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ピピピピッ、ピピピピッ、ピッ……
TO BE CONTINUED?
目覚ましを叩いて止めてから、俺は体を起こした。
昨日の夜の雨も止んだようで、カーテンの隙間からは光が射し込んできている。
っていうか、もう既に暑い。
とりあえず枕元に置いておいたリモコンでクーラーのスイッチを入れてから、顔を洗っていると、ドアがいきなり乱打された。
ドンドンドンッ
「こらーっ、恭一、おきなさーいっ!!」
「やかましいっ! とっくに起きとるわいっ!」
怒鳴り返してから、タオルを掴んで顔を拭く。
「起きてるならさっさと開けてよっ!」
「へいへい」
ため息をつきながら鍵を開けると、かおるが笑顔で入ってきた。
「おはようっ、恭一」
「……朝から元気だなお前は」
「なによう。あんたが元気なさすぎなのっ」
そう言いながら、ずかずかと部屋に入ると、かおるは腰に手を当てて部屋を見回した。
「うん、ベッドが乱れてる以外は割と綺麗にしてるみたいね」
「しょうがねぇだろ、今起きたところなんだから」
「あ、やっぱり起きたばかりなんじゃない」
う。誘導尋問かっ!? かおるのくせに高等技術を使いやがって……。
などと思っているうちに、かおるがベランダに通じるサッシを開けた。そして戻ってくると、敷き布団を畳んで抱える。
「まったく、夏の間はちゃんとこまめに布団干さないとダメなんだから」
「こ、こら、せっかくクーラーつけてるのに、窓開けるなっ!」
「ちょっとくらい我慢しなさいよねっ。……きゃっ」
布団を抱えたままよろけたかおるの肩をとっさに支える。
「うわっ、危ねぇなぁ」
「あ、ありがと」
かおるはちょっと頬を赤らめて、慌ててベランダに出ていくと、敷き布団を手すりに引っかけて干した。そしてパンパンと手を叩く。
「これでよし、と。それじゃ始めましょっか」
「へ?」
「へ、じゃないでしょ? これよ、これ」
戻ってくると、かおるはバッグから夏休みの宿題を取り出した。
俺はため息をついた。
「このペースだと、夏休みの宿題は史上最速で完成しそうだな」
「いいことじゃないの。ほら、あんたも準備しなさい」
あくまでもマイペースなかおるである。
結局昼まで勉強してから、俺達はキャロットに向かった。
今日は、寮を出るところでばったり逢った七海も一緒である。
「そういや、昨日かおるが言ってたけど、七海って何か楽器やってるのか?」
歩きながらの雑談の途中で、何気なく昨日のことを思い出した俺は、七海に聞いてみた。
「まぁな。ちょっとバンドの真似事みたいなことしてたからさ」
ぽりぽりとほっぺたを掻く七海。
「ああ、なるほど。ギター?」
「いや、あたいのパートはベースだよ」
「ベーシストかぁ。そう言われてみれば何となくベーシストだな」
「なんだよそりゃ?」
「この辺りじゃ結構有名なバンドだったんだよね、七海ちゃん」
かおるが言うと、七海は肩をすくめた。
「ま、去年リーダーが抜けて解散しちまったけどね」
「じゃ、七海もそれでバンド活動をやめたわけ?」
「今はバイクの方が面白いからね」
七海は笑って答えた。かおるが残念そうに言う。
「もったいないなぁ。結構あたし達もファンだったのに」
「そうなのか?」
訊ねる俺に、かおるは肩をすくめて答えた。
「女の子だけのバンドだったから、恭一は知らないと思うけど、クラスの女子の間じゃ結構人気だったのよ」
「うーん、確かに知らないなぁ」
プロのバンドならともかく、インディーズレベルになると、さすがに俺も良く知らないからなぁ。
「まぁ、更紗ほど有名人じゃねぇけどな」
「更紗ちゃんは本当にすごいもんね〜」
2人の話によると、更紗ちゃんは本当にすごいバイオリニストらしい。
俺は首を傾げた。
「でも、そんな有名な新進バイオリニストがキャロットでバイトなんてしてるんだろ? 良く知らないけど、指に怪我でもしたらおおごとじゃないか?」
「本人は社会勉強って言ってるけどさ、ホントのところはあたいもよく知らねぇんだよ」
七海は腕組みした。
俺は、ふと思い出した。
「そういや、七海って更紗ちゃんの先輩なんだっけ?」
「ああ。まぁ、同じ学校にいるってだけで、ここでバイトするまで接点はまるでなかったんだけどな。あたいも下級生にお嬢様がいる、くらいしか知らなかったし、向こうなんてあたいのことは全然知らなかったらしいからなぁ」
「でも、あたし最初はお嬢様っていうから「おーっほっほっほ」って高笑いしてるのかと思ったけど、そんなことなくてよかったぁ」
かおるが笑って言う。七海も頷いた。
「そんな奴だったら、多分あたいはキレてぶっ飛ばしたかも知れねぇなぁ。あはははっ」
「でも、何となく浮世離れしたところはお嬢様っぽいよな」
俺が感想を言うと、二人はうんうんと頷いた。
俺は二人に言った。
「清純なお嬢様を染めるんじゃないぞ」
言ってから、後悔した。
「おはようございます。……あらら。恭一さんったら、見るたびに顔に痣作ってないですか?」
店の前を掃除していた美奈さんに言われて、俺は苦笑した。
「ええ、まぁ……」
「どうせあたしは品がないわよっ。失礼っ!」
ぷんぷんと怒りながら、店の中に入っていくかおる。
七海が苦笑して、俺の肩を叩く。
「ま、あたいは言われ慣れてるようなとこあるからいいけどさ、かおるには言い過ぎだぞ」
「かおるにも散々言ってるんだから、いい加減慣れてくれればいいのに……」
「……ま、せいぜい頑張ってくれや」
七海は呆れたように言うと、店に入っていく。
美奈さんが痣の辺りを診ながら言った。
「恭一さん、あんまり女の子にひどいこと言ったらダメですよ」
「まぁ、善処します」
美奈さんに言われちゃしょうがない。俺は素直に頷いた。
とりあえず、今日は縁さんが来ないので、二人分皿洗いをする覚悟をしてディッシュに入ると、そこには先客がいた。
「あれ? 今日は千堂さんも……?」
「あっ、えっと、あの、お、お、おはようございますっ!」
千堂さんが慌てて頭を下げる。俺もつられて頭を下げた。
「こちらこそ」
おっと、こんなことしてる場合じゃない。
「いかん、仕事しないと! 千堂さん、とりあえず俺が洗うから、それを乾燥機に」
「ははははいっ!!」
こくこくと頷く千堂さん。
俺はとりあえずシンクに入っている食器を洗い始めた。
……ううっ、空気が重い。
皿を洗い始めてからもう20分以上たっていた。
その間、千堂さんに何度か話しかけてはみたんだけど、まともな会話にならない。
今も、ちらちらとこっちの様子を窺ってるみたいだけど、こっちが視線を向けると慌てて逸らすような案配だ。
このままじゃいけないよな。
短い間とはいっても、あと3週間くらいは一緒に働くんだし。
俺は皿を洗う手を止めて、千堂さんの方に向き直った。
「あのさ、千堂さん」
「はははいっ、な、なんですか」
びくっとして、上目遣いに俺を見る千堂さん。
俺は、出来るだけ怖がらせないように、優しく言ってみた。
「あのさ、俺のことそんなに警戒しなくてもいいからさ」
「す、すみませんっ」
「あ、いや、別に怒ってるわけじゃないんだけど……」
「は、はい……」
再び沈黙。
いかん、これじゃまた同じだ。
俺は皿洗いを再開しながら、軽い調子で言ってみた。
「そういえば、ちゃんと話をしたことってあんまりなかったよね」
正確には、話をしようとするたびに逃げられてたからなんだけど、そのことは言わないでおく。
「……」
千堂さんは俯いたままだ。
俺は手を止めた。
「……あのさ、正直に言って欲しいんだけど、俺のこと嫌いなの? それなら、そう言ってくれれば、できるだけ近づかないようにするし、涼子さんにお願いしてシフトも変えてもらうようにするよ」
「あっ、そ、そのっ、そうじゃなくて……」
千堂さんが顔を上げた。そして、俺の方に勢いよく頭を下げる。
「あのっ、私……、ごめんなさいっ」
「……は?」
いきなり謝られてしまった。
「……ど、どうして?」
思わず聞き返すと、千堂さんは俯いたまま言った。
「あ、あの、あたし、ずっと謝ろうって思ってたんですっ」
「え?」
「その、は、始めてお逢いしたときに、その、ちゃんと挨拶できなくって、それで、その……」
そう言われてみると、始めて千堂さんと顔を合わせたとき、千堂さんは七海の後ろに隠れてたような気がする。今まですっかり忘れてたけど。
「そ、それで、謝ろうと思って、何度も、その、で、でも、き、きんちょうしちゃって、うまく言えなくて、その、……ご、ごめんなさいっ」
また勢いよく頭を下げる千堂さん。
ええっと、要するに、最初にちゃんと挨拶できなかったのをずっと気にしてたんだけど、いざ謝ろうとしても緊張してできなかった、ということなのかな?
とりあえず頭の中で整理してみてから、俺は慌てて手を振った。
「いや、そんなの全然気にしてなかったから」
「で、でも、本当は怒ってたんじゃ……」
「怒ってないって」
俺は首をぶんぶん振った。それから、ほっと胸をなで下ろす。
「よかった。それじゃ俺が嫌われてたんじゃないんだ」
「そ、そんなこと、ないです。柳井さんを嫌うなんてそんな……あ……」
一生懸命に言いかけて、不意にぽっと赤くなって俯く千堂さん。
今まで露骨に避けられてたから余りちゃんと見る機会が無かったけど、やっぱり可愛い娘だなぁ。
と、そこで俺ははっと我に返った。
いかんいかん、仕事中だったんだ。
とりあえず……。
俺はタオルで手を拭くと、千堂さんの前に差し出した。
「それじゃ、誤解も解けたところで、握手しよう」
「えっ? あ、あの、いいんですか?」
「いいんです」
ちょっと大げさに言うと、千堂さんは真っ赤になったまま、おずおずと手を差し出してくれた。
俺はその手を握った。
「これで、よし。それじゃ、仕事の続きやろっか」
「……は、はいっ」
千堂さんはこくこくと頷いた。
と、俺はそこではたと気付いた。喋っている間に汚れた皿が溜まっているじゃないか。
「あ、悪い。千堂さんも洗いに回ってくれないかな?」
「はい。……あ、あの……」
千堂さんは少し迷っていた様子だったが、不意に顔を上げた。
「あ、あのあのっ、わ、私のことは、名前の方で呼んで欲しいんですっ」
「え?」
「そ、そのっ、パパがママのこと名前で呼ぶんです」
……パパ? 突然何のことだ?
「だ、だからそのっ、私も……。で、でも、やっぱりダメですよね。ごめんなさい、今のは……」
「みらいちゃん、だっけ?」
「えっ?」
「名前。確かそうだよね?」
俺が訊ねると、千堂さん――みらいちゃんは、こくこくと頷いた。
「はいっ」
「よし、それじゃ俺のことも名前で呼んでくれるかい?」
「えっ? で、でも……」
「それじゃ呼んであげない」
「……」
しまった。いじめすぎたか?
黙ってしまったみらいちゃんを見て、俺は慌てて撤回しようとした。その時、みらいちゃんが顔を上げた。
「き、恭一、さん……」
「……」
今度は俺がびっくりして一瞬停まってしまった。と、その間を勘違いしたらしく、みらいちゃんは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。やっぱり変ですよねっ。わ、私、その、ダメだから……」
「わぁーーっ、違う違うっ! 俺は嬉しかったんだってばっ! だから全然問題なしっ! よし、それじゃこれからはこれで行こうっ!」
俺が慌てて身振り手振りを交えて熱く語ると、みらいちゃんはおずおずと頷いた。
「は、はい……」
「よーし、決まり。それじゃ早速仕事を片付けようぜ」
俺の言葉に、みらいちゃんはこくんと頷いた。
俺達は並んで皿を洗い始めた。単調な皿洗いも、このときはなんだか楽しかった。
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あとがき
あさひちゃん萌えの皆さん、存分に転がってください(笑)
ええと、とりあえずそれだけです。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.14 00/4/11 Up 00/5/21 Update