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承前
《続く》
リーザス王国筆頭侍女にして、影の宰相、マリス・アマリリスがリーザス城にいることは、最近はあまりない。ランス王が逐電してからというもの、広大なリーザス王国を治めるという作業は彼女の双肩にかかっていると言っても過言ではなく、彼女は文字通り大陸中を飛び回る日々を送っている。
もっとも、彼女の幸せは「リア王女が幸せなこと」であり、そのための苦労はまったく厭わないので、彼女にしてみれば幸せなのかもしれないが。
ともかく、そんな彼女がほとんど一ヶ月ぶりにリーザス城に戻ってきて、久しぶりにリア王女と朝食を取っているときに、その知らせはもたらされた。
「マリス様、朝食中、失礼いたします」
ドアをノックすると、加藤すずめはドアを開けた。
リーザス城に勤めているメイドの彼女は、数少ない「ランスが幸せにした女の子」の一人である。
身勝手な父親の出世の道具として、半ば娼婦のように身を売ることを余儀なくされ、感情を失っていた少女。それがかつてのすずめだった。
しかし、「美少女をいじめていいのは俺様だけ」という哲学の持ち主であるランスは、そんなどん底の生活からすずめを救い上げた。彼女を食い物にしていた父親を追放し、それどころか彼女を抱いたことのある男を事細かに調べ上げ、いずれも厳罰に処した。「こういうことにはマメなんだから……」と言ったのは、追跡調査をさせられたかなみだったが、ともかく「ランス王お気に入りのメイド」に手を出そうという者はいなくなり、すずめは、今は本来の明るさを取り戻していった。
ランス王逐電後も、もし彼が戻ってきた事のことを考えると、彼女に手を出そうという恐れ多いことをする者がいようはずもなく、彼女は今もリーザス城のメイドとして働いていた。
「どうしました、すずめ?」
「ゼスからの勅使が、マリス様に書状を、と。その方は、そう言うのがやっとで、倒れてしまいましたので、今は天才病院の方に……」
「ありがとう」
マリスは、すずめから手紙を受け取った。すずめは一礼して部屋を退出していった。
リアがそのすずめを目で追っているのに気付いたマリスは、彼女に尋ねた。
「リア様、また、すずめをお召しになりますか?」
すずめはかつて、リアに仕えていた頃があった。サディストであるリアに気に入られて、かなりの仕打ちを受けたことが、すずめをおどおどした性格にしていたのは間違いがない。
だが、マリスの問いにリアは首を振った。
「ううん。ダーリンの言いつけだもん」
「そうですか」
マリスは、くすっと笑った。
ランス王が逐電するとき、置き手紙を残したのだが、そこには「俺様のハーレムにいた娘には手を付けるな。特にリアとミリにそう言っておけ」とあったのだ。
リアはそのことを聞いて「じゃあ、ほかの娘ならいいのね」と頷いたとか。
それから、マリスは手紙を見た。
封緘は間違いなく、ゼス王国の正式なものである。それを確かめてから、マリスはリアに断って封を開いた。
その形のよい眉が顰められた。
「マリス?」
スプーンをくわえて、リアが尋ねた。
「どうしたの?」
「……いえ。申し訳ありません、わたくしは用事ができましたので、これにて失礼いたします」
マリスは一礼して、立ち上がるとリアの部屋を出た。それから、部屋の前で待っていたすずめに言った。
「バレス殿とレイラ殿、それからアールコート殿をわたくしの部屋までお呼びしてください」
「わかりました」
すずめは頷くと、背を向けて駆け出した。
とんとん
ノックの音がして、白髪の、しかしたくましい体を黒い鎧に包んだ男が、マリスの部屋に入ってきた。
「マリス殿、お呼びとか」
「ああ、バレス殿。朝早くからすみません」
「いやなに。老人は朝早いものじゃよ」
そう言って豪快に笑っているこの老人こそ、リーザス軍の総司令官であり、歴戦の強者とその名を大陸に轟かす、バレス・プロヴァンスである。
バレスは、マリスの隣に立っている赤毛の女性の姿に気付いて、眉を上げた。
「おや、レイラ殿も来ておったのか?」
「はい」
にこっと微笑んで頷いたのは、リーザス軍親衛隊、通称黄金の軍の隊長、レイラ・グレイニーである。女性ではあるが、赤の軍隊長リック・アディスンに次ぐ剣の使い手として、彼女もまた大陸全土に名を轟かしている。
と、バレスが閉めた扉がノックされ、外で声がした。
トントン
「緑の軍副将、ラファリア・ムスカです。お呼びにより、参上しました」
バレスとレイラ、そしてマリスは顔を見合わせて苦笑した。それからマリスが声をかける。
「お入りなさい」
「はっ」
ガチャ、とドアが開くと、緑の巻き毛ときつそうにつり上がった目つきが印象的な少女が入ってきた。
「マリス殿のお呼びとか」
「私が呼んだのは、アールコートのはずですよ」
やんわりと言うマリスに、少女は元々つり上がっているまなじりをさらにつり上げた。
「あんな腰抜け……、失礼。緑軍の指揮は、私だけで十分です」
思わず苦笑すると、マリスは肩をすくめた。
緑軍の将軍、アールコート・マリウスと、副将ラファリア・ムスカの確執(というよりも、ラファリアの一方的な思いこみに近い)は、2人がランスの創設した女子士官学校の同期だったころから続いている。
それまで、貴族の娘として何不自由なく暮らし、すべてにおいてナンバーワンだったラファリア。それは、ランスが創設した女子士官学校の第1期生となってからも同じで、戦術論、戦略論、剣術、馬術、すべてにおいて秀でた彼女は、第1期生総代となり、当然、女子士官学校から最初にリーザス軍の将軍に取り立てられると、自他共に思われていた。
しかし、それも第2期生として、一人の少女が入学してくるまでだった。
肉屋の娘、アールコート・マリウス。気弱でいつもおどおどしているこの少女は、学長のアビアトールをして、「100年に1度の逸材」と言わしめた、戦闘指揮の天才だった。
しかも、ラファリアが半ば自分で招いた失態ののせいとはいえ、アールコートはその後、新設された緑軍の将軍となり、自分は副将の地位に甘んじることになってしまった。それ以後の猛烈な運動にも関わらず、ランス王、そしてその後軍務をすべて引き継いだバレスは自分を正当に評価してくれないと、彼女は悶々とした日々を送っているというわけだ。
ちなみに、アールコートの戦闘指揮は防衛戦で真価を発揮する。かつて、当時ヘルマン軍の将軍だったクリームの攻撃を、わずかな手勢で防ぎ通したシャングリラ防衛戦は語りぐさになっている。
閑話休題。
マリスはじっとラファリアを見つめた。
「ラファリア。あなたは緑軍の副将でしょう?」
きっぱり答えるラファリア。
「わかってます! ですが、やはり緑軍にはアールコートよりも私の方が……」
「将軍の人事権は、副将であるあなたにはありません」
「マリス様。ラファリアには私が後で話しておきます。それよりも、危急の用事では?」
苦笑して、レイラが中に割って入った。マリスはコホンと咳払いした。
「そうですね……。ゼスのマジック殿から報告がありました。魔人の一人、ケッセルリンクが復活し、魔物を率いてゼスに攻め込んだそうです」
「なんと!」
思わずバレスは声を上げた。
ラファリアがずいっと前に進み出た。
「マリス様、私に行かせてください!」
「まだ、何も言ってませんよ」
マリスはそう言うと、ラファリアに視線を向けた。
「でも、そうなるでしょうね。マジック殿は、我がリーザスに援軍を要請してきました。そして、現在、我がリーザス軍で自由に動けるのは、あなた方の緑軍だけですから」
リーザス軍は、リーザス5軍と呼ばれる、黒、赤、青、白、緑と、親衛隊の黄金の軍、そしていずれにも属さない魔法部隊から構成される。現在、5軍のうち、赤と白はヘルマンに、青はシャングリラに駐屯している。
「主力であるバレス殿の黒の軍は、リーザスから動かすことは出来ません。レイラ殿の黄金の軍もしかり」
ラファリアは、目を輝かせて、声を上げた。
「マリス様。アールコートではこのような作戦を指揮するのは無理です。この遠征の間だけでも、私を将軍として……」
「ラファリア、おぬし……!」
流石に雷を落とそうとしたバレスを、マリスは制した。そして静かに言った。
「判りました。ラファリア・ムスカ。あなたにこの遠征の間、緑軍の総指揮権を委ねます」
「えっ!?」
一瞬、言い出した当のラファリア自身が惚けた顔をしていた。だが、次の瞬間には自信満々の表情に戻って、深々と一礼した。
「ご期待に添うよう、粉骨砕身の努力をする所存でございます」
「マリス殿! 軍の任免権は儂にあるはずですぞ」
珍しく、バレスがマリスにくってかかった。その耳に、レイラがささやく。
「バレス殿。マリス様にはきっと何かお考えがあるのでしょう」
「しかし……」
「ラファリア、すぐに緑軍を出撃に備えて再編させておきなさい。再編が完了次第、出撃を命じます。それから、アールコート将軍の方には私から次第を伝えておきます」
「判りました。では!」
ぴしっと敬礼して、ラファリアは足音も軽やかに出ていった。
バレスは、マリスに尋ねた。
「どういうお考えかな?」
「バレス殿が、あの娘を快く思ってないのは、存じておりますわ。でも、あの娘の才能、つまらない嫉妬に燻らせておくにはもったいないと思いませんか?」
そう言ってから、マリスはポンポンと手を叩いた。
「お呼びですか?」
バレスの後ろから声がして、思わずバレスは飛び上がった。
「なんじゃっ!?」
「あら、ごめんねぇ〜。びっくりしちゃった、おじいちゃん?」
くすくす笑っているのは、忍者のフレイヤだった。その肩に乗っている一つ目猫のノリマキが言う。
「こら、フレイヤ。雇い主を脅かしてどうすんだ?」
「あらん、あたしの雇い主はバレスのおじいちゃんじゃなくてマリス様よん」
「同じだ、同じっ!」
「いいかしら?」
マリスが声をかけて、2人はそろってマリスの方に向き直った。
「話は、聞いてたわね。任務は……」
「あの跳ね返りっ娘を監視すること、でしょ? 特に、アールコート将軍に悪さするかどうか、あたりかな?」
「そうね」
マリスはこくりと頷いた。フレイヤは悪戯っぽい表情になった。
「でも、あの娘も結構頭いいでしょ。もしかしたら、あたしを買収にかかるかもね」
「買収されたふりをしてくれるかしら? ラファリアの提示した買収金額の2割増しをボーナスとして払うわよ」
「オッケー。ノリマキ、聞いたわね?」
「聞いた聞いた」
にまっと笑うノリマキ。
「それじゃお願いね」
「承知」
その声とともに、フレイヤの姿は消えた。
「さて、と。それじゃリア様におやつをさしあげないと」
マリスは、そう呟くと、楽しそうに鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。
それを見送って、バレスとレイラは苦笑し合った。
その日の昼頃には、リーザス城の大門の前に、緑軍が整列していた。
整然と並んだ軍勢を前に、ラファリアはぞくぞくしていた。
(これが、あたしの軍ゥ)
そして、その隣で、将軍から副将に「降格」されたアールコートは、むしろほっとしていた。
(やっぱり、私なんかより、ラファリアさんのほうが将軍にふさわしいんです。よかった)
「それではこれから、魔人ごときにおたおたしてるゼスを助けに行くっ! むろん、このラファリア・ムスカが指揮を執る限り、全戦全勝間違いなしっ! それでは、出撃っ!!」
「おおーっ!!」
兵士達の歓声の中、緑軍は出撃していった。
その頃。
「急げ!」
パリティラオンに向かって、馬車が全速で走っていた。その中から叱咤の声をとばすのは、カバッハーン。
「馬鹿者どもが! 儂が着くまで、保ってくれよ……」
彼のしわだらけの手には、手紙が握られていた。それは今朝、彼の執務室の机に置かれていたもの。
そこには、彼の配下の魔法将軍達の連名で、魔物に奪われたパリティラオンを奪回する、とだけ書かれていた。
かつて、ランス達に占領されたゼス。それをやっと、自治を取り戻したところに、今度は魔物達。
彼ら、または彼女らにとって、それは耐え難い事だったに違いない。
(それにしても、何も死に急ぐことはなかろう……)
パリティラオンの魔物軍の数は、物見の報告では、今のゼス軍がすべてをあげてぶつかってもかないそうにない。それを知って、マジックはリーザスに援軍の要請を送ったのだ。
だが、若い将軍や兵士達にとって、かつての征服者に援軍を乞うということもまた屈辱だったのだろう。それ故の、今回の暴走だと、カバッハーンには痛いほど判っていた。だからこそ、マジックや千鶴子に報告せずに、自分一人でその後を追っているのだ。
しかし……。
パリティラオンとゼス王宮との中間付近で、カバッハーンは馬車を止めた。
そこかしこに、焼けこげ、凍り付いた魔物達、そして血塗れになって倒れている人間の姿があった。
既に、動くものは、なにもない。
「くっ、くぉぉぉっ」
カバッハーンは、地面に膝を付いた。そして、呻いた。
「許せ……、許せよ、お主ら……」
と、彼の視界に、一人の魔法将軍の姿が写った。彼は駆け寄って声をかける。
「おいっ、しっかりせいっ!!」
「カバッハーン……殿……。もうしわけ……」
「ええい、そのようなことはよいわっ! さ、帰るぞ」
カバッハーンは、老人とは思えない力で、彼を担ぎあげようとした。
「カバッハーン将軍、逃げて……げふっ」
不意に血を吐き、動かなくなる魔法将軍。その胸から、銀色の槍の穂先が突き出していた。
ずるり、と槍の穂先が抜け、そして倒れた魔法将軍の後ろには、魔物が何十匹と群を為していた。
「げへへ、じじいだけかよ」
「殺しちまえ。その方がすっきりするぜぇ」
「そうだな、げへげへげへ」
カバッハーンは、白い眉の奥深くに隠れた目を、魔物達に向けた。
「おのれ……」
カァッ
次の瞬間、巨大な稲妻が魔物達を撃った。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
カバッハーンは荒い息を付いていた。
既に周囲には、黒こげになった魔物の死体が、ぶすぶすと嫌なにおいをあげながら、積み重なっていた。しかし、その向こうからは、さらに魔物が湧き出てくる。
「年には、勝てぬの……」
彼は呟くと、指を上げた。しかし、その指先には紫色の火花がパチッと散るだけだった。
「やれやれ、これまでかの……。すまんな、千鶴子どの。約束、守れんで……。でも、儂はもう充分に生きすぎたようじゃわい」
そのまま、カバッハーンはその場に座り込んだ。
力を失ったと知った魔物達が、近寄ってくる。そして、その中の一匹が、刃を振り上げた。そのまま、勢い良く振り下ろす。
「氷の刃」
ドシュドシュドシュッ
瞬時に、魔物の体が切り刻まれる。しかし、青黒い血は飛び散らない。なぜなら、切れた瞬間、その部分は凍り付いているからだった。
どさどさっ
その場に、バラバラになった魔物の体が落ちる。
カバッハーンは顔を上げ、目を見開いた。
「お主……」
「お久しぶり、カバッハーン将軍」
どこから現れたのか、背中まで伸びた薄い紫色の髪を風に揺らしながら、美女が佇んでいた。
彼女は緑色の瞳を細めた。
「しばらく逢わないうちに、老け込んだのかしら? 昔はこの程度の敵は、片手で相手をしてたようだけど」
「無茶なことを言いおるわい」
カバッハーンは苦笑した。
魔物達が、美女の姿を見てざわめきたつ。
「おっ、おっ、おんな〜」
「まぶいぜっ!」
「俺のもん、俺のっ!」
「……ふっ」
その下卑た声を聞いて、美女は肩をすくめ、そして右手を魔物達に向けた。
「お生憎。魔物を相手にするほど、男に飢えてるわけじゃないわ。……水晶の柩!」
次の瞬間、そこには巨大な氷のオブジェが乱立していた。
元、氷の魔法団隊長、ウスピラ=真冬は、二つ名の“氷の女”にふさわしい笑みを浮かべ、その氷のオブジェに閉じこめられた魔物達を見つめていた。そして、くるりときびすを返す。
「ウスピラ、もう行くのかね?」
「ええ……。私が戻る場所は、もうゼスにはないもの」
彼女はそう言うと、カバッハーンに向かって微笑んだ。
「双葉ちゃんと萌ちゃん、それからつぼみちゃんにも、よろしく言っておいてね」
「逢っていけばよかろうに……」
「逢えば……、情が移るわ。それは、辛いことよ……」
それだけ言うと、彼女はそのまま歩き去っていった。
カバッハーンは、その後ろ姿を見つめていた。
彼女はかつて恋人を失い、心を氷の鎧で覆った。そしてその氷を溶かすことが出来ず、もう一人の男も逝った。そして、彼女も姿を消した……。
あれから、ずいぶん時が流れていた。
(ウスピラ……。いつか、帰ってくるのじゃぞ。その氷が溶けたなら、な。儂は、それを見ることはできんかもしれんが……)
彼は、もう一度戦場を見回し、ここで失われた命に思いを馳せながら、その場を去っていった。
「ふぅん……。ま、いっか。あの女の人、これ以上邪魔しないなら、ほっとこうっと」
青い髪の少女は、水晶球の映像から視線を外し、テーブルの上のチェス盤を見つめた。そして、黒のボーンをもう一つ前に進めた。
「出てくるかな? リトルプリンセス……。ふふっ。リトルプリンセスの力があれば、パパに逢いに行けるかなっゥ」