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Pia☆キャロットへようこそ2014 
Sect.35-A

 かおるの言葉に、その人もきょとんとしていた。
「ええと、君は……」
「あはは、やだなっ。山名かおるですよっ」
 笑って言うかおる。
「ええと、山名……。ああっ!!」
 ぽんと手を打つと、彼はもう一度しげしげとかおるを見直した。
「そっか、あのかおるちゃんかぁ」
「はいっ」
 にこにこしながら頷くと、かおるは俺に視線を向けた。
「ちょっと恭一、なにぼーっとしてんのよっ」
「え? あ、いや、そう言われても……。お知り合い?」
 俺は、かおると男の人を交互に見ながら訊ねた。
 かおるは頷く。
「うん。えっと、紹介するね。こちらは前田耕治さん。おにいちゃん、これが柳井恭一」
「……これ扱いするな、この」
「よろしく」
「あ、ども」
 とりあえず、差し出された手を握ると、前田さんはかおるに訊ねた。
「でも本当に久し振りだね。もう高校生になったんだっけ?」
「2年生ですよ。あ、それでね、おにいちゃん。今、あたし達はここに住んでるんだよ」
 ぱっと寮を手で指すかおるに、前田さんは驚いたように聞き返す。
「ここに住んでるって、もしかしてキャロットで働いてるってことかい?」
「うん」
 腰に手を当てて、偉そうに頷くかおる。
 前田さんは、額に手を当てて唸った。
「かおるちゃんが、キャロットでバイトするような歳になってたのかぁ。そりゃ俺も年取るわけだ」
 と、寮の玄関から声が聞こえた。
「あら、誰かと思ったら、耕治くんじゃない」
「あ、涼子さん」
 かおると前田さんの声が重なった。
 涼子さんは、玄関から出てくると、2人に言った。
「もう深夜なんですから、あんまり大声で騒いだら駄目ですよ」
「……すみません、涼子さん」
「ごめんなさい」
 しょぼん、とする2人。そんな2人を見て、涼子さんはにこっと笑った。
「よろしい。それじゃ、とりあえず中にお入りなさいな」
「あ、えっと、俺は……」
 何か言いかけた前田さんに、涼子さんは「わかってる」と頷いた。
「あずささんに逢いに来たんでしょう? でも、多分押し掛けても逆効果よ」
「それは、まぁそうなんでしょうけど……。ええ、判りました」
 前田さんは頷いた。そして、涼子さんの後に続いて寮の玄関をくぐっていく。
 俺は2人に付いていこうとしたかおるの肩を掴む。
「ちょっとこら、お前まで行くのか?」
「なによ、当然でしょ? 乗りかかった車って言うじゃない」
「それを言うなら乗りかかった舟だ、この現国赤点娘」
「数学赤点男に言われたくないわよ。あ、物理もそうだっけ?」
「なにおう?」
「こら、2人とも」
 涼子さんが立ち止まって、俺達の方を振り向いた。
「……すみません」
「ごめんなさい」

 なんだかうやむやのうちに、俺まで涼子さんの部屋にお邪魔することになってしまった。
「麦茶でいいかしら?」
「はい、かまいません。というか麦茶にしてください」
「……? まぁ、いいけれど」
 ちゃぶ台の前に座った前田さんの言葉に小首を傾げてから、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを出すと、涼子さんはグラスを並べた。
「あ、それくらいならあたしがやりますから」
 かおるが涼子さんに声を掛けて、隣に立つ。
「そう? それじゃお願いするわね」
「はい、任せてください」
 妙に張り切ってるな、かおるの奴。
 そんなことを思いながら、かおるの後ろ姿を眺めていると、前田さんが俺に尋ねた。
「ええと、ところで、柳井くん?」
「あ、恭一でいいですよ、前田さん」
「そうかい? それじゃ遠慮無く呼ばせてもらうけど、恭一くんもキャロットでバイトしてるってことだけど、かおるちゃんとは知り合いなのかい?」
「ええ、高校の同級生なんですけど……。前田さんは、かおるとはどういう?」
「ああ。前に2号店でアルバイトしてたことがあってね。その時に知り合ったんだよ」
 何故か遠い目をする前田さん。
 涼子さんが、お盆に麦茶の入ったグラスを乗せて、戻ってくる。
「そんな前田くんも、今じゃ8号店の店長さん、ですものね」
「ええっ!?」
 思わず声を上げて、俺は慌てて頭を下げた。
「す、すみませんでした。そうとも知らずに……」
「いや、いいって。俺も初めて木ノ下店長に会ったとき、バイトの人と間違えたしね」
 そう言って苦笑する前田さん。
 かおるが俺の前にグラスを置きながら言った。
「それともう一つ。前田さんって、あずささんの旦那さんなのよ」
「えっ? あ、そっか。前田って名前、どこかで聞いたと思ったら」
 俺は思い出した。そういえば美奈さんからも、よく前田さんがどうとかって聞いてたな。
 そっか、なんか喧嘩してるようなこと言ってたっけ。
 それで逢いに来たってわけなのか。
 涼子さんは、前田さんの正面に座ると、訊ねた。
「それで、今回は何で喧嘩になっちゃったの?」
 今回は?
 あ、そういえば、よく喧嘩してる、みたいなこと言ってたっけ。
 俺が自分で納得してる間にも、前田さんはため息混じりに話を始めていた。
「いや、それが俺にも良く……。っていうか、まぁ、俺の帰りが遅いってことから言い合いになったんですけど……」
「いつのこと?」
「えっとですね、8月に入る前だから……1週間以上前かなぁ?」
 俺は、ちょこんと隣に座ったかおるに小声で訊ねた。
「あのさ、かおる」
「何よ?」
「いや、俺達、弁当食べててもいいと思う?」
「あっ!」
 思わず声を上げたかおるに、前田さんと涼子さんが怪訝そうな視線を送る。
 かおるは慌てて口を押さえて、愛想笑いをした。
「ご、ごめんなさい。恭一が急に耳に息を吹きかけたから」
「こ、こら、言うに事欠いて何てことをっ!」
「……」
 いかん、涼子さんの視線が絶対零度クラスまで下がっていくのが判るっ。
 とりあえず、俺は2号店マネージャーと8号店店長に事情を説明することにした。
「あ、あのですね、実は俺もかおるも、今日忙しくてまだ夕飯を食べてないんですよ。それで、コンビニ弁当を暖めてもらってたんですけど、どうしたもんかと……」
「ああ、そういうことか。俺も経験あるよ。一度暖めてもらったコンビニ弁当が冷めるとなんかすごくもの悲しいよなぁ」
 前田さんが、腕組みしてうんうんと頷く。
 涼子さんも、苦笑した。
「もう、それならそうと早く言いなさい。どうぞ」
「わぁい」
 かおるが嬉しそうにコンビニの袋をちゃぶ台に置いて、中からいそいそと弁当を取り出す。
「ごっはん♪ ごっはん♪」
「こら、かおる。俺の分まで開けようとするなっ」
「いいじゃないのよっ」
「……ふふっ」
 涼子さんの微笑みに、はっと我に返った俺達は、慌てて座り直した。
 前田さんが、涼子さんに尋ねる。
「ええと、この2人は、やっぱりそういう?」
「ええ」
 頷くと、涼子さんは頬に手を当ててため息を付く。
「いいわね、若いって……」
 やばっ、と一瞬身を引く3人だったが、涼子さんはそれ以上は何も言わずに、前田さんに向き直る。
「それで、喧嘩の原因は、耕治さんが夜遅いことなの?」
「うーん、俺にはそれくらいしか心当たりがなくて……」
 前田さんは、頭を掻いた。
「まぁ、はっきり言えば、俺が忙しくてなかなかあいつに構ってやれなかった、っていうことだと思うんですけどね。あいつ、美奈ちゃんのこともあって、最近は特に寂しかったのかも知れないし……」
「美奈さんのこと?」
 涼子さんに聞き返されて、前田さんは頷いた。
「ええ、美奈ちゃんが結婚するって話ですよ。ほら、あの2人ってすごく仲が良いですからね」
「美奈さんが結婚っ!?」
 俺達は、同時に声を上げていた。
 涼子さんが前田さんに詰め寄る。
「ちょっと、前田くん。それって本当のことなの?」
「え? あ、ええ。あずさのおばさんからも聞きましたし……」
「そ、そんな……。美奈ちゃんまで……結婚……、結婚……」
 体育座りになった涼子さん、床にのの字を書き始めたぞ。
「♪こんなこはるびよりの〜おだやかなひはぁ〜」
 おまけに、なんだか知らないけど歌ってるし。
 前田さんは、そんな涼子さんを横目に、おそるおそる俺達に尋ねる。
「なぁ、もしかして、涼子さん、美奈ちゃんのことを、知らなかった?」
「うん、あたしも知らなかった」
 大きく頷くかおるちゃん。
 前田さんは、「あちゃ」と額を叩いた。それから、立ち上がる。
「それじゃ、俺、今日はとりあえずさようなら」
 そのまま、そそくさとドアから出ていく前田さん。
「あっ、おにいちゃんずるいっ! あたしも逃げる!」
 弁当を手にして、あたふたとドアに向かって駆け出すかおる。俺も負けじと、弁当を片手に、涼子さんの部屋を脱出した。

 玄関ホールまで出て、大きく息を付く3人。
「しかし、まずったかなぁ……」
 苦笑する前田さんに、かおるが訳知り顔にうんうんと頷く。
 と、不意に前田さんが顔を上げた。
「あずさ!」
「あっ!」
 ちょうど、寮の玄関から、あずささんが入ってこようとしていたところだった。
 前田さんの声で気付いたらしく、そのままくるっとUターンして出ていこうとするあずささん。
 前田さんが、大股に駆け寄って、その手を掴む。
「待てよ」
「ちょっ、離してっ!」
「いいから、俺の言うことも聞けっ!」
「聞きたくないっ!」
 ……俺とかおるは、蓋の開いたコンビニ弁当を片手に、顔を見合わせた。
「……かおる、こういうのを、前門の虎、後門の狼っていうんだ。憶えとけよ」
「うん」
 その間にも、言い合いがエスカレートしていく前田さんとあずささん。
「離しなさいっ!」
「断るっ! そっちこそ俺の言うことを聞けっ!」
「嫌よっ!」
「……と、とりあえずどうする? 止めに入る?」
 かおるに聞かれて、俺は首を振った。そして、空いている手をかおるの肩に置く。
「とりあえず、部屋に戻って飯を食ってから、考えようか」
「……そうね」
 頷いて、俺達はこそこそと階段を上がっていった。
 ちなみに、2人の喧嘩の声は、3階の俺の部屋の前まで聞こえていた。

 ガチャッ
 ドアを閉めて、ようやく声が聞こえなくなったところで、俺達は顔を見合わせ、もう一度ため息を付いた。
「えっと、とりあえず、あんな喧嘩はしないようにしようね」
「そうだな。まぁ、喧嘩するにしても、もうちょっと静かにするか。さて、とりあえず飯食おうぜ」
「うん。あ、これ持って行ってて。あたし、お茶入れるから」
 そう言って、空いたままの弁当を俺に渡すと、かおるはキッチンの方に小走りに行った。
 俺は両手の弁当をテーブルに置くと、時計を見てため息をついた。
「……お互い、明日が休みで助かったな」
 既に、時計の針は1時を過ぎていた。
「うん……。あ、そうだ」
 麦茶をグラスに注ぎ終わったところで、ぽんと手を叩くかおる。
「あのさ、明日どっかに遊びに行かない?」
「そりゃいいけど、でも急になんだよ?」
「だって、ほら、あたし達、そういう仲になっちゃってからは、まだ、ほら……」
 照れてるのか、俺に背中を向けたままのかおる。
「こ、恋人同士の、そういうのって、ないじゃない。ね?」
「エッチはしたけどな」
「う、うん。……って、何言わせんのよっ!」
 振り向いて声を上げると、かおるはかくんと肩を落とした。
「はう〜っ、なんか何段階かすっ飛ばしちゃったような気がするぅ……」
「別にいいじゃん。俺達は俺達なんだし。とりあえず、明日デートするっていうのは了承だ」
「う、うんっ」
 赤くなって俯くかおる。と、不意に顔を上げる。
「とっ、とりあえずご飯にしよっ! いい加減、お腹ぺこぺこよ」
「賛成」
 お互いに頷き合って、俺達はちゃぶ台に向かい合わせに座ると、黙々とコンビニ弁当を頬張るのであった。

To be continued...

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あとがき

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