喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ

Sentimental Graffiti Short Story Vol.1
真奈美ちゃんの大冒険 その4

「それじゃ、今日一日は、真奈美に付き合うよ」
 そう言われて、真奈美ちゃんは嬉しくて、そのまま倒れてしまいそうになりました。
(だめ、こんな所で倒れちゃ、協力してくれた七瀬さんや森井さんに申しわけがたたないわ。真奈美、ふぁいと!)
 自分に自分で声を掛けて、やっと踏みとどまる真奈美ちゃん。けなげですね。
 一方の彼の方は、そんな真奈美ちゃんに優しく言いました。
「どこに行きたい? どこでも付き合ってあげるからさ」
「あ、あの、あの……」
「?」
 真奈美ちゃんはさらに嬉しくて、そのまま卒倒してしまいそうになっていました。
(付き合う……って、あの、そうなんですよね?)
「あの、真奈美ちゃん?」
「あ、はいっ!」
 心配そうに、彼が真奈美ちゃんのお顔を覗き込みました。
 ドキドキドキドキ
 真奈美ちゃんの心臓が大きく鳴ります。破れるかと思うくらい。
「顔赤いけど、熱でもあるんじゃ……」
「大丈夫ですっ!」
「そう? それならいいけど。んじゃ、どこに行こうか?」
「はい……」
 答えようとして、はたと困る真奈美ちゃんです。なにしろ、「東京=彼のいる場所」としてしか認識してないんですから、他に何があるか、なんて、真奈美ちゃんは知る由もありません。
「えっと、えっと……」
 もじもじする真奈美ちゃん。
(あなたのお部屋に……なんて。きゃぁ、私ったら何を考えてるのかしら?)
 今度は自分で自分のほっぺたを押さえてやんやんと首を振っています。
「あの〜、もしもし?」
「あ……」
 はっと我に返る真奈美ちゃん。彼の視線がなんだか冷たく感じられます。
「……ご、ごめんなさい……ひっく」
 いきなりしゃくり上げる真奈美ちゃん。
「わぁっ、なんでっ!?」
 思わず声を上げてしまう彼。無理ないですよねぇ。
「ひっく、ひっく、ご、ごめんなさい、私が、ひっく」
 真奈美ちゃん、本格的に泣きだしてしまいました。
 こういうときに付き物のオプションといえば、やっぱり近所のおばさん達ですね。
「まぁ、奥さん、あの子また女の子を泣かしてますわよ」
「ほんとに。この間もなんだか無言電話を掛けられたみたいですしねぇ」
「いやですわねぇ。きっとあちこちに彼女を作ってるんですわよぉ」
(どうして知ってるんだおまえらぁ!)
 心の中で叫びながら、慌てて真奈美ちゃんをなだめる少年。
「ほら、真奈美ちゃん、泣かないで。ね?」
「くすん、でも、でも……」
「えーっと、まぁ上がって。ね?」
 これ以上近所のおばさんの噂になるわけにもいきません。彼はそう言って、ドアを開けました。
「ひっく。は、はい……」
 泣きながら、真奈美ちゃんはとうとう彼の家に入ることが出来たのです。

「ま、その辺りに座ってて。お茶入れてくるから」
「あ、あの、御両親は……? 私、ご挨拶しないと……」
「親父とお袋なら、今日は出かけてるよ」
 そう言うと、彼は部屋を出ていきました。
(出かけてるんだ……。ということは!)
 ハッと気付いて、真奈美ちゃんは真っ赤になりました。
(もしかして、二人っきり……。や、やですぅ)
「お待たせ。紅茶でいい?」
 そう言いながら彼がドアを開けると同時に真奈美ちゃんは飛び上がりました。
「きゃぁ!」
「わっ!?」
 いきなりの悲鳴に彼もびっくり。ティーカップを落とさなかったのは奇跡ですね。
「ど、どうしたの?」
「ご、ごめんなさい。私、その、まだ心の準備が……」
「は?」
「あの、ですから、決してあなたのことが嫌いとかそう言うわけじゃないんですけど、ああもう私どうしていいのか判らなくなって、ひっくひっく」
 どうしていいのか判らないのは彼も同じみたいですね。
「あのぉ。真奈美さん?」
「ご、ごめんなさい! 私、いくじなしでだめなんです!」
 真奈美ちゃんはそう叫ぶと、そのままわっとその場に泣き伏してしまいました。
「……あの〜、僕、何か悪いコトしたんでしょうか?」
 ティーカップを乗せたお盆を持ったまま、ぼう然と立ちつくす少年でした。
 それから30分後。
「落ちついた?」
 こくん
 問いかけにうなずいて、真奈美ちゃんはミルクティーを一口飲みました。そしてかくんと俯きます。
「やっぱり、私……だめなんですね」
「そんな……。真奈美ちゃんはだめなんかじゃないって」
「でも、私、一人で舞い上がって、一人で落ち込んで……くすん」
 また泣きそうになっている真奈美ちゃんを見て、慌てて考え込みます。
(どうしよう? 真奈美ちゃんは動物が好きだから動物園……いやいや、檻に閉じこめられてて可哀想とか言いそうだしなぁ。水族館? 同じだ、同じ。……そうだ!)
 心の中でポンと手を打つと、真奈美ちゃんに言いました。
「真奈美ちゃん、僕についてきてくれない?」
「くすん……え?」
「さ、行こう!」
 彼は真奈美ちゃんの手を掴むと、引っ張りました。
 ドキッ
 真奈美ちゃんの心臓がまた大きく鳴りました。
「というわけで、せっかくだからこんな所に来てみたんだけど、どうかな?」
 真奈美ちゃんは、黙ってまわりを見回しました。
 広々とした芝生の広がる公園です。暖かな陽差しがぽかぽかと照っています。
 都会の喧噪も、ここではほんの微かに聞こえてくるだけです。
「いいところだと、思います」
 そう言って、真奈美ちゃんは微笑みました。
 その微笑みを見て、やっと、ほっとして、彼も笑みを漏らします。
「もっとも、栗林公園に較べれば全然だけどね」
 ちなみに栗林公園は、高松にある大きな公園です。真奈美ちゃんと何度かデートで行ったことがあるんですよね。
「そんなこと、ないです。だって……」
 言いかけて、真奈美ちゃんは赤くなって俯きました。
(だって、ここには、あなたがいるんですもの……)
 心の中で呟く真奈美ちゃんでした。
「とりあえず、立ってるのも何だし、座ろうか?」
「そ、そうですね」
 促されて、真奈美ちゃんはスカートを端折って、芝生に座りました。目を細めて、太陽を見上げます。
「まぶしい……」
「そっかな?」
 並んで座りながら、彼も太陽を見上げました。それから、真奈美ちゃんの方に視線を向けます。
「そういえば、どたばたして聞くの忘れてたけど、今日もお父さんに連れてきてもらったの?」
「……それは……」
 真奈美ちゃんは、俯きました。それから、思い切って顔を上げます。
「私、家出してきたんです」
「ええっ?」
 びっくりして、目を丸くする彼に、真奈美ちゃんはまた俯いてしまいました。
「ご、ごめんなさい。そうですよね、迷惑ですよね……」
「ちょ、ちょっと待って」
 手のひらで顔を覆って、また泣きだす体勢になった真奈美ちゃんを慌ててとめると、彼は聞き返しました。
「真奈美ちゃん、泣かないで。僕じゃ頼りになんてならないけど、でも出来るだけのことはするから。ね?」
「う、うん」
 こくりとうなずくと、真奈美ちゃんはハンカチで目を押さえました。
「最近、ずっと逢えなかったから……。電話してもいつもいないし……。それで、寂しくって、逢いたくって……ひっく」
「真奈美ちゃん……」
「それで、でも、一人で泣いてても、何にも解決しないって、あなたが教えてくれたから、だから私……、あなたに、逢いに来たんです」
 真奈美ちゃんは、時々しゃくり上げそうになりながらも、ちゃんと言いました。
「それじゃ、僕に逢うために……?」
「は、はい」
「……真奈美ちゃん、嬉しいよ」
 彼はにこっと微笑みました。それから、頭を下げます。
「ごめん、真奈美ちゃん。寂しい思いさせちゃって。電話くらいすればよかった……。それで君が安心してくれるんなら……」
「そ、そんな……」
「それで、一人で来たの?」
「はい……」
 真奈美ちゃんは、東京に来るまでの冒険譚を、彼に話して聞かせました。
 真奈美ちゃんが話し終わると、彼は驚いた顔をしていました。
「偶然って、あるもんだなぁ……」
「え?」
「七瀬優も、森井夏穂も、僕の知り合いなんだ」
 その言葉に、今度は真奈美ちゃんのほうがびっくりしました。
「ほ、本当ですか?」
「うん。ほら、僕って転校ばっかりしてただろ? 夏穂は小学5年の時の、優は中学1年の時の同級生だったんだ」
「そうだったんですか」
 うなずく真奈美ちゃん。ちなみに彼が真奈美ちゃんと同じ中学にいたのは、3年の4月から9月の間でした。
 彼は腕を組んでうんうんとうなずきました。
「優の言うところの天文学的な偶然だなぁ……」
「森井さんも七瀬さんも、とってもよくしてくれたんです。今度お礼を言わないと……」
「そうだね。二人とも、とってもいい娘だしね」
 真奈美ちゃんは、はっとして彼の顔を見ました。そして、何かを言いかけて、また俯きます。
「……ん? どうしたの?」
 沈黙に気付いて、彼は真奈美ちゃんに視線を向けました。
「……森井さんも、七瀬さんも……私と違うから……」
「え?」
「私なんかと……違うから……。七瀬さんは、一人で日本中回ってる。森井さんは、お店を立派に切り盛りしてる。私なんかよりも、ずっとしっかりしてる……。それに較べて、私、一人で東京に行くのでさえ、みんなに迷惑かけて……」
 真奈美ちゃんは俯いたまま、膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめました。そいて、小さな声で呟きました。
「そんな私なんかよりも、七瀬さんや森井さんの方が、ずっとあなたに……ふさわしいと思います」
「真奈美ちゃん……」
 一瞬言葉を失って、彼は、真奈美ちゃんの柔らかい黒髪が、かすかに揺れるのを見つめていました。
 やがて、彼はふぅと一息をつきました。そして、その場にごろっと横になって、青空を見上げました。
「確かに、真奈美ちゃんは、優とも夏穂とも違うよ」
「!」
 まるで、ぶたれたようにびくっと身をすくめた真奈美ちゃん。
 彼は、空を見上げたまま、言いました。
「……違うんだ……。真奈美は……。優や夏穂とは……。だって……」
「……」
「だってさ。僕が守ってあげたいって思うのは……真奈美だけだから」
「えっ?」
 真奈美ちゃんは、思わず顔をあげました。
「それって……」
 と。
 パサパサッ
 かすかな羽音を立てて、一羽の小鳥が舞い降りてきました。そして、真奈美ちゃんの右肩に止まります。
「え?」
 真奈美ちゃんは小首を傾げて、小鳥に視線を向けました。
 チッチッチッチッ
 その小鳥は、盛んにさえずりました。まるで、真奈美ちゃんになにか話しかけているかのようです。
「……うん」
 真奈美ちゃんはにこっと笑ってうなずきました。すると、小鳥はそのまま、飛び立っていきました。
 彼は体を起こして訊ねました。
「なんて言ってたの?」
「うふっ。秘密です」
 真奈美ちゃんはにこっと笑いました。彼も微笑みました。
「うん。やっぱり真奈美ちゃんは笑顔が一番だよ」
「え? あ、そんな、恥ずかしい……」
 真っ赤になって恥ずかしがる真奈美ちゃん。そんな真奈美ちゃんを、暖かな陽射しが包み込むのでした。

 その夜。羽田空港の出発ゲートの前で、真奈美ちゃんは見送りに来てくれた彼に頭を下げていました。
「帰りの飛行機代まで……。高松に戻ったら、すぐに送金しますから」
「いいよ。そんなに急いでないし」
「でも……」
「それじゃ、僕が今度そっちに行ったときに、返してくれる?」
 真奈美ちゃんは顔をあげました。
「え? それって……」
「うん。また、高松に行くよ」
「嬉しい……」
 真奈美ちゃんはちょっと涙ぐみました。
「ごめんなさい。私、いつまでたっても泣き虫で……」
 そう言うと、真奈美ちゃんは顔をあげました。
 彼は優しく微笑みました。
「また、逢いにいくから」
「……待ってます」
 こくんとうなずくと、真奈美ちゃんは何度も振り返りながら、ゲートをくぐっていきました。

《終わり》

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ