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土曜日――ちなみに白並木学園は週休2日なので、土日が休みなのだ――の朝。
《続く》
ようやく巡ってきた週末、ゆっくりと朝寝坊しようとベッドの中でごろごろとしていると、不意にチャイムの音が鳴った。
ピンポーン
「……?」
だれだよ、まったく。
僕は欠伸をしながら玄関に向かうと、ドアを開けた。
「ふわぁ……。どなた?」
ドアの向こうでは、咲耶がにっこり笑っていた。
「おはようございます、お兄様ゥ」
「なんだ、咲耶かぁ。……ふわぁ」
「まぁ、お寝坊さんなお兄様もちょっとステキゥ」
にっこり笑って手を伸ばすと、僕の髪をちょいちょいと直してくれる咲耶。
「寝癖のついてるお兄様もいい感じだけど、やっぱりこちらの方がいいわ」
「咲耶、悪いけど、休みの日くらいは朝はゆっくりと寝ていたいんだけど……」
「あっ、そうですわ。今日はお兄様に紹介したい人がいるんです」
ぽんと手を打って言う咲耶。
……お願いだから僕の言うことを聞いてくれ……。
「紹介したい……人……?」
まだ僕の方は半分寝ぼけてたりする。
「はい。本当はお兄様を女の子に紹介するなんてぜっっっっったいにしたくないんですけど……。そりゃお兄様の愛は私のものだけどゥ でもやっぱりちょっと不安だったりするこの切ない乙女心。……ふぅ」
なんかさりげなくため息を付く咲耶。
一方の僕はというと、ようやく目が覚めてきたところだったりしている。
「ええっと、咲耶? 紹介したい女の子って?」
「あらいけない。そんなわけだから、さぁお兄様、早く支度してね」
「……」
どうやら、僕に拒否権は無いらしかった。
そんなわけで、着替えた僕は、朝食代わりのカロリーメイトを囓りながらリビングに戻った。
「お待たせ、咲耶」
「ううん。お兄様を待ってるって、とってもステキな時間の過ごし方だと思うのゥ」
「あ〜、いやその」
真顔でそう言うことを言われると、たとえ相手が妹とは判ってても、こっちとしても照れてしまう。何しろ相手は掛け値なしの美少女だし。
「それより、僕に紹介したい人がいたりなんかしちゃったりするんじゃなかったっけ?」
う、動揺してるぞ、僕。落ち着け、落ち着け。
「ええ。それじゃそろそろ行きましょうか」
咲耶はちらっと時計を見て、立ち上がった。
咲耶に連れられてやって来たのは、家から10分くらい歩いたところにある、ちょっと大きな公園だ。かしのき公園、という呼び名からも判るとおり、中央にそれは大きな、思わず ♪この〜木なんのき、と歌いたくなるような樫の大木がある。
この公園を突っ切ると商店街への近道なので、時々通ることはあるけど、この公園が目的地ってことはなかったな、そういえば。
その樫の木の根本、芝生に覆われたところに、可憐が座っているのが見えた。こうしてみると、いかにも絵になるなぁ。
ま、それはそれとして、だ。
「なぁ、咲耶。あれは可憐じゃないか。可憐なら今更紹介されなくても……」
「うふふっ」
微笑むと、咲耶は僕の腕を軽く掴んだ。そして指さす。
「よく見てくださいな、お兄様」
「え?」
言われてよく見ると、可憐の膝の上に何か黄色っぽいものが見える。
もう一度目を凝らしてみて、僕は咲耶に聞き返した。
「小さな子が可憐の膝枕で寝てるみたいに見えるんだけど」
「さすがお兄様ゥ 大正解ですわ」
いや、大正解も何も見たまんまなんだけど。
……って、もしかして。
「咲耶、もしかしてあの子かい、僕に紹介したいっていうのは」
「さぁ、どうでしょう?」
にっこり笑うと、咲耶は、さぁ、と僕の背を押した。
芝生を踏みしめながら近づいていくと、僕たちに気づいた可憐が顔をあげた。そして、人差し指を唇に当てて「しぃっ」というゼスチャーをしてみせる。
僕は頷いて、足音を忍ばせながら近寄った。そしてかがみ込む。
可憐に膝枕をされて眠っていたのは、小さな女の子だった。黄色いワンピースとおそろいの黄色い帽子が似合ってる。小学校の低学年……、いや、幼稚舎かな?
ちなみに、僕たちの通っている白並木学園には付属の幼稚園まで併設されている。その幼稚園のことを幼稚舎と呼んでいるのだ。
「お兄ちゃん、おはようゥ」
声を潜めて挨拶すると、可憐はその子の額にかかっている髪の毛をそっと払って、僕に言った。
「お兄ちゃんは忘れてると思うけど……」
「ひなこ……」
「えっ?」
可憐だけじゃなくて、同じように足音を忍ばせて僕の脇に来ていた咲耶も、驚いた顔をした。
「お兄様、もしかして、私とのあの愛の日々は忘れてしまったというのに、雛子ちゃんのことはしっかりと覚えているのかしら?」
声を潜めながらも、僕の脇腹をぎゅっとつねりながら訊ねる咲耶。
「いたた、痛いって。えっ? それじゃやっぱりこの娘は……」
「はい。雛子ちゃんも、可憐たちとおんなじ、お兄ちゃんの妹ですよ」
にっこり笑って答える可憐。
しかし、可憐たちとは一回り歳が離れてるけど、この娘は2回りどころか3回りは離れてるみたいだなぁ。
これだけ歳が離れた娘と接することなんて、全くもって皆無だから、逆にちょっと珍しかったりする。
と、僕たちの気配に気づいたのか、その子がぱたんと寝返りを打った。そしてゆっくりと目を開ける。
「うにゅぅ〜」
小さく呟きながら、目をごしごしとこすって、それから僕を見る。
「や、やぁ……」
「わぁ、おにいたまぁ!」
ぴょんと可憐の膝から跳ね起きると、そのまま僕の首にしがみつく。
「うわっ!」
「おにいたまだ、おにいたまだぁ。わぁい、可憐たんの言うとおりだったぁ」
「ね、言ったでしょう?」
可憐が笑って言うと、彼女はこくこくと頷いた。
「うん、そうだったねっ」
「……ええっと、キミは……」
ようやく、僕が声を出すと、彼女は僕から離れて芝生に降りた。うわ、僕の胸くらいしか背がないや。って、そりゃそうか。
「えっとね、ヒナはね、雛子っていうの。こんにちわ、おにいたま」
そう言ってぺこんと頭を下げてから、にぱっと笑う。
「はい、よくご挨拶出来ました。偉い偉い」
可憐がそう言って頭をなでると、雛子は嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「わぁい、ほめられちゃった。……おにいたま、ヒナ偉い?」
雛子の後ろから、可憐が、「ほめてあげて」と視線で告げていたので、僕は頷いて頭をなでてあげた。
「そ、そうだね。偉いよ」
「わぁいわぁいわぁい! おにいたまにほめられちゃったぁ〜」
本当に嬉しそうに、ぴょんぴょんとはね回る雛子。
僕は、微笑ましくなって、そんな雛子を眺めていた。
と、咲耶がすっと近づいてくると、小さな声でささやいた。
「雛子ちゃんは、お兄様と一緒にいたのは、ものすごく小さな頃でしたから、私たちみたいにお兄様と遊んだ思い出がほとんどないみたいなのよ」
「そうなのかい?」
「ええ。でも、私たちがいつもお兄様のお話を聞かせてたせいか、ずっと憧れてたみたいなのよ」
うーむ。僕って憧れられるほどの人物じゃないと思うんだが……。
と、いきなりくいくいっとジャケットの裾を引っ張られた。
「おにいたま、おにいたま。向こうにね、ちょうちょさんが飛んでたの」
「ち、ちょうちょ?」
「うん。だからね、ヒナといっしょに、ちょうちょさんとおいかけっこしようよ。ねっ」
「……」
ちょうちょさんとおいかけっこ。18にもなって……。
「……どしたの、おにいたま?」
凍り付いた僕を、不思議そうに見上げる雛子。見る間に、その表情が曇っていく。
「おにいたま、ヒナと遊んでくれないの……?」
「お兄様……」
「お兄ちゃん……」
咲耶と可憐に同時に声をかけられて、僕は進退窮まってしまった。
「おにいたま……、……っく、ふぇ……」
今にも泣きそうな顔で僕を見上げる雛子。
……。
……。
……。
覚・悟・完・了
「よぉし。雛子、ちょうちょさんを追いかけにいくぞぉ〜っ!」
「うんっ、おにいたまゥ」
一転、嬉しそうに笑うと、僕の手をぎゅっと掴む雛子。
「いこっ、おにいたまゥ」
「行くよっ!」
僕は雛子と一緒に芝生の上を駆け出した。
まぁ、羞恥心さえ忘れてしまえば、童心に帰って遊び回るというのは、それなりに楽しいもんだ。
……なんか、新しい領域に踏み込んでしまったような気がするんだけどな。
「……むにゃ。おにい……たまぁ……」
遊び疲れて眠ってしまった雛子を背負って、僕は歩いていた。
その雛子の顔をのぞき込んで、微笑む咲耶。
「ふふっ。よく眠ってるわ」
「お兄ちゃん、ご苦労様でした」
可憐にねぎらってもらって、僕は苦笑した。
「いや、それほどでも」
「さすがお兄様。とっても優しいのよね。でも、その優しさは私だけに向けて欲しい……っていうのはわがままかしらゥ」
「ええっと」
咲耶に顔をのぞき込まれて、慌てて視線を前に向け直す。
「もう、お兄様ったら、照れ屋さんなんだからぁゥ」
笑って僕の頭をぺしと叩く咲耶。
そんな僕たちを笑顔で見ている可憐。
なんか、いかにも家族って感じだ。……多分、そうだよね。
「あ、そうだ」
不意に可憐がぽんと手を叩いた。それから僕たちに尋ねる。
「みんな、今日のお昼、どうしよう?」
「……まだそんな時間だっけ?」
「はい、お兄様」
咲耶が僕の目の前に、小さな腕時計を出して見せてくれた。確かに、まだお昼前だった。
うーん、てっきりもうすぐ日が暮れるかと思ってた。雛子も寝ちゃったし。
「ふふっ。雛子ちゃん、昨日あんまり寝てないんですって」
僕の表情を見て、可憐が答えてくれた。
「明日お兄ちゃんに会いに行こうって言ったら、ものすっごく喜んでたもの。ね、咲耶ちゃん?」
「ええ、そうだったわね」
頷く咲耶。
僕は訊ねた。
「ねぇ、一つ聞きたいんだけど……。どうしてみんな、姉妹なのに、バラバラに暮らしてるの?」
「……」
咲耶と可憐は顔を見合わせた。それから咲耶が僕に尋ねる。
「お兄様は、パパから聞いてないの?」
「親父から? いや、別に……。そもそも、こないだ初めて、9人の妹がいるって聞いたんだし、それっきり連絡よこさないんだもの」
「……そうなの」
咲耶がこくりと頷いた。
「それなら、まだヒ・ミ・ツ・ってことですわ。お兄様ゥ」
「へっ? ひ、秘密って……」
「ふふっ。レディは、謎めいているくらいがちょうどいいのよゥ」
そう言ってウィンクする咲耶。う、確かにそうかも……。
と、背中で雛子が身じろぎした。
「う、うん……。あ、あれっ?」
「目が覚めたかい?」
肩越しに声をかけると、雛子はくしくしと目をこすってから、にぱっと笑った。
「おはよっ、おにいたま。あれ? でも、さっきもおはようしたよね……。それじゃこんどはなんていえばいいのかな……?」
「目が覚めたら、いつでもおはようでいいんだと思うよ」
「うん、それじゃおはよ」
「はい、おはよう。それじゃ、雛子も目が覚めた事だし、降りてくれるかな?」
「……ぐーぐー」
僕が言うが早いか、雛子は目を閉じてぐーぐー言い出した。
「雛子?」
「ヒナ、まだおきてないんだもん。ぐーぐー」
「雛子ちゃん、お兄様が降りてって言ってるのよ」
咲耶が声をかけたが、雛子はぶんぶんと首を振って、僕の首にしがみついた。
「やーのー。ヒナ降りないもんっ」
「雛子ちゃん!」
「まぁまぁ、咲耶。僕なら構わないからさ」
僕は咲耶をなだめた。
「でも……」
「それじゃ、お兄ちゃん。どこかにお昼を食べに行こうよ」
可憐が口を挟んだ。さすが我が妹、ナイスタイミングだ。
「ああ、そうしよう。雛子もお腹空いただろ? 何か食べたいものあるかい?」
「えっ? うーんとね、うーんとね……。ホットケーキ!」
ぱっと手を挙げる雛子。と、掴まっていた手を離したものだから、バランスを崩して落ちかける。
「わわっ!」
「危ないっ!」
素早く咲耶が支えて事なきを得た。ほっと一息つく僕。
「ありがと。助かったよ、咲耶」
「もう、雛子ちゃん。危ないから降りなさいってば」
「やだもん。ヒナ降りないもん」
「あ〜、これだからお子さまは苦手なのよぉ」
珍しく、咲耶がお手上げといった感じでため息をつく。
可憐が、雛子と視線を合わせるようにして話しかけた。
「雛子ちゃん。お兄ちゃんのこと好き?」
「うん、ヒナ、おにいたまだいすき」
「それなら、お兄ちゃんが雛子ちゃんをキライになっちゃったら大変よね。でも、あんまり雛子ちゃんが言うこと聞かなかったら、お兄ちゃんは雛子ちゃんをキライになっちゃうかもしれないよ」
「えっ? そ、そんなのだめだもん」
慌てて、雛子は僕の背中からぴょんと飛び降りた、それから必死になって服を引っ張る。
「おにいたま、ヒナのことキライにならないよね?」
僕は笑って雛子の頭をなでた。
「当たり前じゃないか。雛子がいい子でいたら、嫌いになんてならないよ」
「それなら、ヒナいい子でいる。そしたらおにいたまは、ヒナのこといいこいいこしてくれるよね?」
「ああ、もちろんさ」
「それじゃ行きましょう」
可憐は雛子の手をとって歩き出した。と、雛子があいている方の手を僕に向ける。
「おにいたま、ヒナ、手をつないでほしいの」
「うん、かまわないよ」
僕は手を握った。雛子は、両手で僕と可憐にぶら下がるようにして、嬉しそうにらんらんと歩き出す。
「それじゃ、ほっとけーき、ほっとけーき、食べに行くの〜〜」
僕と可憐は顔を見合わせて、思わずくすっと笑っていた。
そんな僕たちを見て、咲耶が小さく呟いたのは、聞こえなかったことにしておく。
「……捕らわれた宇宙人?」
あとがき
今回登場は、多分予想はされてなかったと思う雛子たんでした(笑)
しかし、雛子たんレベルになるとさすがの私にもきつい(爆笑) 今後もう登場しないかもしれないです。っていうか許してください(爆笑)
さて、あと残りは3人。……あ、+3人も忘れてるわけではありませんよ。はい。
最近、シスプリばかりで、プールはどうなったんだ? という声も聞こえてはきてますが、正直、シスプリの方が書きやすいです。……色々言われない分だけ。いやいや。
鍵っ子は怖い。いやいや。
00/04/17 Up