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「……きて、起きて」
To be continued...
ゆさゆさ、と揺さぶられる感触。
ゆっくりと意識が微睡みの中から……。
「もうっ、人が優しくしてれば。起きろーーーーっ!!」
いきなり耳元で大声を上げられて、俺は飛び起きた。
「うわぁっ!!」
「あは、起きた起きた」
嬉しそうな声に振り返ると、かおるがエプロンを締めながらキッチンに向かって行った。
「それじゃ、朝ご飯作ってあげるね」
「あ、ああ……。って、なんでお前がここに?」
「ど、どうでもいいのよ、そんなことっ」
なぜかかぁっと赤くなって背中を向けるかおる。
「……?」
ま、まさか……。
「お前、もしかして夜這いかけてきたのか?」
「馬鹿ぁっ! そんなわけないでしょっ!!」
こっちを向こうともしないで言い返すかおる。
ということは、ホントに……?
「……ええっと、まあ恋人同士ならそういうのもありかな、とは思うけど、やっぱり僕たちもっとお互いのことをよく知ってからの方がいいんじゃないかと……」
「……もう、知らないっ」
かおるは本格的に膨れてしまった。
それにしても……。
こいつはそんなに軽々しくそういうことをするような奴じゃない。高校に入ってこいつと知り合ってからまだ1年ちょっとだけど、そこらへんのことは判ってるつもりだ。
だとすると、そんなかおるがそういうことをしに来たってことは、やっぱりそれなりの覚悟を決めてきたっていうことなんだろう。
それなのに、俺と来たら寝てたってわけか……。
「……ごめん、かおる」
「なによ、今更謝ったって許してあげないわよっ」
「いや、そうじゃなくて……」
「もう、いいわよ」
振り返ると、かおるは笑顔で言った。
「それより、午前中はどうせ空いてるんでしょ?」
「あ? ああ、空いてるけど」
「それじゃ決まり」
ぽんと手を合わせて頷くと、かおるはびしっと俺を指した。
「午前中は特訓!」
「……何の?」
「水泳の」
「……えーっと」
明後日の方を見て言い訳を捜す俺に、かおるはびしっと言った。
「仮にもあたしの恋人なんだから、1キロや2キロ泳げるようにならないと駄目なんだからねっ」
「……やっぱりお前怒ってるだろ?」
「簡単じゃない。別にベルヌーイの定理を解けって言ってるわけじゃないんだし」
「わけのわからんことを言って煙に巻こうとするなっ」
「煙に巻こうとしてるのはあんたの方でしょ」
フライパンに油を回し入れながら言うかおる。続いて冷蔵庫からベーコンと卵を出す。
「いいから、恭一は布団干しておきなさいっ」
「……」
俺はそこはかとない後悔を感じつつ、窓を開けて布団を干すのだった。
「というわけで、市民プールにやって来ましたあたし達っ!」
「……どうでもいいけど、プールサイドで何気合いを入れてるかね、君は……」
「あんたこそ何黄昏てんのよ。ほら、準備体操は終わったの?」
かおるは腰に手を当てて、座り込んでいる俺を見下ろした。ちなみに赤いビキニ姿である。……こないだまでなら愛想のない貧相な身体、で済ませていただろうが、立場が変わってみると結構ドキドキしてしまうものだ。
「……な、なにか変かな?」
俺の視線に気付いたのか、かおるはビキニの上のヒモがよじれていたのをちょいちょいと直す。
「い、いや、似合ってるんじゃないか?」
「あ、あは、そう? ちょっと嬉しいかな?」
「そ、そうなのか?」
「そりゃ、まぁ……」
赤くなってもじもじしてるかおるっていうのも、こうしてみると結構可愛いんだなぁ。
……っていうか、かおるのどこを見てもなんか新しい発見とかあって……。これってやっぱり俺の方のかおるを見る目が変わったっていうことなんだろうか?
「……えっと、恭一、あのね……。はっ!?」
不意にかおるは俺を怖い顔で睨み付けた。
「甘い言葉で誤魔化そうとしても、そうはいかないんだからねっ!」
「いや、別にそういうつもりじゃ……」
「う、うるさいわねっ! とにかくっ、ほら、じたばたしないで行くわよっ!」
俺の腕を引っ張るかおる。俺は全力でそれに抵抗する。
「い〜や〜だ〜」
「き〜な〜さ〜い〜」
「こ〜と〜わ〜る〜」
数分の攻防の後、俺達はとりあえず休戦した。
「はぁはぁ、まったく。第一ここまで来ておいて、今更抵抗しないでよね……」
「いや、俺は真実に目覚めたのだ。やはり思索する生き物である人間たる者、水に入るなどということは物理法則に反していると思わないか?」
「全然。そもそも、ちゃんと人間は水に浮くように出来てるのよ。……はぁ、汗かいた〜。暑い〜」
雲一つない青空を仰いで声を上げてから、かおるは立ち上がった。
「とりあえずあたしひと泳ぎしてくるから、逃げるんじゃないわよ」
「は〜い、いってらっしゃぁい」
パタパタ手を振ると、かおるは肩をすくめてプールに走っていくと、そのまま頭から飛び込んだ。
バッシャァン
水しぶきが上がる。
しかし、水なんかに入って何が楽しいのかねぇ。
俺はもう一度ため息をつくと、立ち上がった。さすがにこれ以上ひなたにいては焼けてしまう。
日影に入って、泳いでいるかおるの姿を眺めていると、不意に声をかけられた。
「あれ? 恭一じゃないか」
「え?」
声の方を見ると、七海だった。スポーティーな白いビキニで、サンバイザーを被り、首からタオルをかけている。
「七海も泳ぎに来たの?」
「ああ。部屋にいても暑いだけだしな。かおるはどこにいるんだい?」
「向こうで泳いでる」
答えてから、はたと気付く。
「ところで、なんでかおるも来てるって知ってるんだ?」
「いや、恭一がいるんならかおるもいるんだろうな、って思っただけ」
う。事実だけに反論できない。
「な、七海は一人で?」
「ああ。たまには一人でのんびりしたかったしな」
大きく伸びをする七海。
「たまには一人で?」
と、そこに水を滴らせながら、かおるが駆け寄ってきた。
「あー、こんなとこにいたぁ! あれ、七海ちゃんも?」
「よう」
しゅたっと片手を上げる七海。
と、かおるがぽんと手を打って、にまぁと笑う。う、いやな予感。
「七海ちゃん、ちょっと手伝って欲しいんだけどぉ」
「なんだい?」
「実はねぇ、……こら逃げるな」
俺の海パンに指を引っかけて止めると、かおるは七海にぼそぼそと囁いた。
「……ええ? マジ?」
「そうなのよ。というわけで、特訓してあげようって言ってるのに、こいつ嫌がるのよぉ」
「そっかぁ。そりゃぁ協力してやらねぇわけにはいかねぇよなぁ」
指をぱきぱき鳴らす七海。……どうして指を鳴らす?
くそ、全速で逃げたいところだが、このまま逃げると半ケツ状態になってしまう。それにしてもかおるの奴、男の海パンに指引っかけやがって。恥じらいってもんがないのかっ。
「ほら、恭一行くわよ」
「……しくしく」
「なるほどぉ。それで、恭一さん疲れた顔してるんですねぇ」
お昼過ぎ、いつものようにキャロットの前を掃除していた美奈さんは、俺の顔を覗き込んで心配そうに言ってくれた。ううっ、優しいなぁ。
「あ、大丈夫ですよ。こいつならほっといても水でもかければ復活しますから」
「俺はスライムか?」
「まぁ、水に顔をつけられるようになったんだ。進歩したんじゃねぇか?」
「先生がいいから。ね、七海ちゃん」
「ああ、それは当然」
くそ。かおるも七海も七年呪ってやる。
と、入り口のドアが開いて店長さんが顔を出した。
「美奈くん……ああ、恭一くん達も来たのか。ちょうどいい、ちょっと来てくれないか?」
「?」
俺達は顔を見合わせた。
俺達が店長さんに続いて事務室にはいると、そこにはまだワンピース姿の更紗ちゃんが立っていた。俺達の姿を見てぺこりと頭を下げる。
「こんにちわ、皆さん」
「やぁ」
「ども〜」
挨拶を返す俺達に続いて、店長さんが声をかける。
「済まないな、待たせてしまって」
「いいえ。それで、お話しとは何でしょうか?」
訊ねる更紗ちゃん。
「実は今朝のことなんだが、千堂さんのお宅から電話があった」
「みらいちゃんの家から? みらいちゃん、今日お休みするんですか?」
美奈さんが訊ねる。でも、それくらいなら何もみんなを集めるほどのことでもないような……。
店長さんは首を振った。
「電話は千堂さんのお父さんからだった。キャロットでのアルバイトを辞めさせて欲しいんだそうだ」
「……辞める? みらいちゃんが?」
俺は昨日のことを思い出していた。
かおるもそのことを思い出したらしく、「どうしよう?」という顔で俺を見る。
そんな俺達を見て、店長さんは訊ねた。
「恭一くん、かおるくん、何か知ってるのかい?」
「……あの」
「いや、俺が話すよ」
言いかけたかおるを制して、俺は店長さんに言った。
「確かに、心当たりはあります。でも……俺達のプライベートなことなので……」
「そうか。それじゃ、他の者は解散してくれ」
店長さんの言葉に、他のみんなは事務室を出ていった。
最後に、更紗ちゃんが丁寧なお辞儀をしてドアを閉めたところで、店長さんは俺達に訊ねた。
「どういうことなんだい?」
「実は……」
俺は、夕べみらいちゃんを駅まで送っていったときのことを話した。
「……というわけで、多分みらいちゃん、俺と顔を合わせるのが嫌だから、バイトも辞めることにしたんじゃないかと思います」
「そうか……」
店長さんは腕組みをして頷いた。
「そういう事情なら仕方ないな……」
「すみません」
「いや、君たちのせいじゃないさ」
そう言うと、店長さんは腕を解いた。
「とりあえず明日からのことは後で考えるとして、今日はどうするか、だな。恭一くん、涼子くんに話をして、今日の千堂さんの仕事をどうするか相談してくれないか?」
「わかりました」
俺は頷いて事務室を出た。続いて出ようとしたかおるに、店長さんが声をかける。
「あ、かおるくんはちょっと待ってくれ」
「え? なんですか? あ、恭一。後で行くから」
「わかった」
頷いて、ドアを閉めた。
「……今日のみらいちゃんはディッシュだったから、そうね……」
涼子さんは少し考えると、頷いた。
「恭一くんがディッシュに回ってくれるかしら? キャッシャーには私が入ります。葵、フロアの統轄をお願いね」
「オッケイ」
葵さんはぴっと片手を上げて答える。
「判りました。ディッシュですね?」
俺も頷いたところに、かおるが入ってきた。
「あ、かおる。何の話だったんだ?」
「恭一……。ううん、なんでもないよ。それより、仕事仕事っと」
かおるはそのままフロアに出ていった。
……なんか変だな。店長に何か言われたんだろうか?
「恭・一・く・ん」
後ろからぽんと肩を叩かれて振り返ると、葵さんだった。
「かおるちゃんが気になるのはわかるけど、お仕事しなくちゃね〜」
「あ、はい……」
と、ここで葵さんは声を潜めて訊ねた。
「ところで、夕べはうまくいったの?」
「何がですか?」
真顔で聞き返してから、はたと思い当たって、慌てて声を潜める。
「何にもなかったですよっ」
「あはは〜、照れない照れない。ま、何事も最初は上手く行かないものだから、気楽に行きなさいね〜」
「葵さんっ!」
「あっはは。んじゃね〜」
ぱたぱたと手を振って、葵さんもフロアの方に行ってしまった。
俺はため息をついて、キッチンに入っていった。
バシャバシャ
「そう、みらいちゃん辞めちゃったんですか」
早苗さんはちょっと悲しそうにため息をついた。
並んでお皿を洗いながら、俺はみらいちゃんのことを早苗さんに話していた。
何故か不思議と早苗さんだと自然にそういう話が出来てしまう。聞き上手ってやつなのかな。
と、早苗さんは皿を洗う手を止めて、俺に顔を向けた。
「恭一くん、一度ちゃんとみらいちゃんとお話しした方がいいわよ」
「えっ?」
「このままさようなら、じゃ悲しいもの。それに、みらいちゃんに、次の恋が出来るようにしてあげないとね」
「次の……恋、ですか?」
「ええ」
早苗さんは頷くと、きょとんとしている俺の額をちょんとつついた。
「男の子、でしょ?」
「……はい」
「よろしい。ふふっ」
頷いた俺に、早苗さんは暖かな笑顔を見せてくれた。
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あとがき
こちらはかぁるちゃんらぶらぶのAシリーズの26話です〜(笑)
でも、このままみらいちゃん本当に退場してしまいます(苦笑)
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.26-A 00/10/16 Up