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承前
《続く》
シャングリラの街の中央に、その宮殿はある。
“デスココの宮殿”。
この街をかつて治めていた、ルチャ・デスココ387世の栄華を今に伝えるこの壮麗な宮殿は、その主を失ったあとも、彼の名前を冠して呼ばれている。
まぁ、そう呼ばれ続けているのは、ランスが宮殿の呼び名にこだわらなかったからなのだが。
メナドはその入口に、一人でやってきた。
シングはリセットの看病を続け、彼のことをまだ信用していないらしいかなみは、彼を監視するために残った。というわけで、彼女は一人でハウセスナースと会うために、ここに来ることになったわけだ。
彼女は、宮殿を見上げた。独特の、円味を帯びた尖塔の先が、太陽の光を反射して、黄金に輝いている。
(地のハウセスナース、かぁ)
この地下にいるという、聖女モンスター。
メナドは大きく息を吸うと、叫んだ。
「たのも〜!」
ややおいて、数人の兵士がやってくる。
「誰だ? ……あれ? メナド様じゃないですか」
名乗るときは何と言おうか考えていたメナドは、やって来た兵士が自分の顔を知っていたことにほっとした。
「如何なさいました?」
「うん、実は頼みがあってきたんだ。ここの責任者は?」
「は、はい。少々お待ち下さい」
一人が奥に駆け戻っていく。
しばらくして、メナドは奥の一室に通された。
贅を尽くした装飾に飾られているこの部屋は、かつてはデスココが使っていたと言われている。
その部屋にあまり似つかわしくない、身体の大きなごつい男がメナドを出迎えた。
「おお、メナド殿、お久しぶりですな」
「コルドバ将軍!」
メナドは顔をほころばせた。
リーザス騎士団第4軍、通称青の軍の将軍、コルドバ・バーンは、豪快に笑いながら、懐からハーモニカを出した。
「それでは、再会を祝して一曲吹きましょうか」
「えっと、それは……」
ちょっと困った顔で遮るメナド。
ごつい身体に似合わず、彼の趣味はこのハーモニカであり、腕もプロ級なのである。ただ、一度吹き始めると延々と500曲からあるレパートリーを続けてしまうのが玉にきず。
メナドは、彼のハーモニカを聞くのは嫌いではないのだが、今はそれどころではない。
ちょっと左右を見てから、メナドはコルドバに近寄った。それから小声で言う。
「あの、将軍。ちょっとお人払いを……」
「何だ?」
小首を傾げながらも、コルドバは軽く手を振って、部屋の入口にいた兵士達を追い払った。
前にも述べた通り、シャングリラはゼス、ヘルマン、リーザスの3カ国のちょうど中間という交通の要にある。そのため、マリスはこの街の守りを重視し、交代制でリーザス騎士団を駐屯させていた。ちょうど今は、青の軍がその駐屯の順番に当たっていたわけだ。
青の軍は、防御戦に長けた軍であり、その将軍であるコルドバは、別名リーザスの青い壁と呼ばれている。ランス王の世界統一戦末期、対魔人戦や対創造神戦において、人々を守るために各地で獅子奮迅の戦いぶりを見せたことは、今でも語りぐさになっており、リーザスに対するヘルマンやゼスの人々の反感を和らげる一因にもなっていた。
メナドは真面目な顔で、リセットを守ってここまで来たこと、そのリセットが倒れたことを話した。
コルドバは思わず息をのんでいた。
「なんと、ランス王のご息女が……。それは一大事」
「それで、コルドバ将軍にお願いがあるんです」
「なんですか? 私に出来ることでありましたら、なんなりと」
「ハウセスナースに逢わせて欲しいんです」
「!」
コルドバは一瞬、息を止めた。
「そ、それは……、いかにリセット殿の危機といっても……、私の一存では……」
「そこを、なんとか」
メナドは必死に言った。
「しかし……、いえ、やはりメナド殿のお頼みと言えど、できませぬ……」
苦しげな表情で、コルドバは言うと、腕組みをした。
「お帰りください、メナド殿」
「将軍……」
「……」
むっつりと口を閉ざすコルドバ。
その頃。
「はぁ、はぁ、はぁ」
苦しそうに息をしながら、ベッドに横たわるリセット。
シングはその額に手を置いて、熱を計ると、難しい顔をした。
「まずいなぁ」
「まずいなぁ、じゃないでしょ! 医者ならなんとかしなさいよ」
かなみはヒソヒソ声で怒鳴った。
「やるだけのことはやってるよ!」
シングは怒鳴り返した。それから、我に返ったように声を潜めた。
「とにかく、何をどうすればいいのか判らないんだ……。そもそも、人間に対する一般的な治療方法がカラーに対して有効かどうかもはっきりしてないし……。先生ならこんな時、もっと効果的にできるんだろうけど……」
最後の方は、力なく呟くと、シングは椅子に座りこんだ。
パァン
乾いた音がした。シングは頬を押さえてかなみを見上げた。
「見当さん……」
「しっかりしなさいよ、シング! ここにはアーヤさんはいないのよ。そして、患者がいるのよ!」
「……」
「しっかり……してよ……」
かなみは、すっとシングから離れると、窓際に歩み寄った。そして、外に視線を向けながら呟いた。
「忍の技は、影の技。敵の裏をかき、相手を殺し……、後に残るのは、何もない……。だから」
振り返るかなみ。
「私は、あなたが羨ましいのよ。人を生かす技を身につけてるあなたが」
「……すまん」
シングは、短く言うと、立ち上がった。
「もう一度、手持ちの資料を調べてくる。ちょっとの間、頼む」
「うん」
うなずくかなみにかすかに笑みを見せて、シングは部屋を出ていった。
かなみは、ベッドに歩み寄ると、リセットの顔を覗き込んだ。
「……パーパ」
リセットはかすかに呟いた。
かなみは、額に汗ではりついた前髪を指で梳いてあげながら、呟いた。
「ランスったら、こんな時まで迷惑かけるんだから……」
「将軍!」
「ダメです」
“リーザスの青い壁”の二つ名そのままに、コルドバはそれだけしか答えない。
メナドは、それでも必死になって言った。
「将軍は、ランス王様の恩義に報いようっていう気はないんですか!?」
「そう言われても……」
「そうです」
不意に、声がした。二人は振り返った。
そこには、美少女が立っていた。
「すみません、お仕事に口を出して……。でも、黙っていられなくて」
「フルルさん……」
メナドはびっくりして、声を上げた。
「こ、こら、フルル!」
コルドバは慌てて立ち上がった。
入ってきた美少女はフルル・バーン。コルドバの幼な妻である。ちなみに、年齢差は18。かつてリーザス美少女コンテストで優勝した経歴の持ち主で、ランスが、コルドバを謀殺して彼女を手に入れようと画策しようとしたという噂まで流れたほどだ。もっとも、ランスについてこのような噂は数えるのが面倒なくらいあるのだが。
フルルは、メナドにぺこっと頭を下げた。
「メナドさん、お久しぶりです」
「うん、久しぶり。元気そうだね」
メナドも微笑んだ。ちなみにメナドはフルルの一つ上である。快活なメナドは友達が多いが、フルルもその一人である。
「フルル、これは俺の仕事の話だ。君は奥に下がっていなさい」
コルドバは言った。フルルは首を振る。
「お仕事に口を出したのは謝ります。でも、リセットさんの生命に関わるんでしょう?」
「それはそうだが……」
「あなた、いつからそんなに不人情になってしまったの……」
フルルは瞳に涙を浮かべた。
「あの時、何の特にもならないのに私と両親を助けてくれたあなたは、もういなくなってしまったの……?」
「フ、フルル……」
おたおたするコルドバ。ちなみに、彼はリーザス騎士団随一の愛妻家としても知られている。
「知りません」
ぷいっと後ろを向くフルルに、慌てて駆け寄るコルドバ。
「しかし、それはだなぁ……」
「メナドさんがハウセスナースさんに会うことのどこがいけないんです? 私は良くてメナドさんが駄目なのはどうしてなんですか?」
「え?」
メナドは思わず耳を疑った。それから、おそるおそる訊ねる。
「あのぉ、どうしてフルルがハウセスナースの事知ってるの? ねぇ、将軍……」
「えっと、それは、そのだなぁ……、こ、これ、フルル、泣かないで」
「それじゃ、メナドさんをハウセスナースさんに会わせてあげてください」
くるっと振り返ると、フルルは言った。
結局、コルドバが同席する、という条件で、メナドはハウセスナースと逢えることになった。
のっしのっしと廊下を歩くコルドバの後に付いて歩きながら、メナドとフルルは小声で会話をしていた。
「それにしても、どうしてフルルがハウセスナースを知ってるの?」
「実は、ハウセスナースさんのお世話は私がしてるんですよ」
「でも、モンスターでしょ? よくコルドバ将軍がそんな危険なことさせてるなぁ」
メナドが呟くと、フルルはくすっと笑った。
「うちの人や、青の軍の騎士のみなさんじゃお世話できないから、私がやってるんですよ」
「?」
きょとんとしてフルルを見直すメナド。
(フルルって、魔物使いの素質もあったのかな? でも、そんな風にも見えないけど……)
と、不意にコルドバが立ち止まった。
「ここだ」
壁の模様に紛れるように、隠し扉があった。
隠し扉を抜け、現れた階段を降りていく。次第にひんやりとした空気が辺りに漂い、今までの暑さを吹き払う。
階段を降りきったところに、さらに扉がある。フルルは進み出ると、その扉をノックした。
「ハウセスナースさん、よろしいですか?」
「……いいわよ」
少女の声がして、メナドは思わず目を丸くした。
「女の子の声?」
「それじゃ、失礼します」
フルルはそう言って、扉を開けた。
扉の中には、部屋があった。明るく照らされた部屋は、女の子のものらしく華やかだった。
そして、その部屋の中央には大きめのベッドがあり、一人の少女が仏頂面ですわっていた。その足首には、光の輪がはめられている。
メナドは、その部屋には他にだれもいないことを確認して、それからおそるおそるフルルに訊ねた。
「フルル、この娘が?」
「ええ」
フルルの代わりに、その少女が仏頂面を崩さずに言った。
「私が地の聖女ハウセスナースよ」
「あ、はじめまして。ボクはメナド・シセイっていいます」
慌てて頭を下げるメナドに、ハウセスナースはぷいっとそっぽを向いた。
「で、何? 新しい警備の挨拶?」
「い、いえ。えっとですね、ちょっと聞きたいことがあって来たんだ、……です」
慌てて言いなおすメナドを、ハウセスナースはちらっと見た。
「別に改まった口調で言うこと無いわよ。それに、答える気もないし」
「そんなぁ……」
いきなり言われてがっくりするメナド。
フルルが横から言う。
「ハウセスナースさん、あの、お話しを聞いて下さい」
「……」
ハウセスナースは無言で肩をすくめ、座りなおした。足についた光の輪に繋がっている細い鎖がシャランと音を立てる。
「話しなさいよ」
メナドの話を聞いて、ハウセスナースは鼻を鳴らした。
「それで、ウェンリーナーの居場所が知りたいの?」
「うん。ウェンリーナーなら、きっとリセット様を治せると思うんだ!」
「教えない」
ぷいっとそっぽを向くハウセスナース。
「ハウセスナースさん!?」
フルルが声を上げるが、ハウセスナースはそっぽを向いたままだ。
メナドは思わずベッドに駆け寄った。
「お願い! 教えて!」
「なんで私がそんなことしないといけないのよ」
じろっとハウセスナースはメナドを見た。その眼光の鋭さに、メナドでさえ思わずたじろいだ。
「私は、人間なんて大嫌いなの。私をこんなところに閉じ込めていいように使ってる人間のために、なんで私が……」
「……」
初代のシャングリラ王によって捕らえられたハウセスナースは、それ以来何百年もの間、この地下に閉じ込められて、言われるままに砂漠に道を造りだしてきた。砂漠の真ん中にありながら、道がちゃんと整備されているのは、このハウセスナースの力あってのことなのだ。彼女の力なくしては、シャングリラはものの数日で砂漠の中に消えてしまうだろう。
その彼女をここにつなぎ止めているのが、彼女の足にはめられた光の輪なのだ。
「……そうだよね。ボクのお願いって、ムシが良すぎるよね……」
メナドはうなだれて、呟いた。
ハウセスナースは、不意にベッド脇においてあった、彼女の身長ほどもある大きなハンマーを掴んだ。
「……でも、ランス王は、まぁ今までの連中よりは少しはましだったわね。ちゃんとカレーライスにゆで卵もつけてくれるし。わかったわ。そのリセットとかいう娘を連れてきなさいよ。ウェンリーナーのところに送ってあげるわよ」
「ハウセスナース……」
「でも、ウェンリーナーがその娘を治すかどうかまでは、知らないわよ」
「ありがとう!」
メナドはベッドにぴょんと飛びのると、ハウセスナースの手を握った。
ハウセスナースはその手を引っ張って解いた。
「馴れ馴れしくしないでよ。勘違いされちゃ困るわ。私、人間なんて大っ嫌いなんだからね!」
「ご、ごめん……」
メナドは、頭を下げた。
「でも、ありがとう」
「……ったく、人間なんて……」
ハウセスナースは仏頂面のままで小さく呟いた。
「で、どうしてシングも一緒に行くわけ?」
宿に引き返して事情を説明したメナドが、宮殿に引き返すその後を追いながら、かなみはリセットを背負ったシングに訊ねた。
「そりゃ、関心あるもの。聖女モンスターを見られるなんて、そうそうあるチャンスじゃないだろ?」
「あんたねぇ……」
「それに、医者としても興味があるんだ。その聖女モンスターには」
シングは笑みを浮かべた。横からかなみが突っ込む。
「怪しいからやめなさい、その笑い方は」
前をすたすた小走りに歩いていたメナドが振り返る。
「ほら、急いで!」
「はいはい」
「お、おう」
二人は足を早めて、メナドの後を追いかけた。
普通、地上で人間が呪文を唱えると、その呪文を関知したハウセスナースがここで大地の力を操作して道を造る。そのため、彼女が直接力を振るう所を見た人間はほとんどいない。
「それじゃ、やるわよ」
皆が集まったのを見て、ハウセスナースは告げた。
そして、ベッドの上に立ち上がると、ハンマーを握り、呪文のような言葉を呟き始めた。
その言葉に従って、次第にハンマーが光を放ち始める。
「な、なんだっ!?」
「まぶしすぎるぅぅ!!」
と、呪文が止まった。彼女は、今や光の固まりとなったハンマーを振り上げる。
「大地の聖女、ハウセスナースの名において命じる! 閉ざされし道よ、光となりて、我が前に開けぇっ!!」
ハウセスナースは、叫びと共にハンマーを振り下ろした。
その瞬間、光が砕け散り、閃光が皆の目を焼いた。
「ほら、繋がったわよ」
静かな声に、メナドはおそるおそる目を開けた。そこには、暗闇が続く迷宮があった。
「ここに……ウェンリーナーが?」
「そうよ。ほら、さっさと行かないと、道が閉じるわよ」
言われて、メナドは目を回しているかなみをゆり起こした。
「かなみちゃん! ほら、急いで行かないと」
「う、うん……」
「シング!」
「こっちは行けるぜ」
シングがリセットを背負ったまま、親指を立てた。メナドはうなずくと振り返り、コルドバとフルルに頭を下げた。
「コルドバ将軍、フルル、お世話になりました」
「今度会ったときは、ハーモニカを聞かせてやるぞ」
「元気でね、メナドさん! かなみさんも、シングさんも!」
手をふるフルルに手を振り返すと、メナドはハウセスナースに向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼なんていらないわよ。さっさと行けば」
ハンマーを脇に置きながら、そっけなくハウセスナースは言った。メナドはうなずいて、駆け出した。