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「深山部長、牧田副部長、明生さん、管生さん、仁科さん、ご卒業おめでとうございます」
To be continued...
2年生の霧生さんが、そう言って、花束を私に手渡してくれた。
回りを囲む部員のみんなから拍手が起こる。
パチパチパチ
私は微笑んで、花束を抱いたまま、言った。
「それじゃ、セレモニーはこれくらいにして、練習に入りましょうか」
「……部長、もうちょっと情緒ってものを理解してくださいよぉ」
霧生さんが口を尖らせ、どっと笑いが起こる。
「あのね……。私たちが本当に卒業するのは、舞台がはねた時よ。しっかりしてね、次期部長さん」
「はぁい」
再び笑いが起こり、そして私が次の指示を出さなくても、皆それぞれの持ち場にさっと散っていった。
今日は、卒業式。
それなりの感慨が無いと言えば嘘になる。けれど、それに浸ってる余裕は、少なくとも、今の演劇部員の3年生には無かった。
「でも、みさきにとっちゃ大切な式だったのよね」
「うん……」
屋上には、柔らかなそよ風が吹いていた。ついこの間まで、突き刺すような冷たい風が吹いていたと思ったのに。季節が流れているということが実感させられる。
「雪ちゃん、演劇部の方はいいの?」
「ええ。この期に及んで私が見てないとダメなようじゃ、逆に大変でしょ?」
「……そうだね……」
みさきは、フェンスを掴んで空に顔を向けた。
「私も……そうだよね」
「え?」
「雪ちゃんとも、ほかのみんなとも、先生達とも、今日でお別れだもんね……」
「みさき、何を……。ほかのみんなはともかく、私はずっと……」
「ううん」
首を振ると、長い黒髪が流れる。
「私だって、卒業したんだよ。もう、夢見てるだけじゃ、ダメなんだって……」
「……みさき!」
私は、みさきに駆け寄ると、その細い身体を抱きしめていた。
「……ゆ、雪ちゃん?」
戸惑ったような、みさきの声。
「どうしたの、雪ちゃん?」
「……いや」
「雪ちゃん……」
「ダメよ、みさき。そんなの……」
「……泣いてるの、雪ちゃん?」
「ダメなんだから……。みさきは、私のそばにいてくれないと、ダメなんだからっ!」
みさきを抱きしめる手に、思い切り力を込める。
「痛い、痛いよ、雪ちゃん」
「……約束して。もうそんなこと言わないって。そうしたら離してあげるから」
「そんな事言ったら、雪ちゃん、……ずっと、そうしてないといけなくなっちゃうよ……」
それは、明らかな拒絶の言葉だった。
「みさ……き……。嫌よ……そんなの……」
「雪ちゃん……。私、いままで随分と雪ちゃんには迷惑かけてきたよね。だから、これ以上は……」
「嫌だって言ってるでしょっ!」
「……ごめんね、雪ちゃん……。ごめんね……。だけど、……私の気持ちも、判ってよ……」
「……!」
私は、腕を解いた。
「……みさき、あなた……」
「……うん」
みさきは、見えない瞳を、街に向けていた。
「私ね、外に出ようと思うんだ……」
「……そう」
私は、自分の拳を、ぎゅっと握りしめた。
みさきがそう決めたのなら、邪魔をしてはいけない。
理性では、そう判ってる。
でも、感情が納得してくれない。
アンヴィバレンツ、二律背反。
「みさき……」
「雪ちゃん、でも……」
みさきは、唇に指を当てた。
「雪ちゃんが、私の一番大切な友達だっていうのは、変わらないよ。……もちろん、雪ちゃんが嫌じゃなければ、だけどね」
その言葉。
たった今まで、私自身もどうしようもないくらいに荒れ狂っていた私の感情が、みさきのその一言ですぅっと穏やかになった。
みさきが、私が、深山雪見が一番大事なんだと言ってくれた、という事実が、私を落ち着かせてくれたのだ。
「……そんなわけ、ないでしょ」
私は、ぐすっと鼻を鳴らして、言った。
「そんな、わけ……」
涙が。
今日一日、流さなかった涙が、初めて流れた。
「ありがとう、雪ちゃん」
みさきの頬にも、涙が光っていた。
「私、雪ちゃんっていう親友がいて、すごく嬉しいよ」
「……私も、よ」
私たちは、いつしかお互いに手を取り合っていた。
どれくらいそうしていたのか。
「……くちゅん」
不意にみさきがくしゃみをした。それから、ぶるっと身体を震わせる。
「あははっ、流石にちょっと寒い……かな」
「そうね……」
実を言うと、私も少し寒さを感じていた。暖かくなってきたとはいえ、さすがにずっといるというわけにもいかないようだ。
「それじゃ、戻りましょうか」
「うん」
頷いて、私は屋上に通じるドアの方に視線を向けて、はっとした。
そこに、一人の男子生徒が立っていた。私の視線に気付いて、ばつの悪そうな顔をする。
「……」
そりゃ、そうか。
私とみさきがどういう状態でいたのかを思い返すと、こっちも赤面してしまう。
「どうしたの、雪ちゃん?」
みさきが後ろから声を掛けてきた。
「あ、ううん、なんでもないわよ」
首を振って、私はその男子生徒の方に歩み寄っていった。どっちみち、そこを通らないと下には降りられないのだから。
無言で、その生徒の横を通り過ぎる。
こんなところに彼が何をしに来たのかは知らないけど。
続いて、みさきがその横を通り過ぎ……。
「あ」
不意に、何かに躓いてよろけるみさき。
その声に振り向いた私の目の前で、みさきを抱き留めていたのはその男子生徒だった。
「あれ? えっと、雪ちゃん、じゃないよね……?」
「……みさき先輩」
確かに、その男子生徒は、そう呟いた。
「えっ?」
「あ、いや……」
首を振って、彼はみさきをちゃんと立たせると、私の方に視線を向けた。
「深山先輩、みさき……川名先輩のこと、これからもよろしくな」
見知らぬ人からいきなり言われて、私が唖然としている間に、彼は私の隣を通り過ぎて、校舎の中に入っていく。
我に返って、私は慌てて呼び止めようとした。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「……」
彼は振り向こうともせずに、そのまま階段を降りていってしまった。
「……変な人ね。みさき、大丈夫だった?」
「うん……」
みさきは、首を傾げていた。
「みさき?」
呼びかける私の声に、初めてみさきは私の方に顔を向けると、言った。
「雪ちゃん、私、さっきの人に、どこかで逢ってたような気がするよ……」
「まぁ、同じ学校の生徒なんだから、どこかで逢ったことくらいはあるんじゃないかしら」
制服を着てたから、ここの生徒で間違いないと思うんだけど。
でも、私には覚えがないのに、どうしてみさきに……?
「……あ、あれ?」
みさきは、不意に目元を袖で拭った。
「どうしたんだろ? また、涙が出て来ちゃったよ……」
「みさき……」
私は、泣き出したみさきをそっと抱きしめながら、もう一度階段の方に視線を泳がせた。
さっきの男子生徒、どこかで見たことがあるような気はするんだけど……。
誰、なんだろう……?
そして、翌日。
ついに、演劇部の卒業公演の日が、やってきた。
あとがき
なんか、この作品に関しては、あまりあとがきを付けない方がいいような気がしますので(笑)
雪のように白く その18 2001/10/4 Up