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翌朝。
To be continued...
「……あちぃ」
妙な息苦しさを感じて、俺は目を開けた。
カーテン越しに朝日が部屋を薄明るく照らしている。
ぼんやりとしていた視界が次第にはっきりしてきて、辺りは見慣れてきた寮の俺の部屋に戻った。
ただ、息苦しさはそのまんまだった。というか、何かが俺の胸に乗っかっている。
俺はそれを掴んで持ち上げた。
……白くて柔らかい棒?
視線を動かしてその棒の先の方を見ると、手がついていた。
今度は逆方向に動かすと、かおるが眠っていた。
なんだ、かおるの腕だったのか。
苦笑して、俺はかおるの腕を脇に置くと、身体を起こして伸びをした。
……ちょっと待て。
もう一度、そちらを見る。
間違いなく、毛布にくるまってすーすーと寝息を立てているのは、かおるだった。
一瞬で、頭の中がパニックになる。
な、なんでかおるが俺のベッドで? ……ここ、俺の部屋だよな?
もう一度ぐるっと辺りを見回して確認する。間違いなく俺の部屋だ。
慌てて、かおるが被っている毛布を引っ剥がした。
引っ剥がしてから、もし何も着てなかったら、と一瞬思ったけど、ちゃんとTシャツにスパッツという姿だったので、半分安心する。あとの半分は……言わないほうがいいだろうと。
とりあえず、ほっぺたをぺちぺちと叩く。
「おいっ、かおるっ! 起きろこらっ!」
「う、うん……。もうちょっと……」
「起きろぉっ! かぁるって呼ぶぞっ!」
ばきぃっ
「かぁるって……よぶなぁ……。むにゃ……」
いてて。寝てるくせに、見事な右フックだ。……じゃなくて!
殴られた頬をさすりながら、もう一度かおるに目をやる。
スパッツっていうのも、結構身体のラインが出るもんだよなぁ……。
あああ〜〜っ、いかんいかん、悪霊退散っ。
俺はキッチンに行くと、蛇口を捻って頭から水を被った。それから手を水に浸して、ベッドに駆け戻ると、手についた水をかおるの顔面に飛ばす。
「ひゃぁっ!」
妙な悲鳴を上げて、跳ね起きるかおる。
「なななな、なにすんのっ!」
「お前こそなにしてんだっ!」
俺が怒鳴り返すと、かおるはまだ寝惚けた顔で、ベッドの上にぺたんと座ったまま、辺りを見回した。
「あ、あれ? ここ、どこ?」
「俺の部屋だ、俺のっ!」
「……ま、まさかっ!」
自分の身体を抱いてずざっと壁に張り付くかおる。
「恭一、あたしに無理矢理……」
「するかっ! っていうか、昨日、寝たぞ、一人で、ちゃんと、俺はっ! 目が覚めたら、お前が、胸に……」
「触ったのねっ! 胸、私のっ!」
「ちがうっ!」
なんか二人とも日本語が無茶苦茶になっていた。
一応、文系の俺が先に冷静になる。
「……と、とにかく、だ。俺は何もしてないぞ」
「えーと……。そ、そうみたいね」
ベッドの上をぐるっと見回して頷くかおる。
「……今、何で確認したんだ?」
念のために訊ねると、かおるはかぁっと赤くなった。
「お、乙女の秘密よっ!」
「誰が?」
ばきぃっ
「殴るわよ、ブーメランフックで!」
「いてて……、殴ってから言うなって言ってるだろ?」
と。
トントン、トントン
いきなりノックの音がした。俺達は思わず飛び上がる。
「ええっ!? こ、こんな時間に誰なのっ!?」
「と、と、とにかくお前はトイレにでも隠れてろっ!」
「女の子にトイレはないでしょっ!」
「それじゃバスルームでもいいからっ」
「あ、うんっ」
そう言って、慌ててバスルームに飛び込むかおる。
バスルームのドアが閉まるのを確認してから、俺は玄関のドアを開けた。
「は、はい?」
「おはようございます、恭一さん」
にっこり笑って頭を下げたのは、どう見ても更紗ちゃんであった。白いワンピースに麦わら帽子と、どこから見ても高原で避暑をしているお嬢様といった出で立ちである。
「更紗ちゃん?」
「はい」
思わず出た間抜けな質問にも、微笑んで頭を下げる更紗ちゃん。
でも、なんでこんな朝っぱらからここに?
俺がきょとんとしていると、いきなりバスルームのドアが開いて、かおるが出てきた。
「恭一っ! 何でれでれしてんのよっ!」
「誰がでれでれしてるって?」
振り返って言い返すと、かおるは「あれ?」と首を傾げた。
「だって、更紗ちゃんの声が聞こえたのに、あんたの声が聞こえないもんだから、てっきり……」
「てっきり、なんだ?」
「あは、あははっ」
笑って誤魔化すかおる。
「これはこれは、かおるさん。おはようございます」
礼儀正しく頭を下げて、それから更紗ちゃんは小首を傾げた。
「でも、どうしてかおるさんが恭一さんのお部屋のバスルームから出てきたんですか?」
「えっ? あ、えと、それはぁ……」
口ごもると、かおるは俺の脇腹をどすっと肘でつついた。
「恭一っ、ここで気の利いた言い訳の一つくらい出ないのっ?」
「無茶言うなっ!」
「さ〜らさちゃん。朝早く、男の部屋のバスルームを女が借りる理由なんて一つよん」
いきなり更紗ちゃんの後ろから声が聞こえた。そちらを見ると、タンクトップ姿の葵さんが缶ビールを片手ににこにこしながら立っていた。
「おっはよう、お二人さん。新たなる門出に乾杯! ってね〜」
「ちっ、違いますっ! 夕べは何にも無かったですっ!」
慌ててわたわたと手を振ると、かおるはまた俺の脇腹をどついた。
「ほらっ、あんたもなんか言いなさいようっ!」
「いや、そう言われても……」
「まぁまぁ。ほら、更紗ちゃんもお祝いしてあげないと。ねっ!?」
なんだか朝からやたらテンションの高い葵さんである。
「……ぽ」
なぜか赤くなると、更紗ちゃんは慌てて俺達に頭を下げた。
「す、すみません。そんなこととはつゆ知らず、大変お邪魔いたしました」
「わあっ! ち、違うわよっ! ぜんっぜん違うのよっ!!」
さらにあたふたするかおる。両手をぶんぶん振り回して、まるでネズミ花火のようだ。
と、葵さんが不意に俺の目の前に顔を近づけた。
「恭一くん、まさか本当に何も無かったの?」
「えっと……多分」
「……あ、そっか。二人とも初めてだからね〜。うんうん、若いうちはよくあることなのよ」
今度は葵さん、腕組みして一人納得したように頷いた。それから俺の肩をぽんと叩く。
「まぁ、そんなに神経質になることはないわよ。一度や二度は失敗するものだから」
「……何の話ですか?」
「……ぽぽっ」
困惑する俺をよそに、ますます赤くなる更紗ちゃん。
「ち、違うんですよっ! 全然違うんですっ!!」
こちらはますますばたばたするかおる。
「……朝からあなた達、何してるの?」
呆れたような声がして、そちらを見ると、涼子さんが立っていた。
「あ、おはようございます」
「おはよう。……それにしても、葵がなかなか戻ってこないと思ったら……」
ため息を付くと、涼子さんは葵さんの耳をぐいっと引っ張った。
「あたたた、ちょっと涼子っ、やめなさいっ」
「やめるのはあなたです。他の人のプライベートにいちいち顔を突っ込むんじゃありません」
そう言いながら、葵さんの耳を掴んだまま、ぐいぐい引っ張っていく涼子さん。
「あいたたたっ、わ、わかったからやめてよ。それじゃばいばーい」
ぱたぱたと手を振りながら、葵さんはそのまま涼子さんに引っ張られて階段の踊り場の方に消えていった。
とりあえず俺は一息ついて、まだじたばた暴れているかおるの頭を掴んだ。
「お前もいつまでも暴れてるんじゃない」
「は、はう……」
「……ぽぽっ」
相変わらず、赤くなったほっぺたを手で押さえて、なにやら内面の世界に潜り込んでいる更紗ちゃんだった。
「……それで、こんな朝からどうしたの?」
結局、あんまり朝から廊下でばたばたと騒ぐのもなんなので、俺達は更紗ちゃんに、俺の部屋に上がってもらうことにした。
「あ、更紗ちゃん、ハムエッグでいいかしら?」
「あの、おかまいなく……」
「いいのいいの。ついでだもん」
そう言いながら、かおるは卵を割ってフライパンに落とすと、鼻歌混じりにパンをオーブンに入れて焼き始める。
「……はぁ。楽しそうでいいですね、かおるさん」
なぜかため息をつく更紗ちゃん。俺は肩をすくめた。
「まぁ、家事一般だけは嫁に出しても大丈夫なんだが、何しろ凶暴だから……」
「なんかいった?」
ぎろっと振り返るかおるに、俺は明後日の方を見て口笛を吹く。
「空耳だろ?」
「……ったく。あ、そうだ。恭一のハムエッグだけ砂糖入れちゃおうかな」
「すみません、悪かったです」
「よろしい」
俺達のやり取りを聞いていた更紗ちゃんはくすっと笑った。それから、俺に向き直る。
「恭一さん。あの、一つだけ伺ってもよろしいですか?」
「え? あ、うん。構わないけど……」
俺が頷くと、更紗ちゃんは真面目な顔で訊ねた。
「恭一さんは、かおるさんと、その、お付き合いなさっているのですか?」
「えっと、まぁ、そうなんだけど」
俺は頭を掻きながら答えた。
「付き合ってるって言っても、ちゃんとそうすることに決めたのはつい2、3日前だけどさ。な、かおる?」
「う、うん。えへへっ」
照れたように笑うと、かおるはフライパンから目玉焼きを皿に移した。
「そうですか。おめでとうございます」
更紗ちゃんは深々と頭を下げた。それから、微笑んだ。
「はい、ハムエッグにトースト、それからサラダよ」
皿を手にして戻ってきたかおるが、それをテーブルに置いて、それから更紗ちゃんに尋ねた。
「でも、それだけを聞きに、わざわざ来たの?」
「はい。重要なことでしたので」
「……そう。あ、冷めないうちにどうぞ」
「それでは、いただきますね」
更紗ちゃんは微笑んで、パンを口にした。
俺もハムエッグをフォークで突き刺した。む、ちゃんと黄身が半熟気味になっているのはポイント高いな。
「で、かおる」
「うん、どうしたの?」
「……あ〜っと、今日はちゃんと夏休みの宿題をしなければならないとふと思った俺なのだが」
「うーん、ここんとこ、さぼり気味だったからねぇ……」
右手でティーカップを持ったまま、左手を額に当てるかおる。
いけるか!?
俺の胸に小さな希望の光が灯る。
かおるは、ティーカップを置いて、にこやかに言った。
「それじゃ、今日は、プールの後で勉強しよ」
……希望の光は砕け散っていった。それはもうガラガラと。
あくまでもにこやかなかおると、絶望に打ちひしがれる俺を、更紗ちゃんは怪訝そうに交互に見ていた。
「あの、恭一さん、どうかなさったんですか?」
「あ、更紗ちゃんは知らないんだ。こいつったらねぇ……」
「わぁあっ! 言うなかおるっ!」
慌てて手を振りながら止める俺。
「なによ? どうせ判ることじゃないの」
「それでも、隠しておくところに男の浪漫があると思わないかっ!?」
「ぜんっぜん思わない」
くそ、男の浪漫を理解しない奴め。
更紗ちゃんが遠慮がちに口を挟む。
「あの、恭一さんが秘密にしておきたい事でしたら、無理には……」
更紗ちゃん、なんて優しい娘なんだっ!
「あ〜、いいのいいの。あのね、恭一ってば泳げないんだよ」
……かおるめ。ぜってー、いつか泣かしちゃる。
更紗ちゃんは、ぽんと手を打った。
「まぁ、恭一さんもそうでしたの」
「え?」
「実は、恥ずかしいのですが、わたくしも全然泳げないんです」
ちょっと恥ずかしそうに、頬を赤らめて言う更紗ちゃん。
俺は思わず更紗ちゃんの手を取った。
「更紗ちゃんっ! そうだよな、何も泳がないでも生きていけるよなっ。うん、判るよその気持ちっ!」
スパーン
「勝手に更紗ちゃんを巻き込んで盛り上がるんじゃないっ!」
かおるが俺の後頭部をスリッパで叩きながら怒鳴った。
「いててっ。でも……」
「あっ、そうだ。更紗ちゃん、早番じゃなかったわよね?」
「あ、はい。そうですけれど……」
「それじゃ、午前中暇よね? 良かったら、あたし達と一緒にプールに行かない?」
「プール、ですか?」
小首を傾げる更紗ちゃん。……って、「あたし達」ってことは、既に俺はデフォ?
かおるはにこにこしながら頷いた。
「うんうん。七海ちゃんも来るって言ってたから、2人で泳ぎを教えてあげるよ」
「まぁ、本当ですか?」
「うんっ。……って、あんたはなにしてんのよ!」
いきなりくるっと振り返るかおる。
俺は大きく両手で×を作ったまま、答える。
「いや、かおるの後ろから、更紗ちゃんに、その身に迫りつつある危機を教えようと……」
スパーン
今度のスリッパは顔面だった。
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あとがき
クリスマスに真夏の話を書くというのもまた一興(笑)
ここしばらくゲームをいろいろと買いました。年末にかけてはこれで楽しくやっていくので、更新はなかなか出来ないかも知れませんが、まぁご容赦ください。
一応、仕事の波をなんとか乗り切った自分にご褒美ですから(笑)
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.27-A 00/12/25 Up