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「……みらいは、どこにいる?」
To be continued...
千堂さんは、俺に向かって尋ねた。
「……それを言ったら、どうします?」
「決まってるだろう。連れ戻す」
「和樹、あんたっ!」
「瑞希は黙っててくれ。みらいは、俺の娘だ」
じろり、と口を挟もうとした高瀬さんを一瞥する千堂さん。
「そ、それはそうだけど……」
「……それとも、柳井恭一。君に、みらいを支えることが出来るっていうのか? 愛だのなんだのというご託はいい。だが、現実的に、みらいはかすみを食って生きていけるわけじゃない。そして君もまだ高校生だ。違うか?」
「……それは、そうですが……」
俺は口ごもった。
「なら、君のするべき事は決まっているだろう?」
「……」
「……和樹さん」
不意に、今まで黙っていたあさひさんが、口を挟んだ。
「私は、……みらいの好きなようにさせてあげたい」
「あさひ? な、何を言って……」
「だって、和樹さん。私だって……、私だって、そうしたもの……」
「! そ、それは、そうだけど……」
千堂さんはうろたえたように口ごもった。
あさひさんは、手を合わせるように組んで、千堂さんに尋ねる。
「私は良くて、みらいはだめなの?」
「だけど、みらいはあの時のあさひよりもまだずっと小さいんだ。やっていいことと悪いことの判断だって……」
「ほう、それではあの時のお前の判断はやって良いことだったと思ってるのかね、マイフレンド」
今まで黙って聞いていた九品仏さんが、眼鏡の位置をくいっと直しながら訊ねた。千堂さんはきっとして向き直る。
「当たり前だ。俺は後悔してなんかいないっ」
「ならば、もしあの時、吾輩がお前の邪魔をしていたとしたら、どうする? 今のお前は、あの時の吾輩の立場でもあるのだぞ」
「……」
そういえば、翠さんに聞いたことがある。千堂さんは、当時、アイドル声優だったあさひさんと駆け落ち同然に一緒になったんだって。
「和樹さん……」
そのあさひさんが、手を組んで千堂さんを見つめる。
千堂さんは首を振った。
「それはそれ、これはこれだ。俺はみらいの父親として、みらいを監督する義務があるんだからな」
「……和樹さん……」
あさひさんは、悲しそうな顔をして立ち上がった。
「そんなこと言う和樹さんは……嫌いです」
「!?」
「私、今の和樹さんは……嫌いですっ!」
そう声を上げると、そのままあさひさんは手に顔を埋めた。
「あさひさん……」
高瀬さんが立ち上がり、あさひさんを抱くようにして千堂さんを睨む。
「あたしも、あさひさんと同じ意見よ」
「瑞希は関係ないだろ……」
千堂さんは、視線を逸らして呟くように言った。途端に高瀬さんの眉がつり上がる。
「……よくも、よくもそんなこと言えたもんねっ!」
「まぁ、落ち着きたまえ、まいしすたぁ」
「これが落ち着けるわけないでしょっ!!」
九品仏さんの言葉に逆にエキサイトする高瀬さん。
「あ〜、瑞希ちゃんどうどうっ」
慌ててつかささんが高瀬さんと千堂さんの間に割って入ると、九品仏さんに視線を向ける。
「あ〜ん、大志ちゃん、なんとかしてぇ」
「……本来、調停など吾輩の役ではないのだがな」
九品仏さんは、肩をすくめると、千堂さんに言った。
「まいぶらざぁ、今日一日だけで良い。時間をくれないか?」
「今日一日、だと?」
「ああ。今日一日、つまり午前零時までだ」
「馬鹿なことを言うな! なんで俺が譲歩しないといけないんだっ!」
千堂さんが怒鳴る。思わずびくっとする俺をよそに、九品仏さんはそれを受け流すようににやりと笑った。
「こちらも譲歩しているのだがな。もし何なら、ずっとみらい嬢は吾輩が保護してもいいのだぞ。……ふむ、それも悪くはないな。みらい嬢ならば、吾輩の野望に快く協力もしてくれるであろうし」
「てめぇ、言うに事欠いて、今度は俺の娘に手を出す気かっ!」
「心外な。吾輩とて既に妻子のある身だ。社会的に破滅するような道に手を出すはずがなかろう? なぁ、まいしすたぁ」
「どうしてあたしに振るのよっ! ふんっ、どうせあたしはまだ独身よっ!」
拗ねたように言って、ソファに腰を下ろす高瀬さん。
「ううっ、大志でさえ結婚してるってのに、どうしてあたしがまだシングルなのよぉ……。ねぇ、教えてみすたーすかい」
うわ、クッションに話しかけ始めたぞ。
「あ〜、ほらほら瑞希ちゃん、拗ねちゃだめぇ」
「ぐすっ、そっ、そうですよっ。ええっと、あ、あの、こ、こういうのは、その、縁ですからっ」
つかささんだけでなく、今までしゃくり上げてたはずのあさひさんまで慰めに回ってる。大変だな、こりゃぁ。
「あ〜っ、もうわかった!」
千堂さんは頭をかきむしるようにして声を上げた。そして、俺を睨んだ。
「ただし、午前零時には、みらいをここに連れて来てもらおう。1分1秒でも遅れたら、二度と君とみらいは逢わせないからなっ!」
俺は立ち上がった。そして、答える。
「……わかりました。お約束します」
「……いいの、あんなこと言っちゃって?」
千堂家のあるマンションを出たところで、つかささんが俺に尋ねた。
九品仏さんは、マンションを見上げて言った。
「しかし、和樹にあれ以上の譲歩を迫るのは、いかに吾輩といえど無理だ。まいふれんど和樹は頑固だからな。だが、逆に言えば頑固だからこそ約束は守る漢。少なくとも午前零時までは、みらい嬢には手を出すまい」
「ありがとうございました」
俺は九品仏さんとつかささん、そして高瀬さんに頭を下げた。
「いいのよ。それよりごめんね。……はぁ、わかってたつもりだったけど、和樹があそこまで頭が固いなんてねぇ」
ため息をつく高瀬さん。
と、背後のマンションのドアが開いた。
「おお、あさひ殿。どうされたのですか?」
九品仏さんの声に、振り返ってみると、そこにいたのはあさひさんだった。慌てて走ってきたらしく、肩を弾ませている。
「あ、あの、……柳井さん……」
「俺ですか?」
思わず聞き返すと、あさひさんはこくりとうなずき、そして胸に抱いていた大判の封筒を俺に差し出した。
「あ、あの、これ……、みらいに、渡してください……」
「え? あ、はい」
俺はその封筒を受け取った。中に入ってるのは……この感触は、ノートかな? いや、それにしては厚いような……。雑誌か何かだろうか?
「お願いしますね」
あさひさんは、ぺこりと頭を下げた。
「ええ。でも、これは……」
「みらいに渡してくだされば、わかりますから。あの、柳井さん……。和樹さんのこと、悪く思わないでくださいね」
じぃっと俺の瞳をのぞき込むようにして言うあさひさん。
う、ホントにみらいちゃんのお母さんなんだな。吸い込まれそうな瞳がそっくりだ。
「わかりました」
俺がうなずくと、あさひさんはほっとしたように息を付くと、九品仏さんや高瀬さん達にも頭を下げた。
「あ、あのっ、み、みなさんにもご迷惑をかけてしまって、ごめんなさいっ」
「あさひさんが謝る事じゃないわよ。あの和樹のすかぽらちんが悪いんだもの」
高瀬さんは憤然として言うと、あさひさんをもう一度きゅっと抱きしめた。
「あさひさん、また和樹が変なこと言ったら、いつでもあたしに連絡してね」
「はい。ありがとうございます……」
「さて、あさひ殿とお別れするのは辛いのですが、吾輩達にとって時間は貴重です。そろそろ行かねばなりませんので、これにて失礼させていただきます」
九品仏さんが深々と一礼して、車に乗り込んだ。
続いて俺達も乗り込み、車は走り出した。
振り返って、リアウィンドウ越しに見ると、あさひさんは遠くに小さくなって見えなくなるまで、ずっと俺達の車を見送っていた。
九品仏さんに送ってもらって寮に戻ると、俺は車から飛び降りた。
「有り難うございましたっ。それじゃ失礼しますっ!」
「こらこら、キミキミ。ちゃんと涼子さんにも報告しないとダメだぞ」
「あうっ、そうだった……」
そのままみらいちゃんの部屋に直行しようと階段に向かいかけていた俺は、つかささんの言葉に足を止めて振り返った。
つかささんはくすっと笑った。
「しょうがないなぁ。うん、いいよ。涼子さんにはボク達で話しとくから、キミはみらいちゃんのところに行ってあげて」
「つかささん、すみません」
頭を下げて、俺は階段を駆け上がった。
みらいちゃんの部屋に着くと、チャイムを鳴らす。
ガチャ
ドアが開くと、かおるが顔を出した。
「あ、恭一。やっと帰ってきたのね」
「……なんでかおるがあがぁっ!」
「あんた、自分の言ったことくらい覚えときなさいよねっ! みらいちゃんに付いててくれって頼んだの、あんたでしょうがっ!!」
俺の鳩尾に肘をめり込ませながら、声を上げるかおる。
うぐ、そういえばそうだった。
「あ、あの、恭一……さん?」
その後ろから、小さな声が聞こえた。
俺はかおるを押しのけて部屋に入ると、みらいちゃんに声をかけた。
「みらいちゃん、ただいま」
「は、はい。えっと……お、おかえり、なさい」
かぁっと赤くなって、小声になって言うみらいちゃん。くぅっ、かわいい……。
「……おほん」
そのまま抱きしめそうになったところで、後ろで咳払いをされてかおるの存在を思い出す。
「あ、えっと……、とにかく立ち話もなんだから、中に入って話そうか」
「えっ、あ、はい、そ、そうですねっ」
赤くなったまま、こくこくと頷くと、みらいちゃんは慌てたように振り返って、部屋の中に駆け戻ろうとした。
と、足を滑らせる。
「きゃっ」
「おっと……」
とっさに背中から腕を回して抱き留めて、ほっと一息付く。
「あっ、あのあのあのあのっ」
「え? あ……」
気が付いてみると、背後からみらいちゃんを抱きしめていたわけで、その俺の手がちょうどみらいちゃんの胸に当たるところでふにふにと柔らかくて……。
「……うぉっほぉん!」
「づわっ!」
「きゃっ!」
後ろで盛大な咳払いをされて、俺ははっと我に返り、慌てて両手を上げた。
「ごっ、ごめんっ!」
「……あ、あのっ……、わ、わ、私っ、恭一さんなら……いいですからっ」
俺に背を向けたままで、小さな声で言うみらいちゃん。後ろから見ても、耳まで真っ赤になってるのが判る。
「みらいちゃん……」
「あのっ、私……、さ、先に行ってますっ!」
そのまま、とたたっと部屋に走っていくみらいちゃん。
女の子にここまで言われて感動しない男がいるだろうか、いやいない。反語。
「……あんた達ねぇ、らぶらぶするのも勝手だけど、状況を考えてよね」
「まだいたのか、かぁる」
「かぁるって呼ぶなぁっ!!」
ずびしっ
背後から、今度はスリッパで思い切りしばかれた。
「いてっ! なにすんだよ、お前は!」
「いいから、さっさとみらいちゃんのとこに行きなさいよっ!」
「ったく、判ったよ」
俺は後頭部を押さえながら、みらいちゃんのところに駆け寄っていった。
「……あたしだってね……」
「うん?」
「なんでもないわよっ」
「……というわけで、とりあえず今日の午前零時までに、みらいちゃんは家に帰らなくちゃいけないんだ」
「あんたねぇ、何やってきたのよ」
事情を説明すると、みらいちゃんの隣に座って話を聞いていたかおるが、呆れたような口調で言った。
「まぁ、おおかたみらいちゃんの家に行ったんだろうなとは思ってたけど、それじゃあっさり丸め込まれて帰ってきたんじゃない」
う。言われてみればそうかもしれない。
「……嫌です」
今まで黙って話を聞いていたみらいちゃんが、小さな声で言う。
「みらいちゃん……」
「わっ、私、帰りませんっ! ずっとここにいたいんですっ!」
ひし、と俺を見つめる。
「恭一さん……、それとも……、私、ここにいちゃ……ダメ、ですか?」
う。そんな顔で言われると……。
あ、そうだ。
俺は不意に思い出して、傍らに置いていた大判の封筒を机においた。
「みらいちゃん、これをあさひさんから預かってきたんだ」
「お母さん……から?」
いきなり話が変わって、きょとんとするみらいちゃん。
「ああ。みらいちゃんに渡してくれって」
「……あ、ありがとうございます」
みらいちゃんは封筒を手にして、封を切った。そして中をのぞき込む。
「……本、ですか?」
「中身については俺も知らないんだけど……」
「……」
俺の返事に、みらいちゃんはこくりと頷いて、中からそれを出した。
少し厚めの雑誌……じゃないな。
「それって同人誌じゃないの?」
かおるが横から覗き込んで言った。それから、表紙をしげしげと見てから、みらいちゃんに尋ねる。
「この絵って、もしかして千堂和樹?」
「は、はい。お父さんの絵です……」
こくりと頷くと、みらいちゃんはその表紙を俺にも見せた。
表紙には、笑顔の少女が描かれている。その少女には見覚えがあった。
「この絵、もしかしてみらいちゃん? ……いや、違うな。あ、あさひさんかな? ええっと、それで、これが本のタイトルなのか」
「多分、そうだと思います」
こくりと頷き、みらいちゃんはそのタイトルに指をなぞらせて読み上げた。
「……あさひのように、さわやかに……」
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あとがき
御満足いただけるかどうか判りませんが、とりあえず精一杯。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.35 01/12/17 Up