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「……とまぁ、そう言うわけです」
To be continued...
キャロットの事務室。
俺とかおる、そして更紗ちゃんの3人は、店長さんと涼子さんに顛末を説明した。
「そういうわけだったの……」
「なるほどな」
顔を見合わせて苦笑いする2人。
「で、あたし達がみらいちゃんのご両親を説得しましたから、今日からまたみらいちゃん、復帰です」
かおるが得意げに胸を張って言う。
「でも、こちらとしてもこのまま知らんぷり、というわけにもいかないな。涼子くん、すまないが……」
「はい。明日の午前中にでも千堂さんのお宅にお伺いして、お詫びをして参ります」
そう言うと、涼子さんはため息をついた。
「……私も成長してないですね。前にも同じようなことがあったのに……」
「そうなんですか?」
「あ、もしかしてマスコットガール拉致事件のこと?」
かおるがほっぺたに指を当てて言った。さすが昔からここに来てるだけのことはあって、かおるは過去の事件なんかにも詳しいのだ。
「拉致? 随分穏やかじゃないな」
「もう、かおるちゃんったら。あれはそういうのじゃないわよ」
「まぁ、昔話は後にしよう……」
店長がそう言いかけたとき、小さなノックの音がした。
「はい、どうぞ」
涼子さんが声をかけると、ゆっくりドアが開き、制服姿に着替えたみらいちゃんがおずおずと顔を出した。
「あ、あの、おはようございます……」
みらいちゃんはぺこりと頭を下げると、もう一度深々と頭を下げた。
「どうもすみませんでした……」
「みらいちゃんが謝ることじゃないわよ。全部あのお父さんのせいじゃない」
「で、でも……」
かおるの言葉に、みらいちゃんは首を振った。
「やっぱり、私がちゃんとしてなかったから……」
「みらいちゃん」
涼子さんが口を挟んだ。びくっとして、涼子さんの方に向き直るみらいちゃん。
「はっ、はいっ」
涼子さんは、柔らかく微笑んだ。
「……お帰りなさい」
その言葉を聞いて、みらいちゃんの表情がぱっと明るくなった。慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございますっ」
「それじゃ早速だけど、今日はフロアに入ってもらうわね。それで、昨日休んだ分は帳消しにしますから」
「は、はいっ。わかりました」
俺達は顔を見合わせて、微笑んだ。
「ええーっ? みらいちゃんの家に行って、あまつさえ千堂先生に会ったの〜っ! どうしてあたしも呼んでくれなかったのよぉっ!!」
休憩室で、俺とかおるから顛末を聞いた翠さんが、開口一番大声を上げる。
俺とかおるは、顔を見合わせた。それから翠さんに向き直る。
「あの、千堂先生って?」
「……」
一瞬絶句する翠さん。
「もしかして、あんた達知らないで行ったの?」
もう一度顔を見合わせる俺達。
翠さんは、そんな俺達を見てため息をついた。そして、部屋の隅に置いてあった漫画雑誌を取ると、ぺらぺらっとめくって俺達に突き出した。
「これ」
俺やかおるもよく読んでいる少年漫画雑誌だ。ちなみに、かおるがよく読んでいる、というのは、俺の部屋にあるやつを勝手に読んでいるからなのだが。
翠さんが開いているのは、その雑誌でも一二を争う人気連載だ。かくいう俺も好きだったりする。秋からはアニメ化されるし。
「『緋色の復讐者』でしょ? あたしだってこれくらい知ってるけど……」
さらに、かおるもファンだったりする。単行本を全巻買っているのはこいつの方だ。
「ここ、よ〜っく見なさいよ」
翠さんがびしっと作者のところを指す。
「そんなの今更言われなくても、千堂かずきだろ?」
「そうよ……。あ、あれ?」
三度、俺とかおるは顔を見合わす。そして同時に叫んだ。
「ええーーーーっ!?」
「……その顔だと、本当に知らなかったのね」
ずり落ちかけた眼鏡を指で押さえる翠さんには構わず、俺達はそのまま直滑降で落ち込んでいた。
「くそ〜、そうと知ってたらサインもらったのに……」
「あんたなんかまだいいわよ。あたしなんて怒鳴りつけちゃったのよ。はうぅ〜、どうしよう……」
と、そこに更紗ちゃんが入ってきた。落ち込んでいる俺達を見て、翠さんに訊ねる。
「あの、お二人ともどうかなさったんでしょうか?」
「みらいちゃんの親父さんのことを知らないで怒鳴りつけたから、落ち込んでるんだと」
椅子に座ってバイクの雑誌をめくっていた七海が言うと、更紗ちゃんは小首を傾げた。
「みらいちゃんのお父様のこと、ですか? ああ、確か漫画を描かれていらっしゃるとか……」
「知ってたの!? 更紗ちゃん知ってたのっ!? どーして教えてくれなかったのよっ!」
ずいずいっと更紗ちゃんに迫るかおる。
更紗ちゃんは動じる様子もなくさらっと答える。
「はぁ、聞かれませんでしたし……」
「あう……」
「お前の負けだな、かおる。さて、と」
ぱたん、とバイク雑誌を閉じると、七海は立ち上がった。
「それじゃ今日もお仕事、やりますか」
「あ、もうそんな時間?」
翠さんも立ち上がると、俺の肩を叩いた。
「恭一くん、今日は一緒に仕込みでしょ?」
「あ、はい。翠さんも?」
「そういうこと。あたしの包丁さばきを見せてあげるわよ〜」
「ふんふん、ふんふ〜ん」
鼻歌交じりに包丁を操る翠さん。言うだけあって結構様になっている。
仕込みというのは、要するに食材の下ごしらえである。料理そのものは専属のコックさんがちゃんとやるのだが、そのための準備までコックさんが自分でしてたりすると、とてもじゃないが料理が間に合わなくなってしまう、というわけで、肉を切り分けたり野菜の皮を剥いて刻んだり、ということは俺達みたいなアルバイトの役目になるのだ。
かくいう俺も、時折強制的にかおるの料理を手伝わされていた、ということもあって、仕込みはそんなに嫌ではない。ただ、量がかおるの料理とは桁違いに多い、ということはあるが。
「ほら、恭一くん。手が止まってるわよ」
「あ、はい」
言われて、俺は慌てて牛肉の固まりに筋目を入れる作業を再開する。
と、そこにコックの一人、板井さんが、調理場から顔を出した。
「牛肉フィレ5枚、出来てる?」
「今上がります! はい」
さっと十字に切れ目を入れた肉を、ボールに入れて渡す。
「ご苦労さん」
そう言って戻っていく板井さん。
「……それにしても、翠さん、絵だけじゃなくて料理もできるんですか?」
「うん? ああ、料理は余技よ」
そう言いながらタマネギを微塵切りにしていく翠さん。
「うち、両親がいなかったんでね。小さな頃から自分で料理すること多くてね」
「……えっ?」
俺は驚いた。
「そ、そうだったんですか? すみません……」
「やだ、何謝ってんのよ」
笑うと、翠さんは言葉を続けた。
「父さんの実家が結構財産持ちだったから、お金に困るって事はなかったんだけどね。でも、中学高校と美術部で、結構いろんな賞なんかもらっててね。ずっと絵でやっていこうって決めて美大を受けたんだけど、これが見事に落っこちちゃったわけよ。浪人してでも……って思わないでもなかったけど、そこまで迷惑かけるのもなんだし、かといって就職っていっても、高卒じゃぁ……。とりあえずあたしには絵を描くことしか残ってなかった。で、手っ取り早く稼げるかなって漫画の道に行くことにしたのよ」
そう言って、くるっと包丁を回す翠さん。
「ま、今のあたしに言わせれば、漫画で手っ取り早く稼ぐなんて、なんて偉そうなんだお前はって感じだけどね」
「……はぁ」
「ちょうど、高校の時にちょっとだけ同人誌やっててね。それが縁で篠原先生に拾ってもらえたんだけど」
篠原先生っていうのは、篠原美樹子っていう、結構有名な少女漫画家だ。俺は読んだこと無いけど、かおるに聞いたところによると、あっちの方では五本の指に入る人気だとか。
翠さんは、今はその篠原さんのところで住み込みのアシスタントをしているそうだ。
「結局、アシとして使ってもらって、まぁ漫画に関しては修行中なわけだけど、アシだけで食べていくのも難しい。で、どうしよっかなって思ってたところに、たまたまここのバイトの話があってね。正直、フロアに立つとは思って無くて、厨房勤務だって思い込んで応募したら、そのまま通っちゃってさ」
「なるほど。でも、篠原さん、反対しなかったんですか? アシスタントが別のバイト持つなんて」
話にはよく聞くものなぁ、〆切間際の漫画家の仕事場は戦場だって。
「何事も経験、だって言ってたけど……」
翠さんは心持ち声を低くした。
「先生、打ち合わせとかで結構ここをよく使ってるのよ。だから、あたしを潜り込ませてあわよくば社員割引で、なんてもくろんでたみたい」
「あはは、そうなんですか?」
「ま、先生の場合、今は売れっ子なんだから、暇はともかくお金はあるんだけどねぇ。元々は同人作家だったから、なかなか貧乏性が抜けないみたいなのよね。……そうそう、元々、と言えばね……」
翠さんは人参をフードプロセッサーにかけながら、俺に耳打ちした。
「千堂先生のお宅で、奥さんに会わなかった?」
「奥さんって、みらいちゃんのお母さんですか? はい。綺麗な人でしたね」
「あ、やっぱり知らないな、その様子だと」
翠さんはくすくす笑った。
「あの人はね、昔の話なんだけど……」
仕事が終わり、着替えてから休憩室に行くと、かおるとみらいちゃん、更紗ちゃんが、かりんとうを摘みながらなにやら雑談していた。
「お疲れさま」
ドアを開けながら声をかけると、かおるがこっちを見た。
「あ、恭一。よかったわねぇ」
なんだか変な笑みを浮かべているかおる。これまでの経験からいっても、こいつがこの笑いを浮かべているときはろくなことがない。
「な、なにがだ?」
身構えながら聞き返すと、かおるは両脇にいた更紗ちゃんとみらいちゃんの肩を抱くようにして、俺に言った。
「明日から、恭一のお友達」
「……なんだ、それ?」
「あっ、あのっ、わ、私、その……」
かぁっと赤くなって俯くみらいちゃん。
「じ、じつは、お、泳げないんです……」
次の瞬間、おれはみらいちゃんの手を取った。
「みらいちゃん、今までで一番君が身近に感じられる時だよっ!」
「くぉら、どさくさ紛れに手を握るんじゃないわよ」
べし、と俺の手を叩くかおる。
更紗ちゃんが笑顔で言う。
「実は、わたくしも泳ぐことが苦手なんです」
「おお、更紗ちゃん、今までで……」
「同じパターンを使うなっ!」
がしっ
咄嗟に、かおるの繰り出した回し蹴りを左腕でブロックし、俺はにやりと笑った。
「まだまだあまどうっ!!」
「甘いのは、あんたでしょ。ったく」
最初のはフェイントだった。こいつ、いつの間にこんな高度な技を……。いてて。
「ともかく、そういうわけで、明日からこの二人も一緒に泳ぎの勉強するからね」
「……ちょっと待て、かおる。この二人“も”って何だ?」
「あんたはデフォだから」
さらっと言うと、かおるは立ち上がった。
「さて、そうと決まれば今日は早く上がりましょうか」
「はい、そうですね」
にっこり笑う更紗ちゃん。みらいちゃんは……と思ったら、真っ赤になって俯いていた。
「……手、握ってもらっちゃいました……」
「何?」
「わっ、な、なんでもなんでもなんでもないですっ」
慌ててぱたぱたと手を振ると、みらいちゃんは立ち上がった。
「そ、それじゃあ失礼しますっ!」
そのままぱたぱたと休憩室を出ていく。
俺はそれを見送りながら、思わず微笑んだ。
「よかった、元気そうになって」
「よござんしたわね、あんたも元気そうになって」
ヅグゥン
いきなりつま先を踏みつけられて、俺はその場にのたうち回った。
「な、なにすんだ、この凶暴女っ!!」
「うるさいわね。フンだ。あたし帰るっ!」
くるっと踵を返して出ていくかおる。
更紗ちゃんが屈み込んで俺に訊ねた。
「大丈夫ですか、恭一さん?」
「だいじょう……ぶ」
うぉ、俺の角度からだと、屈み込んだ更紗ちゃんのスカートの奧の神秘が白くて……。
も、もう少しこう……。
ビシュン
何かが弾ける音がしたかと思うと、耳たぶに微かな痛みが走る。
「お嬢様、お迎えに参りました」
後ろから、有田のじいさんの声が聞こえた。
「ちょっと待ってくださいね。恭一さん、立てますか?」
「はいっ!」
俺が跳ね起きると、更紗ちゃんはぽんと手を打って喜んだ。
「良かったです。あら、有田さん、その右手に持っているものはなんですか?」
「いえ、なんでもございません。気になさらないでいただきたい」
「はぁ……」
「それでは、恭一殿、失礼いたします。さ、お嬢様」
「はい。それでは恭一さん、おやすみなさいませ」
「お、おやすみ……」
パタン、とドアが閉まってから、俺は全身の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
恐るべし神宮司財閥。
キャロットの裏口から外に出ると、昼間とは打って変わって涼しい風が吹いていた。
もう営業時間も終わって、事務室以外の店の灯りは全て消えていた。ちなみに事務室では、今日も涼子さんが残業しているらしい。
「ん〜っ、と」
一つ伸びをしていると、不意に声が聞こえた。
「あっ、あのっ……」
「え?」
振り返ってみると、とっくに帰ったと思ったみらいちゃんがそこに立っていた。
「あれ? どうしたの、みらいちゃん?」
「あ、は、はい……。あ、あの……」
みらいちゃんは、ぎゅっと拳を握ると、深々と頭を下げた。
「きょ、今日は、色々とありがとうございましたっ。わ、私なんかのために、わざわざ、色々……」
俺は首を振った。
「そんなことないって。みらいちゃんがいてくれないと、やっぱり寂しいしね」
「で、でも、わ、私……」
俯くみらいちゃん。
そのみらいちゃんの頭に、俺はぽんと手を乗せた。
「えっ?」
「帰ろう。駅まで送ってあげる」
「……は、はい」
ぽっと頬を赤く染めて、みらいちゃんは頷いた。
……しかし、みらいちゃん、俺が話しかけたりするとすぐに赤くなるのは、やっぱりまだ男性恐怖症の症状が残ってるのかなぁ。でも、露骨に嫌がったりしないってことは、少しは症状も改善してるんだな、きっと。
特に何を話すでもなく、俺とみらいちゃんは、駅までの道をゆっくりと歩いた。
でも、その感覚がなんとなく心地良いせいだろうか。あっという間に駅に着いてしまった。
毎度のことだが、この時間、駅にはほとんど人がいない。
「それじゃ、今日はここで」
「はい……。あ、あの……」
「え?」
「……いえっ、なんでも……ないです」
首を振って、みらいちゃんはポケットから定期を出した。そして、改札をくぐる。
俺は背を向けた。
「あのっ!」
後ろからみらいちゃんの声が聞こえて、振り返る。
「どうしたの?」
「……だ」
口ごもって、下を向くと、みらいちゃんは大きく息を吸った。そして、きっと俺を見つめる。
「恭一さん、大好き……です」
それだけ言うと、身を翻して、ホームへの階段を駆け上がっていくみらいちゃん。
……って、い、今のは?
みらいちゃんの足音が聞こえなくなっても、俺はそのまま、その場に立ち尽くしていた。
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あとがき
無印シリーズ29話です。
みらいちゃんファンの皆さんお待たせしました(笑)
さて、この後どうするのか、作者自身まったく決めてません。
全ては皆さんのご意見次第(笑)
では、次回30話でお逢いしましょう。
しかし、真冬に真夏の話を書くのも、なんだかなぁ……。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.29 01/1/18 Up