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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 19

 朝から、私たち演劇部員は、会場となる体育館で舞台の設営に追われていた。
「時間は!?」
「あと2時間ですっ!」
 パイプ椅子をまとめて5脚担いだ牧田くんが、すれ違いざまに私に答えた。
 思わず唇を噛む。
 最後の最後で、時間を読み間違えるなんて……。
 観客席となるフロアには、まだ予定の4分の1もパイプ椅子は並んでいなかった。
 その上、舞台のセットもしなければならないし、衣装替えやメイクのことも考えなければならない。
 せめてもう一人、力仕事の出来る男子がいてくれたら……。
 そう思って、私は苦笑した。
 無い物ねだりをしても仕方がないわけだし。
 と、フロアの方でガシャンと大きな音がした。
 そっちを見ると、上月さんがパイプ椅子をまとめてひっくり返していた。
「上月さん!?」
 自分の仕事を置いて、慌てて駆け寄るみんな。
 上月さんはあたふたと立ち上がり、ぺこぺことそんなみんなに向かって頭を下げていた。
 ……やっぱり、緊張してるのかしらね。
 私は、そんな上月さんを見ているうちに、焦っていた自分が落ち着いてくるのを感じていた。
 パンパン、と手を叩きながら、そっちに歩み寄る。
「はい、みんな仕事に戻って。上月さん、大丈夫?」
 上月さんは私を見て、またぺこぺこと頭を下げた。それから、ひっくり返ったパイプ椅子に手を掛ける。
「あ、上月さん、そっちは良いから舞台の方を手伝ってあげて」
 そう言って、舞台の方に視線を走らせる。
 設営を指揮している霧生さんは、私の視線の意味を悟って上月さんに声を掛けた。
「上月さん、こっちの木を立てるの手伝ってくれない?」
 うん、と頷いて、パタパタと走っていく上月さん。ひっくり返ったパイプ椅子を起こしながら、その背を見送って、私は微笑んでいた。
「部長、楽しそうですね」
 同じようにパイプ椅子を起こしていた牧田くんが、私に声を掛ける。
「ええ、楽しまないと。最後のお祭りですからね」
「……そうですね」
 牧田くんも、微笑んだ。

 とはいえ、絶対的な人数不足はどうしようもなく、30分ばかりが経過してもまだパイプ椅子は並び終わらなかった。
「部長、とりあえずこっちは僕に任せて、部長は舞台の方を」
 額の汗を拭いながら言う牧田くん。
「でも……」
「霧生さんに、最後の部長の仕事を見せてあげないといけないんじゃないですか?」
 そう言って、牧田くんは舞台に視線を向けた。
 つられるように私も舞台に視線を向け、そしてため息を付いた。
「そうみたいね。それじゃ牧田くん、こっちはお願いね」
「はい」
 頷く牧田くんを後に、私は舞台に駆け寄った。そして観客席の最前列に立って声を上げる。
「霧生さん! 何よこの舞台は! バランスがなってない。ちゃんと配置図見てるのかしらっ!」
「す、すみませんっ!」
 そう、私も去年の卒業公演で、前部長から派手に叱られたっけ。
 懐かしく思いながら、私は舞台に上がる。
「木はもっとそっちでしょう? それから、その壁はもっと前に! バックの照明が当たってしまうでしょう? 壁が主役じゃないのよ」
「は、はいっ」
 と、そこに上月さんが石(と言ってももちろん張りぼての小道具だけど)を運んできた。
「上月さん、あなたそろそろ衣装に着替えないといけないでしょう?」
 そう言うと、でもでも、と舞台を見回す。
 確かに、まだ舞台は完成と言うには程遠い。
 私は上月さんから石を取り上げると、言った。
「上月さん、あなたの今回の仕事は何かしら? 少なくとも小道具係じゃないわよね?」
「……」
 うん、と頷くと、上月さんはもう一度ぺこりと頭を下げた。そして、部室に向かって駆け出す。
「焦って転ばないようにね」
 後ろから声を掛けると、一度振り返って「わかったの」と手を振り、そして再び駆け出した。
 その姿が体育館の脇のドアから消えるまで見送ってから、私は向き直った。
「ほら、急いでセットを済ませるわよ。それから照明のリハもやらないと」
「はいっ!」
 部員達が答える。
 でも、やはり人数が足りない。
 さっきまでセットを手伝ってくれていた出演者や衣装係、メイク係の部員達も抜けてしまったので、厳しい状況だった。
「幕、下ろします!」
「ええ、でも慌てて下ろして破かないでね」
 私の言葉に頷いて、1年生の部員が幕を下ろし、舞台はひととき観客席からは隠された。
 この幕が再び開くとき、それは開演の合図となる。
「そこの階段はもっと右でしょう! ……違うわよ、それは行き過ぎ。もう少し左!」
 指示を出していると、後ろから牧田くんに声をかけられた。
「観客席の準備、終わりました!」
「え?」
 驚いて振り返ると、牧田くんが舞台袖から駆け上がってきた。
「こっち、手伝います」
「あ、ええ……。あら?」
 その牧田くんの後から見知らぬ男子生徒が舞台袖に入ってきたのが見えて、私は声をかけながら歩み寄った。
「…そこのあなた。ダメよ、ここは入ってきたら」
 男子生徒は、私を見た。
 どこかで見たことがあるような気が一瞬だけしたけど、でもそんなはずはない。初めて見る顔だし。
「部長さんですか?」
「え?」
 どうして知ってるのだろう、と思ったが、よく考えてみれば演劇部の部長くらい、文化祭とかで劇を見てくれていれば知ってて当然だろう。そう思い直して頷く。
「ええ、そうだけど……」
 彼は、私に歩み寄って、言った。
「俺にも何か手伝わせてくれませんか?」
 唐突な申し出だった。
 確かに、人数が足りないのは事実だけど……。
「……うーん、そう言われても……」
 ためらう私に、彼は重ねるように言った。
「だいたいの仕事内容は判ってますから」
 そう言われて、少し興味がわく。
「そうなの? 昔、演劇部だったとか?」
 彼は頷いた。
「ええ。……ほんの数ヶ月ほどですけど」
 なるほど。経験者なら、とてもありがたい。何しろ、文字通り猫の手も借りたい状況だ。
「そうなんだ。でも、それだったら、うちの部に入ってくれたら良かったのに」
 何の気なしにそう言うと、彼は微かに苦笑した。いや、そう見えた。
「……ごめんなさい、悪いこと言ったかしら」
「いえ。……そう言えば、み……。いや、上月さんは?」
 彼は首を振り、そして舞台を見回して私に尋ねた。
「上月さんの知り合いなの?」
「……ええ」
 一瞬、言葉に詰まり、そして彼は頷いた。
「今は、演劇部の部室で舞台衣装を着付けてると思うけど」
「…そうですか」
「心配そうね」
 その表情を見て、私は言った。
「そうですか?」
 本当に心配げな彼。
 ……上月さんの知り合いなら、普段の上月さんを見てるわけだから、心配する気持ちは何となく判る。
 だから、私は笑顔で告げた。
「でも、大丈夫よ、私が保証するわ」
「部長さん……」
「あの子、ここ何ヶ月かでびっくりするくらい上達したから」
 本当に、驚くほどに。
 彼は呟いた。
「……それは、コーチが優秀だからです」
「コーチ?」
「いえ……。それよりも、俺に手伝えることがあったら、何でも言ってください」
「本当にいいの?」
「この舞台、絶対に成功して欲しいですから」
 彼が上月さんの知り合いということも判って、何となく安心して、私は頷いた。
「分かったわ。そう言うことなら遠慮なく手伝って貰うわね」
 しばらく、フォローの意味も兼ねて、その男子生徒のそばで準備を続ける。
 経験者、と言うだけあって、彼は慣れた手つきで大道具や小道具を配置していく。

 やがて、思っていたよりも早く舞台の準備は整い、放送部員達が照明のリハーサルを始める。
 手が空いたところで、私は真っ先に彼のところに駆け寄った。
「今日は本当にありがとう。助かったわ」
「……いえ」
 彼は首を振った。それから、カクテルスポットに照らされた舞台を見つめる。
 私は、その横顔に話しかけた。
「もちろんこれから舞台を見てくれるのよね?」
「ええ、そのつもりです」
 頷く彼。
「だったら、ここで見ていく? ちょっと角度は悪いけど、それでも普通はなかなか体験できないわよ」
「……そうですね」
「それに、もうすぐ上月さんも戻ると思うから」
 上月さんの知り合いなのだから、と思って、何の気なしにそう言ったのだったが、その言葉に彼は表情を変えた。
「あの、オレやっぱり客席で見ます」
 そう言うと、背を向ける彼。
「そうなの? 残念ね……」
「……それでは」
 彼はそう言い残して、舞台袖に姿を消した。
「部長、ライトリハ終わりますよ!」
 後ろから牧田くんに声を掛けられて振り返る。
「あ、ごめんなさい。すぐ行くわ」
 そう言って、私は牧田くんのところに駆け寄った。
「部長、誰と話をしてたんですか? 見かけない生徒みたいだったですけど。もしかして、入部希望者?」
 そう訊ねられて、私は首を傾げた。
「……さぁ? それよりも、リハが終わったらお客さんを入れるわよ」
「あ、はい」
 いよいよ、幕が上がろうとしている。
 その興奮に紛れて、私はさっきの男子生徒のことをまったく憶えていない自分に不信感一つ持たなかった。

 結果から言えば、今年の卒業公演は大成功のうちに幕を閉じた。
 それぞれの部員が、全力を尽くしてくれたおかげだった。
 その中でも特に、上月さんの活躍は素晴らしかった。演劇の基本は言葉じゃない、身体で伝えることなんだ。それを再確認させてくれたのが彼女の演技だった。
 ただ、一つだけ気になったのは、彼女が時折、ほんの一瞬だが、誰かを捜すかのように客席を見回していたことだった。
 誰か知り合いでも見に来ているのだろうか?
 ……知り合いといえば、みさきも来てくれていた。それが、私にとっては、一番嬉しかった。

 舞台がはねて、皆は恒例の部室での打ち上げのために、部室に向かっていた。
 私はというと……。
「ほら、みさきもいらっしゃいよ」
「でも、わたしは演劇部員じゃないから……」
「いいのよ。うーん、それじゃこうしましょう。部長権限で、今日一日だけ、川名みさき、あなたを演劇部員にします」
「う〜っ、雪ちゃん横暴だよ〜」
「打ち上げだからね、みんなでお菓子を持ち寄って食べるんだけど……」
「雪ちゃん、ほら急ごうよっ。お菓子が無くなっちゃうよっ」
 今まで渋っていたのはどこへやら、あっさりと私の手を引くようにして部室に向かって歩き出すみさき。
 でも……、みさきがこうして歩き回れるのは、この学校の中だけだったのに……。
「雪ちゃん、どうしたの?」
 振り返るみさきに、私は明るく答えた。
「なんでもないわよ」
「? なら、いいんだけど」
 そう言うと、みさきは前に向き直った。
 と。
 どしっ
 前から誰かがみさきにぶつかってきた。
「きゃうっ」
 その勢いによろめくみさきを、慌てて私が後ろから押さえる。
「大丈夫、みさき?」
「う、うん、わたしは丈夫だから。あ、あの、そちらは大丈夫ですか?」
 ぶつかってきた人の方に声を掛けるみさき。
 返事がないので、不安そうにみさきは声を掛けた。
「あ、あの、もしかして、ものすごく怒ってます?」
 ふるふる
「怒ってないみたいよ」
 私は後ろから声を掛けると、手を伸ばした。
「ほら、上月さんも立ちなさいよ」
「えっ? 澪ちゃんだったの?」
 きょとんとしながら、そっちの方に手を伸ばすみさき。
 いつもなら、「大丈夫」とその手にぶら下がるだろう上月さんは、でもその時は、いつもとは違った。ぺこりと私たちに頭を下げると、そのまま廊下を真っ直ぐに走って行ってしまったのだ。
「……澪ちゃん、もしかしてやっぱりものすごく怒ってたのかな……」
 結果的に伸ばした手を無視された形になったみさきは、その手を下ろしながら悲しそうに言った。
 私は首を振る。
「ううん、澪ちゃん、怒ってたんじゃないわよ。そうじゃなくて、あれはどっちかって言うと……」
「どっちかって言うと?」
 みさきに聞き返されて、私はさっきの上月さんの表情を思い出していた。
 そして、その腕に抱え込まれていたスケッチブック。
 上月さんが、いつも大事にしていた、緑色の古ぼけたスケッチブックだった。
 それを開いたまま抱えていた上月さん。
 転んだ弾みに見えたそのページには、青いサインペンで文字が書いてあった。

『さようなら、澪』

「……雪ちゃん?」
「あ、ごめん。ううん、とにかく、上月さんは大丈夫。それより急がないと……」
「あ、そっか。お菓子が無くなっちゃうもんね」
 頷くと、みさきは小走りに歩き出した。
 その後についていきながら、私は言いかけた言葉をそのまま飲み込んだ。

 どっちかって言うと、あれは……。

 部室に付いた私は、牧田くんに上月さんのことを訊ねた。
「僕にもよく判らないんですけど……、上月さん、真っ先にここに戻ってきて、そしてすぐに飛び出して行ってしまったんで……」
「……そう」
「打ち上げ、どうします? 上月さんが戻るまで待ちますか?」
「……いえ、始めていましょう」
 彼女は戻ってこない、そんな気がしていた。

 あれは……、何か大切なものを捜してるような、そんな顔だったから……。

「……雪ちゃん」
 不意に、みさきが私に声を掛けてきた。
「みさき、どうしたの?」
「……このおまんじゅう、食べてもいいのかな?」
 みさきの手には、おまんじゅうがしっかりと握られていた。
 私は思わず吹き出していた。
「ふふっ、どうぞ」
「わぁい」
 小さく歓声を上げて、みさきはおまんじゅうを口に運んだ。

「それにしてもよく食べたわね」
「う〜っ、雪ちゃん意地悪だよ〜」
 すっかり暗くなってしまった中を、私とみさきは手を繋いで歩いていた。
 みさきが満足するのを待っていたおかげで、私は最後まで部室に残る羽目になってしまったというわけだ。
「でも、最後だものね」
 正直、まだあの部室にいたい、そんな気はする。
 でも、もう私はあそこから出なければならないのだ。
 と。
 不意にみさきが顔を上げた。
「……あれ?」
「どうしたの、みさき?」
「……誰かの声が、聞こえたよ」
「え?」
 こんな時間に、誰か残っていたのだろうか?
 私は、みさきの向いている方を見つめた。
 暗闇の中、確かに誰かが立っている。
「……誰か、そこにいるの?」
 私の声に、ゆっくりと向き直る人影。
「……上月さん? どうしたの、こんな……」
 そこで私が言葉を飲んだのは、彼女の表情を見たからだった。
 笑顔だった。
 その笑顔が、私とみさきをみて、ゆっくりと崩れた。
「……っ!」
 たたっと、駆け寄ってくると、そのまま上月さんはみさきに抱きついていた。
「わ、み、澪ちゃん?」
「……っ」
 上月さん、泣いて……る?
 そのまま、みさきの胸に顔を埋めるようにして、声なく泣きじゃくる上月さん。
 みさきは、最初は驚いていたものの、すぐに穏やかに微笑んで、その背中を撫でた。
「澪ちゃん、泣いていいよ……。……ぐすっ」
 もらい泣きをしてしまったのか、みさきも鼻をすすり上げた。
「今は好きなだけ泣いて……。そして、明日は笑顔で、ね?」
 うんうん、と頷きながら、上月さんはしゃくり上げていた。

 こうして、私とみさきの高校生活はピリオドを打った……。

To be continued...

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あとがき
 なんというか、いよいよ大詰めですねぇ。
 年内に終わるかどうかは判りませんけど。

 雪のように白く その19 2001/12/18 Up

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