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放課後になって、ホームルームも終わったところで、僕は鞄を手にして教室を出ようとした。
《続く》
「お〜い、シュン。今日こそ例の喫茶店に行こうぜ」
カズにがっしりと襟首を掴まれてしまった。
「お前さ、最近付き合い悪いぜ〜。あんな可愛い妹が出来て舞い上がってるのはわかるけどさ。たまには俺にもつきあえよ〜。って言っても変な意味じゃないんだぜ。俺は至ってノーマルだからな。あっはっは」
「……帰っていいか?」
「あっ、こら。いいから来いよ。まぁ、あれだけ可愛い妹が出来たんで舞い上がるのは判る。うんうん」
腕組みしてわざとらしく頷くと、カズは僕の肩に手を掛けた。
「そこら辺の事情とやらも、じっくりと聞きたいんだけどな」
「ま、喫茶店くらいなら付き合ってもいいけどさ」
でも、事情って聞かれても、僕にもよく判らないんだけどなぁ。
「よし、決まりだ! ……ところで、今日は咲耶ちゃんや可憐ちゃんとは一緒に帰る約束はしてないのか?」
……このやろう、それが狙いか。
「残念だな。今日は2人とは約束なんてしてないよ」
「なにぃっ!? そ、そんな莫迦なぁぁっ!」
頭を抱えてうずくまるカズ。と、いきなり復活した。
「それなら、今日お昼を持ってきたあの可愛い娘、あの娘とは!?」
「白雪か? いや、別に」
素っ気なく答えると、カズは嘆息した。
「……お前、友達甲斐のないヤツだなぁ」
「それじゃ、喫茶店は中止か?」
「いや、それはそれ、これはこれ」
また復活して、カズは僕の肩に手を回した。
「まぁ、妹もいいけど年上もいいぞ」
「……あのな」
「そんなわけで、いざ行かん、魅惑の喫茶店! そして魅惑のお姉さんっ!!」
「……頼むから、叫ぶなら、僕から20メートルは離れてやってくれ」
というわけで、僕とカズは、連れだって商店街にやってきた。
「お、あれあれ。あの喫茶店だ」
びしっと指さすカズ。
ふぅん。GreenChristmas、かぁ。
「よし、行くぞシュン!」「チェキ!」
「……なんか言ったか?」
僕の言葉に、カズは足を止めて振り返った。
「耳でも悪くなったのか? 行くぞって言ったんだが」
「いや、行くぞ、の後に……。あ、いや、悪い。多分聞き間違いだ」
僕はひらひらと手を振った。カズは首を傾げながらも、喫茶店のドアを開けた。
「ありがとうございました」
ウェイトレスの声に送られて、僕とカズは喫茶店から出てきた。
「な、いいだろ?」
「ああ。そうだな……」
「だろぉ? あの見えそうで見えない長さのスカートといい、思わずこう、スプーンを落として「拾ってくださ〜い」とか言いたくなるよなっ!」
「……コーヒーとスカートに何の関係があるんだ?」
「コーヒー?」
「あのコーヒーは美味かったよな、っていう話じゃないのか?」
「……シュン」
カズは僕の肩に手を置いた。
「お前さ、いくら身近に可愛い妹がいるからって、他に目がいかなくなってるのは問題だと思うぞ、親友として。だから妹は俺にくれ」
「やらん」
「うぐぅ、即答……」
「お前、キャラが違うぞ」
「ま、それはそれとして、だ。どうだろう、お義兄さん……」
バキバキバキッ
「いま、なんて言った? ええっ、なんて言ったぁ?」
「わ、わかったから、フリッカージャブは、やめてくれぇ……がく」
まったくもって、いやはやである。まぁ、妹たちが人気があるのは悪い気はしないんだが……。複雑だなぁ。
「さて、それじゃな」
僕はカズに手を振って別れて、歩き出した。
……ん?
背後から、何かの気配を感じた。
足を止めて振り返ると、道の脇のしげみががさっと動く。
……なんだろ?
そちらに向かって歩み寄っていくと、しげみが小刻みに動いているのが判った。そしてその向こう側に、ちらっとチェック模様の布みたいなものが……。
「あにぃっ!!」
「どうわぁっ!!」
いきなり後ろから大きな声を掛けられて、僕は思わず鞄を取り落として飛び上がった。慌てて振り返ると、そこにはタイヤが……。ってタイヤ?
「どうわぁっ再びっ!!」
目の前にあったタイヤに思わず声を上げると、次の瞬間そのタイヤは右にぐいんっと流れて、代わりに男の子の笑顔が目の前に現れた。
「えへへっ、驚いた、あにぃ?」
その子がMTBにまたがっているのを見て、初めてさっきのタイヤはこのMTBの前輪だったんだと気付いた。確かにMTBならそれくらいの芸当は出来そうだけど。
でも、この子は……。
「……まもる、か」
「あっ、やっぱりボクのこと、憶えててくれたんだねっ!」
にっこり笑うその子。……あにぃって、もしかして僕の、弟?
僕は、しげしげとその子を見つめた。帽子にひっかけるようにサングラスを頭にかけて、……両腕と膝にプロテクタを着けてるのはMTBに乗ってるからだろう。そして、確か着てる服は若草学院の制服だな。
って、若草学院って確か女子校……?
それに、この子の履いてるの、長めのチョッキの裾でよく見えなかったんだけど、スカート……に見える。
声だって、声変わり前なのか、と一瞬思ったけど、いくらそれにしたって高いよな。
以上の点から鑑みて、この子は……。
「あれ? 向こうから来るの、咲耶ちゃんだ。おーい!」
ぱたぱた手を振るその子。僕も振り返ると、咲耶が駆け寄ってくるところだった。
「お兄様ぁゥ こんな所でも偶然に出逢ってしまうなんて、運命の女神様はやっぱり私たちのことを祝福しているのねゥ」
「……あ〜、ええっと……」
僕が、なんと返せばいいのか判らずに口ごもっていると、さっきの子が声をかける。
「咲耶ちゃん、久しぶりっ」
「あら、衛ちゃんじゃない。……ああ、そういうことなのね」
僕とその子を見比べて、それから咲耶は僕に囁いた。
「お兄様、まさかとは思うけれど、弟、なんて思ったんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなことはないぞっ」
「えーっ? ボクは弟でも構わないんだけどな。そうしたら、あにぃのそばにいられたのに……」
口を尖らすと、その子はMTBから降りて、僕に歩み寄った。そして嬉しそうに笑う。
「久しぶり、あにぃ。ボクは衛だよ」
「衛……。ごめん、僕は……」
「ううん。みんなから聞いて知ってるよ。あにぃは昔のことを忘れてるって。……あのとき、ボクが……」
辛そうな顔をする衛。と、咲耶がそっと衛を抱き寄せた。
「はい、ストップ」
「……咲耶? 衛?」
「お兄様」
咲耶が、いつもの甘々な表情とは少し違う、きりっとした視線を向けた。
「時期が来るまで、待って」
「時期?」
「……ええ。今の私には、それしか言えないけど。でも、大丈夫。お兄様なら、きっと……」
そこで言葉を切ると、咲耶はポンポンと手を叩いた。
「はい、このお話はここまで。それじゃお兄様。衛ちゃんとの再会を祝して、どこかで何か食べていかない?」
「……はい?」
「あっ、ボクもそれ賛成!」
ぱっと嬉しそうな表情になると、衛はMTBにまたがった。
「商店街の喫茶店がいいかしら」
「公園に美味しいたこ焼きの屋台が出てるんだっゥ ボク、先に行って待ってるねっ! じゃ、あにぃ、またねっ!」
しゃーっ
そう言い残して、勢いよくMTBをこいで走り去ってしまう衛。
「うーん、でもイタリアンレストランなんかも捨てがたいわね。ゆらめくキャンドルの光、その儚げな光に照らされるお兄様とわ・た・し。ああん、ロマンチックゥ」
「咲耶、行くぞ〜」
「そしてお兄様は私の手を取ってこう言うの。「……咲耶、今夜のキミはとても綺麗だ」……いやぁ〜ん、もう、そんなホントのことをゥ」
……なんか、咲耶がだんだん壊れていってるような気がしきりにするのは、気のせいだろうか?
まぁ、いいや。
「んじゃ、咲耶。先に公園に行ってるから、よかったらおいで」
僕はそう言い残して、公園に向かって歩き出した。
「さて、お兄様は行ったみたいね……。もう出てきてもいいわよ。それにしても、もうちょっと注意しなさいよね。……って、こらっ! 逃げるんじゃないのっ! 待ちなさいっ!! ……ふぅ。まったく、あの娘も何を考えてるのやら……」
かしのき公園の遊歩道に入ると、僕は辺りを見回した。
道なりに屋台が何台か出ている。
「あっ! あにぃ、こっちだよ!」
衛の声が聞こえたので、そちらの方に視線を向けると、MTBにまたがった衛が、一軒の屋台の前で大きく手を振っていた。
僕がそちらに駆け寄っていくと、衛はにこにこしながら僕に声をかけた。
「ほら、ここのたこ焼きがとっても美味しいんだよ」
「そうなのか。それじゃ、おじさん! 1パック頼むよ」
「あいよ。300円ね」
おじさんは、パックを紙に包んでくれた。
「それじゃ、どこで食べようか?」
「あ、ボクいいところ知ってるよ。こっちこっち!」
衛は笑顔でMTBを押して歩き出した。僕もその後を追って、たこ焼きのパックを持って歩き出した。
日当たりの良いベンチで、僕と衛は並んで座った。
「はい、たこ焼き」
「ありがと、あにぃゥ」
僕が開いたパックから、たこ焼きをつまようじに刺して取ると、衛は口に運んだ。
それを見てから、僕も口にたこ焼きを入れる。
「はふはふ。うん、外はかりっとしてるのに中はしっとりしてて、美味いな」
「そうだよね? あははっ」
嬉しそうに笑う衛。と、その頬を涙がつぅっと流れ落ちた。
「あ、あれっ? おかしいなぁ……」
衛は慌てて袖で顔をぬぐった。
「ごめん、あにぃ……。ボク、ボク……うくっ……」
そのまま俯いて、膝に手を置いて肩を震わせる衛。
僕は、そっとその肩に手を置いた。
「衛……」
「うっ、うわぁ〜〜ん」
そのまま、衛は僕の胸に飛び込んで泣き出していた。
僕は、そっとたこ焼きを脇に置くと、衛をそっと抱きしめてやった。
「……えへへ」
それからしばらくして、泣きやんだ衛は、照れくさそうに笑いながら目元をこすった。
「ごめんね、あにぃ。ボク、やっとあにぃに逢えたと思ったら、なんか涙出ちゃって。えへへっ」
「いいって。それより、たこ焼き、冷めちゃったけど、どうする?」
「食べる!」
そう言うと、衛はあーんと口を開けた。
「……へ?」
「だって、ボクつまようじ持ってないんだもん」
「……それじゃ、はい」
僕はつまようじにたこ焼きを突き刺して、衛の口に運んだ。
ぱくっと口を閉じて、衛はもぐもぐとたこ焼きを噛んだ。それから、笑った。
「美味しいよ、あにぃ」
「そっか。そりゃよかったな」
「……うん」
ことん、と僕の胸に頭をもたれかけさせて、衛はもう一度笑った。
「それじゃ、あにぃ。またねっ!」
笑って手を振ると、衛はMTBにまたがった。
「ああ。またたこ焼き食おうな」
「うんっ。今度は熱いのねっ!」
そう言い残して、衛はペダルを踏んで、たちまち走り去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕はなんだか暖かな気持ちに包まれていた。
「9人の、妹……かぁ」
ついこないだまで考えたこともなかった。何故忘れていたのかは、まだよく判らない。
でも、慕ってくれる可愛い妹が9人も出来たっていうのは、純粋に嬉しいわけで。
……9人?
「……あれ?」
思わず、口に出して呟いていた。それから指を折って数える。
可憐、咲耶、千影、雛子、白雪、衛、鈴凛、そして鞠絵……。
今まで逢ったのは、8人じゃないか。とすると、あと1人、逢ってない妹がいるのか。
咲耶たちは、それが誰なのか知ってるんだよな。ちゃんと9人って言ってたんだから。
……いや。聞くのは止めとこう。いずれ逢えるんだろうし、その時を楽しみにするとしようか。
うん。
そう心の中で決めて、僕はぐるっと振り返った。
「チェキッ!?」
真後ろに、1人の女の子がいた。
「……キミは……」
「あ、あう、えっと……」
と、いきなり視界が暗くなった。目の回りにしっとりとした柔らかな感触。
「だぁれだ、お兄様ゥ」
「……咲耶だろ?」
「あたりゥ」
すっと手が離され、視界が元に戻る。……あ、あれ? さっきの娘はどこに?
僕がきょろきょろと辺りを見回していると、咲耶が僕の腕に自分の腕を絡ませて尋ねてきた。
「どうかしたの、お兄様?」
「あ、いや、さっきここに女の子がいなかっ……」
「いやぁ〜〜っ」
いきなり声を上げて、咲耶はふるふると首を振った。
「お兄様が私以外の女の子に目を奪われるなんて、そんなの嫌っ。お兄様、私だけを見てゥ」
そう言いながら、僕の顔を手で挟んでぐいっと自分の方に向ける。
「お兄様の瞳に映っていいのは、私だけゥ」
「ええっと……」
「あっ、もうこんな時間だわ」
すっと手を離すと、咲耶は腕時計を見て、それから僕に視線を向ける。
「それじゃお兄様、帰りましょうか」
「へ?」
「もちろん、レディを家まで送ってくださるのでしょう、お兄様ゥ」
「あ、ああ。それくらいならいいけど」
僕が頷くと、咲耶は嬉しそうに僕にきゅっと抱きついてきた。
「嬉しっ、お兄様ゥ」
わわっ、胸のふくらみの感触がっ! 髪からの柑橘系のコロンの香りがっ!
いかん。ゆらめくな僕の心。ときめくな僕の心。相手は妹だぞ、妹っ。
「それじゃ、帰りましょ、お兄様ゥ」
すっと身を引いて歩き出す咲耶に、僕は深呼吸しながら続いた。
もちろん、さっきの女の子のことなんて、一瞬で脳裏から消え失せていたのは言うまでもない。
あとがき
ようやく正式タイトルが決まりました。
踏ん切り付けさせてもらいました(謎)
さて、9話でちらっと出てきたPHSカード付きノートですが、病院で使うといけないんじゃ、という指摘がありましたが、PHSについては問題なしというお墨付きが出てたはずです。携帯はだめですけど。
PHSの出す電磁波は携帯の1/10以下なので、病院の機器を狂わすほどのパワーがない、とか。どこかの新聞のサイトで読んだんだと思ったけど、どこだったかなぁ……。
01/04/22 Up