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「みらいちゃんも来てくださるとしまして……」
To be continued...
指折り数えて、更紗ちゃんはぽんと手を叩いた。
「そうそう。翠さんにもお聞きしないといけませんね」
「あたしがどうしたの?」
カチャ
タイミングよくドアが開いて翠さんが入ってきた。そして、かおるに視線を向けて首を傾げる。
「あれ? かおるちゃん、どしたの、それ?」
「あはは、イメチェンです」
「なる〜。ふむふむ、そういうことね。なーるほどねぇ」
俺とかおるを見比べてうんうんと頷くと、翠さんはくるっと背を向けて休憩室を出ていった。
慌ててかおるが廊下に顔を出して叫ぶ。
「あのっ、そういうんじゃないですよっ!! 違うんですからっ!」
……まぁ、そういうことになったんだよな。
と、不意にかおるが後ずさって部屋に戻ってきた。
「お、おはよう、志緒ちゃん」
あ。
「おはよっ」
そう言って、志緒ちゃんが休憩室に入ってきた。俺の姿を見て、立ち止まると手招きする。
「恭一くん、ちょうどよかった。ちょっと、いいかな?」
「えっ? あ、うん」
俺は頷いて、立ち上がった。
ちょうど一昨日の夜、俺が志緒ちゃんに「別れ」を切り出したのと同じ場所で、俺達は向かい合っていた。
「えっと……、まず、ごめんっ」
志緒ちゃんは、ぺこりと頭を下げた。それから、顔を上げる。
「あのね、ボク、恭一くんにああ言われて、色々考えたんだけど、なんだか全然判らなくなっちゃって……。それで、さくらに相談したんだ」
「さくらちゃんに?」
「うん。そしたら、怒られちゃった」
志緒ちゃんは、ふぅとため息をひとつついた。
「ボクが全然恭一くんのことを考えてないって。そんなのは恋愛じゃないって」
「恋愛……?」
「うん。お父さんとお母さんや、お兄ちゃんとお義姉ちゃんみたいに、お互いを思いやるのが恋愛なんだってさくらは言ってた。ボクのは恋愛じゃなくて、恋愛ごっこだって……」
「……」
「だからね、やっぱり今は一度元に戻した方がいいよって。このままずるずる付き合ってても、不幸な終わり方するだけだから、むしろ恭一くんに感謝しなさいって」
そう言うと、志緒ちゃんはくすっと笑った。
「それからボクもまた考えたんだけど、さくらの言うとおりだと思った。……ボク、恭一くんがどう思ってるか、とかあんまり考えてなかったんだなって思って……。だから、ごめん」
もう一度ぺこりと頭を下げる志緒ちゃん。
「いや、俺のほうこそ……」
「それでね」
俺の言葉を遮るように、志緒ちゃんは頭を上げた。
「ボク、しばらく考えてみようと思うんだ。ボクは本当に恭一くんのことが好きなのかって。それで、本当に好きなんだって判ったら、その時もう一度アタックしてみる。そう決めたんだ」
「……そ、そうなの?」
「うん。だから、とりあえずよろしくね」
志緒ちゃんはにこっと笑った。それから、時計を見て声をあげる。
「あーっ、いっけない! もう仕事の時間だよっ!」
「え、もう?」
「ほらほら、急がないとっ!」
志緒ちゃんは俺の背中を押すようにして駆け出した。
志緒ちゃんと並んでフロアに出てくると、店長さんが俺達を見て一言。
「遅いぞ、2人とも」
「すみません」
「ごめん、おにいちゃ……じゃなくて、すみません、店長」
頭を下げてから、志緒ちゃんは俺にぺろっと舌を出して見せた。俺も苦笑する。
店長さんはそんな俺達を見てから、俺に声を掛けた。
「それから恭一くん、今はフロアはいいから、倉庫の方手伝ってくれないか?」
「あ、はい。わかりました」
俺は頷いた。
俺と店長さんは、倉庫に入ると、荷物を整理し始めた。
しばらくしてから、店長さんが棚の整理をしながら言う。
「恭一くん」
「はい、なんですか?」
仕事の指示かと思って手を止めた俺に、店長さんは棚の中を整理しながら言った。
「志緒のことなんだが……」
「……はい」
一瞬、どう返事をしていいか判らなくて、とりあえず無難な返事をした。
「君のことは、まだ短い間だけど、店長としては一応見てきたつもりだ。その評価としては、信用してもいいと思っている。だからこうして頼むんだけど……」
店長は手を止めると、俺に向き直った。
「あいつは、ずっと学校が私立の女子校だったし、学校とキャロットしか世界を知らない。だから、なんていうかな、人との、特に男性との接し方も、マニュアル以上のことは知らない、っていう部分があるんだ」
「はぁ……」
俺が要領を得ない顔をしていると、店長は苦笑した。
「親父も志保さんもあの2人を猫可愛がりしててね」
志保さんって、本店のマネージャーさんで、志緒ちゃん達のお母さん、だよな?
あれ? でも……。
「でも、志緒ちゃん、いろんな店でバイトしてたんでしょう?」
「確かに。でも、今までいろんな店を回ってきたとは言っても、各店ともそれなりに特別なシフトを引いたりして、同じ年代の男性と一緒に働いたっていう経験はないんだ。やっぱりグループのオーナーの娘に何か問題があったら大変だ、っていう意識はあって当然だろうし」
なるほど。その点、店長さんはそのオーナーの息子だから、そういう余計な配慮とは無縁だってわけか。
「で、だ」
店長は俺をまっすぐに見た。
「さくらはどうだかまだ判らないが、志緒はどうやら君に興味を抱いているらしい。だけどそれは、まだ好意とは言えない。そういう微妙な思いだ」
「……はい」
「一応兄としては、妹のそんな思いをとりあえずは見守ってあげようと思ってる。だから、君には……志緒と付き合え、なんて言わない。ただ、いい加減な態度で志緒を傷つけるようなことをしたら、兄として君を許すことはできない」
「……」
「あくまでも、兄として、だけどね」
俺が無言でいると、店長さんはちょっと照れくさそうにそう言うと、棚に向き直った。
「さて、それじゃ仕事の続きだ。恭一くん、そこが終わったら、ジャガイモの袋をそっちに持っていってくれないか?」
「あ、はい。わかりました」
休憩時間になって、俺が腰を叩きながら休憩室に戻ってくると、翠さんがかおるをスケッチしていた。
「あら、お帰りなさいまし。……どうなさったんですか?」
更紗ちゃんが俺を見て訊ねた。
「うう、倉庫整理が……」
「まぁ、大変ですね。腰をお揉みしましょうか?」
「更紗ちゃんが良ければお願いします……」
「恭一っ……」
「こらっ! そこ、動いちゃだめっ!」
立ち上がりかけたかおるは、翠さんにびしっと鉛筆を突きつけられて、しぶしぶ元の姿勢に戻った。
俺は椅子を4つ並べてその上にうつ伏せに寝そべった。
「それでは、失礼いたしますね」
更紗ちゃんはそう言うと、腰の辺りをマッサージしてくれる。
「くぅっ、そ、そこっ、効くなぁ〜」
「そうですかぁ。ここはどうですか?」
「うぉっ、そこも……」
「……恭一、あんたねぇ〜」
「ほら、動かない」
「……はい」
と、ドアが開いて志緒ちゃんが飛び込んできた。
「ごめん、フロアに誰かヘルプで入ってって!」
「オッケー、それじゃあたしが行くわ」
鉛筆を置いて翠さんが立ち上がる。
「それじゃあたしも!」
かおるも立ち上がると、通りすがりに俺の背中に思いっきり肘打ちを叩き下ろした。
がきっ
「ぐはぁっ……がく」
「きゃぁ、恭一さん、大丈夫ですか?」
「……もうすぐ死ぬ……」
「……ふん、だ」
そっぽをむいて休憩室を出ていくかおる。
志緒ちゃんがそれを見送ってから、おそるおそる俺に訊ねた。
「……ひょっとしてボク、なんかタイミング悪かった?」
「いや、志緒ちゃんに罪は、ない」
「そ、そう? あ、いけない。それじゃごめんねっ」
志緒ちゃんはドアを閉めて出ていった。
「……更紗ちゃん、背中もマッサージお願い……」
「はい、わかりました」
更紗ちゃんはにっこり笑って頷いた。
更紗ちゃんのマッサージを受けてから、夕飯を食って、俺もフロアに出た。
もう何日もやってるおかげで、キャッシャーの仕事もだいぶ慣れてきた。
「消費税込みで2546円になります。ありがとうございました〜」
客を送り出して、とりあえず波が途切れたところで一息ついていると、お盆を胸に抱いたかおるが駆け寄ってきた。
「あ、恭一。さっきは、えっと、ごめん」
……かおるが素直に謝るなんて、ちょっと不気味だ。
「なにかたくらんでる?」
「なんでよっ」
ぷっとふくれるかおる。この方がかおるらしいといえばかおるらしい。
「せっかく、さっきはちょっとは悪かったかな、って思ったから謝ってあげたのに。いいわよ、もう二度と謝ってあげないから」
「あのな……」
と、そこに客が入ってきた。
「あっ、いらっしゃいませ〜」
かおるがそっちに駆け寄り、俺はほっとため息を付いた。
「ああ、どうして俺はこう素直になれないんだろう。恭一はそんな自分を恨めしく思うのだった」
「……翠さん、変なナレーション入れないでください」
振り返ると、今日は同じキャッシャーをしている翠さんがくすくす笑っていた。
「ごめんごめん。いやぁ、いいなぁ若いって」
「翠さんだって若いでしょ?」
「ふふっ。そういうことは葵さんや涼子さんに言ってあげなさいよ」
そう言って微笑むと、翠さんはフロアに視線を向けた。
かおるがさっき入ってきた客にメニューを手渡している。
「かおるちゃんが髪を切った、か。なるほどねぇ」
「なるほどって、何がです?」
俺が訊ねると、翠さんは肩をすくめた。
「それくらい、自分で考えなさい。男の子でしょ?」
「……はぁ」
と、そこに、今度は志緒ちゃんがひょこんと顔を出す。
「ねぇ、恭一くん。あのね……」
「志緒ちゃん、仕事中よ」
志緒ちゃんの背後から涼子さんがクリップボードを片手に言う。
「うひゃっ、すみませーん」
慌てて踵を返す志緒ちゃん。
「さて、あたしも仕事仕事……」
「ところで翠ちゃん、若いがどうかしたのかしら?」
うぉ、涼子さん地獄耳。
「ええっ? な、なんのことですか?」
「あたしにも何か聞こえた気がするんだけど……」
うお、葵さんまでっ!
「あーえっと、あっほらお客様ですよっ!」
翠さんがばっと指さす方向に2人はくるっと振り返ると、笑顔でお辞儀する。
「いらっしゃいませ〜。Pia☆キャロットへようこそ〜」
……いつも通りの挨拶なんだけど、なんか妙な迫力が籠もってるのは気のせいか?
俺がびくっと引きつっていると、翠さんがぽんと俺の肩を叩いた。
「後は任せた、少年っ」
「あっ、翠さんっ!」
俺が呼びかけるよりも早く、翠さんは2人に見えないようにカウンターの中を中腰のまますすっと奧に入っていってしまった。
お客さんを涼子さんに任せた葵さんがこっちに向き直ると、既に翠さんの姿はない。
「ちっ、逃げられたか……」
呟くと、じろりと俺を見る。
「は、はい、なんですか?」
「ううん。後で翠ちゃんが来たら、今夜飲みに来ないかって言ってたって伝えておいてね」
にっこり笑って去っていく葵さん。でも、なんか額に血管浮いてたような……。気のせいだよな、きっと。
今日の仕事もとりあえず終わり、着替えてから休憩室に顔を出すと、更紗ちゃんが俺に駆け寄ってきた。
「あ、恭一さん。翠さんも来てくださるそうですよ」
「え? ああ、別荘の話ね」
「はい」
笑顔で頷く更紗ちゃん。
俺は部屋を見回した。
「で、その翠さんは?」
「……さぁ」
「翠さんだったら、仕事が終わるなり速攻で帰っちゃったわよ」
かりんとうを摘みながら答えるかおる。
「なんか青い顔してたけど、なんかあったのかな?」
「さぁ」
俺は全てを忘却した。
と、
「あ、ああああのあの……」
不意に後ろから小さな声がした。振り返るとみらいちゃんが俺の服の裾を掴んでいた。
「や。みらいちゃんも仕事上がり?」
「あっ、はい。あ、あのっ、それで、その……」
「……?」
俺が首を傾げていると、更紗ちゃんがにっこり微笑んで言った。
「みらいちゃんは恭一さんに駅まで送って欲しいんですよね?」
「……」
ぼっと耳まで真っ赤になると、俯くみらいちゃん。
俺はかおるに視線を向けた。
「えっと……」
「あたしはいいから、送ってあげなさい。ただし、変なコトしないように」
「なんだよ、それ」
苦笑して、俺はみらいちゃんに話しかけた。
「それじゃ行こうか?」
「あっ、はいっ」
嬉しそうにみらいちゃんは頷いた。
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あとがき
……うそつきになってしまった……。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.25 00/7/10 Up