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「……ねぇ、恭一……」
To be continued...
「……聞くな」
「だ、だってぇ……」
午前中は夕べの分もぐっすりと寝て体力を回復させておいてから、俺達はキャロットのバイトに突入した。
運良くというかなんというか、今日は俺もかおるも同じウェイター&ウェイトレスの仕事だったので、まだ体調が万全ではないような感じのかおるのフォローをしつつ、午後を乗り切ったところで、まかないの夕食となったのだが……。
俺とかおるは、互いのトレイに同じものが乗っているのを見比べて、もう一度ため息をついた。
「でも……、赤飯はないと思わない?」
「まったくだな」
そう。俺とかおるのトレイの、いつもはご飯が乗っているところに、今日は山盛りに赤飯が乗っていたのである。
かおるは、きょろきょろと休憩室の中を見回して、誰もいないのを確かめてから、顔を俺に寄せて小声で訊ねた。
「……あ、あのさ、恭一……。まさかとは思うけど、誰にも……話してないよね?」
俺も小声で答える。
「当たり前だろ、そんなの」
「そ、それじゃ、どうしてよ……?」
赤飯に視線を向けて、小声で言うかおる。
俺は肩をすくめた。
「……さぁ。あのさ、それともう一つ気になってることがあるんだけど」
「な、なによ?」
「夕飯時なのに、なんで誰も休憩室に入ってこないんだろう?」
「……ま、まさか、とは思うけど……」
「……よし、試してみるか」
「えっ?」
怪訝そうな顔をするかおるをよそに、俺はドアの方をちらっと見た。
ドアはしっかりと閉まっている。
それを確認しておいて、かおるに囁いた。
「とりあえず、俺に合わせてくれないか?」
「な、なにを……」
聞き返そうとするかおるの唇に指を当てて黙らせておいてから、俺はことさら大声で言った。
「かおる、いいだろっ」
「は?」
「誰もいないんだしさぁ」
そう言いながら腰を浮かせると、そっとドアに忍び寄っていく俺。
かおるは、「ははぁ」と頷いてにやっと笑うと、声を上げた。
「あぁん、そんなのだめぇ。まだ仕事中なのにぃ」
「そこがいいんじゃないか。なぁ?」
「だめだってばぁ。も、もうっ、しょうがないんだからぁ、えっちぃ」
残り3歩、2歩、1歩。よし。
ドアノブを掴んで、一気に引き、同時に飛び退く。
バタン
「うわぁぁっ!」
「きゃぁぁっ」
ドサドサッ
思った通りというか、何というか。
どうやら休憩室のドアの前で鈴なりになって聞き耳を立てていたらしいみんなが、俺がいきなりそのドアを開けたもんだから、そのまま休憩室に雪崩れ込んで来た、というわけだ。
しかし……。まぁ、七海や翠さんがいるのはいいだろう。よーこさんや更紗ちゃんもまだ納得できるとしても……。
「なんで、涼子さんや葵さんまでっ!」
俺の思っていたことを声に出したのは、かおるだった。
「あは、あははは」
「えっと、それはその、やっぱりマネージャーとして、監督義務があるっていうか……」
一番下敷きになっていた2人は、引きつった笑いを浮かべていた。
「もう、なに考えてるんですかっ」
かおるは赤飯をかき込みながらぶつぶつと文句をこぼした。
「ご、ごめんなさい……」
机を挟んだ反対側には、椅子に座らされて、しゅんとなっている涼子さんおよびウェイトレスのみんな――あ、念のために言うと、しゅんとなってるのは涼子さんだけ――が並んでいる。ちなみに葵さんは、「あ、そろそろ太刀川に行く時間だからっ」と言って逃げていってしまった。
「でも、どうして……、その、俺達に、なんかあったって?」
わかったんですか、と訊ねると、涼子さんは頬をぽっと赤くした。
「それはその、ね……。今日の2人を見てたら、どことなくいつもと違ってるような気がして、葵なら何か知ってるかなって思って聞いてみたのよ」
「……もういいです。なんとなくわかったから」
あう〜っ、という顔をしてため息をつくかおる。
更紗ちゃんが、「おくればせながら」と頭を下げる。
「おめでとうございます、かおるさん」
「あ、えっと……」
ぼんっ、と真っ赤になるかおる。
一方の更紗ちゃんは、顔を上げると小首を傾げた。
「……ところで、一つお聞きしたいのですが、なにがおめでたいのですか?」
「だぁーーっ」
がっしゃぁぁん
全員が、座っていた折り畳み椅子ごとひっくり返ったのは言うまでもない。テーブルまでひっくり返らず、まなかいの夕食が無事だったのは僥倖と言うほかあるまい。
「あらあら、みなさん大丈夫ですか?」
「えーっと……、七海ちゃん、パス」
いち早く立ち直ったかおるが、七海に声を掛ける。
「ばっ、莫迦! あたいに振るなっ! えーっと、翠さんパスっ」
「うわ、あたし? えーっと、えーっと、ここはやっぱり年の功ってことで涼子さんに……。あ、やば」
七海に反射的に答えた翠さんが、あわわっと口を押さえる。
俺は素早く立ち上がると、かおるの腕を掴んだ。
「逃げるぞかおるっ!」
「うんっ」
さすがにナイスなコンビネーションだったと、後で自画自賛するほどの速度で、俺とかおるは休憩室を脱出した。
……そこまでは良かったのだが。
「……あ、夕御飯、食べかけだった……」
「我慢しろかおる。それとも休憩室に戻る勇気があるか?」
「……ない」
「……」
俺とかおるは、顔を見合わせてため息をついた。
「……フロアに戻ろっか」
「ああ、そうだな……」
「ありがとうございました〜」
頭を深々と下げて最後のお客さんを送り出し、俺とかおるは一息付いた。
「終わったね……」
「おう……、これで飯が食えるな」
「うん……」
今日は何故かお客さんが多くて、従って仕事も多く、ただでさえ夕食をほとんど抜きに近い状態だった俺とかおるは、疲労困憊していた。
「うう、今日はあずささんがお休みだったのが敗因ね……」
「負けたわけじゃないだろ……。さて、それじゃ帰りにコンビニに寄って、弁当でも買って帰るか」
「だめよ、コンビニ弁当なんて……、っていつもなら言うとこだけど、今日ばっかりは賛成……」
そのままのろのろと更衣室に向かおうとした俺達に、背後から美奈さんが笑顔で声をかけてきた。
「あ、恭一くん、かおるちゃん、今日はミーティングだから、帰っちゃダメですよ」
「うぐぅっ!」
「き、今日って木曜だったっけ……」
ぴしっ、とその場で固まる俺達を不思議に思ったらしく、美奈さんはきょとんとして訊ねた。
「……どうしたんですか、2人とも?」
ちなみに美奈さんは、今日のシフトが早苗さんとディッシュだったので、ずっと調理場にいたとのこと。道理で、夕食の騒ぎの時に姿を見せないと思った。
「あ、いや、なんでもないですっ」
我に返って、俺はぱたぱたと手を振った。
「そうですかぁ? それじゃ美奈は先に着替えてきますね」
そのまま軽い足取りで更衣室に向かう美奈さんの背を見送って、俺とかおるはもう一度ため息をついた。
「……がんばろうね、恭一」
「……そうだな。とりあえず、涼子さんの機嫌が直ってることを祈ろう」
毎週木曜の終業後に行われるミーティングには、シフトは休みの店長さん、志緒ちゃん、あずささんも含めて全員が集まることになっている。
「全員集まってますね。それじゃ、今週の業務報告から……」
片手にクリップボードを持った涼子さん(幸いなことに機嫌は直っているようだった)が今週の報告を行い、それから昨日からヘルプに入っているあずささんが改めて紹介される。
それから、店長さんが立ち上がった。
「12日から15日まで、予定通り店は休みだ。皆それぞれにリフレッシュして夏休み後半に備えて欲しい。以上だ」
「お疲れさまでした!」
皆で声を揃えて一礼し、ミーティングは終わりとなった。
俺は、隣に座っていたかおるに声をかける。
「それじゃ帰ろうか」
「うんっ」
頷いて、かおるはソファから立ち上がった。
「……でも、そこまで気を使うこともないと思わない?」
「まったくもって同感だなぁ……」
俺とかおるは、並んで寮への道を歩いていた。
どうせみんな寮に戻るのだから、と七海や翠さんやよーこさんも誘ったのだが、皆ことごとくに断られてしまったのである。
と。
「あら、柳井くんにかおるちゃんじゃない」
背後から声が聞こえた。振り返ると、あずささんだった。
「あ、ども。今帰りですかつごぉふっ!」
「当たり前のことを一々聞くんじゃないわよ、まったく」
俺のみぞおちに肘を突き立てたのは、言うまでもなくかおるである。
「いてて、ったく凶暴なところは変わらねぇんだから」
「うっさいわね。あんたこそ、美人と見たらすぐにデレデレするところは直しなさいよねっ。もうあたしがいるんだからっ」
「……ええっと……」
「あ」
あずささんの前で恥ずかしいことを大声で怒鳴ったことにはっと気付いたかおるが、慌ててぶんぶんと手を振る。
「えっとっ、あのっ、そうじゃなくってですねっ、あたしはその……」
「はいはい、ごちそうさま」
あずささんはにっこり笑ってかおるちゃんの頭をぽんっと叩いた。
「はぅ〜〜っ、恥ずかしいよぉ……」
赤くなってもじもじしていたかおるが、不意に俺を睨む。
「う〜〜っ、なんで恭一は平然としてんのようっ!」
「いや、なんでって言われても……。第一さっきのはお前の自爆だし」
「それでも、こういう場合はさりげなくかばってくれるもんでしょっ!」
「そんな無茶苦茶な……」
そんな会話を交わすうちに、寮が見えてきた。
「……あ」
不意に、あずささんが足を止めた。
自然と俺達も足を止める。
「あずささん、どうかしたんですか?」
「……ううん」
首を振ると、あずささんは俺達に言った。
「ごめんね、ちょっと買い物があるから、コンビニに寄ってくるわ。2人は先に帰ってて」
「あ」
俺とかおるは顔を見合わせた。
「俺達もコンビニに寄ろうと思ってたんだっけ」
「なんで忘れてんのよ、莫迦っ」
「……なんでそこで、かぁるに莫迦呼ばわりされるかな」
「かぁるって呼ぶなぁっ!」
手を振り上げたものの、さすがにさっきの事があってかそれを振り下ろすのは止めて、代わりにかおるは肩をいからせてすたすたとコンビニに向かって歩いていってしまった。
それを追いかけようとして、あずささんが来ないのに気付いた俺は振り返る。
「あずささん……?」
「えっ?」
じっと寮の方を見ていたあずささんは、俺の声に振り向いた。
「コンビニ、行かないんですか?」
「あ、うん、行くわ」
一つ頷いて、あずささんは歩き出した。
俺はもう一度、寮の方を見た。
……あれ? 寮の玄関のところに誰か立ってるみたいだけど……。
もう一度、目を凝らして見る。やっぱり立ってる。夜だし遠いからはっきりは判らないけど、男の人みたいだ。
「あずささん、誰かいるみたいですけど……。あずささん?」
振り返ると、もうあずささんもかおるもそこにはいなかった。
「……うぐぅ」
コンビニに入ると同時に、横から怒声を浴びせられた。
「なにやってたのよっ!」
深夜のコンビニ、ということもあって多少ボリュームは押さえ気味だったが。
「何って言われても……。あ、そうだ、弁当……」
「もう買ったわよ」
コンビニのビニール袋を掲げて見せるかおる。
「……俺の分も?」
「当たり前でしょ。あ、そっか。一つだけ買っておいて、恭一の前で美味しそうに食べて見せるって手もあったわね。ううっ、迂闊だったな〜」
……こいつ、本気で悔しがってやがる。
ま、おしおきは後で考えるとして……。
俺はコンビニの店内を見回してから、訊ねた。
「ところで、あずささんは? 俺よりも先に行ったはずなんだけど」
「え? あたしもお弁当暖めてもらってたりしたからずっと見てたわけじゃないけど……」
そう言いながら、かおるも店内を見回し、首を傾げる。
「いないわね。恭一、途中で追い越して来たんじゃないの?」
「それなら気が付くだろ」
「ま、あずささんも子供じゃないんだから大丈夫でしょ。それより、冷めないうちに帰ろっ」
かおるに笑顔でそう言われて、俺は頷いた。
寮が見えるところまで戻ってきた。
……やっぱり、さっきの人は玄関先に立っていた。
「……あれ?」
その姿を見て、小首を傾げるかおる。
「どした?」
「ちょっと黙ってて。えーっと……」
腕組みしてうーん、と唸ってから、かおるはぽんと手を打った。
「そう、おにぃちゃんだ!」
「……はい?」
かおる、確か一人っ子のはず。それがおにぃちゃんって何さ?
俺が混乱している間に、かおるは駆け出した。そして、声を掛ける。
「おにぃちゃんっ!」
「えっ?」
その人は振り返った。その顔を見て、かおるは嬉しそうに笑った。
「やっぱりおにぃちゃんだっ。お久しぶりっ!」
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あとがき
とりあえずPia2.2およびPia3に対応して、多少キャラ設定を変更しています。
一番変わったのはあずさになるかな?
前は、久しぶりにキャロットに戻ってきたことにしてましたが、今回大きく変更して、5号店からヘルプに来た、ということにしました。ちなみに5号店ではフロアチーフです。年齢的にもそれくらいの地位にはなってるでしょうし。
さくら支店に置いてある方の2014の過去分もそれに併せて書き直してますので、よろしければどうぞ。……細かい修正ばかりなので、ほとんど間違い探し状態だと思いますけど。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.34-A 01/12/12 Up