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Sentimental Graffiti Short Story Vol.1
真奈美ちゃんの大冒険 その2
「困ったね。財布がないとなると……」
優ちゃんは考え込みました。助けてあげたいのはやまやまですが、自分も貧乏旅行をしてるところです。とても助けてはあげられません。
とはいっても、このままこの世間知らずのお嬢さんを放っていくのも後味悪いです。
「ここは、警察に行って、家に連絡を取ってもらう……」
「いやですっ」
真奈美ちゃん、彼女にしては珍しく、キッパリと言いました。
(せっかくここまで来たのに、あの人に逢えないで家に連れ戻されちゃうなんて、そんなのいやです!)
もちろん、真奈美ちゃんが旅に出るのを両親は黙認してるんですが、そんなことは真奈美ちゃんは知りません。それどころか、両親に黙ってこっそり出てきたと思ってるんです。ですから、家に知られちゃうとそのまま連れ戻されちゃうって思ってるんですね。
真剣な真奈美ちゃんの目を見て、優ちゃんは肩をすくめました。
(こりゃ、よくよくの決心がありそうだね。でもねぇ……)
少し考えて、優ちゃんは呟きました。
「大阪までなら、一緒に行ってあげられるけど……」
「えっ!?」
「でも、杉原さんは東京に行くんだろ? 私は別の場所に用事があるから、そこまでしか一緒に行ってあげられないんだけど、それでもいいかい?」
「は、はい!」
真奈美ちゃんはこくこくとうなずきました。
(よかったぁ。これでなんとかなりそうです!)
国道2号線で運良く乗せてくれるトラックが見つかって、二人は一路東へと向かっていきました。
車に揺られはじめてしばらくしてから、真奈美ちゃんはぽつりと言いました。
「七瀬さんって、本当に勇気があるんですね」
「え?」
聞き返す優ちゃん。
真奈美ちゃんは、暮れはじめた窓の外に視線を向けました。
「あんな風に大声で車に呼びかけるなんて……私には……」
「でも、ああしないと車は止まってくれないよ」
苦笑して、優ちゃんは答えました。
不意にトンネルに車が入りました。暗くなった窓に、真奈美ちゃんの顔が映ります。
その顔に向かって、優ちゃんは訊ねました。
「どうして、東京に行きたいんだい?」
「え? あ、えっと、それは……」
かぁっと真っ赤になって、真奈美ちゃんは俯きました。そんな真奈美ちゃんを見て、優ちゃんは独り言のように呟きます。
「東京かぁ……」
(七瀬さんも、東京に誰か知り合いがいるのかな?)
優ちゃんの横顔がなんだか寂しそうだったので、真奈美ちゃんはそんなことを思いました。
キィッ
トラックが止まりました。まず優ちゃんが身軽に飛び降りると、恐々降りてくる真奈美ちゃんに手を貸します。
「ほら、足もとに気をつけて」
「あ、ありがとう」
トン
真奈美ちゃんも降りると、トラックの運転手さんにお礼を言います。
「ありがとうございました」
「なぁに、いいってことよ。元気でな」
トラックの運転手さんは気軽に手を振ります。
優ちゃんはすまなそうに真奈美ちゃんに言いました。
「ごめん。あたしもうしばらく乗っていくから……」
「ううん。もう大丈夫です。ありがとうございました」
真奈美ちゃんは優ちゃんに深々と頭を下げました。優ちゃんはクスッと笑うと、右手を出しました。
「また、どこかで逢えるといいね」
「うふっ、そうですね」
真奈美ちゃんはにこっと笑うと、その手を握り返したのでした。
「さ、寒い……」
真奈美ちゃんは、とぼとぼと夜の大阪の街を歩きながら呟きました。
春が近いと言ってもまだ夜は冷え込みます。しかも、真奈美ちゃんの懐も寒いことこのうえありません。
そもそも、真奈美ちゃんは病弱なんです。
はぁ〜〜
白く吐く息で手を暖めながら、真奈美ちゃんはとぼとぼと歩き続けました。あてもなく……。
そして……。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
とうとう、体力も尽きてしまった真奈美ちゃん、道ばたでしゃがみ込んでしまいました。
自分で自分を抱きしめながら、夜空を見上げます。
大阪の空は夜でもあまり星が見えませんが、それでもいくつかの星がまたたいて見えます。
真奈美ちゃんはそっと思うのでした。
(私があのお星様になったら……、あなたは見上げてくれますか……?)
と、ふっとその星がぼやけて消えます。
そのまま、真奈美ちゃんは壁に寄りかかるようにして気を失ってしまいました……。
「ん……」
真奈美ちゃんは、うっすらと目を開けました。
木目がはっきり判る天井が、その目に映ります。
「……ここは……」
身体を起こしてみて、真奈美ちゃんは布団に寝かされていたことに気がつきました。
ちょっと大きめのパジャマに身を包んでいます。いままで着たこともないような、明るい色のパジャマです。
真奈美ちゃんが着ていた服は、畳まれて、荷物と一緒に枕元に置いてあります。
(ここは、どこなの? 私、いったいどうして……?)
真奈美ちゃんはまわりを見回しました。畳敷きの六畳間ですね。障子越しに、明るい光が漏れてきています。
と、美味しそうな匂いがどこからともなく漂ってきます。
くぅ
真奈美ちゃんのお腹が可愛い音を立てました。考えてみると、昨日からろくに何も食べていないのです。
(お腹、減ったな……)
真奈美ちゃんが心の中で呟いたとき、不意に障子がバァンと開きました。そして向こうから、茶色い髪を後ろでポニーテイルにくくった女の子が顔を出します。
「あ、気がついた? よかったぁ」
「……あの……」
「お腹空いたでしょ? 今お好み焼き焼いてあげるから、着替えて、こっち来なさいよ」
それだけ言うと、その娘は顔を引っこめると、障子を閉めました。
「おこのみ……?」
真奈美ちゃんは首を傾げましたが、とりあえず着替えることにしました。
「あたしは森井夏穂。季節の夏に稲の穂って書いて夏穂よ」
ポニーテイルの娘は、鉄板の向こうでお好み焼きをひっくり返しながら自己紹介しました。
「あ、私は、杉原真奈美っていいます。……あのぉ……」
「真奈美ちゃんかぁ。いやぁ、それにしてもびっくりしたわよ。早朝ジョギングに行こうと思って外に出たら、店の前に倒れてるんだもん。まったく焦っちゃったわよ。ほいほいっと。はい、イカ玉上がりっ」
しゃべりながら、夏穂ちゃんは手際よく焼けたお好み焼きにソースを塗ってお皿に載せると、真奈美ちゃんに差し出しました。
「あ、ありが……」
言いかけて、真奈美ちゃんはお金を持っていないことを思い出して、俯きました。
「ごめんなさい。でも、私……」
「どうしたの? 気分悪いの? それともお好み焼きは嫌い?」
立て続けに訊ねる夏穂ちゃん。
「あ、いえ。それが、その……」
真奈美ちゃんは真っ赤になって俯くと、ぽつりと言いました。
「お金、ないんです……」
「……マジ?」
思わず聞き返す夏穂ちゃんでした。
「そっかぁ、お財布落としちゃったのかぁ。そりゃ災難やなぁ。ええよ、それあたしのおごり」
「そんな……」
「遠慮せんと、食べなさいって」
夏穂ちゃんはウィンクしました。
「あ、ありがとう……」
思わず涙ぐむと、真奈美ちゃんはもそもそとお好み焼きを食べ始めました。
「おいしい……」
「そりゃそうや。あたしの焼いたお好み焼きは難波一や。それにしても……」
夏穂ちゃんはエプロンを外すと頬杖をつきました。
「財布をなくして無一文になっても、家に帰ろうとせずに彼氏の元へ、かぁ……。そういうのっていいなぁ」
「ゴホゴホゴホッ」
思わずむせ返ると、真奈美ちゃんは慌てて言いました。
「彼氏だなんて、違います……」
「ふぅん」
夏穂ちゃんはにまぁっと笑って真奈美ちゃんを見つめました。真奈美ちゃんは真っ赤になって俯きます。
「あ、あの……、ホントに、そんなのじゃなくって……くすん」
「あーわかった、泣かないの」
苦笑すると、夏穂ちゃんは立ち上がりました。
「どっちにしても先立つものが無いと何にもできないもんねぇ。よし、ここはこの夏穂さんが一肌脱いであげよう」
「え?」
「あのさ、杉原さん。ものは相談なんだけど、今日一日、ここで働かない?」
「働く? 私が、ですか?」
思わず自分を指して聞き返す真奈美ちゃん。
夏穂ちゃんはにこにこしてうなずきました。
「そ。見ての通り貧乏な店だから、そんなには出せないけど、お給料払ってあげるよ」
「お給料……」
真奈美ちゃんは、きゅっと手を握りしめました。
「や……やります」
カラカラカラ
「いらっしゃい!」
威勢のいい声に、お好み焼き屋「おたふく」に入ってきたおじさんは軽く手を挙げて挨拶しました。
「よぉ、夏穂ちゃん。おや、新しい娘かい?」
「あ、あの……」
「おっと、手を出すんじゃないよ」
お好み焼きを焼きながら、夏穂ちゃんはぴっとへらをおじさんに向けました。戯けて手を挙げるおじさん。
「降参降参。夏穂ちゃんの友達かい?」
「ま、そんなところ。真奈美ちゃん、肉玉とミックス焼けたよ」
「は、はい!」
たたっと駆け寄ると、真奈美ちゃんはお皿をお客さんの所に運びます。
「ど、どうぞ……」
「ありがとさん」
「いえ、そんな……」
「ほら、イカとエビ焼けたよ!」
「は、はい!!」
お昼時のお好み焼き屋は、どうやら繁盛してるようですね。
「ごっそさん」
「ありがとあんした〜」
カラカラ、ピシャン
ドアが閉まると、夏穂ちゃんは大きく伸びをしました。
「ふぅ、はけたはけたっと。それじゃ今のうちに休みますか」
「は、はい……」
それだけ言うと、真奈美ちゃんは疲れ切った様子で椅子に腰を下ろしました。もう腕も上がらない様子ですね。
「お好み焼き屋さんって……大変なんですね……」
「まぁ、あたしはもう慣れたからねぇ……。でも、あいつもそんな感じだったなぁ」
不意にくすっと笑う夏穂ちゃん。
「あいつ?」
真奈美ちゃんは顔を上げました。夏穂ちゃんは真奈美ちゃんの正面の椅子に腰を下ろしながらうなずきました。
「そ。小学校の時の同級生なんだけど、転校していって、もうすぐ5年かなぁ。それが去年ひょっこりとここに来たんだけどさ、あたしあいつの顔すっかり忘れちゃって、バイトに来た人だと思っちゃってさ」
「まぁ」
「あいつもあいつだよね。何も言わないで働いてんの。で、やっと休憩したところでおもむろに「夏穂だろ?」ってね。ホントに、もう」
夏穂ちゃんは真奈美ちゃんの前にコップを置くと、ジュースを注ぎました。
「はい、サービス」
「そんな、悪いです……」
「いいのいいの。どうせあたしのお店のものだし」
真奈美ちゃん、実は腕が痛くてあまり動かしたくなかったんですが、そう言われてジュースに口を付けました。
「あ、甘くて美味しい……」
「……プッ」
思わず吹き出す夏穂ちゃんを、真奈美ちゃんは不思議そうに見ました。
「あの、どうかしたんですか?」
「ごめんごめん。もしかして杉原さんって、実はいいところのお嬢さんじゃないの?」
「そんなことないです……」
「でも、なんとなく浮き世離れしてるしさぁ。ま、いいけどね」
夏穂ちゃんは頭を掻きました。ちょうどその時、カラカラとドアが開いてお客さんが入ってきました。
「いらっしゃぁい! さぁて、労働労働っと」
夏穂ちゃんは立ち上がりました。真奈美ちゃんもお盆をかかえて、お客さんに駆け寄ります。
「いらっしゃいませ。あの、こちらにどうぞ」
「よいしょっと」
そうかけ声をかけて、「おたふく」ののれんを外して店の中に入れると、夏穂ちゃんはドアを閉めて真奈美ちゃんに言いました。
「これで今日はおしまい。ご苦労さまぁ」
「は、はい……」
真奈美ちゃん、精根尽き果てたって感じで椅子に座りこんでます。でも、よく見ると何となく嬉しそうにも見えますね。
「はい、今日のお給料」
夏穂ちゃんは店のレジから一万円札を出して、少し考えてもう一枚足しました。それを真奈美ちゃんに渡します。
「ありがとうございます」
お嬢さまの真奈美ちゃん、バイトの相場をよく知らないのでそのまま受け取ってしまいました。
(これで、あの人の所に行けるんですね……)
それだけを考えて、思わず涙ぐんでいます。
「それで、これからどうするの?」
「え? それは、東京へ……」
「行くのは判ってるけどさぁ、これから大阪駅に行っても、もう夜だし。よかったら今日も泊まって行きなよ」
「でも……」
「あたしは全然構わないって。それに、杉原さんのこと、気に入ったしね。何となく親近感沸いてさぁ」
夏穂ちゃんはそう言うと照れ臭いのか大きく伸びをしました。
「明日だったら、大阪駅まであたしが送ってあげるし。ね、そうしなって」
真奈美ちゃんは少し考えましたが、今日一日働いて疲れ果ててるのも事実です。
「……それじゃ……お願いします」
こくりとうなずく真奈美ちゃんに、夏穂ちゃんはパチリと指を鳴らしました。
「オッケー。それじゃ、まずは一汗流そ!」
「え?」
「銭湯よ、銭湯!」
「せんとう?」
「そ。そこで待ってて。用意してくるからさぁ」
小首を傾げる真奈美ちゃんに構わず、夏穂ちゃんは鼻歌混じりに奥の方に入っていってしまいました。
《続く》
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