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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 15

 3年生は、この時期になると授業はないに等しい。
 というわけで、私と副部長の牧田くんは、朝から演劇部の部室で金槌を振るっていた。
 トン
「……ふぅ。これでよし、と」
 最後の釘を止めて、私は立ち上がると大きく伸びをした。そして訊ねる。
「牧田くん、そっちは?」
 トントントン
「もう少し。……よし、これで終わりです」
 牧田くんも立ち上がって、大きく息を付いた。
 私はノートをめくった。
 必要な道具が全て列記されているノート。
 準備が出来ているものには、チェックが付けられている。
「これで、必要な大道具は全部出来たわね」
「ご苦労様です。すみません、部長にまで道具作りをさせてしまって」
 道具係だった牧田くんが苦笑混じりに頭を下げる。
「ううん、いいのよ。これで最後だしね。さて、と……」
 あとは衣装……。あ。
「牧田くん、衣装のことなんだけど……」
「衣装なら、夏公演で使ったやつをそのまま使うってことになってたんじゃないですか?」
 公演のたびに新しく出来ればいいのだけど、残念ながら、そこまで予算はない。
「ええ。みんなには悪いけど……」
「いえ、いつものことですから」
 笑って答える牧田くんに、私は首を振った。
「ううん、そうじゃなくてね。他の人は前のを使い回すとしても、使い回せない人がいるでしょ?」
 そう。今回が初舞台の娘がいるのだ。
「ああ、上月さんですか」
「ええ。あの娘、今回が初舞台なんだし、やっぱり新しい衣装を着せてあげたいじゃない? それに、サイズの問題もあるわけだし……」
「上月さん、小柄ですからね」
 頷く牧田くん。
「というわけで……ね?」
「……了解です」
 牧田くんは、もう一度苦笑して、予算の入っている手提げ金庫をロッカーから取り出してきた。
 ちょうどその時、チャイムが鳴った。
 きーんこーんかーんこーん
「ああ、ちょうど終わったところですね」
「昼休みね」
 みさきが食堂に行くだろうから、私も行かないと、と腰を上げたところで、牧田くんの視線に気付く。
「……どうしたの?」
「部長、今日が土曜日だって知ってます?」
 ……そう言われてみれば、そうだった。
 私はもう一度腰を下ろした。
「最近授業もないから、曜日の感覚がだんだん薄れてきてるみたいね」
「判ります」
 土曜日なら、4時間目が終わったら放課後というわけだ。
 みさきも授業が終われば、真っ直ぐ家に帰るだろうし。
 ……ちなみに、みさきも3年生なのだが、補習があるので授業には出なければならないのだった。

「雪ちゃんも、一緒に受けてくれるよね?」
「……なんで私が補習を受けないといけないのよ」
「そんなぁ。ひどいよぉ〜」
「あのね。自業自得でしょうが」
「ぐっすん」

 そんな会話を交わしたのは、1週間ほど前だったか。
 と、ドアが開いて、ホームルームも終わった部員達が入ってくる。
 弁当を持ってきている人は、ここで昼を食べてから練習をするのが慣例になっているからだ。
 私は部員達の挨拶を受けながら、ノートを閉じて立ち上がった。牧田くんに声をかける。
「それじゃ、私はお昼を食べてくるから」
「判りました」
 その声を背に、ドアを閉めた。

 一人でお昼を食べてから、部室に戻ってくると、ほとんどの部員はもう集まっていた。それぞれ台本を見ながら、練習を始めている。
「ごめんなさい、遅くなって」
「いえ、まだ全員集まってませんし」
 牧田くんに言われて部室を見回すと、確かに全員いるわけでもなかった。
「……そうね」
「あ、そうそう。部長、これを」
 牧田くんが、封筒を渡す。ちらっと中を見ると、お札が入っていた。
「上月さんの衣装代です」
「ありがとう」
 受け取ってから、視線を感じて振り返ると、その上月さんが、はぇっという感じで私たちを見ていた。ちょうど部室に来たところらしく、まだ鞄を手にしている。
 多分、通りかかったところで自分の名前が聞こえたのだろう。
「ちょうど良かったわ。上月さん、ちょっといいかしら?」
 うん、と頷いて、上月さんは鞄を置いた。
 私は、衣装のカタログを出して広げた。
「あなたの衣装を選びたいんだけど……」
 ぱっと表情を輝かせると、上月さんはカタログを覗き込んだ。
「……これなんかどうかしら?」
 う〜ん、と考えてから、おずおずと別のを指す上月さん。
「こっちがいいの?」
 う……ん。
「……そうね、そっちの方が映えるわね、きっと」
 うんっ!
 笑顔で頷く上月さん。
 値段を見て、封筒の中に入っていた金額と比べる。それから、一つため息をついて、私は自分の財布を出した。
 きょとんとする上月さんに、なんでもないと首を振ってから、お札を財布から抜いて、封筒に入れる。
 と、不意に上月さんが立ち上がった。そのまま部室を斜めに横断して走っていく。
 どうしたのかと思って顔を上げて、私は苦笑した。
「うわっ! み、澪っ!」
 部室に入ってきたところでいきなり飛びつかれて、バランスを崩し掛けた折原くんが、後ろの壁に手をついて身体を支えていた。
 上月さんは、慌てて飛び退くと、申し訳なさそうにしょぼんとする。
「……はぁ、もういい」
 怒る前にしょぼんとされてしまっては、さしもの折原くんもため息混じりに許すしかなかった、と。
 本当に、全身で感情表現する娘ね。
 私は微笑ましく思いながら、声をかけた。
「そこの二人」
「あ、部長」
 壁に寄りかかるようにしていた折原くんが姿勢を正す……のはいいけれど、その袖には上月さんがしっかりしがみついていた。
 私は笑って言った。
「今日も元気いっぱいね」
「……俺のせいじゃないぞ」
 にこにこ。
 全身で「元気いっぱい」と言っている上月さん。
 私は本題に入ることにした。
「悪いんだけど、今日は二人でお遣いに行ってくれないかしら?」
「お遣い? いや、俺は構わないけど……、別に二人でなくてもいいんじゃないか? 俺一人でも……」
「折原くん一人じゃ無理よ」
 私が言い切ると、折原くんはむっとしたように腕組みした。
「いくらなんでも、お遣いくらい……」
「買ってきて欲しいのは、上月さんの舞台衣装なんだけど……」
「……」
 黙り込む折原くんに、私は追い打ち。
「一人で買ってくる?」
「無理」
 今度は即答だった。私は苦笑した。
「でしょう? サイズのこととかもあるから、上月さんと一緒に行ってもらわないとね」
「だったら……」
 言いかけて止める折原くん。
 その先は、言わなくても判ったし、何故止めたかも判ってた。
 上月さんも判ったらしく、折原くんの袖をくいくいっと引っ張って、スケッチブックを広げた。
『ひとりでも大丈夫』
「大丈夫じゃないっ! もう、これ以上人様に迷惑を掛けるわけにいかんだろっ」
 うーっ、と不満げに睨む上月さん。
 私は、そんな上月さんの頭を撫でてあげながら、折原くんに言った。
「というわけで、二人でお願いね。買う服は、さっき上月さんと相談して決めてあるから」
 一転して、うんうんと得意げに頷く上月さん。
 私は、封筒を折原くんに手渡した。
「それで、これが衣装代だから」
「ああ」
 折原くんは封筒を受け取ると、中身をちらっと確認してから、鞄に仕舞い込んだ。そして上月さんに言う。
「喜べ澪。今日は寿司だ」
 わぁーい、と両手を上げる上月さん。
「お寿司食べるのは勝手だけど、お金は自分で払ってね」
「……冗談だって」
 ぱたぱたと手を振る折原くんに、私は苦笑しながら指さす。
「でも、上月さんは冗談だと思ってないみたいよ」
 上月さんは、わぁーいとまだ喜んでいる。
「ぐわ……」
「これは、本当にお寿司を買ってあげるしかないわね」
「……自爆してしまった」
 がっくりと膝をつく折原くんの腕を引っ張る上月さん。
「なんだ、澪?」
『おすし』
「……へいへい。んじゃ部長、行って来る」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 うんっ!
 元気に頷く上月さんを連れて、折原くんは部室を出ていった。
 さてと、と振り返ったところで、牧田くんがじっと私を見ていたのに気付く。
「どうしたの?」
「いや、なんていうか微笑ましいなって思って」
「そうね。あの二人って、まるで兄妹みたいで……」
「違いますよ」
 首を振ると、牧田くんは、それ以上は何も言わずに、練習に戻っていった。

 ガラガラッ
 部長などをしていると、こんな時期になっても結構細かい事務作業などがあったりする。
 それを一通りこなしたところで、不意に部室のドアが開いた。
 顔を上げてそっちを見ると、荒い息を付いている折原くんだった。
「……お帰りなさい。早かったわね」
 そう言いながら時計を見る。まだ15分もたっていない。
「いや、途中で、引き返して、来たんだ」
 はぁはぁと息を整えながら言う折原くん。ようやく落ち着いたらしく、深呼吸してから、辺りを見回す。
「あれ? そういえば澪は?」
「上月さんなら、そこで伸びてるけど」
 うにゅ〜、と床に倒れて目を回してる上月さんを指す。
 慌てて屈み込む折原くん。
「ダニー、グレッグ、生きてるか?」
「……」
 あう〜、という感じ。
「……大丈夫って言ってるようには見えないわね。何をしてたの?」
「1キロくらいを全力疾走」
 答えながら、折原くんも床に座り込む。
「何かあったの?」
 私が訊ねると、折原くんは首を振った。
「俺は知らん。澪のやつが急に戻るって言い出して、そのまま……」
 と、上月さんがもぞりと動いた。置きっぱなしになっていた自分の鞄のところまで這っていくと、開けて中からスケッチブックを取り出していた。
 表紙もボロボロになっている、古いスケッチブック。
 それを確かめて、ほっと安堵した表情で抱きしめる上月さん。
「なるほど。あれを取りに来たのね」
 私は納得して頷いた。
「あれって、きっと、上月さんにとっては、よっぽど大切なものなのね。いつも肌身離さず持ってるもの」
 独り言のようなつもりだったから、驚いた。
「……違う」
 折原くんがそう言ったことに。
「え?」
 思わず聞き返した私にではなく、折原くんも独り言のように、呟いた。
「ただ、馬鹿なだけだ……」
「……折原くん?」
 もう一度聞き返す私の声に、折原くんは初めて私に聞かれていたことに気付いたようだった。はっとして、それから上月さんに視線を向けて、怒鳴る。
「澪っ! 行くぞっ!!」
 その声に、部室中の視線が集まった。
「いい加減にしないと、日が暮れるだろっ!」
 そう言い捨てて、折原くんは部屋を出ていった。
 慌ててスケッチブックを抱きしめたまま、その後を追いかける上月さん。
 パタパタ、という足音が小さくなって聞こえなくなるまで、部室は静かだったが、すぐに部員達が練習を再開し、騒がしくなる。
 その喧噪を聞き流しながら、私は廊下に出た。そして、二人の行った後の無人になった廊下を眺めていた。

 どれくらい、そうしていたのか。
 ふと気付いて窓の外を見ると、大粒の雨が降っていた。
「にわか雨……ね」
 呟いて、はっとした。
 あの二人、傘を持ってるようには見えなかったけど……。
 きっと、どこかで雨宿りしてる、とは思うけど……。
「部長、ちょっといいですか?」
 後ろから呼ばれて、私は返事をして部室に戻っていった。

「いやぁ、寿司買ってたらいきなり降ってきてな。なぁ、澪?」
 うんっ
 びしょ濡れになった二人が戻ってきたのは、雨が止んで30分ほどしてだった。
 私はため息混じりに、二人にタオルを渡した。
「雨宿りくらいすればよかったのに」
「いや、澪先輩がどうしても寿司が食いたい、寿司を買ってくるまでここから動かない、なんて言って……」
 ぱこぱこぱこっ
「あいてて、痛いって!」
 2度目に出かけるときの気まずい雰囲気はどこへやら、もうすっかりいつも通りの仲の良い二人に戻っていた。
「ええっと、そんなわけで……、澪」
 うんっ、と頷いて、上月さんは私に袋を渡した。
 ビニール袋だったのが幸いして、中の衣装までは濡れていないようだった。
「はい、確かに。ご苦労様」
 私はそれを受け取って、それから訊ねた。
「それで、お寿司はおごってもらったの?」
 うんっ、と大きく頷くと、嬉しそうに寿司屋のビニール袋を見せる上月さん。
「……そう。食べるなら食堂で……って言いたいところだけど、そんなに濡れて食堂に行ったら風邪引きそうね。ここで食べてもいいわよ」
 わぁい、と嬉しそうに手を上げると、上月さんは部室の隅に走っていって、うんしょ、うんしょと机を並べ始めた。
「……」
 そちらもご苦労様、と言おうと思って、彼に視線を向けて、そこで私は言葉に詰まった。
 一瞬。ほんの一瞬だったけど、その名前が出てこなくて。
 彼が私の視線に気付いて、首を傾げた。
「何すか、部長?」
「あ、ううん。ご苦労様、……折原くん」
 名前がとっさに出てこなかったのは、疲れてるせいだ、と、私はその時は思っていた……。

To be continued...

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あとがき
 つーことで、雪ちゃんです。
 そろそろ、かな?(笑)

 しかし、暑い……。

 雪のように白く その15 2001/7/13 Up

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