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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 17

「そんなこと言う雪ちゃんなんか、嫌いっ」
 背を向けるみさきに、ただ戸惑うだけの私。
「みさき……」
「ひどいよ、雪ちゃん! そんなこと言うなんてっ」
 放課後の図書室。
 いつものように、部活帰りにみさきを迎えに来ただけだったのに。
 みさきが、その一言を言うまでは……。

「最近、雪ちゃん、浩平くんのこと言わないね。ちゃんと演劇部に出てるのかな?」

 部員名簿をなんど頭の中でめくっても、みさきの言う男子生徒の名前は出てこなかった。
 だから、こう答えるしかなかった。
「折原浩平なんて、演劇部にはいないわよ」
「……」
 最初、きょとんとしていたみさきは、不意に笑った。
「もうっ、雪ちゃんったら、冗談だよね?」
 もう一度、考えてみたけど、結果は同じ。
「何言ってるの? そんな人、私は知らないわよ」

「嫌いっ!!」
「みさ……」
 ガララッ
 追いすがる私の手を、閉ざされたドアが遮った。
 その時の私は、様々な感情が入り乱れていた。だけど、一言で言うなら、唖然としていた、というのが一番近いだろう。
 みさきが、あんなに激昂するのを見たのは、本当に久し振りだった。
 でも、私は、そんなにひどいことを言った覚えはない。知らない名前の生徒のことを尋ねられて、正直に、知らないと答えただけなのに……。
「……みさき、どうしたっていうのよ……」
「……始まったみたいだね……」
 不意に後ろから声が聞こえて、私は振り返った。
 ちょうど、夕陽が差し込んできて、図書室はオレンジ色に染まっていた。
 その夕陽を背にして、一人の男子生徒が、窓際に立っていた。
 ちょうど、彼の背後から差し込んでくる夕陽のせいで逆光になって、その顔はよく判らない。
 私は、夕陽を遮るように額に手をかざして、聞き返した。
「……あなた、何か知ってるの?」
「さぁ。ただ、これだけは言えるよ。これもまた、変則的な邂逅だってこと……」
「……何が言いたいの、あなた?」
「僕に言えることは、……そうだね……」
 彼は、少し考えるように首を傾げると、頷いた。
「……絆は、一つあれば十分なんだよ。それ以上は、必要ない。これで理由になるかな?」
「……なによ、理由って……。何の理由なのよ?」
 私は、そう尋ねながら一歩彼に近づいた。
 と、彼はぽんと手を打った。
「ああ、そうか。君は……傍観者か……」
「傍観者?」
「それじゃ、また立場が変わってくるね」
 一人、納得したように頷く、彼。
 私は、どうしようもないいらだちを納めようと、深呼吸を一つした。そして、出来るだけ静かな声で尋ねる。
「ちゃんと、説明してくれないかしら? 私にも判るように」
 そう。なぜだか、その時の私は、彼がでたらめを口走っているとは思わなかった。
 彼は私に歩み寄ってくると、言った。
「彼女が待っていられるようにしてくれれば、僕は嬉しいよ。それが、絆を保つことだから……」
 相変わらず、訳がわからない。
「あなたね……」
「ふふ、可笑しいね。僕は、彼がこちらに来てくれることを望んでいたはずなんだけど……」
 微かに笑うと、彼は私の脇をすり抜けて、図書室を出ていった。
「ちょ、ちょっと!」
 私は慌ててその後を追いかけた。でも、廊下に出て左右を見回したけど、男子生徒の姿はどこにもなかった。
「……あ」
 不意に思い出した。彼とは前に一度だけ逢ってる。
 でも、どこでどうして逢ってたのか、それが思い出せなかった。
 ……あ、いけない。
 そこで、私はみさきを怒らせてしまったことを思い出した。
 みさき、あのまま家に帰ったのかしら?
 ……違う。
 こんなときに、みさきが行く場所は……。

 ガチャッ
 重い鉄製のドアを押し開けると、冷たい風が吹いてきた。思わず自分の身体を抱きしめて身震いすると、私は赤く染まっている屋上を見回した。
 みさきはやっぱりそこにいた。フェンスに手をついて、風を感じている。
 と、こちらの方に顔を向ける。
「……誰ですか?」
「私よ、みさき」
「……雪ちゃん」
 みさきは、ぷいっとそっぽを向いた。
「嫌い」
「ごめんなさいってば」
 私はみさきに近寄ると、その長い黒髪を手で梳いた。
「でも、本当に知らないのよ。その……なんていったっけ、森山?」
「折原くんだよ。折原浩平くん」
 そう言うと、みさきは私の方に向き直った。
 髪を梳いている手を邪険に振り払わないってことは、さっきよりは落ち着いたかな?
「ねぇ、雪ちゃん。本当に真面目に真剣に神に誓って、浩平くんのこと知らないの?」
 その表情は、今は、不安そうだった。
 でも、私にはそれを和らげてあげることが出来なかった。
「さっきから言ってるとおりなんだけど……」
「……そっか。それじゃ、きっと夢だったんだね……」
 みさきは、私に背を向けて、フェンスを両手で掴んだ。
「……夢の話だったの……」
 なぁんだ、と続けられなかったのは、そのみさきの声が、あまりに悲しげだったから。
「……私ね、初めて好きになった人が出来たんだよ……」
「えっ?」
「でも、夢だったんだ。あは、がっかりだよ、雪ちゃん……」
 そう言って、みさきは振り返って微笑んだ。
「そうだよね。そんな都合のいいことなんてないよね。だから、夢だったんだよね……」
 つぅっと、その頬を、光るものが流れ落ちた。
「……あ、あれっ? 夢だったのに、どうして……」
「みさき……」
「どうして、こんなに……胸が痛いんだろうね……、雪ちゃん……」
「もう、いいのよ」
 私は、そっとみさきを抱きしめた。
「……うくっ、雪ちゃん、ゆきちゃぁんっ!」
 そのまま泣き出すみさきを、私はずっと抱きしめていた……。

「……もう。危うく学校に閉じこめられるところだったわよ」
「えへへ、ごめんね、雪ちゃん」
 私たちは、そんな会話を交わしながら、校庭を横切っていた。
 既に陽はとっぷりと暮れ、辺りは暗かった。
「でも、久し振りに見たわね。みさきが大泣きしてるところ」
「ううっ、雪ちゃん意地悪だよ……」
 恥ずかしそうに頬を赤らめて、指を突き合わせるみさき。
 私はその髪をもう一度手で梳いた。
「ううん、いいのよ。でも、そっかぁ、みさきが恋をねぇ……」
「だからぁ、あれは夢の話だったんだよ、きっと……」
「私も見てみたかったなぁ、その折原くんって人」
「……ホントに意地悪だよぉ……」
 ぷっと膨れるみさきを苦笑して見ながら、私は内心で安堵のため息をついていた。
 夢で良かった、と。
 もし現実に、みさきが他の人を好きになったときには、私はこんな風にみさきをからかうどころじゃ無くなっちゃうし。
 ……あれ?
 どうして、そう思うんだろう?
 まるで、その時の心の痛みが、かつて体験したように感じられて、私は戸惑った。
「……雪ちゃん、どうかしたの?」
 みさきに声をかけられて、はっと我に返る。
「あ、ううん。なんでもないわよ。それじゃ、帰りましょうか」
「うん。……雪ちゃん、あのね……。手、繋いでもいいかな?」
「甘えん坊さんね、みさきは」
「うう〜」
「はいはい、判ったわよ」
 私は苦笑して、みさきと手を繋いで歩き出した。

 それにしても、なんなのだろう。
 まるで、ジグソーパズルのピースが一つ外れてるような、この違和感は……。

 その違和感も、忙しさの中、次第に薄れていく。
 演劇部の練習は、ますます厳しさを増したけど、みんなそれによく付いてきてくれた。
 その中でも特筆すべきは上月さんだった。
 初めての舞台とは思えない演技は、彼女を選んだ私を満足させ、そして皆をも納得させるものだった。
 誰もコーチが付いていたわけでもないのに、どうしてここまで出来たのか、私にも不思議なくらいだった。
 だけど、確かに他の誰も彼女にコーチとして付いていたわけではないし。
 彼女がもって生まれたものなのだろう、と、私は思うようになっていた。
 ただ……。
 時々、彼女が誰かを捜すようなそぶりを見せることがあるのが、少し気にはなっていた。
 でも、「誰を捜しているの?」と尋ねると、そのたびに彼女は悲しそうな顔をして首を振るだけなのだ。
 そして、その回数も次第に減っていった。

「深山先輩、こんにちわ」
「あら、長森さん」
 商店街の雑踏の中、後輩に声をかけられて、私は立ち止まった。
「こんにちわ」
 長森さんは、買い物の途中だったのか、手に買い物かごを提げていた。
「もうすぐですね、舞台」
「ええ。見に来てくれるかしら?」
「はい、もちろんですよ」
 にっこりと笑って頷く長森さん。
 と、私はふと気になって尋ねた。
「ところで、長森さんって部活やってたかしら?」
「ええっと、ちゃんと所属はしてないですけど、吹奏楽部のお手伝いを時々……」
「演劇部には、来たこと無いわよね」
「はい。すみません……」
「ううん、そうじゃなくて……」
 私は、頬に手を当てて考え込んだ。
「長森さんと私って、どこで知り合ったのか、覚えてるかしら?」
「えっ?」
 長森さんも小首を傾げた。
「そういえば、どこででしたっけ? ……すみません、思い出せなくて……」
「いいのよ。私もそうだし。多分、大したことじゃないわね」
「はい……。あ、いけない。わたし、買い物の途中なので、これで失礼します。舞台、みんなと見に行きますから」
「ありがとう。きっと、後悔はさせない舞台になるから」
「はい、楽しみにしてます」
 礼儀正しく一礼して、雑踏の中に消えていく長森さん。
 その背をなんとなく見送りながら、私はもう一度首を傾げた。
 でも、それはきっと、大したことじゃない。
 忘れてるだけなんだ。
 と。
 くいくいっとジャケットの裾が引っ張られた。
 そっちを見ると、上月さんがぺこりと頭を下げて、スケッチブックを広げる。
『こんにちわ』
「こんにちわ。お買い物?」
 そうなの、と頷く上月さん。
「何を買いに来たの?」
「……」
 えーと、と少し考えてから、頭を指す上月さん。
「リボン?」
 うんうんっ、と頷いて、嬉しそうな笑みを浮かべる。
 そういえば、上月さんはいつも頭に大きなリボンをしている。
「上月さん、どうしていつもリボンをしてるの?」
 何の気なしに尋ねると、上月さんは、うーんと考えてから、スケッチブックを広げた。
『めじるしなの』
 目印……。
 その大きなリボンを見ていると、なんとなく判るような気がした。
「それじゃ、今日は私が選んであげましょうか」
 そう言うと、上月さんは嬉しそうにぱっと表情を輝かせた。そして、私の左腕にしがみつく。
「きゃっ」
 バランスを崩してちょっとふらつくと、上月さんは慌てて離れて、ぺこぺこと頭を下げた。
「あ、いいのよ、べつに。怒ってないから」
 私がそう言うと、はう〜と肩をすくめる上月さん。
 苦笑して、声をかける。
「それじゃ、行きましょうか」
 さっきまでの様子はどこへやら、私がそう言うと、上月さんは、うんっ、と嬉しそうに頷いた。
 それにしても、どうしてだろう。
 上月さんを見ていると、妙な違和感を感じるのは。
 まるで、その隣に誰かいるべきなのに、いないような……。
 くいくいっ
 私が考えにふけっていると、上月さんが袖を引っ張った。
「あ、はいはい」
 らちもない。
 私は苦笑して、上月さんの後を追って、ファンシーショップに入っていった。

To be continued...

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あとがき

 雪のように白く その17 2001/8/2 Up

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