最終回。
 ……の予定(笑)

01/05/21 Up

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