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Pia☆キャロットへようこそ2014 
Sect.22

 俺が奧に駆け込んだときには、もう廊下にかおると葵さんの姿はなかった。
 休憩室かな?、と思ってドアをノックしてみたけど、返事がない。思い切ってドアを開けてみたが、やっぱり中には誰もいなかった。
 かおると葵さん、どこに行ったんだろう?
 休憩室のドアを閉めて、左右を見回したとき、不意に、微かな声が聞こえてきた。
「かおるちゃん、今日のあなた、変よ。何かあったの?」
 その声のした方を見る。
 ……女子更衣室?
 あ、そうか。制服が汚れたから、着替えてるのか。
 でも、葵さんとかおるの話……。気になるな……。
 俺は、女子更衣室のドアの横に立って、耳を澄ませた。
「……いえ、別になにもないです……」
 かおるの返事は、ともすれば聞き逃しそうになるほど弱々しかった。
「……そう? ま、言いたくないならいいけど」
 葵さんがそう言うと、そのまま沈黙が流れる。
 ……やっぱり、立ち聞きは良くないな。よし。
 俺は、ドアをノックしようと手を持ち上げた。
 その手が停まったのは、また葵さんの声が聞こえたから。
「私ね、昔、店長のことが好きだったのよ」
「えっ?」
 驚いたようなかおるの声。
 店長って、うちの店長さんか?
「あ、やっぱりかおるちゃんも知らなかったか。あははっ」
「えっと、はい……」
「……そうね。もちろん今もすてきな人だけど、あの頃はもっと、ね」
「あの頃って?」
「あたしがキャロットに入った頃よ。ちょうど、この2号店ができたばっかりの頃……」
 そっか、葵さんって、そんな昔からいるんだ。
「でも、あたしが店長に知り合ったとき、もう店長はさとみさんと付き合っていたわ。何度も思ったわ。どうして、もっと早く出逢えなかったんだろうって」
 さとみさんって、今の本店のマネージャーさんだよな。確か志緒ちゃんがそう言ってた覚えがある。
「……葵さん? あの、どうしてそんなことを……?」
「かおるちゃんを見てると、あの頃のあたしを思い出すのよね」
 かおると葵さん……。似てる、と言えなくもないかも知れない。胸はともかく。
 ……なんてことをかおるの前で言ったら、多分殺されるな。
「あたし……ですか?」
「そ。恭一くんになかなか本心を言えなかったりするところなんて」
 ……俺に、本心を? 何のことだ?
 ガシャン
 何かが倒れるような音。察するに、座っていた折り畳み椅子をひっくり返しながらかおるが立ち上がった、というところか。
 慌てふためくかおるの声が聞こえる。
「あ、あたしはそんなことぜんっぜんっ!!」
「ん……。それじゃ、お姉さんの一般論だと思って聞いてくれればいいわよ」
そこで言葉を切ると、葵さんは言った。
「ま、とりあえず座りなさいよ」
「……はい」
 ガシャガシャ、と椅子を起こす音がした。それから、葵さんは言葉を続けた。
「恋愛ってね、早い者勝ちっていう面もあるのよ。もちろん、それだけじゃないけど、でも後からっていうのは難しいものよ。だから、ちょっとでも出遅れたって思ったら、うじうじ悩んでいないで、すぐに行動に移すこと」
「すぐに……?」
「そう。時間は止まってくれないのよ」
「……」
 暫く沈黙が続き、葵さんが言った。
「さて、と。それじゃあたしは仕事に戻るわね。かおるちゃんはもう少し、休んでてもいいわよ」
「えっ? でも……」
「いいからいいから。さってと、お仕事お仕事、っと」
 わっ、出てくるっ!
 俺は慌ててその場を離れて、休憩室に飛び込んだので、廊下に出てきた葵さんの呟きは聞き損ねた。

「……これがあたしからの、最後のアドバイス……かな?」

 カチャ
 休憩室のドアが開いて、かおるが入ってきた。顔を上げて、俺に気付く。
「あ……」
「よ、よう」
 俺は笑顔を作って、片手を上げて挨拶した。
「……うん」
 かおるは、椅子に座った。
「えっと、その、大丈夫だったか?」
「あ、……うん」
 こくりと頷くかおる。……やっぱり、いつもと違って元気がないな。俯いたまま俺と視線を合わせようともしないし。
 話題が思いつかず、俺はそのまま何も言えずに黙り込んでいた。
 沈黙が休憩室に流れる。
 い、いかん、何か話さないと。
「あ、あの……」
「恭一……」
 思い切って口を開いたら、かおると言葉がだぶった。かおるが一瞬俺をちらっと見て、また黙り込んでしまう。
「……何だよ?」
「そっちこそ……」
 また、沈黙。
 うーっ、気まずい。
 と言っても、ここで出ていくのも何だし……。よし。
「かおる、その制服、予備のか?」
「……うん」
 ……以上、会話終了。
 うがーっ!!
 俺は内心で頭を掻きむしった。
 でも、何を話せばいいんだよ?
 いつものかおる相手なら、雑談の内容には事欠かないんだけど、目の前にいるかおるはいつものかおるじゃないし……。
 改めてかおるを見つめて、俺ははっとした。
 ……こいつ、こんなに小さかったっけ?
 予備の制服がちょっと大きめのサイズしかなかったのか、ちょっとぶかぶか気味だった。そのために、かおるが余計に小さく見えたのかもしれない。
 だけど、その時のかおるは、本当に小さく見えた。
「……恭一」
 不意にかおるが口を開いて、俺は我に返る。
「な、なんだよ?」
「あのね……」
 かおるは顔を上げた。それから、また俯いて口ごもる。
「えっと……」
「……?」
「あたし……、あたしね……」
「……お、おう」
 と、かおるはがばっと顔を上げた。ポニーテイルがその動きに連れてぴょこんと動く。
「あたし、寮を出る!」
「……はい?」
 思わず聞き返す俺。
「だ、だって、恭一には志緒ちゃんって恋人が出来たし、あたしがそばにいる必要、もう無くなっちゃったし……」
「……」
「だから、あたしが寮にいる必要も無くなっちゃったから……」
 三度俯くかおる。
「……ごめんね、恭一……」
 ガタン
 急な物音に驚いて顔を上げるかおる。
 俺は椅子を蹴倒すように立ち上がっていた。
「かおるはそれでいいのか?」
「……えっ!?」
 あれ?
「それでいいのかよっ!」
 な、何を言ってるんだ、俺は?
 かおるも驚いた顔をしていたけど、多分一番驚いたのは俺自身だった。
 でも、口が止まらなかった。
「俺は、お前がいてくれないと嫌なんだよっ! お前が毎朝起こしに来てくれないと困るんだよっ!」
「き、恭一っ!?」
 かおるが立ち上がる。驚きのあまりか、いつもの調子に戻って俺に言い返す。
「あんた何言ってんのよ、馬鹿っ!!」
「ああ、馬鹿だよっ! 馬鹿だから、今の今まで気付かなかったんだからなっ! 俺は……」
 俺は言葉を切った。そして大きく深呼吸して、告げた。
「俺は、かおるが好きだ」
 ……って、なにぃっ! そうだったのかぁっ!?
 俺自身が、自分の口から出た言葉にびびりまくっていた。
「……うそ」
 かおるは、惚けたような顔をしていた。
「な、なに冗談言って……んのよ」
「かおる……」
「あんたなんて……」
 かおるは、つっと顔を逸らした。そして呟く。
「好きでもなんでもないんだから」
「かおる……」
「……ごめん」
 その肩を掴もうと伸ばした右手が、かおるの一言で動かせなくなる。
 かおるは俺に背を向けた。そのまま、明るい声で言う。
「あたし、フロアに出なくちゃ。恭一もキャッシャーでしょ? ほら、急がないと涼子さんに叱られるわよ」
「……」
「じゃ」
 かおるはドアに手を掛けて開いた。そして、休憩室を出ていった。
 パタン
 ドアが閉まった。

 その後、俺もキャッシャーに戻ったけれど、何をやっているのか自分でもよく判らなかった。多分、美奈さんがいてくれなかったら、とんでもないことになっていただろう。
 あれから、かおるの方を見ることが出来なかったから、あいつの様子も全然知らない。
 夜は、涼子さんにお願いして、倉庫整理にシフトを変えてもらった。かおるの姿を見たくなかったから。

「……というわけで、今週は大過なく……」
 仕事が終わり、木曜恒例のミーティング。仕事は休みだった店長さんや志緒ちゃん、みらいちゃんも来て、全員が顔を揃えている。
 涼子さんが、クリップボードを片手に今週の報告を終わらせたところで、店長さんが立ち上がった。
「今日は、みんなへのお知らせが2つある。まず、一つ目だけど、皆瀬くん」
「はい」
 葵さんが立ち上がって、店長の隣まで行く。
 店長さんは皆に向かって言った。
「ずっとこの2号店でフロア統括として働いてくれていた皆瀬くんだが、9月1日付けで、今度新しく太刀川にオープンするPia☆キャロット12号店のマネージャーに就任することになった」
 ぺこりと頭を下げる葵さん。
「えーと、長らくお世話になりました」
 一拍置いて、大騒ぎになった。
「ええーっ!?」
「なんでぇっ!」
「まぁ……」
「ちょ、ちょっと葵! それどういうことっ!?」
 涼子さんが思わず立ち上がって詰め寄ると、葵さんは苦笑した。
「ごめん、涼子。でも、もう決めたの……」
「どうして私に相談してくれなかったの?」
「涼子くん、まだミーティング中だよ」
 店長さんに言われて、涼子さんははっとして、「すみません」と頭を下げ、椅子に座り直した。店長さんは皆を見回した。
「みんなも色々と言いたいことがあるだろうけど、それは後にしてくれないかな? とりあえず話を続けさせてくれ」
「……」
 皆が静かになったところで、店長さんは言った。
「それで、皆瀬くんに代わってのフロアチーフだが、……日野森くん」
「えっ? あ、はいっ!」
 慌てて立ち上がる美奈さんに、店長さんは言った。
「君に新しいフロアチーフになってもらおうと思う」
「美奈がですか? えっと、でも……」
「皆瀬くんの推薦でもあるし、それに僕も君が一番適任だと思っているよ」
 店長さんにそう言われて、美奈さんはこくりと頷いた。
「わかりました。美奈、一生懸命頑張ります」
「頼むよ。それから、寮長はとりあえず双葉くんに引き継いでもらいたい。いいかな?」
「……はい、わかりました」
 涼子さんは、頷いた。
「よし、それじゃ2人は来月中に皆瀬くんから業務の引継を行ってくれ。さて、と」
 店長さんは涼子さんに視線を向けた。涼子さんは頷いた。
「準備は出来てます」
「よし。それじゃ、みんなにもう一つの報告をしようか。もちろん、皆が知っての通り、明日から8月になる」
「あっ、そっか」
 翠さんがポンと手を打った。
「制服のローテーションですね」
 そう言えば、ここって、3種類の制服を使っているって言ってたな。そっか、変えるのか……。
「……いや」
 ところが、店長さんは首を振った。女の子達が、不思議そうな顔をする。
 店長さんは言った。
「皆には始めて知らせることになるが、今回は新しいデザインの制服を用意したんだ」
「えーっ!?」
 再び、店内は大騒ぎになった。

 ミーティングが終わり、みんなが一斉に葵さんに駆け寄ってあれこれ質問責めにし始めたところで、俺は志緒ちゃんに声をかけた。
「志緒ちゃん……」
「あ、恭一くん。どうしたの?」
「ちょっと、いいかな?」
「うん、いいけど……。なんか元気ないね。どうしたの?」
 小首を傾げて俺の顔をのぞき込む志緒ちゃん。
 俺は無言で、フロアから出た。
「あっ、ちょっと恭一くんっ! 待ってよっ!」
 慌てて、志緒ちゃんは俺の後を追ってきた。

 休憩室前の廊下で、俺は立ち止まると振り返った。
「志緒ちゃん、その……」
「うん、どうしたの?」
 無邪気に訊ねる志緒ちゃんに、俺はがばっと頭を下げる。
「ごめんっ!」
「えっ? なになに?」
「俺、何も考えずに志緒ちゃんと付き合うなんて答えちゃったけど、でも、やっぱり違うと思うんだ」
「……え?」
「だから、やっぱり俺は……、志緒ちゃんとは、今のままじゃ、付き合えないよ」
 俺は顔を上げた。きょとんとしている志緒ちゃん。
「ボク、何か悪いこと、したのかな?」
「いや、志緒ちゃんが悪いんじゃない。悪いのは俺の方で……」
「だって、恭一くん、誰とも付き合ってないし、好きな人もいないって……。あれ、嘘だったの!?」
「……ごめん」
 もう一度頭を下げた。
「俺自身、判ってなかったんだ。誰が好きなのかってことが」
「……本当は、好きな人がいたんだってこと? そんなの……」
 志緒ちゃんは俯いた。そして、呟いた。
「……そっか。これが、……ふられるってこと、なんだね」
「……ごめん」
「……ううん。ボク、今日は帰る。帰って、もう一度考えてみる」
 顔を上げると、志緒ちゃんは微笑んだ。
「お休み、恭一くん」
「あ、ああ……」
 身を翻して、志緒ちゃんはフロアの方に戻っていった。店長さんの声が聞こえる。
「ああ、志緒。ここにいたのか。そろそろ帰るぞ。……志緒?」
「ごめん、お兄ちゃん。ボク、今日は電車で帰るから……」
「あ、志緒っ!」
 俺は、廊下の壁にもたれ掛かった。そして呟いた。
「……帰るか」

 カチャ
 従業員用出口のドアを開けると、外はまだ蒸し暑かった。
 俺は大きくため息をつき、空を見上げた。
 曇っているらしく、星一つ見えない。ただ、真っ暗な空が広がっていた。
「これから、どうなるんだろうな……」
 その夜空に向かって呟いて、俺は歩き出そうとした。
「あっ、あのっ!」
 後ろから声が聞こえ、振り返ると、そこにはみらいちゃんが立っていた。
「やぁ」
 俺は軽く片手を上げると、そのまま背を向けた。
「あのっ、恭一さん、一緒に……」
「ごめん、今日はちょっと……。駅までなら、翠さんに送ってもらえば……」
「……そ、そうですか……。ごめんなさい」
 しょんぼりとした声で言うと、みらいちゃんは店内に戻っていった。
 悪いことしたかな。
 でも、今は1人になりたかった。
 ジーンズのポケットに手を突っ込んで歩き出す。  と、
 ポツリ
 鼻先に冷たいものが落ちてきた。
 ……雨、か。
 見る間に雨粒が、地面に叩きつけるように降り始めた。
 俺はその雨の中、1人、歩き続けた。

 そして、カレンダーが1枚めくられ、8月に入った。
 いよいよ、夏は本番を迎える。

To be continued...

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あとがき
 ええっと、とりあえず今回で7月が終わりです。
 なんか自分でも思いも寄らぬ急展開になりましたが。

 ともあれ、ここでちょっと読者の皆さんの反応をじっくりと見極めて、続きを書くかどうか考えたいと思います。
PS
 小渕前首相の訃報を聞きました。ご冥福をお祈りします。
 ……って、こんなPSばかり書いてるなぁ(苦笑) もうちょっと明るい話も書きたいものです。

PS2
 と思ってたら、今度は俳優の三浦洋一氏の訃報に接しました。こちらもご冥福をお祈りします。

 Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.22 00/5/15 Up 00/5/21 Update

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