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土曜日の仕事も終わり、私服に着替えた俺は休憩室でくつろぎながら、更紗ちゃんとかりんとうを摘んでいた。今日は涼子さんや葵さんもいるので、かおると一緒に帰るという必要も、本当はなかったのだが、まぁ成り行きというやつで。
TO BE CONTINUED?
ちなみに、早苗さんや翠さん、よーこさんはさっさと帰ってしまった。千堂さんは言うに及ばずというやつである。うーん、やっぱ嫌われてるのか?
「それでは、学校では剣道をなさっていらっしゃるのですか?」
まぁ、という顔で俺を見る更紗ちゃんに、俺は苦笑して答えた。
「まぁ、2年のこの時期にまだ補欠なんだから、たかが知れてるけどね」
「おいくつの時から始められたのですか?」
更紗ちゃんに聞かれて、俺は腕組みしてうーんと天井を見上げた。
「確か、小学校の2年からかなぁ」
「随分と長く続けられていらっしゃるのですね。良いことだと思いますよ」
「っていうか、今思うと親の計略だったんだよな」
俺の言葉に、更紗ちゃんは首を傾げた。
「計略、と申しますと?」
「うん。俺って転校が多くてさ、2年以上同じ所にいたためしが無くてね。ほら、剣道って大体何処でもやってるだろ? だから、知らない場所で少しでも早く慣れるように、どこでも同じことをやってる剣道を習わせたっていうことだったんじゃないかな」
ぽりっとかりんとうを囓りながら言うと、更紗ちゃんは笑顔で頷いた。
「恭一さんのご両親は偉いんですねぇ」
「まさか」
俺は苦笑した。それから更紗ちゃんに尋ねた。
「更紗ちゃんは何か習い事してるの?」
「はい。ええと……」
更紗ちゃんはほっぺたに指を当てて空を見た。
「茶道、華道、薙刀、社交ダンス、ヴァイオリン、サイバー……」
「あ、いや、もういいです」
俺は手を振って指折り数えている更紗ちゃんを止めた。
「は、はぁ……。そうおっしゃるなら」
きょとんとして俺を見る更紗ちゃん。それにしても、さすが神宮司家のお嬢様である。
あ、そういえば……。
「習い事といえば、かおるもピアノやってるんだけど、知ってる?」
「あら、そうなんですか? 初耳ですわ」
ぽんと手を打って喜ぶ更紗ちゃん。
「今度かおるさんと一緒に演奏してみたいです」
「おう、きっとかおるも喜んでくれるぜ。そうだ、今度どっかのコンサートホール貸し切りにして……」
バンッ
大きな音を立ててドアが開いた。振り返ると、すごい形相のかおるがいた。
「よう、どうしたかおる。あの日か?」
「いいから、ちょっと来なさいっ!! あ、更紗ちゃんはそのままね」
ずんずんと近寄ってきたかおるが、俺の襟首掴んで休憩室から引きずり出す。それを止めようと腰を浮かしかけた更紗ちゃんは、かおるの言葉に笑顔で頷いた。
「はい、わかりました」
それを寂しく思う間もなく、俺は廊下に引きずり出されていた。
「うわっ、何をするっ」
「あのねぇっ!!」
ドンッと俺を壁に押しつけて、かおるは小さな声で言った。
「あんまり更紗ちゃんに変なこと焚き付けないでよっ!」
「変なことって、ピアノのことか?」
「そうよっ! いい? 更紗ちゃんのヴァイオリンって、国内のコンクールでいくつも賞を取ってるくらい有名なのよっ! 七海ちゃんならまだしも、あたしと演奏なんて出来るわけないでしょっ!」
「七海?」
「あ、そっか。あんたは知らないんだっけ。ともかくっ! 今後更紗ちゃんの前であたしのピアノの話はしないでっ!」
「いや、そう言われても……」
俺が口を濁そうとすると、かおるは俺の鼻先まで顔を近づけて言った。
「言ったら、あのことばらす」
「なにっ!?」
「……どう? 交換条件としては悪くないでしょ?」
「……わかった。今後一切そういう話はしない」
「よろしい」
そう言って、かおるは顔を離した。俺はほっとため息をつく。
と、向こうから黒服のじいさんがやって来た。かおるがそれに気付いてぺこりと頭を下げる。
「あっ、こんにちわ、有田さん」
ああ、誰かと思えば更紗ちゃんの迎えの人か。
「これは、ごきげんよう、山名様、……柳井様も」
なんだ、今の空白は?
俺は妙に思ったが、それを問いただす間もなく、有田のじいさんは休憩室に入っていった。
ややあって、じいさんがまた一人で出てくると、かおるに話しかけた。
「山名様。お嬢様がお待ちですが、何かご用でしょうか?」
そういや、さっき「更紗ちゃんはそのままね」とか言ってたな、こいつ。うーん、素直な更紗ちゃんだ。
かおるは慌てて頷いた。
「ごめんなさい。すぐ行きますからっ!」
そのままバタバタッと休憩室に駆け込むかおる。
俺は、それを見送ってから、有田のじいさんが部屋に入らずに俺を見ているのに気付いた。
「……あの、何か?」
「……いえ」
妙な沈黙が一瞬流れたところで、向こうから店長さんと涼子さん、葵さんがやってきた。有田のじいさんに気付いて、店長さんが一礼する。
「こんばんわ。ご苦労様です」
「こちらこそ、お嬢様をお預かりいただきまして」
うーん、有田のじいさん、相変わらず慇懃無礼を絵に描いたような応対だな。
と、そこに更紗ちゃんとかおるが出てきた。更紗ちゃんが有田のじいさんに頭を下げる。
「お待たせしました。それでは、参りましょうか」
「はい」
それから更紗ちゃんは俺達に「おやすみなさい」と挨拶して、じいさんの後について出ていった。
それを見るともなく見送っていた俺に、店長さんが声を掛けてきた。
「そうそう、こないだは妹が迷惑かけたみたいだね」
「え?」
「ほら、女の子があたしに書類を持ってきたでしょ?」
葵さんが言って、俺は思い出した。
「ああ、確か「お兄ちゃんによろしく」って言ってたあの娘ですか?」
「うんうん」
……は?
いきなり後ろから声がして、俺は慌てて振り返った。
そこに、あの時の娘がいた。
「えへへ〜。柳井クン、だったよね。あの時はごめんね〜」
「い、いえ、こちらこそ」
俺は頭を掻いた。
その娘は笑顔でもう一度頭を下げる。
「それじゃ、改めまして。木ノ下志緒です」
「あ、ども……ぐえ」
いきなり後ろから、ヘッドロックをかけられた。言うまでもなく、こんなことするのはかおるしかいねぇ。
「なに、にやけてんのよ! すけべっ!」
「や、やめんかあほっ」
俺がそれをやっとのことで振り解くと、木ノ下さんが俺達をのぞき込んでいた。
「もしかして、兄妹ですか?」
「……」
俺とかおるは、思わず顔を見合わせた。恋人に間違えられるのはそれこそ日常茶飯事だったけど、兄妹っていうのはまた新しいパターンだ。
「あ、ちがうわよ志緒ちゃん。こちらは山名かおるさん。恭一くんとは同じ学校の同じクラスなのよ。ね?」
涼子さんに言われて、かおるは慌ててこくこくと頷いた。
「あ、はい。山名かおるです」
「あ、そうなんだ。ごめんなさい、仲が良さそうだったから」
木ノ下さんは頭を掻いた。
その肩を後ろから叩きながら、店長さんが言う。
「こいつともう一人に、来週から来てもらうことになったんだ。恭一くんもかおるくんもよろしくな」
「あ、一昨日言ってた、本店からのヘルプさんですね」
「うん。ボクとさくらが来るから」
木ノ下さんが笑顔で言う。
「さくら……さん?」
「うん、ボクの妹」
「こらこら」
店長さんが笑いながら口を挟んだ。
「妹じゃないだろ、妹じゃ」
「だって、姉さん、なんて呼べないよっ。ボクの方がよっぽどしっかりしてるもん」
ぐっと拳を握って店長さんにくってかかる木ノ下さん。
俺は訊ねた。
「あの、さくらさんって?」
「ああ、さくらはこいつの双子の姉なんだ。今日は来てないけど」
店長さんは木ノ下さんの頭に手を置いて言った。
「お姉さん?」
「フンだ。どうせ生まれた時間なんて、ボクとそう変わらないもん」
拗ねたように言うと、木ノ下さんは不意に通用口の方に視線を向けた。
「あれ? 雨じゃない?」
ザァーッ
いつの間に降り出したのか、外はかなりの雨だった。
「うわぁ、どうしよ? 恭一、傘持ってないの?」
「持ってきてるわけないだろ?」
「なによ、役立たず!」
「お前こそなぁっ!」
「はいはい、喧嘩しないの」
涼子さんが俺達の間に割って入ってきた。それから、店長さんに尋ねる。
「傘は倉庫でしたよね?」
お客さんの忘れ物で、取りに来なかった傘なんかは倉庫に置いてあるのだ。今日倉庫整理したばかりなのでよく知っている。
店長さんは頷いた。
「ああ。ちょっと取ってくるよ」
「あ、ボクも行く」
木ノ下さんが店長さんの後に続く。
と、俺は不意に思い出した。
「あっ! 店長さん! 忘れ物は、今日の午後に本店の方にまとめて送っちゃったんじゃ……」
「あ、そうだった」
店長さんは舌打ちした。それから涼子さんに尋ねる。
「涼子くん、君たちは?」
「折り畳みの傘ならロッカーに置いてますけど……」
涼子さんは葵さんを見た。そして笑って肩をすくめる葵さんにため息をつく。
「やっぱり」
どうやら、傘は1本しかないようだ。
「うーん。僕の車で全員送ってあげられればいいんだけど……」
「6人でしょ? ぎゅうぎゅうに詰めれば……」
「無理よ。祐介さんの車ってミニだもの」
かおるの提案は葵さんにあっさり却下された。
涼子さんは、ポンと手を打った。
「それじゃ、こうしましょう」
ザァーッ
「……なぁ、かおる」
「なによ、恭一」
俺は、ため息を付きながら訊ねた。
「俺達、どう見えると思う?」
「聞かないでよ」
かおるはそっぽを向いた。
「でも、どう見たってこれって相合い……」
「恥ずかしいから言うなっ!」
「こら、暴れるなっ! こっちまで濡れる!」
そう、俺とかおるは涼子さんの折り畳み傘で歩いて帰っているところなのである。
涼子さんと葵さんは店長さんの車で寮まで送ってもらうという算段である。
……どうしてこういう組み合わせになったのか、色々と言いたいことは多かったのだが、相手が(木ノ下さんは除くと)みんな年上だったので、あまり駄々をこねるわけにもいかずにこうなってしまったわけだ。
「まぁ、深夜で誰も見ていないのが不幸中の幸いだな」
「そうね。それには賛成するわ」
はぁ、とため息を付くかおる。
そのスウェットの肩がびっしょり濡れて、下着のラインまで透けて見えるのに気付いて、俺は慌てて目をそらした。
「……? 何よ?」
「な、なんでもねぇって」
そう言いながら、俺は少しかおるに傘を傾ける。
ううっ、反対側の肩が冷たいぞ。
「……ねぇ、恭一。なんかあんた濡れてない?」
「そんなことねぇよ」
「なにしてんのよ、半分はみ出してるじゃない」
そう言いながら、かおるは俺に体をくっつけた。
「ほら、こうしたら少しはマシでしょ?」
「お、おう」
濡れた服越しにかおるの体の温かさまで伝わってくる。
「あのね、何か変な想像してるんじゃないでしょうね? 勘違いしないでよ。あたしはただ濡れたくないだけなんだからね。それに恭一に風邪でも引かれたら目覚めも悪いし……」
「べ、別に何も言ってないだろ?」
「そ、そう? それならいいのよ」
それから、しばらくの間、傘に打ち付ける雨の音だけを伴奏に、黙って歩く。
不意に、かおるが俯いたまま言った。
「ね、恭一……」
「ん?」
「もし、もしあたしが……」
「グーテンターグ、お二人さぁん! 迎えに来ましたぁ!」
いきなり前から声を掛けられて、俺達は思わず飛び上がった。
「わぁっ!」
「よ、よ、よーこさんっ!?」
「はい、よーこです」
にこにこしながら、コンビニの袋を提げて傘を差したよーこさんが、別の傘を差し出す。
「さっき、ちょうどコンビニ行こうとしてたとこに、涼子さん達帰ってきて、ついでに迎えに行ってくれないかって頼まれたです」
「あは、あははっ、そうなんだ」
なんか引きつった笑いを浮かべながら、傘を受け取ると広げるかおる。
「そ、それじゃ帰るわよ、恭一っ!」
「お、おうっ、そうだなかおるっ!」
「……なんか二人とも変ですよ」
よーこさんは首を傾げた。
「そ、そんなことないわよ。ねぇ、恭一?」
「そ、そうだともっ!」
「……ま、いーです。それじゃ帰りましょう!」
そう言われて、俺達は歩き出した。
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あとがき
さて、志緒ちゃん再登場です。
まぁ読んでのとおり、志緒ちゃんは木ノ下父こと泰夫氏と再婚した旧姓神無月志保さんとの間に生まれた娘さんで、祐介や留美とは異母兄妹、異母姉妹にあたります。
昨日のバスジャックはなんとか解決したようですが、結局亡くなられた方がでてしまったのは残念です。
犯人はまた少年だったそうで。……少年法ってなんなんでしょうね。やはり、加害者の人権が被害者の人権より優先されるっていうのはどうしても納得できません。
でも、それより問題なのは、そんな少年を作り出している今の日本のシステムなんだろう。
何かが変だ、と思いながらも、でもどうするでもなく過ごしてきた僕たちの、これから支払わなければならないものはとても重い。
Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.13 00/4/10 Up