喫茶店『Mute』へ 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
承前
《続く》
「……そう」
苦渋の表情を浮かべたカバッハーンからの報告――ゼス魔法師団の全滅――を聞き、マジックはため息をついた。
元々、リーザス王国に占領されており、最近やっと自治を回復したばかりのゼス王国である。軍事力はかつての1割程度にまで落ち込んでいた。しかし、今回の暴走で、その半分以上が失われたのである。
カバッハーンやアレックス、そして千鶴子やマジック自身といった、力のある魔法使いは健在だが、個人の力など戦争の中ではたかが知れている。
先のリーザスとの戦争で、それを嫌と言うほど思い知らされたマジックは、それ故に唇を噛むしかなかった。
「すまぬ、マジック殿。儂が兵士達を掣肘しておれば、あのようなことには……」
「カバッハーン殿、済んだことをどうこう言っても仕方ありませんよ」
マジックの脇に立つアレックスが、声をかけた。その手は、マジックを力づけるように、彼女の肩に置かれている。
マジックは、そのアレックスの手を握ると、一つ頷いた。
「リーザスの援軍がくるまで、ゼス宮殿に籠城するしかないわね……」
討って出るだけの戦力が失われた今となっては、それがマジック達に出来る、唯一の方法だった……。
「とんでもないことになっちゃったわね」
マジックから発表された籠城案を聞き、マリアは嘆息した。
メナドがぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい。ボク達が志津香さんやマリアさんを巻き込んじゃったんだよね……」
「あ、ううん。大丈夫よ」
マリアは慌てて手を振った。
「ほら、こんなの、リーザス城にいた頃は日常茶飯事だったし。ね?」
「でも……」
「ま、ちょっと腕がなまってたから、運動代わりにはちょうどいいかな」
ミリがうきうきした顔で言った。その脇で、彼女の妹のミルもこくこくと頷く。
「うんうんっ」
と、彼女達の部屋のドアがノックされた。
トントン
「はぁい」
マリアがドアを開けると、そこには美樹と健太郎が立っていた。
美樹がぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです」
「ど、どうも。お呼びだと聞いたもので。……あはは」
部屋にいるのが女性ばかりなので、思わず健太郎は愛想笑いを浮かべた。とたんに美樹に脇をつねられる。
ぎゅーっ
「いたたっ! み、美樹ちゃんっ!?」
「ふんだ。知らないっ」
ぷっと膨れて拗ねる美樹。
微笑ましい光景を見て、皆の顔に久しぶりの微笑みが戻った。
「まぁ、立ち話もなんだし、入ってくれる?」
「あ、はい。御邪魔しま〜す」
「わかり……」
「健太郎くんは、廊下っ!」
美樹は膨れたまま、廊下を指した。まぁまぁとミリが割って入る。
「いいじゃねぇか。なぁ、健太郎?」
「は、はぁ……」
「それより、今夜辺り、どうだい?」
「ミリさんっ!!」
美樹がじろーっとミリを睨んでいる。ミリはからかうように言った。
「あれあれ? 美樹ちゃんは、健太郎のことはもう知らないんじゃなかったのかい?」
「えっ? あ、違いますっ! 健太郎君は知ってますからだめですっ!」
慌てふためいて、健太郎に取りすがる美樹。何せ相手は、手の早さではランスと並び称されるミリである。放っておくと本気で健太郎を“食べ”かねない。
ミリは、そんな美樹の姿を見て、にまっと笑って肩をすくめた。
「へいへい。それじゃあたしはゼスの兵士でも見繕ってくるかね」
そう言い残して、ミリは部屋を出ていった。
マリアが、引きつった笑いを浮かべて、二人に声をかける。
「ご、ごめんね。とにかく、座って」
「そんなことが……」
かなみやマリアに今までの経過を聞いて、健太郎は思わず唸っていた。
その隣で美樹が涙ぐんでいる。
「リセットちゃん、可哀想……」
一応、次期魔王リトルプリンセスである美樹だが、彼女も望んでそうなったわけではない。そのために、リセットも無理矢理魔人にさせられたと思って、自分と重ね合わせているらしい。
「それでね、さっきホーネットさんやシルキィさんにも聞いてみたんだけど、魔人から魔血魂を分離する方法は判らないって。だから、もしかしたら、日光さんなら知ってるかもって……」
かなみの言葉に、健太郎は腰に下げていた日本刀を鞘ごと外して、テーブルに置いた。
不意に剣が輝いたかと思うと、そこには和風の衣装をまとった黒髪の美女がいた。
この女性こそ、聖刀日光のもう一つの姿である。
元々、聖刀日光は、刀ではなく人間である。侍であった日光が、「魔人を倒す力を得たい」と神に願い、自ら刀となったのが、この聖刀日光である。ちなみに、ランスの持つ魔剣カオスも、同じく盗賊だったカオスが「魔人を倒す力を」と願って剣になった姿である。
日光は、まず美樹と健太郎に頭を下げてから、かなみに向き直った。
「私にも、それはわかりません。ですが……、おそらく彼なら、知っていると思います」
「彼、とは?」
一縷の望みをかけて、かなみが訊ねる。
日光は、一瞬健太郎を振り返ってから、答えた。
「かつての私の仲間であった男、最果ての北の塔に住まいし、賢者ホ=ラガです」
ガタッ
大きな音がした。びっくりして皆が音の方をみると、健太郎が壁に張り付いていた。
「健太郎くん!?」
思わず美樹が声をかけるが、真っ青になった健太郎は、それすらも耳に入らない様子で、何かぶつぶつ呟いている。
「いやだ……、いやだ……、僕は、僕はもうあそこには行かない、絶対に行かないぞ……」
「そういえば……」
かなみは、かの塔にまつわる噂を、ふと思い出した。
ホ=ラガの塔には、美少年や美青年しか入れない。そして一度入った者は、二度とは行きたがらない。
健太郎も、かつてランスの命令で塔に行ったことがある。そして帰ってきて数日間は、一人で部屋に引きこもっていたということも、かなみは知っている。
「……何があるの? ホ=ラガの塔に……」
「し、知らない、僕は知らないっ!! 知るもんかぁっ!!」
いつも冷静沈着な健太郎が、口から泡を飛ばすような勢いで怒鳴った。しかし、その膝はがくがくと震え、今にも倒れそうだった。
「け、健太郎くんっ!!」
「美紀ちゃんっ! 僕は汚れてしまったんだっ、僕は、僕わぁっ!!」
「眠りなさい、うっとおしいから」
志津香がぼそっと言うが早いか、健太郎はその場に倒れた。
「健太郎くんっ!」
「大丈夫。眠ってるだけです」
日光は、美樹にそう言うと、志津香に頭を下げた。
「ともかく、ホ=ラガに話を聞くしかないってことだねっ」
メナドが声を上げた。しかし、かなみは首を振った。
「ホ=ラガは、美少年や美青年しか相手にしてくれないのよ」
「何で?」
無邪気に訊ねるメナドに、かなみは肩をすくめた。
日光は心の中でため息をついた。
(あの人の趣味だけは、何百年たっても理解できない……)
「報告いたしますっ! 魔物の軍勢はその数15000。ゼス宮殿を完全に包囲していますっ!」
「そう。ご苦労。持ち場に戻りなさい」
「はっ!」
敬礼して駆け去る兵士には目もくれず、ラファリアは司令官用の天幕の中で、地図に目を落としていた。小さな声でぶつぶつと呟く。
「緑軍は5000。まぁ、3倍なら楽勝ね……。よし、ラリアの平原まで進軍して、一気に敵を落とすわ」
「あ、あの……」
「うるさいわねっ! あんたは副将なんだから、あたしの言うことだけ聞いてればいいのよっ!」
「は、はい」
怒鳴られて、しょんぼりとした、淡いすみれ色の髪をした少女が、アールコート・マリウス。本来の緑軍の将軍である。
彼女は、ラファリアの肩越しに、後ろから地図を見て、ぼんやりとだが危険を感じていた。
(あの地形……。ラファリアさんは、ちょうど小さな山に囲まれた窪地に進軍しようとしている。私が敵だったら、山の影に兵を伏せて、三方から一斉に襲いかかるんだけど……。そうなったら……)
彼女は、地図の上で視線をさまよわせた。“100年に1人の名将”とうたわれたその頭脳が、めまぐるしく活動を続ける。
やがて、彼女はおずおずと切り出した。
「あの、ラファリアさん……」
「将軍よ」
「は、はい。ラファリア将軍。あの……」
「はっきり言いなさいよっ!」
いらついたように振り返るラファリアに、アールコートは勇気を振り絞って言った。
「こ、工兵を、貸して頂けませんか?」
「工兵?」
ラファリアは、形の良い眉を顰めた。
工兵とは、文字通り工事用の兵隊である。川に橋を架けたり、崩れた城塞を修理したりする役目の、兵士とは名ばかりで、実際には土建屋であり、戦闘になると、文字通り無用の長物と化す。
(そっか。この娘、臆病風に吹かれたわね。工兵を使う振りをして逃げるつもりなんだわ。ちょうどいいわ、これでこの勇猛果敢なあたしが、緑軍にふさわしいって内外に証明できるってものね)
一人納得して、ラファリアはアールコートに向き直った。
「いいわよ。どうぞご自由に」
「あ、ありがとうございます」
アールコートは、ぺこりと頭を下げた。そして、天幕から出ると、兵士に声をかける。
「あ、あの、すみません。工兵の皆さんを、集合させてください」
「はっ!」
控えていた兵士が、伝令代わりに八方に散った。
ちなみに、兵士達の間では、アールコートとラファリアの人気は完全に二分しており、それが一層ラファリアをいらだたせるもとになっているのだが、ここでは関係ないので留め置く。
シュッ
微かな音を立てて、ナギが現れた。
「あら、ナギちゃん、どうしたの?」
「リーザスの軍が現れたぞ」
「パパがいるの?」
座っていた椅子から立ち上がり、空色の髪の少女は弾んだ声を上げた。
ナギは首を振った。
「いや、いない」
「そっか」
とたんに興味を無くしたように座り直すと、少女は片手を振った。
「適当にやっつけちゃって」
「了解した」
「あ! 待って」
消えようとしたナギを呼び止めると、少女はイタズラっぽく笑った。
「どんどんやっつけちゃえば、きっとそのうちパパが出てくるよねっ。だから、完全にやっつけちゃっていいよ」
「……了解」
今度こそ、ナギは消えた。少女は、場違いな微笑みを浮かべて、チェス盤を眺めていた。
「楽しみだなぁ〜」
そして、その翌日……。
「第一部隊、壊滅ですっ!」
「第二部隊、全滅!」
「第三部隊、自分を残して……げふっ」
「そ、そんな……」
次々と悲観的な報告が入る中、ラファリアは色を失っていた。
「私の作戦が……間違っていたっていうの……」
出だしは、彼女の思うとおりに進んでいた。敵の先陣を文字通り蹴散らした緑軍は、逃げる敵を追って、窪地に突入し、完膚無きまでに壊滅させた。
しかし、そのとき彼女たちは既に敵の陥穽に落ち込んでいたのだ。
意気揚々と、さらに進もうとする彼女たちの背後から、敵の声がとどろき、次いで左右からも叫び声が上がった。三方を囲まれ、ラファリア達緑軍は、前に進むしかなかった。
その前に広がったのが、大きな川だった。それも、渡河するのは不可能なほど大きな……。
やむなく、そこで反転し、背水の陣を引いた緑軍だが、それまでの戦いで既に半数を失っていたところに、さらに勢いづいた敵の波状攻撃を受け、もろくも壊滅しつつあった。
「くっ」
緑軍の最後背、つまり河岸に陣を敷いていたラファリアのところにも、次第に魔物達の鬨の声が聞こえ始めていた。
「これまで……か」
彼女は、自虐的な笑みを浮かべた。
と、不意に背後から歓声があがった。
「えっ!?」
背後には、川しかないはず……。
虚を突かれて、振り返るラファリア。その目に写ったのは、橋だった。
「ど、どこから……?」
「ラファリアさんっ!」
橋をおっかなびっくりわたってきたアールコートが、ラファリアの姿を見つけて、駆け寄ってきた。
「よかった、無事で……。さ、早くこの橋を使って逃げてくださいっ!」
「ど、どうしたの、この橋は!?」
よく見ると、橋に見えたものは、筏をいくつも並べたものだった。そのとき、ラファリアは、昨日アールコートが工兵を率いて軍から離れたのを思い出した。
「あなた、もしかしてこのために……?」
「とにかく、急いで全軍を渡らせてください。渡り終わったら、向こう岸に、丘が見えますよね。あそこに陣を引いてください。あそこの安全は既に確保してありますから」
アールコートは、彼女にしては珍しく早口で言った。それに押されるように、ラファリアは頷いた。
「わ、わかったわ。伝令! 全部隊に伝えなさいっ!!」
何とか、生き残った全軍が、筏を使った仮設橋を使って河を越え、丘に登り終わった。だが、それに続いて魔物達も橋を渡って押し寄せてくる。
丘の上に陣取って、とりあえず一息ついたラファリアは、アールコートに訊ねた。
「で、どうすんの? 敵の数は、あたし達の10倍よ」
昨日の時点では、戦力比は1:3だった。いかに、ラファリアが一方的に負けたかが判る数字だけに、彼女は唇を噛むしかなかった。
一方のアールコートは、敵が橋を渡り始めたのをみて、手を挙げた。それを受けて、あらかじめ待ちかまえていた弓部隊が、火矢を放った。
たちまち炎に包まれる筏。煙がもうもうと上がり、渡りかけていた魔物達は、慌てて引き返そうとするが、後ろからも押し寄せているために身動きとれず、そのまま火だるまになる者、河に飛び込んでおぼれる者と、大混乱に陥った。
しかし、相手は魔物である。多少の火などものともせずに渡ってくる者や、魔法で火を消す者など、それぞれの方法で騒ぎを鎮めて、再び渡河を開始した。
結局、ほとんど敵にダメージはない。
ラファリアは、再び絶望の黒い雲が心を満たすのを感じて、アールコートに視線を向けた。
彼女は、祈るように目を閉じていた。
「……はっ。作戦失敗の後は、神頼みってわけ?」
思わず、文句が口を突いて出た。
アールコートは、目を開けて、ラファリアに視線を向けた。
そのアールコートの表情を、彼女はかつて一度、見たことがあった。
軍への仕官を賭けた、ランス王の御前試合。9割9分まで勝っていたラファリアが、アールコートに負けを認めるように迫ったときに見せた、あの笑みだ。
その次の手で、アールコートは奇跡と呼ばれる逆転劇を演じ、緑軍の将軍という地位を手に入れた。
「何か、あるのね……」
と。
ゴゴゴゴゴゴ
不意に、地面が揺れた。
「な、何っ!?」
「み、水がっ!」
「津波だぁっ!!」
兵士達の叫び声に、ラファリアは川上の方を見た。そして目を疑った。
すごい勢いで、水が流れてくる。まさしく、津波と言ってもいいような勢いで。
「こ、これは……。まさか……」
ラファリアは、アールコートに視線を向け直した。
アールコートは、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「間に合ってよかった……」
「アールコート!? 説明しなさい、どういうことなの、これはっ!?」
思わず怒鳴るラファリア。アールコートはびくっとして、ラファリアの方に向き直る。
「あ、はい。この川の上流に、大きな湖があったので、工兵のみなさんには、筏を作ったあとで、そっちに向かってもらったんです。知らせを受けたら、湖を決壊させて、水を全部、川に流してもらうようにお願いして……」
「知らせ……。まさか、さっきの筏を燃やしたのは……」
「はい」
アールコートはにこっと笑った。
ラファリアは、眼下に視線を落とした。
既に、彼女たちのいる丘は、川から溢れ出し、渦巻く水に浮かぶ島と化していた。そして、その周囲を荒れ狂う水は、魔物の大群を飲み込んでいった。
ラファリアは、膝を落とし、地面を拳で叩いた。
(これが、私とアールコートの差だっていうのっ……)
「へぇ、全滅したんだ」
「……」
ナギの知らせを受けて、空色の髪の少女は、にこっと笑った。
「ま、いっかぁ。魔物なんていくらでもいるしね〜。それに、リーザス軍の戦力は削いだんでしょ?」
「ああ。やつらは、ゼス王宮に入ったが、元の戦力の1割ほどしか残ってない」
「そっかぁ。さってと、それじゃそろそろ王宮を壊しちゃおうかな。うふふっ」
少女はイタズラっぽく笑うと、チェス盤に手を伸ばし、黒のナイトを前に進めた。