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「じゃーん、お待たせっ!!」
《続く》
そう言いながら、服を着替えた鈴凛が戻ってきた。そして、目を丸くする。
「……なにしてんの?」
「見てわからんか?」
「うん、全然」
「うーっ、離すチェキーッ!」
「わわっ、四葉ちゃま、動いちゃ……ああん」
「あいたたたっ、花穂そこは握ったらダメだっ!」
「あっ、ご、ごめんなさいっ。……ふぇぇ、やっぱり花穂はドジっ子だから」
「花穂チャマ、泣く前にそこをどくチェキ!」
「り、鈴凛、助けてくれぇ……」
と、いきなりラボの入り口のドアが開いた。
「兄君さまっ、この春歌がただいまお助け致しますわ……。えっ?」
「はっ、春歌!?」
なぎなたを手にして飛び込んできた春歌が、僕たちを見てかぁっと赤くなった。
「あっ、兄君さま、そのようなはしたないことを……、いけませんっ!」
「あ、いやこれはだね……」
「きゃうっ、兄チャマ、変なところ触ったらダメチェキ! あ、でも兄チャマなら……くふふゥ」
春歌は、なぎなたを構えた。
「兄君さま、春歌は覚悟を決めました。かくなる上はわたくし、兄君さまを成敗します。もちろん、その後でわたくしも後を追って自害致します。あの世で兄君さま、共に添い遂げましょう」
「わぁっ、待て待てっ! 鈴凛、助けてくれーっ」
「……なにがなんだかよくわかんないけど、……誰、あんた?」
「あなたこそ、兄君さまになんという無礼な口の聞きようですかっ! ……はっ、さては兄君さまに災いを為す毒婦!?」
春歌はなぎなたを構え直すと、その切っ先を鈴凛に向けた。
「なれば、兄君さまより先に、あなたに正義の鉄槌を下させていただきます。お覚悟っ!」
「……なんだかわかんないけど、あたしのラボの中でそんな長いもの振り回されちゃ困るのよね」
鈴凛は目をすっと細めた。そして、腰のベルトに右手を当てる。
「や、やめろぉぉっ!!」
僕の叫ぶ声を無視して、春歌が一気に踏み込んで、なぎなたを突き出す。
「ええーいっ!!」
「はっ!」
がきぃん
鈍い音がした。
思わず目を閉じた僕が、おそるおそる目を開けて見たものは、春歌の突き出したなぎなたの切っ先を、手にしたモンキーレンチで受け止めている鈴凛だった。
「や、やりますわね」
「こっちは、お箸よりも先に工具で遊んでいたんだからね。年期が違うわよ」
そう言いながら、鈴凛は親指でモンキーレンチのねじを弾いて回し、なぎなたの刃をがっちりと挟み込むと、そのまま横にねじった。
「で、刃物はこう折る!」
ぱきぃん
澄んだ音がして、なぎなたの刃が折れた。
「えっ! そ、そんな……」
春歌はそのまま、手に残ったなぎなたの柄を取り落として、床にへたり込んだ。
「わたくしのなぎなたが、折られるなんて……」
「は、春歌、鈴凛、やめるんだ」
僕はようやく立ち上がった。
「兄君さま……」
「アニキ……」
2人は同時に僕に声を掛けて、それからお互いの顔を見た。
「い、今なんと……?」
「そういえば、さっきからあんた、アニキのこと兄君さまとか呼んでたみたいだけど、まさか……」
そして、同時に視線を僕に向ける2人。
僕は頷いた。
「改めて紹介しよう。こちらは春歌。ドイツから来たんだそうだ。こちらは鈴凛。僕の妹の一人、だよ」
「なんだ、そうだったの」
「……しっ、失礼致しましたっ!」
春歌は慌てて床に土下座して、深々と頭を下げた。
「そうとは知らず刃を向け、しかもそれを折られるとは、春歌一生の不覚。かくなる上は、腹を切ってお詫びを……」
「わぁ! 待て待て春歌っ!!」
僕は慌てて、懐から小刀を取り出した春歌の手を押さえた。
「こ、今回は怪我もなかったんだし、いいじゃないか。ね、鈴凛も許してくれるよねっ!?」
鈴凛は少し考えてから、僕の耳に口を寄せて、小声で囁いた。
「あう……。OK」
「さっすがアニキゥ あ、えーと、春歌ちゃんだっけ? そんなわけだからあたし全然気にしてないわよ」
「……でも……」
僕は、そっと春歌の脇に屈み込んで、その頭にぽんと手を乗せた。
「春歌、君のその気持ちだけで十分だよ」
「兄君さま……。ぽっゥ」
春歌は頬を赤らめて、こくんと頷いた。
「ありがとうございます、兄君さま。わたくし、これからも誠心誠意兄君さまに尽くしますわゥ」
「そ、そうだね……。あれ? ところで、春歌はどうしてここに? 確か、留守番しててくれてたんじゃ……?」
「あ、はい。そうなのですが、先ほど咲耶さんと可憐さんが家に訊ねて参りまして……」
ぎく。
「さ、咲耶と、可憐が?」
「はい。それで、まだ家に帰って来ていないことをお話しましたら、学校はとっくに出たとのことでしたので、もしや兄君さまに何かあったら、と思い、いても立ってもいられずに……ぽっゥ」
「いや、照れなくてもいいんだけど……。で?」
「あっ、はい。それで、家を出たはいいけれど、兄君さまとは今朝お逢いしたばかり、どちらにいらっしゃるのか知れず、途方に暮れておりましたところ、たまたま通りかかったという千影さんとお逢いしたのです」
「千影と?」
「ええ。それで、正直にお話しましたところ、こちらにいらっしゃるとお聞きしたものですから」
うーん、千影はどうして僕がここにいるって知ってたんだろう?
春歌はそこまで話すと、辺りを見回した。
「ところで、ここはどちらなのでしょう?」
「あのね……。ここはあたしのラボなの」
鈴凛が苦笑しながら言った。
「ラボ、と申しますと……?」
「実験室というか開発室というか、まぁそんなところよ」
鈴凛の答えに小首を傾げる春歌。僕が脇から補足してあげる。
「鈴凛は機械いじりが得意なんだよ」
「そ。たとえばこれとか」
鈴凛は、後ろに置いてあった、頭をすっぽり覆うようなヘルメットを抱えて俺達に見せた。
「チェキ? これってヘルメットデスか?」
「チッチッチッ」
指を振ってみせると、鈴凛はぐーを斜め上に突き出して高らかに言った。
「どりぃむくん1ごう〜」
「……鈴凛、その妙にダミ声で言うことに意味はあるのかい?」
「んもう、浪漫がわかんないアニキだね〜。あのね、こうすることではるかに雰囲気が出るんだからねっ!」
「呼びました?」
「ううん、全然」
春歌に首を振ってみせると、鈴凛は僕に向き直った。
「というわけで、アニキ! さっ、つけてみてっ!」
「ちょっと待てっ! どういう代物かまず説明しろっ!」
「んもう、細かいことにこだわるんだから……」
「こだわるよっ!」
僕がぜいぜいと肩で息をしていると、花穂がとんとんと背中を叩いてくれた。
「大丈夫、お兄ちゃま?」
「うん、ありがとう、花穂」
「あは……ゥ」
花穂のおかげで少し落ち着いた僕は、改めて向き直った。
「で、どういうものなんだ?」
「アニキ、バーチャルリアリティって知ってる?」
「ああ、昔セガが出した3D対戦格闘の草分け的存在のゲーム……」
「それはバーチャファイター! 全然はるかに違うわよっ!」
「呼びました?」
「ううん、ちっとも」
「そうですか? 変ですねぇ……」
首を傾げる春歌を無視して、鈴凛はこっちに向き直った。
「なにはともあれ、かぶってみればいいのよっ!」
「えっ?」
ぼすっ
一瞬の隙をついて、鈴凛はそのヘルメットをぼくにすっぽりとかぶせた。
「わっ、何も見えないぞっ!」
普通のヘルメットでは透明になってる部分がそうなっていないようで、いきなり辺りは真っ暗になっていた。
「それじゃスイッチオン!」
鈴凛の声がしたかと思うと、ようやく前が明るくなった。
……って、あれ?
「鈴凛……?」
「アニキ、何が見える?」
……僕は、夕暮れの海岸に立っていた。
鈴凛の声がする方に顔を向けてみるけど、誰の姿もない。
「アニキ?」
「……海岸。夕暮れの海岸だよ」
「ホントに? やったぁ!」
「……あ、もしかして、これ……」
「そ」
その言葉と同時に、景色がふっと消えた。
僕はヘルメットを外す。
「つまり、架空の景色を見せる機械なんだね」
「まぁね。で、どうだった?」
「ああ、本物みたいだったよ」
「あ、四葉も被ってチェキするデス!」
四葉が鈴凛に手を伸ばした。鈴凛は頷いて四葉にヘルメットを渡す。
「はい、被ってみて」
「こうデスか?」
おっかなびっくり、ヘルメットを被る四葉。
「そうそう」
そう言いながら、鈴凛は四葉の被ったヘルメットを手で押さえて位置を直すと、手にしたリモコンのスイッチを入れた。
「チェキ! わぁ、海デス!」
歓声を上げる四葉。
それから四葉、花穂とそのヘルメット(鈴凛曰く「どりぃむくん1号」)を被って、その感想を鈴凛が聞いて……とやっているうちに、いつしか外はあかね色に染まる時間になっていた。
「……だ、と。なるほど。ありがと、花穂ちゃん」
鈴凛は、質問の答えに頷きながら、手にしたクリップボードにその答えを書き込んだ。
「ううん。でも、すごいね鈴凛ちゃまって」
「えへへっ」
花穂の誉め言葉に、まんざらでもなさそうに頷く鈴凛。
「……それにしても、どうしてこんな装置を?」
「えっ? あ、うん。実はね……」
鈴凛は、照れくさそうに答えた。
「鞠絵ちゃんにプレゼントしたげようって思って。ほら、鞠絵ちゃんって病気だからなかなか外に出られないじゃない? だから、これ使えば、ベッドの中に居ながらにしてどこにでも行けるってわけ」
「なるほど。そりゃ鞠絵も喜ぶよ、きっと」
「えへへ、それだったらいいけど。でも、ありがと、アニキゥ」
照れたように笑う鈴凛は、うまく言えないけど、とっても輝いてるように思えた。
僕たちは、ラボの外に出た。
最後に出た春歌がくるりと振り返ると、優雅に一礼した。
「それでは、失礼致しました」
「またチェキ!」
続いて手を振る四葉。
「うん、またね、春歌ちゃん、四葉ちゃん、ついでにアニキ」
「……僕はついでですか?」
「あはは、ウソウソ。愛してるよ、アニキゥ」
「……」
冗談と判ってても照れるよなぁ。
「ええっと、それじゃお休み、鈴凛、花穂」
「おやすみなさい、お兄ちゃま」
ぺこりと頭を下げる花穂は、鈴凛が家まで送っていってくれるということで、ここでお別れである。
「鈴凛、花穂のことは頼んだよ」
「任せなさいって。んじゃ、またね、アニキ!」
手を振る花穂と鈴凛を残して、僕らは歩き出した。
「……ところで春歌」
僕は家の前まで来て、振り返った。
「はい、なんですか、兄君さま?」
「……念のために聞くけど、今夜は……?」
「……ぽっ」
春歌は頬を赤く染めると、俯いた。
「兄君さま、優しくしてくださいねゥ」
「……はい?」
「だめだめだめだめだめーーーっっ!!」
絶叫しながら咲耶が飛び込んできた。そのまま僕の前に立つと、通せんぼをするように両手を広げる。
「お兄様は私のものなんだから、いくら春歌ちゃんでもそれはだめっ!」
「さ、咲耶ちゃん、どさくさまぎれにとんでもないこと言ってます……」
「チェキっ!? ど、どこから来たデスか、咲耶チャマ!?」
咲耶は肩をすくめた。
「春歌ちゃんが家に鍵も掛けずに飛び出していくから、代わりにお留守番よ」
「あ……」
はっとして口に手を当てる春歌。
「そ、そういえばそうでしたわ……」
「それはともかく、私のお兄様と一緒にお風呂なんてそんなこと兄妹でしちゃダメよ」
「……あの、咲耶さん? 昨日のあれぐ」
「うふふふふ、やぁねぇお兄様ったらぁゥ」
僕の口を手で塞いで笑う咲耶。
「と・に・か・く、一緒にお風呂や一緒に添い寝やあまつさえ一緒に……なんて絶対にだめですからねっ!」
「ううっ、可憐はお子さまですからわかりません……」
「チェキッ!? な、なに言ってるデスか? 四葉も判らないデス……」
と、その時だった。
「……にいや」
か細い声が背後から聞こえて、僕は振り返った。
そこにいたのは、小さな……雛子とそう変わらないくらいの年頃の女の子だった。濃い青のドレスに、淡い紫がかった長い髪。まるで人形のような儚い姿。
その瞳をゆっくりと僕に向けて、彼女はもう一度、呟いた。
「……にいや?」
僕の唇が勝手に動いて、言葉を紡ぐ。
「……ありあ……」
あとがき
いやぁ、暑いですなぁ。ほんと。
うちはワンルームなんですが、唯一の窓であるところのベランダの窓を開けると、お母さまが威嚇するので開けられません。きっついなぁ(苦笑)
いや、ちょっと開けてたんですが、そうしたらお母さまが引っ越しを決行しそうになったもんで(爆笑)
しかし暑い。
(室温計を確認している)
……げ、室内気温が30度越えてる。
01/05/20 Up