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Sentimental Graffiti Short Story Vol.1
真奈美ちゃんの大冒険 その1
杉原真奈美ちゃんは、香川県高松市の郊外にある大きなお屋敷に住んでいる、ちょっと病弱で内気で動物好きな、可愛い女の子です。
もうすぐ高校卒業する18歳の真奈美ちゃんは、近ごろめっきり明るくなったと評判になってます。
それには、どうやらときどき東京からやってくる男の子が関係あるらしい、とも。
でも、最近の真奈美ちゃんはなんだか沈んでます。どうしたんでしょうね?
カチャ
「ふぅ……」
電話を切ると、真奈美ちゃんはため息を一つついて、窓の外を見ました。
東向きの窓のはるか彼方を見つめているのでしょうか?
「……また、いなかったな……」
そう呟いて、真奈美ちゃんは小さな胸に手を当てました。
トクン、トクン
心臓の音が鳴っています。
「どうして……こんな気持ちになっちゃうのかな? 私……」
真奈美ちゃんは、そう呟いて、机にうつ伏しました。そして顔を上げて、フォトスタンドを見つめます。
そこには、真奈美ちゃんと、もう一人、男の子が写っていました。
ついこの間、小豆島の寒霞渓に一緒に遊びに行ったときに撮ってもらった写真です。
「あなたの声が聞きたい……。ううん、あなたに……逢いたいです……」
そう呟く真奈美ちゃんの瞳から、涙がひとしずく流れ落ちました。
その時でした。彼の言った言葉が、真奈美ちゃんの耳に聞こえたのは。
『何もしないままじゃなくて、自分に……、僕たちに……、何ができるかを見つけようよ!』
「!」
はっとしたように顔を上げる真奈美ちゃん。
(そう、泣いてるだけじゃ、何も解決しないんだって教えてくれたのは、あなたでした……。私、それを忘れるところでした)
真奈美ちゃんは、ハンカチで涙を拭くと、そのハンカチをぎゅっと握りしめました。
(見ていて下さい。真奈美は、勇気を出します!)
その瞳は、決意に満ちて、きらきらと光っていました。
翌日の早朝。
(そぉーっと、そぉーっと)
真奈美ちゃんは、抜き足差し足、廊下を歩いています。手にはお気に入りの鞄を提げて、どこかにお出掛けするようです。
そっと、玄関のドアに手を掛けて開けようとしますが、開きません。
(ああっ、どうして開かないの!?)
……単にドアに鍵がかかってるだけなんですけどねぇ。
良い娘の真奈美ちゃんは、ドアに鍵がかかってるような時間には、出入りしたことがないんです。だから、「ドアに鍵がかかっている」なんて知らなかったんですね。
(どうしたらいいの? ううん、まだ第一歩。こんな所でくじけていてはだめですっ)
真奈美ちゃんは少し考えて、バルコニーに出ました。こちらのほうは鍵の外し方を知ってます。
ひんやりとした空気が、真奈美ちゃんを包み込みました。思わず身震いしてから、真奈美ちゃんはおそるおそる、バルコニーの手すりに手を掛けて、よじ上りました。
「よいしょっと……。きゃぁ!」
ドシン
いきなりバランスを崩して、外側に落っこちる真奈美ちゃん。大丈夫でしょうか?
「あいたたた……」
腰をさすりながらも、真奈美ちゃんは起きあがりました。どうやら下が草むらだったので、怪我をしないですんだみたいですね。
それにしても、高さ1メートルもない手すりから落っこちるようじゃ、先行きかなり不安なんですが……。
真奈美ちゃんは振り返って、まだ眠っているお父さんお母さんに手を合わせました。
「ごめんなさい、お父さんお母さん。真奈美は悪い娘になってしまいます」
それから、すたたっと、真奈美ちゃんは駆け出していきました。
お屋敷の2階にある、真奈美ちゃんのご両親のお部屋。
カーテンの隙間から、真奈美ちゃんが駆けていくのが見えます。
それを見送りながら、真奈美ちゃんのお父さんは、隣にいるお母さんに尋ねました。
「本当に大丈夫だろうか?」
「あなた、真奈美ももうすぐ高校卒業ですよ。一人でなんでも出来る年頃です」
「しかしだなぁ……」
「初めて真奈美が自分からこうしようって決めたことじゃないですか。暖かく見守ってあげましょうよ。さて、それじゃ私達も行きましょうか」
よく見ると、ご両親とももう外出ルックですね。
どうやら、真奈美ちゃんの旅立ち、既にバレバレのようです。
真奈美ちゃんは、JR高松駅までやって来てました。
ここまでなら、彼を迎えに、また見送りに来たことがあります。
「えっと、ここから……」
そこで詰まってしまう真奈美ちゃん。切符売り場で考え込んでいます。
「東京までの切符って、いくらなんでしょうか?」
真奈美ちゃん、それは近距離用の切符の自動販売機ですよ。
「ど、どうしましょう? どこにも東京がありません……」
路線図を見ておろおろする真奈美ちゃん。少し考え込みます。
(えっと、東京は本州にあるから、とりあえず瀬戸内海を渡らないといけないですよね。ということは……、これでしょうか?)
とりあえず、マリンライナーの切符を買う真奈美ちゃん。これで岡山には行けますね。
それを柱の影から見守るご両親。
「なぜだ、真奈美? 飛行機を使えば、東京なんてすぐだろうに!」
「真奈美も旅を楽しみたいんでしょう」
地団駄を踏むお父さんにやんわりと言うお母さん。
でも、二人は知りませんでした。真奈美ちゃんは高松空港に行く方法を知らなかったんです。
なぜなら、彼はいつも高松に来るときは列車だったから、なんですね。
カタンコトン、カタンコトン
JR高松駅を出た列車は、一路岡山に向かって走ります。坂出(さかいで)を出ると、瀬戸大橋に入ります。
「わぁ!」
以前下から見上げたことはありますが、実際に列車に乗って通るのは初めての真奈美ちゃん、窓から見える瀬戸内海の景色に、思わず声を上げてしまいました。
「……綺麗」
穏やかな海に、点々と緑色の島が並ぶ瀬戸内海ならではの風景を見て、真奈美ちゃんは改めて思うのでした。
(あなたと一緒に……見たかったな……)
そして、きゅっと手を握りしめます。
(待っててください。私は参ります。東京に!)
「岡山〜、岡山〜、終点です」
車内アナウンスに、思わず立ち上がる真奈美ちゃん。
(終点? ということは、これ以上行かないんでしょうか? ああっ、どうすればよいのでしょう?)
そんなことを考えているうちに、マリンライナーは岡山駅に着いてしまいました。
岡山駅でマリンライナーからは降りたものの、コンコースで途方に暮れる真奈美ちゃん。鞄を両手で提げて、うろうろしています。
(ああっ、どうしたらいいんでしょう? 一体どうしたら……)
それを物陰から見ながら、やきもきするご両親。特にお父さん。
「何をしているんだ、真奈美は? あんなに無防備にうろうろしてるとは……」
「まぁ、落ちつきなさいよ、あなた。岡山名物吉備団子でも食べますか?」
お母さん、落ちついて吉備団子を広げています。なんだか余裕ですね。
もうかれこれ30分もおろおろしていた真奈美ちゃんに、不意に声がかけられました。
「なにしてんの?」
「きゃぁ!」
思わず小さな悲鳴を上げてしまった真奈美ちゃん、慌てて振り返りました。
そこには、見るからに不良っぽい、皮ジャンを着込んだ男の子が3人立っています。
「あ、あの、何でもないんです!」
「なんだか困っとるみたいやん。なぁ?」
「ああ」
男の子達はうなずきあって、真奈美ちゃんに一斉に視線を向けます。
「えっと、あ、あの、大丈夫ですから……」
すっかり怯えてしまって、泣きそうなか細い声で答える真奈美ちゃん。
「まぁまぁ、俺達に任せとけって、へっへっへ」
「なぁ、くっくっく」
にやっと笑いあうと、男の子達は真奈美ちゃんの腕を掴みます。
「い、いや……」
「いやよいやよも好きのうちってな」
「よし、行こうか?」
「ちょっと待ちなよ」
不意に、別の声がかけられました。真奈美ちゃんも含めて、みな一斉にその声の方を見ます。
そこには、赤いショートカットの女の子がいました。
彼女は、特に声を大きくするでもなく、さらっと言いました。
「その娘、なんだか嫌がってるみたいだけど」
「なんだと? 関係ねぇだろ?」
一人がすごみをきかせてその娘に言いました。彼女はくすっと笑います。
「そうだね。確かにそうだけど……どうしてかな?」
「あん?」
「彼の……せいかな? こんなお節介を、焼くようになったのは」
独り言のように言うと、彼女はすっと男の子達の間に割り込んで、真奈美ちゃんの腕を掴みました。
「行こうよ」
「え? あ、はい」
こくんとうなずくと、真奈美ちゃんはその娘に引っ張られて、男の子達の間から抜けだしました。
その動きが余りに自然だったので、最初はそのまま真奈美ちゃんを見送りかけてた男の子達は、はっと気付いて声を上げました。
「ちょっと待てこら!」
「走るよ」
そう言うと、その娘は真奈美ちゃんの腕を掴んだまま走り出しました。
「あ、逃げたぞ!」
「待てぇ!!」
追いかけようとした男の子達の前に、いきなり中年の男の人が飛びだしました。
「貴様ら、よくもうちの娘に手を出そうとしたなあ!!」
言うまでもなく、真奈美ちゃんのお父さんです。すっかり逆上してるみたいですけど……。
「なんだ、おっさん どけや、おら!」
ドン
あらあら。あっけなく突き飛ばされて尻餅をついてます。
そのお父さんをそのままにして追いかけようとした男の子の肩がぐいっと掴まれました。振り返ると、上品そうな女の人がにこにこ笑っています。
「娘のみならず、私の夫にまで手を出すとは、いい度胸ですわね?」
十数分後。
ピーポーピーポー
岡山駅から発車していく救急車を見送りながら、岡山県警のお巡りさんは手帳を仕舞いました。
「わかりました。正当防衛ってことですね」
「わたくし、もう夢中でございまして……」
そういいながら目頭をハンカチで押さえる真奈美ちゃんのお母さんに、岡山県警のお巡りさんも同情していました。
「そうですなぁ。せっかくの御旅行中に、災難でしたなぁ。それにしても、お強いですな。なにかたしなんでいらっしゃるのですか?」
「ええ。護身術を少々」
と、そのお巡りさんの襟首を掴んでお父さんが叫びました。
「そんなことより、うちの真奈美はどこに行ったんだ? 早く捜してくれ!!」
どうやら、あのどさくさで、真奈美ちゃんのご両親は真奈美ちゃんを見失ってしまったみたいですね。
「はぁはぁはぁはぁ」
その頃、真奈美ちゃんはやっと立ち止まって、大きく息をしていました。
その前に、缶ジュースが差し出されます。
「大丈夫かな?」
「はぁはぁ、……は、はい」
やっとのことで顔を上げると、さっきの赤いショートカットの娘が心配そうに真奈美ちゃんを覗き込んでいました。
「ごめんなさい。私、あまり身体が強くないもので……」
「そうか。ごめんね、急に走らせて」
やっと息を整えた真奈美ちゃん、深々と頭を下げました。
「助けていただいて、ありがとうございました。私、高松から参りました、杉原真奈美ともうします」
「はい、これ」
真奈美ちゃんに缶ジュースを渡して、彼女はもう一本の缶ジュースのリップルを引きました。そして一口飲んでから、笑みを浮かべて言いました。
「私は、七瀬。七瀬優だよ」
「それじゃ、七瀬さんは全国を旅していらっしゃるんですか?」
「そうだね。結構あちこちに行ったよ」
真奈美ちゃんと優ちゃんは、道端に座りこんでお話をしています。すっかり仲良くなったみたいですね。
「それにしても、東京まで行くのかぁ。一緒に行ってあげられればいいんだけど、私は見ての通りの貧乏人だからね」
優ちゃんは苦笑して、財布を開けてみせました。確かに、あんまり入ってないようですね。
「移動ももっぱらヒッチハイクだし」
「ひっちはいく?」
「誰かの車に乗せてもらうんだ」
「誰かのって、知らない人に乗せてもらうんですか? ……怖くないですか?」
びっくりしたように目を丸くして訊ねる真奈美ちゃんに、優ちゃんは苦笑しました。
「そんなこと考えてたら、旅なんて出来ないよ」
「そう……なんですか?」
「そうだよ。さて、と。そろそろ私も行かなくちゃ」
優ちゃんは立ち上がりました。慌てて真奈美ちゃんも立ち上がると、ポケットを探ります。
「ジュースのお代金、返しますね」
「いいよ、それくらい……。どうかしたの?」
真奈美ちゃんの様子に気付いて、優ちゃんは訊ねました。
慌てたように、真奈美ちゃんはポケットを全部ひっくり返して、次いで持っていた鞄を開けて中をひっくり返し始めました。
「ない、ない……ど、どうしよう……」
「ま、まさか……ないの?」
訊ねた優ちゃんに、真奈美ちゃんは真っ青な顔をあげて、こくりとうなずきました。
「お財布が……ないんです……」
《続く》
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