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承前
《続く》
カツーン、カツーン
四方を石で囲まれた通路に、3人の足音が響いた。
と、先頭を歩いていたかなみが、不意に立ち止まる。
「気を付けて! 何か、いるわ!!」
「!」
通路の向こうの暗がりから、何かがいる気配が伝わってくる。
「ボクにまかせて!」
メナドが剣を抜きながら、前に出る。
かなみの持つ懐中灯籠の光に、それが入ってきた。
こんにちわ〜、こんにちわ〜
「でぇいっ!!」
ザシュッ
メナドが剣を一閃させると、そのモンスターは真っ二つになった。
大地の聖女ハウセスナースの開いた道を通って、メナド達がこの迷宮に入ってから、すでに小一時間がたっていた。
その間、数回モンスターの群が襲ってきたが、メナドが一人でそれを蹴散らしていた。
「それにしても、どこにいるのかな?」
剣を一振りして、モンスターの体液を振り落としてから鞘に納めると、メナドは先の方に視線を向けた。
「ウェンリーナーは……」
「ハウセスナースが道をつなげたんだから、この近くにいるはずなんだけど……」
かなみは小首を傾げながら呟いた。それから、振り返った。
「シング、リセットさまの様子は?」
「今のところは大丈夫だけど……」
シングは、背中に背負ったリセットの様子を窺いながら答えた。
「……でも、いつ容体が急変しないとも限らない」
「んもう。どこにいるのよ、ウェンリーナーは」
かなみは、ぷっと膨れて呟いた。
「もしかしたら……」
シングが、深刻そうな顔で呟いた。
「何よ?」
「ウェンリーナーは隠れているのかも知れないなぁ」
「隠れて?」
「ああ。考えてもみなよ。この世界に4人しかいない聖女モンスターともあろう者が、ほいほいと一般人の前に姿を現すと思う? きっと、魔法か何かで姿を隠しているに違いない!」
ぐっと拳を握って力説するシングに、かなみは冷たい視線を向けた。
「もしそうだったら、そのウェンリーナーをどうやって捜せばいいの?」
「あ……」
と、不意にかなみは振り返って、前に視線を向けた。
「どうしたの、かなみちゃん?」
「……しっ、黙って」
緊張したかなみの声に、メナドは腰を落として、剣の束に手を掛けた。
「また、モンスター?」
「……わからない。さっきまでの雑魚とは違う気配……。あ、見て!」
かなみは、行く手を指さした。今度はメナドとシングも気付いた。
「明かり?」
「ああ。曲がり角の向こうから、明かりが漏れてるんだ」
「誰かいるのかな?」
メナドが小首を傾げる間にも、かなみは足音を殺して駆け出していた。
曲がり角の手前で、かなみはピタリと留まると、懐から手鏡を出した。その鏡を使って、曲がり角の向こう側の様子を窺う。
「な、なに?」
鏡に映ったのは、少女の姿だった。素裸の女の子が、身体を丸めて空中に浮いている。若草色の長い髪がその周りにふわりと浮き、そして、その女の子の身体から淡い光が発せられていた。
「なんなのよ、これ……」
思わず呟いてから、かなみはおそるおそる、今度は顔を曲がり角から出して、自分の目で確認してみる。
間違いなく、鏡に映ったのと同じ風景が、そこにあった。
その女の子は、どうやら眠っているようだった。かなみ耳に、微かに寝息が聞こえてくる。
(ランスだったら、とりあえず襲いかかってるかな? あ、そうでもないか。あいつ、ロリコンの趣味はなかったもんね……)
思わず胸の内でかなみは呟いていた。女の子は、ちょうどリセットと同じくらいの年頃に見える。
(もしかして、あの娘がウェンリーナーなのかしら?)
「ねぇ、かなみちゃん。あの娘がウェンリーナーじゃないかな?」
「俺もそう思うな」
「わっきゃぁ!!」
いきなり真後ろで話し声がして、かなみは思わず飛び上がった。慌てて振り返る。
「メ、メナド、それにシングも! どうして来ちゃうのよっ!」
「だって、暇なんだもん」
「それに、あまり悠長に待っている場合でもないからな」
かなみは、シングの背中のリセットが、荒い息を付いているのに気付くと、ため息を一つ付いて向き直った。
「さて、どうしましょうか? ……って、メナド!?」
メナドが、すたすたと歩み寄っていく。かなみは慌ててその後を追いかけると、服の裾を掴んだ。
「メナド、待ちなさいよ! そんな無防備に近寄っていって……」
「大丈夫だよ。ハウセスナースだって、そんなに悪い娘じゃなかったでしょ?」
「ハウセスナースはそうかもしれないけど、ウェンリーナーもそうとは限らないでしょ!」
「だって、ウェンリーナーは王様だって助けてくれたんだよ」
「それは、ランスがウェンリーナーを助けた事があるからでしょ! ちょっと、メナドっ!」
メナドはかなみを振り切るようにして、眠り続けている少女の前に立った。そして、声をかける。
「起きて!」
「……」
少女は眠ったまま、目を覚ます様子はない。
メナドはさらに近づくと、手を伸ばした。
バチッ
「きゃっ!」
火花が散り、メナドが弾き飛ばされる。
「メナド!」
かなみは、素速く飛ばされたメナドの体を受けとめた。小柄なメナドといっても、かなりの勢いで吹っ飛ばされてきたのだが、そこはそれ、かなみは忍者なのである。
「大丈夫?」
「つつー。しびれたぁ」
心配そうに顔を覗き込むかなみに笑ってみせると、メナドは、手を振ってしびれを払ってから、少女の方を見た。
「結界、かぁ……」
「魔法使いでもいてくれれば……」
かなみは唇を噛んだ。メナドもシングも、無論かなみ自身も、魔法はまったく使えない。
「あとは、結界ブレードとか……」
「無い物ねだりしても仕方ないよ」
メナドが言って、立ち上がる。ちなみに、結界ブレードとは、文字どおり結界を切り裂くことが出来る魔法剣である。数本の存在が確認されているが、そのうちの1本がかつてゼス王国を守っていた結界を切り裂くのに使用され、現在はリーザス城に保管されている。
「ちょ、ちょっと、メナド?」
「ボクは、王様に借りを返さなくちゃいけないんだ」
メナドは、自分に向けて呟くように言うと、腰から剣を抜いた。そして、腰だめに構えると、そのまま突進する。
バリバリバリッ
火花が散る。メナドは、見えない壁に弾き飛ばされそうになりながら、剣を突き立てようとした。
だが……。
バチッ
ひときわ大きな音がして、また弾き飛ばされるメナド。
「メナド!」
また、その体を抱き留めたかなみは、その服がブスブスと煙を上げているのに息をのんだ。
「ちょ、ちょっと、メナド! 無茶しないでよっ!」
「ボクは……大丈夫だよ」
荒い息を付きながら、メナドは体を起こした。そして、もう一度剣を構える。
「ウェンリーナーに、起きてもらわないと、リセット様は助からないんだ」
「だからって!」
「でやぁぁぁぁっ!!」
かなみを振り切って、メナドはまた結界に突っ込んだ。
「やめて、メナドっ!!」
かなみは、大声で叫んだ。
「ランスの馬鹿のために、メナドが死んでどうするのよっ!!」
シュン
かすかな音がして、そして突進したメナドがそのまま結界のあった場所を突き抜け、勢い余って転ぶ。
「わぁっ」
ドシン
したたか、石造りの床に腰を打って、思わず呻くメナド。
「つつーっ……。え?」
その目の前に、小さな裸足の足が見えた。ゆっくりと視線を上げるメナド。
さっきまで空中に浮かんでいた少女が、床に降り立っていた。
「君は……」
ふわりと、浮いていた若草色の髪が、少女の体にまとわりつくように落ちる。
そして、彼女は静かに目を開けた。
「……」
ゆっくりと、メナド、かなみ、シングとその背中のリセットを見回してから、小首を傾げる。
「おにいちゃんの名前を聞いたような気がしたんだけどなぁ……。あふぅ」
小さく欠伸をすると、またゆっくりと目を閉じて、体を丸めようとする少女。
メナドは慌てて声をかけた。
「あっ、あのっ!!」
「え?」
少女は再び目を開けた。メナドを見上げる。
「あなた、誰?」
「ボクは、メナド。メナド・シセイです。あの、君は、ウェンリーナー、なの?」
「うん、そうよ」
彼女は頷いた。メナドはほっと一息ついた。
「よかったぁ……。あれ? 立てない……」
メナドは立ち上がろうとしたが、ウェンリーナーを見つけて一安心してしまったせいか、体に力が入らなかった。
ウェンリーナーは、小首を傾げてメナドを見た。
「わぁ、ひどい怪我してる。ちょっと待ってね」
そう言うと、彼女はメナドの上で片手を振り上げた。
「えい、くりーーーん・あっぷぅぅ〜」
キラキラキラ
彼女が振り上げた腕の軌跡に沿って、光の飛沫が舞いあがった。
「……あ、あれ?」
メナドは、不意に体の痛みが消えたのに気付いて、自分の体をペタペタと触ってみた。
「痛くない。……すごいや、治ってるよ」
「あたしも……」
「俺もだ。疲れも取れてる」
少し後ろにいたかなみとシングも、顔を見合わせ、それからウェンリーナーに視線を向けた。
メナドがぴょんと立ち上がると、声をかけた。
「ウェンリーナー、お願いがあるんだ!」
「私に?」
ウェンリーナーは、小首を傾げた。
メナドの説明を聞くと、ウェンリーナーはにこっと笑って頷いた。
「うん、いいよ。おにいちゃんの娘だもん。治してあげなくちゃね」
「やったぁ! ありがとう、ウェンリーナー!」
メナドは、ウェンリーナーの手をキュッと握って、ぶんぶんと振り回した。
「あん、痛いよぉ、お姉ちゃん」
「あ、ごめんごめん」
慌てて、手を離すと、メナドは照れたように頭を掻いた。
「それじゃあね、ちょっと診てみるから、そこに寝かせて」
「あ、はい」
シングは、言われた通りに、苦しそうに息をつくリセットを床に寝かせた。
ウェンリーナーは、その額に手をかざすと、顔を上げた。
「うん、これだったら治せるよ。治していい?」
「うんうん」
メナドは元気良く、かなみはちょっと躊躇いがちにうなずいた。ちなみにシングはその様子を見逃すまいと目を大きく開いて見つめている。
「それじゃあ、いくね」
ウェンリーナーは、リセットの胸に手を重ねた。そして目を閉じると、歌うように言った。
「なおれ、なおれ……、ちちんぷいぷい……」
彼女の手が金色に光りだす。その光が眩いばかりに輝き始めると、彼女は目を開けて、小さく気合いを入れた。
「えいっ!」
次の瞬間、その手の輝きが、リセットの小さな体全体を覆うように広がった。
「わぁ」
「な、なに?」
思わず声を漏らすメナドとかなみ。
と、その光がすぅっと消えた。
ごくりと唾を飲み込むと、メナドは声をかけた。
「あの、ウェンリーナー?」
「なぁに、おねえちゃん」
屈託ない顔で振り返るウェンリーナー。
と、
「……う、ん……」
かすかに小さな声を漏らすと、リセットがぱたんと寝返りを打った。
シングが素速く脇に屈み込むと、そのおでこに手を当て、さらに脈を診る。
「……平熱だ。脈も平常通り……」
「治って、るの?」
おそるおそる訊ねるかなみに、シングは頷いた。
「少なくとも、症状は完全に治ってる」
「……あふぅ」
3人の見守る中、リセットは小さな欠伸を漏らすと、ぱちっと目を開けた。
「あ、あれ? ここ何処?」
「リセットさま!」
メナドはリセットを抱き上げると、ぎゅっと抱き締めた。
「よかった……。ホントによかったぁ……」
「一安心ってとこね。ホントに、世話かけさせてくれるわ」
かなみは、そう言うと、忍者服の袖で目元を拭いた。
「そうなんだ! ありがとーねっ」
話を聞いて、リセットはウェンリーナーの手を握ってブンブンと振り回した。
「ううん、どーいたしましてぇ」
ウェンリーナーは、空中を振り回されているのだが、それが楽しいようでにこにこしている。
「そーだ! ウェンリーナーも女にしてむが」
「リセットさまっ」
慌ててかなみがリセットの口を塞いだ。
「そういうことは言っちゃいけませんっ!!」
「むがむがむがぁぁ」
じたばたともがくリセット。そんなリセットの姿を見て、メナドは久しぶりにくすくすと笑いだしていた。