喫茶店『Mute』へ 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
承前
《続く》
ヘルマン国とゼス国の間に広がる広大な砂漠。その中央にその都市はあった。
自由交易都市。砂漠のオアシスに建てられた、かつては限られた者のみが訪れる事が出来たその街を、人々は理想郷、“シャングリラ”と呼んだ。
しかし、シャングリラの支配者テデスコ13世を倒し、この街を人々に解放し、砂漠を誰でも行き来できるようにしたのは、鬼畜王の二つ名を持つランスその人であった。
そして今、リセット達3人は、そのシャングリラの街にやってきたのだった。
「通ってよし」
かなみの差し出した手形を確認した兵士に軽く頭を下げると、かなみはロバの手綱を引っ張って門を抜けた。ロバの後ろにはメナドがひかえている。
ちなみに、かなみはいつもと同じ忍者装束だが、メナドは軽い革鎧に着替えている。いつもの赤の軍の鎧は、一時的にせよ赤の軍を離れているメナドが着るわけにはいかなかったし、第一砂漠では熱くて着られたものではないからだ。
断っておくが、“熱く”は誤植ではない。なにせ鉄製の鎧の上で目玉焼きができるというくらいなのだ。
閑話休題。
門をくぐり抜けると、とたんに目の前に人のざわめきが広がる。今までの砂漠の暑さが嘘のように涼しい風が吹いてくるのは、オアシスがあるためだ。
「さて、着きましたよ」
「あい……」
ロバのうえでぐてっと伸びていたリセットは、かなみの声に顔を上げた。
メナドが訊ねる。
「大丈夫ですか? リセット様」
「あい〜」
それだけ答えると、リセットは再び突っ伏す。
そのリセットを後ろからぱたぱたとあおいであげながら、メナドはかなみに尋ねた。
「日射病かな?」
「とにかく、お医者さんに見せないと……」
かなみはそう言って、左右を見まわす。
「でも、医者はどこだ?」
と。
「キャァ−ッ」
悲鳴が聞こえた。
「悲鳴?」
「あっちの方から聞こえてきたけど、今はそれより……」
「ごめん、かなみちゃん。リセット様をお願い!」
そう言いながら、メナドは駆け出していた。
「ちょ、ちょっとメナド! ……ったく、ああいうの見過ごせないからなぁ、メナドったら」
かなみは苦笑して、ロバを引いてメナドの後を追った。
路地裏。
袋小路の突き当たりで、少女が数人のチンピラ風の男達に取り囲まれていた。
「へっへっへ」
「悲鳴を上げたって、誰も助けになんか来ねぇよ」
「そ。なんたってオレ達、この街を守る騎士さま、だぜぇ」
これ見よがしに、胸についているバッジを見せびらかす男達。
「や、やめてください……」
「つべこべ言わずに、俺達を楽しませてくれればいいんだ、よっ」
男の一人がそう言いながら、少女の纏っていた服を引き裂く。
ビリビリビリッ
「いやぁ……」
泣きながら、服の破れ目を押さえてうずくまる少女。
「へっへっへ」
男がその少女の腕を掴もうとしたとき。
「そこまでだ!」
声がしたかと思うと、一人の青年が路地に駆け込んで来た。
「なんだ、てめ……」
「てやっ!」
バゴォッ
振り返りかけた男の顔面に、青年の肘打ちが決まった。そのまま鼻血を吹き出して倒れる男。
「て、てめぇ、オレ様達が誰だと……」
「んな事は知るか! だが、正義のために、オレはおまえ達を倒す!」
青年は少女の前に立つと、上着を脱いで少女に被せた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
少女はその瞬間、目を見開いた。
「危ない!」
「!」
男が青年の背後から飛びかかってきたのだ。
「やれやれ」
ドカッ
見もしないで放った後ろ蹴りに、男が吹っ飛ばされる。
青年は少女に言った。
「さ、今のうちに逃げるんだ」
「は、はい……」
「てめぇ!」
「さぁ、来い!」
少女が逃げていくのを確認して、身構える青年。その構えを見て、男達は頷きあって、剣を抜いた。
「俺達に逆らった事を後悔するんだな!」
そう言いながら、飛びかかってくる男達。
「ちっ」
彼は飛びのいて、剣をかわす。しかし、3人がかりで剣を振るわれ、だんだん追い詰められていった。
トン
背中が壁に当たる。それに気づいて、彼は舌打ちした。
「しまった!」
男がにやっと笑って剣を振り上げる。
「死ねぇ!」
「その前にキミが死ぬけど、それでいいならどうぞ」
若い女の声と同時に、背後から彼の首筋に冷たいものが当てられた。
それが剣であることに気づいて、彼は動きを止めた。
「ま、待て……。オレはこの街の騎士だぞ! オレを殺すと重罪だぞ!」
背後でため息が聞こえた。
「しょうがないなぁ」
「判ったら、さっさとその剣をどけろ!」
男が叫ぶと、逆にその剣はさらに首筋に突き付けられる。
「やだ」
「なっ」
「ボク、そういう身分をひけらかすのって嫌いなんだ。それに、もっと嫌いなのは、実力がないのにその身分についているってこと。騎士なら騎士らしくしなよ」
「てめぇ!」
「言わせておけば!」
唖然としていた残り2人が、剣を構える。いや、構えようとした。
ギャリッ
キィン
「うっ」
その瞬間、銀色の光が走った。かと思うと、2人の剣が持ち主を離れて石畳の上に転がる。
「なっ!?」
「それ以上やるなら、本気で相手するよ」
少女は笑みを浮かべた。
「ひぃぃ〜、助けてくれぇぇ!」
「覚えてろぉ〜!!」
逃げ去って行く男達を見送って、メナドは苦笑しながら剣を収めた。それから青年のほうに向き直る。
「キミも無茶なことを……。あれ? シングじゃない」
「そうだよ」
憮然として腕を組む青年を見て、メナドはクスクス笑いだした。
「相変わらず、人助けしてるんだねぇ」
「それが世のため人のためだからだ。でも、メナド副将はどうしてこんなところに? あ、そうか。赤の軍は帰らずの森の警備が終わる頃だっけ」
「それは……」
メナドが言いかけた時、後ろからかなみの悲鳴が聞こえてきた。
「メナド!」
「かなみちゃん!?」
メナドは振り返った。
「リセット様、しっかりして下さい! リセット様!」
かなみは、リセットの肩を掴んで揺らしていた。
そこに、メナドが駆け戻ってくる。
「かなみちゃん、どうしたの?」
「リセット様が、気を失ってるみたい。いくら呼んでも返事してくれないし、揺すっても起きないし」
「ええっ!?」
「ちょっと失礼」
メナドに着いて来た青年が、すっと前に出ると、リセットの額を押さえた。
「あなたは?」
かなみの質問を無視して、彼は眉をひそめた。
「このままでは……。とにかく、どこかに寝かせないと。俺が泊まっている宿屋がすぐそこにあるから、そこに運ぼう」
「ちょ、ちょっと!」
「大丈夫だよ、かなみちゃん。この人はボクの知り合いだから」
「えっ?」
「急ぐぞ!」
もうロバの手綱を取って歩きだしていた青年が振り返って2人を怒鳴った。2人は慌てて青年の後を追った。
「あの人、お医者さんなの?」
かなみの質問に、メナドはリセットの手首を押さえて脈を取っている青年を見ながら答えた。
「正確にはお医者さんの卵。名前はシング・フォートラン。天才病院のアーヤさんのお弟子さんの一人なんだけど、ちょっと変わっててね」
天才病院とは、リーザスの街にランスが作らせた近代医学の粋を集めた病院である。その病院長を務めているのが、世界最高の医師として有名な女医、アーヤ・藤の宮である。
「変わってるって?」
かなみは聞き返した。メナドは苦笑した。
「うん。お医者さんの卵のくせに、なぜか格闘技も好きでね。時々ボクたちが格闘技の練習してたときに、一緒にやってたんだ」
「へぇ」
「でも、腕は確かだよ」
そう言って、メナドはシングに視線を戻した。
「……ふむ」
シングは小さく呟くと、鞄から聴診器を出した。それをつけると、リセットの胸元に手をのばす。
「わわっ! ちょっとストップストップ!!」
慌ててかなみが間に入る。
「なんだよ。診察の邪魔だ」
「診察って、あんた何してるのかわかってんの?」
「診察だ」
「そりゃそうだけど、でもそれはまずいわよ!」
「メナド、この女忍者、邪魔だぞ」
「う、うん。かなみちゃん、邪魔したらまずいよ」
「だけど、リセット様の服が……」
「診察だもん、しょうがないでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
シングはリセットの服のボタンをプチプチと外すと、前を広げた。そして聴診器を当てる。
「……む」
その眉をしかめると、彼は鞄から黒い表紙の分厚い本を出してめくり始めた。
かなみは服のボタンを元通りにはめると、振り返った。
「何か判ったの?」
「……わからん」
そのままずるっと転けるかなみ。
それを無視して、シングは腕を組んだ。
「日射病ではない。一番近いのが、なにかの拒絶反応だけど……」
「拒絶反応?」
「! もしかしたら……」
彼は何かを思いついたように、本をめくった。そして呟いた。
「人間拒絶反応か……?」
「なに、それは?」
「ずっと昔に報告された事があるんだ。カラーっていうのは、人間と交わることで種族を残す。ただ、ごくたまにその人間の血に対して拒絶反応を示すカラーがいるんだ」
「どういうこと?」
「手っ取り早く説明すると、母親のカラーの血と父親の人間の血が混じり合わないで反発する現象だよ」
「……ランスの血だもんねぇ。納得」
かなみはため息をついた。
「この病気は、生後5年以内に発病し、そして……」
シングはパタンと本を閉じた。
「発病から長くても2週間以内に……死ぬ」
「なっ」
その言葉を聞いて、メナドとかなみは絶句した。
かなみはシングの襟を掴んで揺さぶった。
「治す方法はないの!?」
「……そもそも、今までに5人しか報告されて無い病気だ。そして全員が死んでいる」
そのかなみの手を握って外しながら、シングは答えた。そして、腕を組んで考え込む。
「可能性があるとすれば……」
「あるとすれば?」
鸚鵡返しに聞くかなみとメナド。
シングは聞き返した。
「ミリ・ヨークスさんを知ってるだろ?」
「カスタムのミリさん? ええ、知ってるけど」
「彼女は、かつてゲンフルエンザという奇病にかかっていた。アーヤ先生ですら、その進行を遅らせるだけで精一杯だったという。でもランス王はそのミリさんを全快させてしまったという……」
メナドがポンと手を打った。
「それ、聞いた事ある。確か、どこかの洞窟に連れて行って治したって。でも詳しい事はボクも知らないんだけど……」
「俺も詳しくは知らないんだ。でも、あのゲンフルエンザすら治す方法がある、というのは確かだ」
シングはちらっとリセットに視線を向けて言った。
「その方法なら、あるいはリセット様も……」
「命のウェンリーナー」
不意に、ぼそっとかなみは呟いた。
「え?」
「かなみちゃん、それは何?」
「この世界の全てのモンスターの源となる、4人の聖女モンスター。そのうちの1人で生命を司る、命のウェンリーナー。それがミリさんを助けたのよ」
かなみは静かに告げた。
「でも、ウェンリーナーはランスに命を助けられたことがあって、そのお礼にランスに頼まれて、ミリさんを治したんだって聞いたわ。あたし達が行っても、リセット様を助けてくれるかどうかは……」
かなみは呟いた。
「だけど、何もしないよりはましだよ。行ってみようよ、そのウェンリーナーのところに!」
「……どこにいるかは、判らない」
立ちあがろうとしたメナドに、かなみは静かに言った。
「ランスはウェンリーナーを守るためって言って、どこにいるかは秘密にしてたのよ」
「それじゃ……」
「多分、マリス様なら知ってると思うけど……」
「マリス様って、今どこにいるんだろ? まだラング・バウかな?」
「……ちょっと待て」
不意に、シングが言った。
「ここにも聖女モンスターがいるんじゃなかったか?」
「ここって、シャングリラに?」
聞き返すメナド。かなみは眉を潜めた。
「それはそうだけど、どうしてあなたが知ってるの? ヒミツのはずよ」
「蛇の道は蛇ってね。このシャングリラへの道が、砂漠に飲み込まれないのは、その聖女モンスターが守護してるからだって聞いたぜ」
「……」
かなみはため息をついた。
「ハウセスナース、かぁ」
「ハウセスナース?」
「4人の聖女モンスターの1人、力のハウセスナース。彼女が砂漠に飲み込まれないように、街道を維持してるのよ。だけど……」
「だけど?」
「ハウセスナースは人間を嫌ってるわ。そもそも、街道を自由に操れるようにって、シャングリラの歴代の支配者が、彼女をずっと地下に閉じこめていたんだって。ランスも、この街道を使うために、彼女を閉じこめたままにしておいたんだそうよ」
そう言うと、かなみは肩をすくめた。
「まぁ、余り期待できないけど、逢うだけ逢ってみましょうか」