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家に帰り着くと、僕はソファに寝転がって足を伸ばした。
アニキへ
兄上様へ
追伸
《続く》
放課後は、ずっと咲耶のお供でデパートのブティックだったからなぁ。
まぁ、それなりに役得もあったけど。
……って、何を考えてるんだ僕はっ。咲耶は妹だぞ、妹っ。
うう、こんな毎日が続いたら、理性と知性がいつまで保つ事か、正直自信がないぞ。
……うう。く、暗い未来は、考えナシんこなのだ。
何もしてないと変な事ばかり考えてしまうからいかん。とりあえずメールチェックでもしよう。
よいしょっと。
勢いを付けて、ソファから起きあがった僕の目に、テーブルの上に置いてある封筒が映った。
あれ? さっきは何も無かったはずなんだけどな。
勘違いだろうか? うう、まだ健忘症には早いぞ、僕。
苦笑しながら封筒を手に取ってみる。
宛名もないし……、ひっくり返しても差出人の名前もない。飾りっ気の欠片もない封筒……。
あれ? これは……?
封筒を閉じているところに、何かついて……。あ、知ってるぞ。蜜蝋で封をして、上から紋章を押してるんだな。でも、実際には初めて見たぞ。
とりあえず、封を切って、中から紙を出してみる。
「……やぁ、兄くん。来て……くれたんだね」
「……はい?」
いきなり声をかけられて、僕は顔をあげて、そして言葉に詰まる。
僕、確か自分の家にいたよな?
思わず自分に確かめてしまう。だって、今僕がいるのは、暗い森の中だったのだ。
そして、目の前には、片手にランタンを持った少女。
「……千影、か?」
「そう……見える? それなら、……そうかもしれない」
千影は静かに答えると、ランタンをかざした。ほんの少しだけど、闇が退いた気がする。
「千影、ここはどこだい? 僕は一体どうして……」
「静かに」
僕を制するように、千影はじっと僕を見つめた。
「……精霊は、騒がしいのが……嫌いなんだ」
「……精霊?」
「ほら、兄くんの肩に」
そう言って、空いている方の手をさしのべる千影。
「……ふふ。そうか、キミも兄くんが気に入ったのかい」
僕は思わずそっちを見た。けど、何もいない。
「……千影、これは……」
「ここは……。そう、シャーウッドの森、とでも言っておくよ」
「……」
一つ深呼吸してみる。
深い森の香り。
そして、甦ってくる、奇妙な懐かしさ。
そう。前にも、僕はここに来たことがある。
「そう。兄くんは、前にも来たことがあるんだよ」
僕の考えを見透かすように、千影はそう言って、かすかに微笑んだ。
「来たことがあるのは、兄くんだけじゃないけどね」
「僕だけじゃない?」
「……誰でも一度は来たことがある場所。……でも、みんなそれを忘れて、大人になるんだ」
物憂げな感じで、千影はそう言うと、歩き出した。
「千影?」
「あまり離れない方がいい。……はぐれて、一生ここで暮らすのも、悪くはないけれどもね……」
物騒な事をさらりと言われて、僕は慌てて千影の後を追いかけた。
どれくらい歩いたのか。ほんの少しだったような気もするし、随分長いことだったような気もする。
とにかく、前を歩く千影が立ち止まったのを見て、僕も足を止めた。
「千影?」
囁くように訊ねると、千影は振り返った。
「ふふっ。……兄くん、キミにも聞こえるだろう?」
「え?」
言われて、耳を澄ませる。
かすかに、ほんのかすかに、歌声のようなものが聞こえてきた。
「……これは?」
「妖精の歌声……。どうやら、今日は……見つけられそうだね」
そう言うと、千影は手にしたランタンの蓋を開けると、中の火をふっと吹き消した。
たちまち辺りは暗闇に閉ざされる。
思わず声を上げかけた僕の口が、しっとりとした手で塞がれた。
「慌てることは……ないよ」
暗闇のはずなのに、何故か千影の瞳だけははっきりと見えた。
暗闇よりもなお暗く、吸い込まれてしまいそうな瞳。
「兄くんは……彼らには、渡さないから」
「……」
こくこく、と僕が頷くと、千影は手を僕の口から外した。
大きく息を吸い込んだとき、僕はそれに気づいた。
「……!」
千影の肩越しに、何か光るものがすぅっと飛んでいくのが見えたのだ。
螢? いや、あれは……。
はっきり見極めようと思って、その光るものを追って視線を動かした僕は、もう一つの光が動いているのに気づいた。……いや、一つじゃない。二つ、三つ……。
いつしか、数え切れないほどの光が、集まっていた。そして、それらは輪を作ってくるくると回り出す。
「……千影、あれは……」
「ふふっ、彼らも、兄くんを……歓迎しているのかな?」
千影はそう言うと、振り返った。
「兄くんは、ここで待っていたまえ」
「えっ?」
聞き返した時には、千影はもう、その光の方に足を進めていた。
光がいくつか、輪から離れて千影に近づいてくる。
思わず飛び出そうとした僕は、だけど足を止めた。
その光に照らされた千影が、なんていうか、幻想的に見えたからだった。
「……だよ」
かすかにその唇が動いて、千影が何か呟いたのが、耳に入る。
「……うん。……だから……。ああ」
最後に千影が一つ頷くと同時に、光はまた輪の方に戻っていった。そして千影はその場にかがみ込む。
何をしてるんだろう?
それに、そもそもあの光は、何なんだろう?
でも、とりあえず、危険はないらしいな。
こうなったら、僕も腹をくくるか。
そう思って、僕は光から、千影に視線を向けた。
と、千影が立ち上がると、手にしていた袋の口を開いて何かを入れた。そして、こっちに戻ってくる。
「やぁ、お待たせ、兄くん」
「うん。……それ、何?」
僕は、袋に視線を向けて訊ねた。
千影は僕に視線を向けた。
「……なに、大したものじゃないよ。……ちょっとした、材料だよ」
「材料? 何の?」
「ふふっ。……兄くんは、好奇心旺盛だね……。でも、それが……身を滅ぼす……こともあるよ。マイダス王のように……ね」
……誰ですか、それは?
まぁ、なんとか王はともかく、これ以上は聞くのは野暮っていうことなんだろう、きっと。
「わかった。聞かないことにしておくよ」
「……残念だな」
どっちなんだよ?
「さて、そろそろ……月が、昇ってくる……時間だね」
千影がそう言うと、静かに僕の方に手を伸ばした。
「兄くん……」
「なんだい?」
「……今日は、ありがとう。それから、一つ忠告しておくよ」
「忠告?」
聞き返す僕を、千影の瞳がじっと見つめる。
その唇から、言葉が流れてくる。
「いたずらに見えても、……そうではないことも、あるよ。見誤ってしまうと、あとで……痛い目をみることに、なる」
「……何のことだい?」
「ふふっ。そのうちに、判るよ」
冷たい手が、僕のこめかみに触れた。その途端、すぅっと意識が、溶けていく。
「ち……かげ……」
最後に、千影の微笑みと、その瞳だけが僕の意識に残り、そしてそれすらも消えていく。
「……また、来世……」
それは、千影の声だったのだろうか?
「……っ!?」
僕は、がばっと跳ね起きた。慌てて辺りを見回す。
「……僕の、部屋?」
間違いなく、そこは僕の部屋だった。
寝ていたソファから降り立つと、こめかみに手を触れる。
千影の冷たい手の感触がまだ残っているようで、でもそれも一瞬だけだった。
「……夢、だったの、かな? あはは、変な夢だったな」
苦笑して、僕は視線をテーブルに向け、そしてそこで止めた。
そこには、封筒がおいてあった。
慌てて駆け寄って、その封筒を手に取って調べてみる。
封は開けてあった。僕はそこから紙を取り出すと、広げてみた。
いや、広げてみようとした。
シュボッ
いきなり、その紙が燃え上がったのだ。
「うわぁっ!!」
とっさに放り出した僕の目の前で、あっという間にその紙は燃え尽きてしまった。灰も残っていないし、紙を放り出したテーブルも、まったく焦げてない。
うー、なんか背中がぞくぞくとするなぁ。
さっさとメールチェックして、寝てしまおう。うん。
ため息をついて、パソコンの電源を入れる。
メールは2通来ていた。鈴凛と……、これは鞠絵からか。
とりあえず、到着順に鈴凛のメールから開く。
ヤッホー、アニキ。今日は逢えなくって残念。逢えたらまた研究の協力を頼もうかなって思ってたのに。
なんてねっ。うそうそ。いつもいつもアニキの世話にばっかりはなってられませんって。
今日は、鞠絵ちゃんのところに行ってたんだ。
鞠絵ちゃんがパソコンを買ったんだけど、使い方がよくわからないから教えて欲しいって頼まれちゃってさ。
そんなわけで、この鈴凛ちゃんが、セットアップのお手伝いしてたわけ。
鞠絵ちゃんのノートはPHSのカードが付いてるから、電話線つながなくてもメールが送れるのよ。PHSなら病院でも問題ないし、ね。
あ、もうこんな時間だ。それじゃ私は、メカ鈴凛の調整しないといけないから、今日はこれくらいにするわね。
そうそう。研究への資金援助はいつでも受付中よゥ
鈴凛より愛を込めてゥ
やれやれ、相変わらずだなぁ、鈴凛のやつは。
しかし、そうすると、鞠絵からのメールっていうのは……、と。
こんにちわ、兄上様。おかげんいかがでしょうか?
今日は、初めてパソコンを使って、メールというものを書いてみました。
今まで、手紙といえば紙に書くものだと思っていましたし、コンピュータというものに触れるのも初めてで、とってもドキドキしながら、このお手紙を書いています。
短いですけれど、今日はこれくらいにしておきますね。
鞠絵より
これを書くだけで、3時間もかかっちゃいました。でも、ボタン一つで兄上様にお手紙が届くなんて、なんだか不思議です。
なるほどなぁ。それにしても、初めてパソコンを触ったにしては、ちゃんとメールも書けてるじゃないか。誤変換も無いみたいだし。
なんだか微笑ましくなって、早速返事を書いて送り返すと、僕はパソコンを切ろうとした。ちょうどそのとき。
ピィフォッ
メールの着信を告げる音が鳴った。
誰からだろう?
僕はメールを開いてみた。
兄チャマ。
チェキゥ
……なんだ、これ?
これだけ?
僕はもう一度見直してみた。でも、それ以上は何も書いていない。
差出人は……不明だ。うーん、どこから来たか調べるって言っても、そこまでは詳しくないし……。ええっと、たしかヘッダっていうところを見れば、差出人のアドレスはわかるんだよな……。
あ、これが出した人のアドレスかな? ええっと……。あ、あれ?
このアドレス、末尾がjpじゃない。ukだ。……ukって、どこのドメインだろ?
うーん、自慢じゃないけど、インターネットはそんなに詳しいってわけじゃないからなぁ。
ま、メールの本文もわけが判らないし。こりゃ、手の込んだイタズラかな。
僕は苦笑して、パソコンを切った。
このメールの意味を僕が知ることになったのは、その翌日だった。
あとがき
千影ちゃんは難しいです。はい。
それじゃ、また来世。
01/04/20 Up