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翌朝。
To be continued...
目が覚めると、味噌汁のいい匂いが漂っていた。
目覚ましを掴んで時間を見てみると、午前7時過ぎ。
「……うん?」
身体を起こして辺りを見回す俺の耳に、耳慣れた声が聞こえてきた。
「あっ、恭一、起きた?」
「あ、そっか、かおるか」
その声で、俺はかおるが夕べ、結局俺の部屋に泊まっていったことを思い出した。
……ちなみに、同じベッドで寝ただけで、えちぃことはしてない。というのも、昨日の今日でそれじゃなんだかがっついてるみたいだし、かおるだってまだ痛いみたいだったし、そりゃかおるがOKって言ってくれたらそのまま雪崩式にという青春万歳なんだけど、やっぱりそれだけが恋愛っていうものじゃないんだろうし……。
「……恭一?」
俺がぼーっとそんなことを考えていると、かおるは不審に思ったらしく、ベッドサイドまでパタパタとスリッパの音をさせながらやって来て、俺の顔を覗き込んだ。
「気分が悪いって顔でもないわね。ほら、いつまでも寝ぼけてないで。とりあえず、顔でも洗って来なさいよ」
「あ、ああ」
頷いて、俺は立ち上がった。それから、改めてかおるをじぃーっと見る。
そのかおるの格好はというと、寝間着代わりのだぶだぶスゥェットの上に長めのエプロン。ちなみに下半身はパンツのみなので、生足がしっかりと拝めるのだが……。
「……なっ、何よっ?」
ぽっと赤くなるかおるに、俺は魂の呟きを漏らしてしまった。
「……なんだ、裸エプロンじゃないのか」
スパーン
「くだらないこと言ってないで、さっさと洗い流してきなさいっ!」
「……了解」
顔面にスリッパでツッコミを入れられた俺は、涙目になりながらそう答えて、洗面所に向かった。
「……もうっ、ぜったいぜったいぜーーったい、二度とサービスなんてしてあげないんだからっ、ばかっ」
うう、思い切り早まったかもしれない。
今日の朝食は、日本風にご飯に味噌汁、卵焼きにコロッケであった。
「えっと、どうかな?」
テーブルを挟んで正面に座ったかおるが尋ねる。ちなみに、俺が顔を洗っている間にさっさと着替えてしまったらしく、今は普通の格好であった。
「ん。美味いな」
「うふふっ、良かった」
「……」
「……」
そこで顔を見合わせて、思わず吹き出す2人。
「だーっ、恥ずかしいっ」
「う〜っ、なんか鳥肌立つっ」
「とっ、とりあえず、俺達じゃラブコメにはならないってことで」
「うん、そうみたいね。やれやれ……」
かおるは肩をすくめて、それから頬杖をついて俺に尋ねた。
「それで、どこに行くの?」
「デートのこと? そうだな……。月並みだけど、遊園地かな?」
「ん、オッケー」
笑顔で頷くと、かおるは腕を組んで考え込んだ。
「お弁当作って行こうかなぁ。恭一はどう思う?」
「今から弁当作るのか?」
思わず時計を見る俺に、かおるはむっとしたように言い返す。
「何よ。お弁当くらい30分もあれば作れますよ〜だ。大体、今までだって……」
「今まで?」
思わず聞き返す俺に、かおるは、はっと口に手を当てた。
「なっ、なんでもないわよ」
「……まさかとは思うけど、お前、春恵さんの作ってくれたお弁当に何か入れたりしてないだろうな?」
「なによ、その毒でも入れたような言い方は」
ちなみに俺は、週に2、3回は春恵さんに弁当を作ってもらっているのだ。いや、最初のうちは俺も遠慮してたんだが、そのたびに悲しそうな顔で「……そうですか。せっかく作ってみたんですけど……」とか言われてみろ、絶対断れなくなるから。
しかし、その弁当にかおるの作品が入っているとは気付かなかった。
かおるはぶ然とした表情で言った。
「練習よ、練習」
「お前、俺を練習台にしてたのかよ」
「いいでしょ、もう時効よ。それにあの頃はあたしだって、まさかあんた相手に本命弁当を作ることになるなんて思ってなかったし……」
「ま、俺もまさかかおるに本命弁当を作ってもらうことになるとは思ってなかったけどな」
「そういうこと。それじゃ、お弁当作るから、30分くらい時間ちょうだいね」
「了解。とりあえずはその前に、朝飯を食っちまおうぜ」
「うん」
かおるは頷いて、それから2人は黙々と朝食を胃に詰め込んだ。
ジュージュー
「……あのさ」
朝食を済ませ、早速弁当のおかず、ミニハンバーグを炒めながら、かおるが振り返った。
「あれからどうなったのかな?」
「あれから? 何が?」
「あずささんとおにぃちゃんよ」
「ああ、前田さんかぁ。どうなったのかな? ……それはそれとして、昨日は聞きそびれたんだけど、どうして前田さんがかおるのお兄ちゃんなんだ? 血が繋がってるってわけでもないんだろ?」
気になっていた事を訊ねると、かおるは小首を傾げた。
「うーん、なんでだろ? そもそも、おにぃちゃんと初めて逢ったのって、あたしがまだ2歳か3歳くらいの頃だったのよねぇ……」
「2号店でバイトしてたんだろ、前田さんって」
「うん。で、あたしも2号店にはお母さんとよく行ってて、それで自然と仲良くなったのよ。……あ、ほかのウェイトレスさん達も含めてよ」
振り返って付け足す辺り、誤解されたくないっていうことなんだろう。かおるにしては気を遣ってるのが判って、なんだか嬉しくなる。
「……なによ、にやにやして」
「あ、いや。でも、お前もよく憶えてたんだなぁ」
「おにぃちゃんって結構長いこと2号店にいたんだもん。最初は夏休みにアルバイトで、次に冬休みにアルバイトで、その次の春にはキャロットに就職してたから……、よっと」
フライパンをくるっと返して、それからかおるは話を続けた。
「就職して1年くらい2号店で働いてたのよね、おにぃちゃんとあずささんって」
「あずささんも?」
「うん。おにぃちゃんとあずささんって、一緒にアルバイトしてるうちに仲良くなって、それでそのままゴールインしちゃったのよ」
「なるほど……」
「でも、一緒の職場だったのは、最初の1年だけで、あとはそれぞれ別々のお店で働いてたはずよ、確か」
「……お前、妙に詳しいんだな」
「うん。なんてったって、おにぃちゃんとあずささんって、キャロットの職場内結婚第2号だもん」
「……第2号?」
「そうよ。ちなみに、第1号は木ノ下店長さんと奥さんのさとみさん」
「へぇ、そうなのか」
俺は、かおるの情報網の広さに、もはや感心するしかなかった。
「でも、前田さんとあずささんってよく喧嘩してるって話じゃないか」
「あ、うん。そりゃもう」
かおるは肩をすくめた。
「あの2人って、お互いに意地っぱりだから、ささいなことでもうすっごく喧嘩するのよね。あたしから見ても、よく別れないなぁって思うくらいだし……」
「……と、葵さんが言ってたのか?」
「……なんで判ったの?」
「そんな風に言えるほどかおるが恋愛体験を積んでるとは思えないから」
あっさりと言うと、かおるはかぁっと赤くなって、俺に背を向けた。
「ど、どうせあたしは恋愛経験なんてそんなにありませんよっ」
まぁ、俺もそんなのほとんど無いけど。
俺は立ち上がった。
「それじゃ、かおるは弁当作っててくれ。俺、ちょっと見てくるから」
「えっ? あ、あずささん達を?」
「ああ。まさかとは思うけど、まだ玄関先で喧嘩してるかもしれないし」
「ちょっと待ってよ。あたしも行くから」
そう言って、コンロの火を止めるかおる。
「お前も来るのか?」
「だって、気になるもん」
かおるは手早くエプロンを畳むと、テーブルの上に放り出してから、俺の後についてきた。
階段を降りて、1階と2階の間の踊り場まで来たとき、下の方から声が聞こえた。
「……で、どうするんだよ、これ」
「どうしましょ?」
七海とよーこさんの声だった。
俺とかおるは顔を見合わせて、下を見た。と気配に気付いたらしく七海がこっちを見る。
「よ、お二人さん。おはよ」
「えっ? あ、う、うん、おはよう、七海ちゃん」
「よう」
俺は軽く手を上げてから、何故か赤くなってもじもじしているかおるに小声で訊ねた。
「なにやってんだよ、お前」
「だ、だってぇ……」
「あ〜、朝からラブラブなのはいいから、独り身にあんまり見せつけるんじゃないよ」
にやにやしながら言う七海。
「幸せそうでいーですね」
こちらはにこにこしているよーこさん。
俺は改めて状況を考えてみた。
朝早くから、一緒に並んで階段を降りてきた俺とかおる。ってことは、つまり、それまでずっと一緒だったと推測されるわけであって……。
「あ〜、ごほん。2人とも妙な誤解をしているかも知れないが……」
「……恭一」
階段を身軽に駆け上ってきた七海が、俺の肩を叩いた。
「みなまで言うな。あたいは2人を応援してるからな」
「だから、そうじゃなくてな。……ま、いいや。で、そっちは何してたんだ?」
俺はため息を付いてから、聞き返した。ぽんと手を打つ七海。
「あ、そうだった。こっちこっち」
そのまま、もう一度階段を駆け下りる七海に、俺とかおるは続いた。
「ぐーっ」
「……すぅ」
寮のエントランスで、壁にもたれかかるようにして、前田さんとあずささんの2人は、床に座り込み、肩を寄せ合って眠っていた。
「あたいがランニングに出ようと思って通りかかったら、この2人がいたってわけ」
「私は、そこに新聞取りに来たです」
こくこくと頷くよーこさん。
「でも、あずささんはともかく、こっちの男って誰だ?」
七海は前田さんを指して尋ねた。あ、そうか、知らないんだよな。
「こっちの男の人は、前田さん。あずささんの旦那さんよ」
かおるが説明して、2人は「なるほど」と頷いた。
「そういえば、あたいも美奈さんや縁の姉御から聞いたことあるな」
「ヤー」
「昨日の夜遅く、ここで2人で口喧嘩してたんだけど……。どうやらそのまま寝ちゃったって感じね、これ」
かおるは苦笑した。
「で、どうする? 叩き起こすのか?」
「それよりは涼子さんを呼んできた方がいいんじゃない?」
「いや、それがさ」
七海は肩をすくめた。
「あたい達、一番に涼子さんを呼びに行ったんだけど、何度チャイムを鳴らしても出てこないんだよ。今日、涼子さんって早番だったっけ?」
「それとも、本店に行ったとか?」
七海とよーこさんに聞かれて、俺達は顔を見合わせ、そして夕べのことを思い出した。
涼子さん、美奈さんの結婚の話を聞いて、荒れてたんだよなぁ。そのまま酒呑んで寝ちゃったっていうのはありそうだ。
「とりあえず、不審人物ってわけでもないんだから、起こしてあげようよ」
「ま、そうだな。身元も判ったわけだし」
俺の言葉に頷いて、七海は屈み込むと、あずささんを揺さぶった。
「もしも〜し! あずささ〜ん、朝ですよ〜〜っ、起きてくださいよ〜っ」
「……う、うん」
あずささんは、うっすらと目を開けて、眩しそうに辺りを見回した。
「あ、あれ? あたし……? きゃっ!」
そして、前田さんが隣で寝ているのに気付いて、慌てて飛びのく。
すると、あずささんにもたれかかっていた形になる前田さんは、そのまま横倒しに倒れた。
ガツッ
「いてっ!」
さすがに、コンクリート製の床に頭をぶつけては、眠っていられたものではなかったらしく、前田さんも頭を押さえながら身体を起こした。
「てて……、なんだ、いったい……?」
その前田さんを、あずささんが真っ赤になって怒鳴りつける。
「な、なにしてんのよっ、耕治くんはっ!」
「な、なにって……」
寝起きのところを怒鳴られて、まだわけがわからない様子の前田さん。
「あの、それはこっちが聞きたいんですけどね」
七海の言葉に、前田さんは周囲を取り囲むように立っている俺達をぐるっと見回してから、あずささんに視線を向けた。
「どうする?」
「えっ? あ、あたしに聞かれても……」
あずささんは少し困ったように頬に手を当てて、それから一つ頷いた。
「わかったわよ。それじゃあたしの部屋に行きましょう」
何となく成り行きで、俺達はあずささんの部屋に集まった。
「寮の部屋かぁ、懐かしいなぁ……」
「ちょっと、あんまりじろじろ見ないでよね。えっと、ごめんね。今お茶出すから」
部屋を見回す前田さんにそう言うと、あずささんはキッチンに立ってお茶を入れ始めた。
「あ、あたし手伝います」
「私も手伝うデス」
「いいわよ。あなた達はお客様なんだから座ってて。ほら耕治くん、そっちはよろしく」
「ああ。えっと、それじゃとりあえずみんな座ってくれないか? 立ったままだと話辛いし」
前田さんに促されて、俺達はてんでに床に座った。前田さんも座ると、こほんと咳払いした。
「とりあえず、改めて自己紹介といこうか。俺は前田耕治。Pia☆キャロット8号店の店長をさせてもらってる」
「なっ!?」
「はぇ、店長さんだったデスか」
七海は絶句し、よーこさんも驚いた顔で聞き返した。
「まぁ、店長って言っても名ばかりだもんね。はい、お茶をどうぞ」
あずささんが俺達の前に麦茶の入ったグラスを置くと、前田さんの隣に座った。
前田さんは、そのあずささんの肩を抱いて言った。
「で、こいつが俺のつまっ!!」
「……調子に乗らないの」
あずささんは、前田さんの手の甲をつねりながら言うと、俺達に向かって言い直した。
「こほん。まぁ、一応は、不本意だけど、そういうことになってるの」
「不本意なのか、おい?」
真顔で聞き返す前田さんに、あずささんが言い返そうとしたとき、不意にチャイムが鳴った。
ピンポーン
「……!」
一拍置いて、深呼吸したあずささんが返事をする。
「はい、どなた?」
「あ、お姉ちゃん? 美奈ですぅ」
「ミーナ?」
小首を傾げて、あずささんは立ち上がると、玄関に行ってドアを開けた。
美奈さんは、何か言いかけたところで、玄関に大量に靴があるのに気付いたらしく、部屋を覗き込んで、あれ? と首を傾げた。
「お姉ちゃん、耕治さんはともかく、他のみんなはどうして?」
「えっと、それは、ちょっと色々あって……」
「とりあえず美奈ちゃんも上がったらどうだい?」
「ちょっと耕治、ここはあたしの部屋なんだけどね……。えっと、ミーナ、とりあえず上がって」
「はい。それじゃ美奈、お邪魔しちゃいますね」
笑顔で頷くと、美奈さんは靴を脱いだ。
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Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.36-A 02/2/18 Up