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最後の1枚を洗い終わって乾燥機に入れると、俺は大きく息をついて、シンクの栓を抜いた。
TO BE CONTINUED?
「終わりましたっ」
「はい、ご苦労様。後は私がやっておくから、恭一さんは上がってもいいですよ」
縁さんが、ゴム手袋を外しながら言ってくれた。
「え? でも……」
「今日は恭一さんが手伝ってくれたから、随分助かったんですもの。その分、サービスですよ」
笑顔で言うと、縁さんは俺の額をちょんとつついた。
「年上の好意は素直に受け取りなさい。ね?」
「あ、はい。それじゃ、そうさせてもらいます」
俺は頷いて、頭を下げた。
「お先に」
着替えて休憩室に戻ると、よーこさんと千堂さんがいた。
「あっ……」
俺の顔を見て、あたふたと立ち上がる千堂さん。
「あ、あの、しししし、失礼しますっ!」
ぺこっと頭を下げて、そのままだだっと休憩室を出ていってしまった。
俺は唖然としてそれを見送ってから、振り返った。
「あの、俺何かしました?」
「さぁ?」
よーこさんも首を傾げて、それから笑った。
「ま、気にしてもダメです。ケセラセラ〜」
「は、けらけら?」
「なるよーになるってことです」
そう言うと、よーこさんは立ち上がった。
「さて、私は帰りますけど、恭一はまだいますか?」
「いえ……。七海は?」
七海も同じ寮生活だから、どうせなら一緒に帰ろうかと思ったのだが、よーこさんは首を振った。
「ななみ、りょこさんと何か話してたです。遅くなるから先帰れって言ってます」
「涼子さんと? ま、そういうことなら」
俺は頷いた。
「寮まで送りますよ、よーこさん」
「ダンケ」
よーこさんはにこっと笑うと、歩き出した。
「そういえば、よーこさんとゆっくり話したことって無かったですよね」
夜道を並んで歩きながら、俺はよーこさんに話しかけた。
「あ〜、そうかも」
よーこさんは頷いて、俺に視線を向けた。
「確か、ドイツ人とのハーフだって言ってましたよね」
「ヤー」
頷くと、よーこさんは説明してくれた。
「私の父さん、ドイツに本社のある銀行の日本支店に勤めてたです。そこで母さんと知り合ったんですよ」
「へぇ。で、結婚したんだ」
「うーん。それがなかなかそう上手くは行かなかったみたいで」
よーこさんはしょげたように俯いた。
「……日本人て、外人嫌いですか?」
「いや、それは人によるかと……」
俺は思わず口ごもりながら答えた。なにせ、俺は英語は苦手だし、親父は「日本語の通じない所に行ってたまるかべらぼうめい」というタイプだからなぁ。
でも、よーこさんは顔を上げて微笑んだ。
「そうですよね〜。でも、私の母さんの父さんや母さんは外人嫌いだったみたいです。どうしても結婚許してくれませんでした。それで父さん、母さん連れてこっそりとドイツに戻ったんです」
「それって、駆け落ち? すげぇ、今でもまだそんな話あるんだ」
俺は思わず唸った。さすが外人、やることが違う。
「でも、それじゃ今でもよーこさんの母さんのご両親って怒ってるんじゃ?」
「ナイン」
よーこさんは笑顔で首を振った。
「私が産まれて、仲直りしたんです。なんでも、私が、はつまご、だったそうです」
「なるほど、初孫ねぇ」
俺は納得して頷いた。初孫ほど可愛いものはないっていう格言が日本にはあるからなぁ。(【注】ありません)
「よーこさんは、ずっとドイツで暮らしてたの?」
「ベルリン生まれのベルリン育ちでーす。でも、国籍は両方持ってます」
前を歩いていたよーこさんは、くるっと身を翻した。
銀髪が街灯の光を反射してキラキラ光る。
「日本語は、それじゃお母さんに習ったんだ」
「ヤー」
……さっきから気になってたんだけど、やーってなんだろ?
「ねぇ、よーこさん、やーって何?」
「あ、ごめんごめん。Jaはドイツ語でイエスのことよ」
「ああ、ドイツ語だったんだ。なるほどぉ」
うーん、英語でも苦手なのに、ドイツ語となるとなぁ。
「恭一にも教えてあげよか?」
「いえ、結構です」
俺は思わず後ずさった。そして、顔を見合わせて思わず笑い出していた。
「それじゃ、グーテンアーベントです」
「え? ああ、お休み〜」
階段のところでよーこさんと別れ、俺は自分の部屋に向かった。
廊下の角を曲がったところで、思わず足を止め、反射的に角に隠れる。
俺の部屋のドアに背中を付けてもたれているのは、かおるじゃないか。
「……あいつ、なにしてんだ?」
思わず小声で呟きながら、曲がり角の陰から様子を窺う俺。
やがて、かおるは腕時計を見て、ぶつぶつ言い出した。
「ったく、なにやってんのよ、あのバカ。もうとっくに仕事は終わってるってのに……。どこをほっつき歩いてんだか……」
「そっちこそ、人の部屋の前で何をやってんだ?」
そう言いながら、俺は歩み寄った。
はっとしてこっちを見るかおる。
「え? あ、なによ、遅いじゃない」
「別に俺がいつ帰ろうと、お前にとやかく言われる筋合いじゃないだろ?」
「うーっ、むかつくわねぇ。せっかくお腹空かせて帰ってくるんじゃないかなって思って、おみやげ買ってきてあげたのに」
「みやげ?」
「ほら、たこ焼き」
かおるは、提げていたビニール袋を掲げて見せた。って、その袋はまさかっ!
「それは駅前の、いつも行列が出来てる例のたこ焼き屋じゃないかっ!」
「さて、それじゃあたしは部屋に戻って一人で食べよっと。お休み〜」
俺は慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい、許してくださいかおるさんっ」
「ふふーん、どうしよっかなぁ〜」
「あうーっ」
ふ、ふん。笑いたければ笑え。だが、あのたこ焼き屋のたこ焼きは冗談抜きに美味いのだ。
「ま、いっか。とにかくドア開けてよ」
「お、おうっ!」
頷いて、俺は鍵を開けた。
「それじゃ、お茶煎れるわね」
部屋に入って、俺がクーラーのスイッチを入れている間に、かおるはたこ焼きをテーブルに置くと、シンクの前に立った。
「麦茶なら冷蔵庫の中にあるぞ」
「バカね〜。たこ焼きには熱いお茶って相場が決まってるでしょっ!」
「そういうもんか?」
そう言いながら、俺はビニール袋からたこ焼きを出す。がさがさという音に、かおるが振り返って声を上げた。
「あっ! こら、勝手に開けるなっ!」
「いいじゃないかよぉ、包みを開けるくらい」
「あたしの見てないところで食べたら殺すわよっ。ちゃんと数えてあるんだからねっ!」
「みみっちい女だな。たこ焼きの一つや二つくらいいいだろ?」
俺がそう言うと、かおるはポットからきゅうすにお湯を注ぎながら言い返した。
「それじゃ、たとえば、あたしが恭一を待ってる間に、一つつまみ食いしてたとしたら、どうする?」
「ぜってー殺す」
即答すると、かおるははぁとため息をついた。
「あんたの方がよっぽどいじましいわよ」
「うるせぇ。たこ焼きは男の浪漫だ」
「ま、どうでもいいけどね。お茶入ったわよ」
きゅうすから湯飲みにお茶を注いで、かおるはその湯飲みをテーブルまで運んできた。
「よし、それじゃいただきま〜す」
「ちゃんとあたしに感謝の念をもって食べるように」
「へいへい。ぱくっ……。うぉぉ、美味いっ!」
「もぐもぐ……ほんと。ここのたこ焼きはいつ食べても美味しいわね〜」
「願わくは、熱々で食べたかったな」
「あんたがもうちょっと早く帰ってくればよかったのよ。……ああっ! こらっ、一つ多く食べたでしょっ!!」
「聞こえんなぁ。くっくっく、敗者の遠吠えが耳に心地よいわ」
「殺すっ! ぜったい殺すわっ!」
という風にどたばた騒ぎながら、たこ焼きを食べ終わり、ちょっと落ち着いてお茶を飲む。
ずずーっ。
「あー、お茶が美味しい」
「ほんと。あ、そうだ。ねぇ、恭一」
かおるが頬杖をついて、俺に話しかけてきた。
「明日なんだけど、どうせ午前中は空いてるでしょ?」
「俺は鋭気を養うつもりなんだが」
「またまた〜、どうせぐーたらしてるだけでしょ?」
笑ってぱたぱたと手を振ると、かおるは立ち上がった。
「それじゃ、明日こそちゃんと勉強するからね」
「なにぃっ!?」
「ほら、結局今日は勉強できなかったし」
「あれはお前が悪いんだろうが」
俺がため息混じりに言うと、かおるはあははっと笑った。
「ま、そう言わないでよ。それじゃお休み〜」
そう言い残して、かおるは出ていった。ドアがぱたんと閉まる。
……やれやれ。寝るか。
俺はベッドにごろんと横になった。
うーん、寝られん。
ごろんと寝返りを打ってから、俺は目覚まし時計を見た。
蛍光塗料を塗った針が、午前2時を指している。
寝る前にお茶を飲んだのが悪かったかなぁ。
こういうときは、ちょっと散歩でもするか。
俺は起き上がると、ジャケットを羽織って部屋を出た。
外は、昼に比べれば幾分涼しい。
さ〜て、部屋から出たはいいけど、どうしよう。近所のコンビニにでも行って、雑誌でも読んで帰ろうかな。
そう思って寮の玄関まで来たところで、ふと思った。
そういえば、まだ屋上に行ったことなかったな。
多分、鍵がかかってるとは思うけど、行ってみようか。
かおるに知られたら、そら見たことかという顔で「バカと何とかは〜」とか言われそうだが、やっぱり屋上は男の浪漫だと思うのだ。
俺は引き返して、エレベーターに乗り込んだ。
最上階で停まったエレベーターから降りて、さらに階段を上がると、屋上に通じるドアがあった。
ノブを回して押すと、重い鉄製の扉がすっと開く。どうやら、鍵はかかってないようだ。
不用心だなぁと思いながら外に出ると、涼しい風が吹いていた。
都会の真ん中にあるこの寮でも、さすがにこの時間は割と静かだ。
「……誰?」
不意に声がした。
誰もいるはずがないと思ってたから驚いた。正直に言って腰が抜けそうになったくらいだ。
「そそそそっちこそ誰だっ!」
情けないことに声が裏返っていた。もっとも、その時はそれどころじゃなかったが。
「その声、恭一ですか?」
「……」
相手が俺の名前を知っていたことにちょっと安心した。
ようやく暗闇に慣れてきた目に、屋上の周りを囲むフェンスと、そのフェンスに手を掛けて、こちらを振り返っているシルエットが見えてくる。
「もしかして、よーこさん?」
「ヤー」
その声は間違いなくよーこさんだった。俺は大いに安心すると同時に、その場にへなへなと尻餅をついていた。
「びっくりさせないでよ〜」
「こっちこそ、びっくりしましたよ〜。……どしたですか?」
そのまま動かない俺を不思議に思って、声をかけるよーこさん。
俺は、ふっとニヒルに笑って答えた。
「腰が抜けた」
「あはははは、みっともないですね〜」
「勘弁してよ」
俺とよーこさんは、並んでコンクリートの壁に背中をつけて座っていた。
「それにしても、どうしたの?」
「そっちこそ、どうしたんです?」
よーこさんに聞かれて、俺は肩をすくめた。
「寝付かれなくてね」
「ねつか……?」
「ああ、要するに眠れなくて」
「なるほど。眠れないことを寝付かれないとも言うんですね」
頷くと、よーこさんは夜空を見上げた。
「私も、同じです」
「ふーん」
「……眠れないときは、ここに来るんです」
よーこさんは静かに言った。
「夜空は、ドイツも日本も、同じだから……」
俺は、よーこさんの横顔を見つめた。
やっぱり、いくら母親の祖国って言っても、日本で暮らすのって、大変なんだなぁ。きっと、俺なんかには想像もできないような苦労があるんだろう。
「……さて、それじゃもう寝ます」
不意にそう言うと、よーこさんは立ち上がった。
「あ、それじゃ俺も」
俺も立ち上がる。
と、よーこさんは俺に言った。
「その、今日のことは秘密にしてくれますか?」
「え? ああ、ここのことね」
俺は頷いた。
「大丈夫。誰にも言わないよ」
「ダンケ。それじゃお休みです……」
よーこさんはにこっと笑うと、身を翻して、屋上から降りていった。
俺はもう一度、夜空を見上げた。
都会の真ん中では、真夜中でもあまり星は見えないけれど……。
「ドイツも日本も同じ……か」
呟いて、俺も屋上から降りることにした。
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あとがき
ええっと、随分間が空きました(笑)
いや、気分的に大体10通感想メール頂いたら次の話をアップしてたんですけど、8話の感想メールがまた全然来なかったもんでして、はい。
あと、極度のスランプに陥ってしまったっていうのもありますけど。
悲しいかな。
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