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微睡みの中をゆっくりと浮上していく感覚。
TO BE CONTINUED?
目が覚めると、カーテンの隙間から光が漏れている。
昨日の朝も感じた違和感の正体が、今日ははっきりと判る。
……今日も、かおるの奴、起こしに来なかったな。
なんとはなしに、壁に掛かっているカレンダーを見る。
7月31日。早いもので、もう7月も終わりだ。
ぐたーっとしててもしょうがないので、とりあえず起き上がると、顔を洗う。
少しはサッパリしたところで、何とはなしに玄関のドアを開けてみた。
「きゃっ!」
「わっ!」
いきなり小さな悲鳴が上がって、俺も思わず半歩下がった。
そこにいたのは、かおるだった。
「か、かおるか。びっくりした」
「ご、ごめん……」
そう言って俯くかおる。うーん、いつもなら「あたしの方がびっくりしたわよっ、この変態!」とか叫んでハリセンで殴りかかってきそうなものなんだが。
「どうしたんだ?」
「あ、えっとね、その……」
と、
トルルルル、トルルルル、トルルルル
電話が鳴り出した。
「あ、ちょっと待ってな」
俺はかおるにそう言って、部屋の中にとって返すと、受話器を取った。
『おはよっ、恭一くん!』
「あ、なんだ、志緒ちゃんか」
『うぐぅ、いきなりなんだとはひどいよぉ。ボク傷ついた』
「あ、ご、ごめん」
『嘘々、冗談だよっ。恭一くん、今起きたところなの?』
「ああ。志緒ちゃんもそうなの?」
『うん。ホントはもう少し寝てたかったけど、恭一くんにモーニングコールかけないといけないから、ちゃんと起きたんだよ。えへへっ』
パタン
ドアが閉まる音がした。顔を上げると、かおるの姿はなかった。
「……?」
『もしもーし。どうしたの、恭一くん?』
受話器の向こうから志緒ちゃんの声が聞こえて、俺ははっと我に返った。
「あ、ごめん、なんでもない」
『そう? あ、それより、今日ボク休みなんだよ。明日は恭一くん休みでしょ? うーっ、2日間も逢えないなんて寂しいなぁ』
「ああ、そうなるんだ」
『ボクに逢えないからって、浮気しちゃやだよ』
「あ、でも今夜はミーティングだから逢えるんじゃないかな?」
『あ、そっかぁ。よかったぁ。あはっ』
嬉しそうな声を挙げる志緒ちゃん。
その声に俺も思わず笑みを漏らしていた。
トントン、トントン
かおるの部屋のドアを叩いてみたけれど、返事がない。
……いないのか?
志緒ちゃんとの電話を切って、やっぱりさっきのかおるの様子が気になったので、部屋にまで来てみたんだけど。
「かおる〜、いないのか〜?」
声を掛けながらもう一度叩いてみたけど、やっぱり返事はない。
どうやら、出かけてるみたいだな。
俺はため息をついて、ドアに背を向けた。
何をする気にもなれず、さりとて部屋でぼーっとしているのもなんかしょうがないなと思ったので、俺はキャロットに向かった。
中に入ると、冷たい空気と涼子さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。あら、恭一くん。おはよう」
「おはようございます。あの、何かお手伝いすることありますか?」
「えっ?」
「いえ、ちょっと予定がキャンセルになって暇なもので」
どうせ午前中はかおるが押し掛けてきて勉強会になるんだろうな、と思っていたせいもあって、午前中は何をする予定も入れてなかったのは事実だから、嘘付いているわけじゃないよな。
自分にそう言い聞かせるように、涼子さんに視線を向ける。
それを知ってか知らずか、涼子さんは笑顔で頷いた。
「それなら、手伝って欲しいことがあるんだけど。あ、もちろんちゃんとバイト料は精算するわよ」
「はい、お願いします」
「よかった。今日は店長がお休みだから、七海ちゃんにやってもらおうかと思ってたけど、やっぱり女の子に力仕事っていうのはねぇ」
……ってことは、倉庫絡みっすか?
ちょっと後悔してしまった俺だった。
「もうすぐ、本店から荷物が届くから、それを女子更衣室の前まで運んで欲しいのよ」
事務室で仕事の内容を聞いた俺は、涼子さんに聞き返した。
「女子更衣室の前、ですか?」
「本当は中まで、って言いたいところだけど、さすがにそれはちょっとね」
にこっと笑って言う涼子さん。確かにそれはそうだ。でも……。
「女子更衣室に運ぶ荷物って事は、制服ですか? でも、今までなかったですよね、そんなこと」
「ま、今夜のミーティングで発表するから、みんなには内緒ですよ」
ウィンクする涼子さん。俺はこくりと頷いた。
「秘密は厳守します」
「よろしい。それじゃ……」
「ちわーっす。本店から来たんですが〜」
運転手のおじさんが入ってきた。涼子さんが頷いて立ち上がる。
「ご苦労様。それじゃ、恭一くん。お願いね」
「あ、はい」
俺も涼子さんに続いて事務室を出た。
大きめの段ボール箱はそれなりの重さがあった。それを女子更衣室の前にどすんと置いて、俺は一息ついた。
「ここでいいんですか〜?」
「ええ。あとは七海ちゃんにやってもらうから。それじゃ続いて店の前の掃除をお願いできるかしら?」
ぐわ。
と、そこに私服の美奈さんが入ってきた。
「おはようございまーす。あれ? 恭一くん、お昼からじゃなかったの?」
「あ、まぁちょっと暇だったんで」
「そうなんだ。偉い偉い」
俺の頭を撫でると、美奈さんは箱に視線を向けた。
「それで、この箱は?」
「さ、さぁ」
「今日のミーティングで発表するから、今はまだ秘密よ」
涼子さんが俺の後ろから言うと、美奈さんは頷いた。
「わかりましたぁ。それじゃ、着替えてきますね」
そう言って女子更衣室に入っていく美奈さん。
俺は深呼吸して気合いを入れ直す。
「よしっ。それじゃ柳井恭一、表の掃除に行って来ますっ!」
「よろしくね」
涼子さんは笑顔で見送ってくれた。……とほほ。
シャッ、シャッ、シャッ
「……ふぅ」
箒を持つ手を止めて、額の汗を拭うと、俺はぎらぎらと容赦なく照らしている太陽を見上げた。
「これじゃ熱射病になっちまうなぁ」
「表の掃除はこまめに休みを入れないとだめですよ」
その声に振り返ると、私服の縁さんが立っていた。
「あ、縁さん。おはようございます」
「おはようございます、恭一くん。午前中から来てるっていうことは、ヘルプなんですか?」
「まぁ、似たようなもんですけど……」
縁さんは、すたすたと近寄ってくると、俺の額にピタリと手を当てた。
あ、柔らかくて冷たくて気持ちいい……。
「やっぱり、ちょっと体温が上がってますね。休んで、水分を取ったほうがいいと思いますよ」
「そうですか?」
と、そこに美奈さんが出てきた。
「恭一さん、交替に来ましたぁ。あ、早苗さん、おはようございます」
「おはようございます、美奈さん。ちょうどよかった。今恭一さんに交替してもらうように言っていたところなんですよ」
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃって。後は美奈にお任せ。ね?」
美奈さんにそう言われて、俺は頷いた。
「それじゃ、お願いします」
休憩室でぼーっとしていると、目の前にコップが差し出された。
「はい、これを飲んでください」
「えっ?」
顔を上げると、いつもの内勤服(ディッシュ専任の縁さんが着ている作業着を、正式にはこう呼ぶそうだ)に着替えた縁さんが笑顔で立っていた。
コップの中には、ちょっと薄い黄色がかった水が入っている。
「これは?」
「スポーツドリンクですよ。吸収率がいいし、胃にも優しいですから。冷たくはないけれど、あんまり冷たいと胃腸にも悪いですから」
なるほど。
「すみません。それじゃ遠慮なく」
俺はコップの中のスポーツドリンクを飲み干した。ちょっとレモン風味。
そういえば、縁さんには、以前に怪我の治療もしてもらったことがあるけど、あれも手慣れてたなぁ。
「縁さん、昔なにかしてたんですか?」
縁さんは、ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「高校の頃、バスケをちょっと」
なるほど、運動部の出身だったのなら、そういうことに詳しいのもわかる。
俺が頷いていると、縁さんは立ち上がった。
「そ、それじゃ私は仕事ですから」
「あ、すみませんでした」
「いえ」
最後に笑顔を残して、縁さんは休憩室を出ていった。
そのまま午前一杯は倉庫整理なんかして、昼休みに入った。
休憩室に入ると、ちょうど七海が昼ご飯を食べているところだった。
「やぁ、七海」
「ああ、恭一か。今日は早いんだな」
ちらっと俺を見てそう言うと、トレイの方に注意を戻す七海。
俺は椅子を引っ張ってきて、七海の前に座って話しかけた。
「七海、あのさ……」
カチャ
その時、ドアが開いて、かおるが入って来かけた。
「あ……」
振り返った俺と視線が合うと、かおるはくるっと踵を返して出ていく。
「……?」
俺がきょとんとしていると、後ろから七海が言った。
「おい、なにぼーっとしてんだよっ!」
「えっ? 何を?」
「……はぁ」
ため息を付くと、七海は「なんでもない」と手を振ってトレイに戻った。
……やっぱり変だ。
午後。俺はキャッシャーをしながら、フロアで働くかおるを視線で追っていた。
キャッシャーを始めて3日もたって、さすがに慣れてきたので、フロアに目を向ける余裕も出来てきたわけだ。
それはともかく。
なんか、らしくない。いつもは必要以上に元気な奴なのに、今日はずっとうなだれてるみたいに見える。
「すいませーん」
「……」
「かおるちゃん、お客さんっ!」
「えっ、あ、はいっ!」
食器を片付けていた翠さんに小声で言われて、かおるは慌てて振り返った。
あっ!
「きゃっ!」
「わっ!」
ガッシャーン
派手な音が鳴り響き、店の中にいた全員が何事かとそっちを見る。
ちょうど、料理を運んでいた葵さんに、かおるが振り向きざまに衝突したのだ。
辺りには、葵さんが運んでいたパスタが散乱する。
「ご、ごめんなさいっ」
かおるは慌てて、こぼれたパスタを手で拾い集めようとする。だが、当然出来たてのパスタは熱い。
「あちっ」
慌てて手を引っ込めるかおる。
あの馬鹿っ!
俺は、レジの前から飛び出し掛けた。
「恭一くん! あなたは、キャッシャー担当でしょう?」
「……涼子さん」
俺の前に通せんぼをするように立っていたのは涼子さんだった。
「レジを預かる人がレジから離れてどうするの?」
「……すみません」
言われてみればその通りなので、俺は素直に謝った。
涼子さんは続いてその場に駆け寄った。
「かおるちゃん、大丈夫?」
「あのね、あたしはいいわけ?」
苦笑しながら葵さんは立ち上がった。そこに、モップを持った更紗ちゃんとさくらちゃん、ちりとりを持った七海が駆け寄る。
「あとはあたい達がやっとくから、2人は着替えて来なよ」
「ん、それじゃよろしく。涼子、3番テーブルの注文取ってね」
葵さんは自分のPOS端末を涼子さんに渡すと、かおるを引っ張り起こした。
「かおるちゃん、大丈夫?」
「……ごめんなさい」
俯いたまま、ぽつりと呟くかおる。葵さんは、ため息を一つついて、かおるを引っ張るようにして奧に連れて行った。
「……」
それを思わず見送っていると、俺の肩が後ろからぽんと叩かれた。
「あ、すみません……」
「恭一さん、美奈がレジ、代わりましょうか?」
そこにいたのは美奈さんだった。
「えっ?」
思わず聞き返す俺に、美奈さんはウィンクした。
俺は黙って頭を下げると、奧に駆け込んでいった。
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あとがき
何て言うか泥沼ですなぁ(笑)
私もこの先の展開は全然考えてません。
まさになるようになれ。
……あ、止めるんだったっけ(爆笑)
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.21 00/5/12 Up 00/5/21 Update