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Sentimental Graffiti Short Story Vol.1
真奈美ちゃんの大冒険 その3
カラカラカラッ
夏穂ちゃんは、「女」と大きな赤い文字で書いてある引き戸を開けると、中を覗き込みました。
「ばあちゃん、今日はすいてる?」
「おや、夏穂ちゃんかえ? 今日はすいてるよ」
番台に座ったおばあさんがにこにこしながらうなずきました。夏穂ちゃんはOKマークを作ってみせると、振り返りました。
「ほら、入るよ」
「あ、はい」
夏穂ちゃんの後ろに続いて、洗面器を持った真奈美ちゃんがおそるおそる中を覗き込みます。
夏穂ちゃんは、勝手知ったるという感じで、自分の持ってきた洗面器を棚におくと、籠を片手にして振り返りました。
「真奈美ちゃんは、銭湯は初めて?」
「え? あ、はい。温泉なら行ったことあるんですけど……」
もの珍しそうに、辺りを見回す真奈美ちゃんに、夏穂ちゃんは笑いました。
「温泉とかわんないって。はい、服はこの中に入れて」
「あ、はい」
籠を受け取ると、真奈美ちゃんは服のボタンを外し始めました。
「いやぁ、極楽極楽ぅっと」
広い湯舟に身を沈めると、夏穂ちゃんは気持ちよさそうにタオルを頭の上に載せて、目を閉じました。
「この手足を伸ばした感じ、家の風呂じゃ味わえないモンねぇ」
「……」
返事が返ってこないのに気がついた夏穂ちゃん、目を開けて振り返りました。
恥ずかしそうにタオルで前を隠して、真奈美ちゃんは浴室を見回していました。
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
内心で、そんなに広いのかなぁ? と思った真奈美ちゃん、慌てて首を振りました。それにしても、真奈美ちゃんは普段どんなお風呂に入ってるんでしょうねぇ?
「あ、あの、私、髪を洗いたいんですけど……」
「え? うん、別に断ることないよ」
「……シャワーはどこにあるんでしょう?」
困ったように辺りを見回す真奈美ちゃんに、夏穂ちゃんはくすくす笑いだしました。
「そっかぁ。あははっ」
「?」
「ごめんごめん。シャワーなんてしゃれたものなんて無いんだよ。どぉれ、この夏穂さんが洗ってあげるよ」
ざばぁっ
夏穂ちゃんは湯舟から上がりました。
「え? そ、そんな。悪いです……」
「いいっていいって。はい、そこに座る」
夏穂ちゃんは、洗い場の前にある小さな椅子を指しました。
シャカシャカシャカ
夏穂ちゃんは、椅子に座った真奈美ちゃんの後ろに回ると、銭湯にあるシャンプーで、真奈美ちゃんの髪を洗いはじめました。
「綺麗な髪ですねぇ、お客さん」
「え? そ、そんなこと……」
「かゆいところありませんかぁ?」
「あ、いえ、ないですぅ」
「はい、すすぎますよぉ。目を閉じてぇ」
ざばぁっ
洗いおけに汲んだお湯をかけて泡を流すと、夏穂ちゃんは、改めて真奈美ちゃんの黒髪を一房手に取りました。
「それにしても、ホントに綺麗な髪だなぁ。羨ましい」
肩の辺りで跳ねてる自分の髪をつまんでみて、かくんとうなだれる夏穂ちゃん。
「そ、そんなことないですよぉ」
「肌も白いし……」
つつぅーーっと背中を指でなぞる夏穂ちゃん。
「きゃん!」
「お? もしかしてここ、感じちゃう?」
つつーっ
「やん、もう、夏穂さんったら、やだぁ」
振り返る真奈美ちゃん、ほっぺたがバラ色に染まっています。
「もう、怒りますよぉ」
「ごめんごめん」
「それに、夏穂さんだって……スタイルいいし……」
自分と較べてみて、ちょっとがっかりする真奈美ちゃんでした。
「でもさ、あたしの場合は……、ちょっと触ってみてよ」
真奈美ちゃんの前に足をにゅっと出す夏穂ちゃん。夏穂ちゃんはおそるおそるその太股を触ってみます。
「あ、硬いですね」
「そ。あたし、陸上やってるから、筋肉付いちゃってるんだよねぇ。ま、脂肪がつくよりはいいとは思ってるんだけど……」
そう言ってから、足を引っこめると、夏穂ちゃんは立ち上がりました。
「さぁて、あたしも身体を洗うかな?」
「あ、私、背中流しますよ。さっきのお礼に」
真奈美ちゃんはそう言うと、辺りを見回しました。そして困った顔をします。
「……ボディソープがありませんねぇ」
「そんなの使わないでも、石鹸使えばいいじゃない」
「石鹸……ですか? でも、石鹸って、手を洗うものじゃ……?」
首を傾げる真奈美ちゃんに、思わず額を押さえる夏穂ちゃんでした。
「……一体どういう教育受けてきたんだか……」
ブラジャーを止めると、夏穂ちゃんは「さぁて、と」といいながら、備えつけてある冷蔵庫から2本の瓶を出して、一本を真奈美ちゃんに渡します。
「はい、これ」
「な、なんですか、これは?」
「あ、やっぱり知らない? フルーツ牛乳。銭湯に行ったらこれを飲まなくちゃいけないのよ」
「そ、そうだったんですか?」
牛乳瓶を受け取る真奈美ちゃん。
「いい? こうやって蓋を取ったら、腰に手を当ててぇ」
「こ、こうですか?」
「そう。そうして一気にこう飲む!」
そう言って、夏穂ちゃんはフルーツ牛乳を一気に飲み干しました。
「ぷっはぁ。やっぱ風呂上がりにはフルーツ牛乳よねぇ!」
「……」
それを見ていた真奈美ちゃん。決心して、自分も腰に手を当てて、フルーツ牛乳をごくごくと飲みました。
こくんこくんこくんこく……
「けほけほっ」
「だ、大丈夫?」
「けほっ、は、はい、なんとか……」
背中をさすってもらって、やっと一息ついた真奈美ちゃん、目に涙が浮かんでいます。それを見て、夏穂ちゃんは腕を組んで考え込みました。
「うーん。やっぱり初心者にはコーヒー牛乳から勧めるべきだったかぁ」
そういう問題なんでしょうか?
翌朝、JR新大阪駅の新幹線ホーム。
「本当にお世話になりました」
鞄を提げた真奈美ちゃん、何度もお辞儀をしています。
「いいんだって。また大阪に来ることがあったら、顔見せてね」
夏穂ちゃんはそういうと、持っていたビニール袋を渡しました。
「はい、おみやげ。って言っても、うちのお好み焼きなんだけどね。途中で食べるといいよ」
「すみません、ほんとに……くすん」
思わず涙ぐむ真奈美ちゃん。
プルルルルルル
発車のベルが鳴りました。
「ほらぁ、早く行き!」
「あ、いけない!」
真奈美ちゃんは新幹線に乗り込むと、振り返ってもう一度お辞儀をします。
シューッ
ドアが閉まり、新幹線はゆっくりと動きだしました。
「元気でねぇ〜」
夏穂ちゃんが手を振って見送る間にも、新幹線はあっという間に小さくなっていきました。
それが見えなくなってから、夏穂ちゃんは頭の後ろで手を組んで呟くのでした。
「あたしも行こうかなぁ、東京……」
「長らくご乗車いただき、ありがとうございました。間もなく終点、東京に到着します。乗り替えのご案内をいたします。山手線……」
車内のアナウンスを聞いて、まなみちゃんはじぃーんと感動していました。
「とうとう、とうとう来たんですね、東京に!」
窓の外は、見渡す限りの住宅やビルばかり。いつもの真奈美ちゃんなら、「緑が少ない」と落ち込む所なんですけれど、今の真奈美ちゃんはそれどころではないようです。
(もうすぐ、もうすぐあの人に逢える……、やっと逢える!)
やがて、新幹線は東京駅に滑り込んでいきました。
それから4時間。
またいろんな事がありましたが、とうとう真奈美ちゃんは、あの人のいる街にたどりついたのでした。
駅から降りると、真奈美ちゃんは小走りに、その家に向かって駆け出しました。
角を曲がり、陸橋を越えて、交差点を渡って、そして一軒の家の前で、真奈美ちゃんは立ち止まりました。
ドキドキする胸を押さえながら、その家を見上げます。
(とうとう、来ました……。来ちゃいました……)
表札には、間違いなくあの人の名前があります。ここに間違いありません。
真奈美ちゃんは大きく深呼吸して、呼び鈴に手を伸ばしかけました。
その時。
カチャ
いきなり玄関が開きました。そして……。
「あ……」
「あれ? ま、真奈美?」
真奈美ちゃんは、とっておきの笑顔を向けました。
「うふっ……。本当に逢えた……」
《終わり》
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